第119話 ロゼリスは立ち上がる
赤土へと蒔いた種。
ふわりと土を被せると、ジョウロを持ちたっぷりと水を掛け、深呼吸をして最後にもう一つ魔法を掛ける。
ー元気に育ちますようにー
身体の奥からぶわりと湧き出るのは、少し指先が痺れるような感覚のする、花魔法だ。
広げた掌からは小さな桃色の光の粒子が溢れ、そして土の中へと降って、消えていく。
(やっと、本調子に戻れた)
再び赤土だけとなった花壇を眺めながら、ロゼリスはあの日の出来事を思い出していた。
異世界から来たであろう火の竜との戦いだ。
花魔法や光魔法だけでなく、本来優勢のはずの水魔法すら効かなかった、あの魔物。
そして、己の身に起きた、魔力切れと大怪我。
あの時の、感覚は今も鮮明に覚えている。
過去一番の大傷を負った身体は、回復を求めて身体中の全てをエネルギーに変えようとした。水も食べ物も、睡眠も、そして魔力もだ。目に見える身体の傷が塞がるまでは、魔力は補う端から使われていって。
ようやく傷が塞がり身体の調子が上がっていくと、まず水魔法の力が戻り、次に光魔法の力が戻り、そして最後に戻ったのが花魔法の力だった。
彼には完全復活な素振りを見せてきたが、実は数日前にやっと花々に魔法がかけられるようになった程、本調子に戻るまでに時間が掛かってしまった。
本当に、私は怪我に気をつけなければいけない身体なんだ。他の人とは違う、身体。
そう実感した。
“いいかい、ロゼリス。君は僕と同じで、怪我や病には気を付けなくてはいけないよ。天族は回復魔法が効かない身体だからね”
小さな頃から、よく父に聞かされていた。
私がもし怪我をした時、他の人のようには簡単には治せないことを。時間を掛けて、自力で回復するしかないということを。
その為、日頃から怪我には注意はしていた。
大怪我をするリスクが有れば、騎士達と同様に防具を身につけていた。
だが己の魔力と身体能力が生まれつき非常に高いせいか、正直言って大怪我など一度も遭遇する事なく、これまで過ごせていてしまった。
だからあの日は。人生で初めて、自分の死を近くに感じた瞬間だったのだ。
(本当にあの時、彼が助けに来てくれなかったら、私は死んでいたのかもしれない)
今までにも、小さな怪我は何度もあったけれど。
私が痛みさえ我慢すれば、他人に迷惑など掛けなかったから。だから心のどこかでは、別に怪我をしたって構わないと思っていたのかもしれない。
でも、その気持ちも大きく変わった。私が怪我をしたら、心配する人がいるというのをこうして経験したのだから。
拓巳くん。
燃え盛る炎の中、私を探してきてくれた、大事な人。その後の記憶が曖昧な為、覚えてはいないけれど。侍女さんから聞いた。彼は私の全身が血に塗れ、赤く腫れあがった姿も見たのだという。
部屋の中を動けるようになった頃、私は鏡に写る自分の姿を見て、言葉を無くした。それまでは時間と共に傷も消えていたはずの身体は、本当に傷だらけだった。
異様に白く残る痕。
その中でもとびきり大きな背中の火傷。そして脚の切傷。
醜い。
気味が悪い。
そう思われないだろうか。
きゅっと掴んだ仕事着の袖口。今はまだ長い袖の服で過ごす冬の季節だから隠せているのだが、服の下の腕や足など、これから夏にかけて露出する場所にも、火傷や切傷の痕がしっかり残っている。
治療師さんから、傷を完全に消すのは難しいのではないかと言われた。だからせめて。
(春までには薄くなってほしい)
この国は、この世界には回復魔法が存在するから、多くの人は傷跡の残らない生活を保障されている。
私は違う。でも、傷くらいならどうって事ないだろう、そう思っていた。最近までは。
でもこうして好きな人が出来て、彼も私を好きだと言ってくれて、それからこうして大怪我をして気がついたこと。身体の傷がある事で、彼の心が離れてしまうかもしれないという、恐怖だ。
彼に打ち明けたどの事よりも、怖い。
王女である事、天族と花族の血筋である事、そして人の倍の魔力を持つ事。そのどれよりも、怖い。
(花が沢山咲く季節が今までは待ち遠しかったっていうのに……今はそれが少し怖い)
彼は気にしないと言ってくれたけれど。
私はまだ私の新しい身体を受け入れられない。
彼がこの世界に来てすぐの頃、突然使えるようになった魔法を受け入れられないと、苦しんでいたけれど。それに似た感覚なのかもしれない。
受け入れるには、時間が掛かるの。
だから今はまだ、寒い季節のままでいて。
ロゼリスは空を見上げた。
「…………」
はぁ、と吐いたため息は白く、そして消えていく。
頭の中で思い返すのは、先程彼に言われた言葉だ。
「私と一緒に授業を受けたかった、ね」
彼は確かに言っていた。私も学校に通っていたらよかったのに、と。
昨年の春、初めて彼とちゃんと話をした時。庭師をしているのだと言ったのは紛れもなく私だ。
なんせあの時は庭師の格好をしていたし、職員食堂の屋根にいたとはいえ仕事中であったのは紛れもない、本当の事で。
それにあの時は、彼とこんな深い関係になるとは少しも思っていなかったし、私と彼とが学園内で会うことなど、絶対に無いだろうと思っていたから。
「そうだ、卒業式があるじゃない……」
がくっと首を項垂れて地面に座り込んだ。
仕事中だと分かっていても、今は花壇の手入れをする気になれない。気分が大きく落ちていく。
「ああもう、あと二ヶ月くらいで卒業なのに、今更言う必要あるのかな。
私が同級生だって事」
今更ながら彼への己の隠し事の多さに呆れてしまう。
そう、私は。彼と同じ王宮学園の三年生なのだ。
訳あって、授業に出ていないだけで。
授業に出ないから彼に会うことも無いだろうと、説明するのを忘れていた。というか学園に在籍していた事すら、ほぼ忘れていた。
だが、彼の言葉を聞いて思い出したのだ。
彼と学園内で確実に会う行事があるという事を。
卒業式だ。卒業式は出席するよう、学園から言われている。
昔から、目の前の事でいっぱいになって、他のことを忘れてしまうことがよくある。そのせいで大事な事を言い忘れたまま時間が経って兄たちから叱られた事も少なくはない。
それを一年掛けて彼にやってしまった。
大反省だ。
「馬鹿だ、私……」
乾いた風が吹いて思わず肩をすくめれば、庭師の同僚達が声を掛けてくるまで、私はその場に座り込んでいた。
「どうかされましたか、ロゼリス様」
覗き込んでくるその目に、恐怖の色は感じない。以前は怖くて仕方なかったはずの彼らの目は、今はちゃんと心配そうにこちらを見つめる目だと分かる。
それが分かるようになったのも、拓巳くんとの出会いのおかげだ。
話してみようかな。
今までだったら、こんな時は、誰にも言わずに一人で悩んでいた。自分のことだから、自分一人で解決しなければ、と気丈に振舞って、平気なふりをしていた。
だが彼との出会いをきっかけに、色々と話すようになった同僚達。ここは生まれたてホヤホヤのこの悩みを思い切って相談をしてみよう、そう思いロゼリスは立ち上がった。