第126話 海からの訪問者
「そうなの?…うん、ありがとう」
授業を終え、そのまま教室で談笑していた時。友人に名を呼ばれ、教室の入り口で立ち話をしていたナタムが、俺たちの方へと戻ってきた。少しゆっくりとした歩調の彼のその顔は、どこか不安そうだった。
「どうしたんだ?」
何かあったのだろうか、と彼に尋ねる。
「ペルシカが、デンドロン王に会いに来ているってさ」
「父上に?聞いてないぞ」
ストンと椅子に腰を下ろすナタム。彼の言葉にガルベラが手を止めた。
「ロゼ様は?何か知ってる?」
「ううん、特に聞いていないよ」
ペルシカリアさんは彼の故郷アメルアの海岸に住んでいる人魚のお姫様。人の姿となり地上で過ごすことも出来るが、基本的には海の中で暮らしている。ロゼリスの親友でもあるため、王宮でのイベントに合わせて王都に来ることはあるが、それは年に数回という程度らしい。
そんな彼女が突然王都に、それも王様に会いにきているという。
「僕は何も聞いていないよ。この前ペルシカに会った時、次もアメルアで会おうって話したばかりだよ」
ナタムは先程、彼女の来訪を友人から聞いて知ったのだという。その友人が城の前で彼女の姿を見たらしい。
「急に王様に会いに来るなんて、何か海であったのかなぁ」
人魚のお姫様と称したペルシカリアさんは、例えではなく本当に人魚のお姫様だ。人魚界の第一王女と言える立場。そんな彼女が突然王様に会う、という事は国を動かすような大きな何かがあるのかもしれない。
「ナタム、一緒に城に来るか?私も彼女の来訪の経緯を知りたい。父上たちから話が聞けるなら、共に聞こう」
立ち上がり、鞄を手に持つガルベラ。ペルシカリアがまだ城内にいるのなら会おう、そう言って俺たちも席を立った時、教室の入り口から騎士が一人、こちらを覗くのが目に留まった。
俺と目が合うと頭を下げた騎士が、こちらへと向かってくる。服装的に第二騎士団の騎士だ。
(なんで第二騎士団…?)
この話のタイミングで騎士団が来るなんて。やはり何か大きな事が起きているのかもしれない、と俺は身を構えた。
「ロゼリス様、ガルベラ様。タクミ殿に……そうか、ナタムも一緒でしたね。皆様、デンドロン様とランタナ様がお呼びですので、城にお集まりくださいませ」
「え、僕たちもですか?」
俺たち四人を見て挨拶をした騎士。てっきりロゼリスとガルベラの二人に用件があって来たのだと思っていた俺とナタムは、思わず顔を見合わせた。
「ペルシカと……誰……何?」
謁見の間へと案内された俺たちは、その中央にいた彼らに思わずその場で足を止めてしまった。
まるでエメラルドの海を纏ったような、長いドレス姿のペルシカリアさん。正にお姫様だ。王様に会いに来たお姫様という感じ。
そして隣には、彼女と並ぶ背丈の大きな“何か”が立っていた。
白い胸元に黒い背中、そして黄色の首周り。それは俺が知っている「動物」だった。
『ペンギン』
「タクミは知っているのか?ペンギンとやらを」
ペルシカリアさんの目が俺へと向けられる。
もちろん知っている。水族館、いやテレビで何度か見たことのある動物だ。
「雪花は?」
「ピュー……」
名を呼べば、ロゼリスの侍女ヨギさんの背後から顔を覗かせた雪花。足を動かし、俺の側へと寄ってきたところで雪花を抱き上げる。
「年初めに王宮内でこの子と会ったんです。俺と同じ黒い魔法陣から出てきました。ランタナ王子と相談して、学校の時以外は俺が世話をしています」
「彼も黒い魔法陣から出てきた。それを私は見た。
彼は“私は人間たちに王と名付けられた種だ”と言っている。本当か?」
王と名付けられた種族…?ああ、記憶が正しければ、確かこの大きなペンギンは皇帝ペンギンという名前だったはずだ。有名だから覚えていた。雪花の種類については、分からないが。
「本当ですね」
「そうか」
そう答えると、ペルシカリアさんは何かを考えはじめてしまった。
改めて彼女の横に並ぶペンギンを見てみる。雪花の倍はある背丈の彼は、じっと静かに俺たちを見つめていた。
そしてこの俺たちの会話を、上段から静かに聞いていたデンドロン王とランタナ王子。
静かに立ったランタナ王子が、その閉じていた口を開きながらこちらへと降りてきた。
「タクミ、私は雪花をペルシカリア殿に任せようと思う」
「……えっ……」
ランタナ王子を見てから、ペルシカリアさんを見て、そして雪花を見る。
雪花を彼女に任せる…託す、つまり離れ離れになるって事?この子から?
無意識に抱きしめていた腕に力が入る。視線は俺と同じ黒い瞳へと移るが、その色からは表情は読み取れず、だが雪花もまた俺の方を見つめていた。
「元々、雪花は海で暮らしていたのだろう?
せめて内陸の王都ではなく、海沿いの街で暮らすのが良いと思っていたが、ペルシカリア殿の下に彼が現れたのだというのだから、丁度いいと思ったのだ。
我々人間の中で生きるよりも、仲間と暮らす方がいいだろう」
「雪花は……」
「君には異世界研究所の一員として雪花を任せていた。判断は君に任す。ペルシカリア殿らは、数日王都に滞在するそうだから、その間にどうするのか決めなさい」
そう。雪花は元々、俺が主な世話係として、異世界研究所のメンバーとして預かっただけだ。きっと長くはない期間限定の同居生活だと思っていたはず。はずなのに、どうして俺は今、凄く不安でいっぱいになっているのだろう。
「分かりました」
少しだけ震え始めた身体にぐっと力を込め、顔を上げてランタナ王子と、その後ろにいる王様に挨拶をする。
王様とランタナ王子が部屋から出ていくのを見送ると、ガルベラの案内で俺たちは謁見の間から大広間へと移動した。
「私も、雪花は海の街で暮らすべきだと思うわ」
ロゼリスが口を開き、笑顔を雪花に向けている。
「ペルシカが時々様子を見てくれるのなら安心だし、海がすぐそばにあるのなら、あなたの好きな時に好きな場所で泳げるわ」
そうだね、とナタムとガルベラが頷いて、俺の腕の中にいる雪花へと笑顔を向けた。
おかしい。なんで俺だけ違うんだろう。
なんで皆、そんな風に笑えるのだろう。俺は、こんなに不安な気持ちでいっぱいだというのに。
「ピューイ…?」
ぎゅっと握りしめた俺の手に、雪花がこちらを見上げる。
そして、はた、とロゼリスと目が合った。
「ロゼは、雪花と離れ離れになったら寂しくないの」
「寂しいけれど、仕方ないもの」
そう答えて雪花に手を伸ばし、抱き上げる彼女。
するりと腕から抜けていった雪花と、笑顔を向ける彼女を見て、身体の中を静かに回り始めていた不安がぶわりと膨らむ。
どうして笑顔になれるんだ。ロゼリスは共に雪花を見つけた同士なのに。彼女だって雪花と一緒に仕事をしたり、時に遊んだりしてきたはずなのに。
いや、もしかして、俺に合わせていてくれただけなのか。きっと短い間だろうから…って、断らなかっただけで。
彼女の仕事は王女…そして庭師だ。植物の世話の専門家が公務以外の時間に鳥の面倒も見なきゃいけないなんて、よくよく考えてみれば大変な事だ。彼女の侍女ヨギさんだって、騎士団の皆だって、本当は困っていたかもしれないのに、立場上引き受けてくれていただけで…。
「雪花の面倒みるの、やっぱり迷惑だったのか」
「迷惑なんかじゃない、雪花の事は大好きよ?」
言葉が冷たくなってしまう。
大好きなのに手離すのか。
その気持ちが俺には分からない。
自分から手離すなんて…それは本当に大好きなのか?
なんだか、足元がふらつく。
頭が痛い。ぐらぐらと揺れる視界。
その中で脳裏に浮かんだのは、母さんと父さんの笑顔だ。もっと一緒に居たかったのに、二度と会えなくなってしまった二人。
肩を並べる二人の背後に赤い花が広がる。線香花火のような、彼岸花だ。
あの花の事は、あんなに命をかけて守ろうとしたロゼリスが、雪花の事はこうも簡単に手離すなんて。
『……結局、花以外はどうでもいいんだ』
「そんな事………っ」
ずるずると溢れた気持ちが、溢れ出る。
哀しい、苦しい……なんで、どうして。彼女が俺の気持ちを解ってくれないのは、俺が彼女の気持ちを解らないのは、俺が違う世界の人間だから?
ぐらりと視界が歪んだ気がして、彼女に背を向ける。
「………、帰るね」
身体の中がぐちゃぐちゃに掻き混ぜられたような気がして気持ちが悪い。吐きそうだ。
足早に部屋の扉へと進めば「ちょっとタクミ?!」とナタムが俺を止めようとする声がしたが、俺は振り向かずに部屋を出て、そのまま城の外へと飛び出した。