第12話 故郷の言葉
「ロゼ?! ご、ごめんね? まさかここにいるとは思わなくて。
大丈夫?」
ぶつかった相手は、まさかの庭師のロゼリスだった。
ガルベラの言う通り、もしかしたらここ植物園で彼女に会えるかもしれない、とは思っていたけれど。
先程まで一人心細くなっていたのが嘘のように、彼女の顔を見て途端に嬉しさで心が満たされる。
「タクミ…‥?・・*…・・?」
「……うん? そうか、言葉……」
拓巳、と彼女が俺の名前を呼んだのは分かった。というかそれ以外は分からなかった。
そうだ、今の俺、この国の言葉ほぼ聞き取れないし話せないじゃん。
あーあ、せっかく彼女にも会えたというのに、まともに会話も出来ないなんて、今日はツイていない。
そう思い改めて彼女を見ると、彼女が目を丸くして俺の方を見ている。彼女からすれば急に俺が異国の言葉で話しはじめたのだ。驚くのも仕方ないだろう。
「ああ、えっと……うーん」
どうしようか、そう思っていると、何か考えるような仕草をしたロゼリスが、こちらをちらりと見上げながらゆっくりと口を開き始めた。
「たくみくんは、ことばが分かるの?」
「え、ロゼなんで日本語……」
彼女が日本語を話している?
なんで?
え? さっき聞こえた日本語は、ロゼリスの声だった? そんな風には聞こえなかったけど。
ってか何で。何で彼女が日本語を話している。
「にほんご? そう、にほんご。
にほんごは花の・・**のことば! わたし、少し分かるの」
「えええ……?」
これは驚いた。
ペンダントを盗られてしまったから、彼女とは言葉が通じない、そう思っていた矢先。
彼女がなんと日本語を話し始めたではないか。
一部は聞き取れなかったけれど、花のなんとかって言ったよな? 花の……もしかして精霊のこと?
精霊の言葉が日本語?
「「……………」」
お互いに驚き続きで、互いの顔を見つめ合った。
しんとした空気。その中で俺たちの間を小さな虫が羽音を立ててぶん、と通り過ぎたのをきっかけに、彼女が先に口を開く。
「たくみくん、なんでことば?」
この“なんで”は、きっと俺が急にジラーフラの言葉が分からなくなってしまった事に対する疑問だろう。
「実は翻訳のペンダントを持っていたんだけれど……多分、その花の精霊らしきものに盗られちゃって」
彼女はどのくらい日本語が解るのだろう。
なんとか内容が伝わるように、とジェスチャーを加えながら説明する。
彼女が日本語を話せる理由も知りたいが、今はペンダントを取り返す方が最優先だったからだ。
流石に返してもらわないと、授業どころか生活にも支障がでてくると思う。
だって言葉が分からないから……いやこれを機に言葉を最優先で勉強するか?
「…・・‥…!」
俺の伝えた言葉が理解できたのか、急に顔色を変えた彼女は。後ろを向いて何かを言いはじめた。
ピリッと周りの空気が変わるかのような声だ。
突然の彼女の声色の変化に驚いて、思わず彼女を凝視してしまう。ちょっとだけ、声が怖い。
そして彼女はくるりとこちらを向くと、眉間にしわを寄せていた。
怒っている?
「たくみくん、安心してね。すぐに?? ‥・・・…?」
彼女をじっと見ていると、今度は怒っていた彼女の顔が不安そうなものとなり、そして不思議そうな表情に変わった。え、次は何? どうしたの。
俺の勘違いでなければ、彼女は今、俺のペンダントを盗んだ精霊に対して怒っていたはずだ。
遠回しとはいえ、自分の事で彼女が感情を昂らせていることが、俺の事で次々と表情を変える彼女が微笑ましくて。
そして彼女の新たな面を見られたことに嬉しく思い、思わず笑ってしまった。
「たくみくん、なんで? たくみくん、へんだよ」
「あはは、それでも良いよ」
変だと言われて益々嬉しくなるとか、どうかしたのかもしれない、俺は。
片言の彼女と話しながら並んで歩いていくと、先程まで悲しく見えていた植物園の景色は、不思議と色鮮やかなものに変わっていった。
そしてしばらくすると周りの植物の背丈が低くなり、視界が開け、先ほど訪れたバラ園へと辿り着いた。
どこでペンダントを盗られたのかと聞かれたので、「白バラのところだ」と伝えたら、彼女が直ぐに進行方向を決める様子が伺えたのだ。
『バラ』で通じたと言うことは、本当にこのバラは日本にあったバラと同じ物なのかもしれない。
座って、とロゼリスが近くのベンチへ案内してくれる。
ベンチ横の小さなテーブルに荷物を置くと、彼女も隣へと座った。
「……くる」
「本当だ。ペンダント」
彼女が向けた視線の先を見ると、遠くから宙に浮いたペンダントが近づいてきた。キラリと光る金色のチェーンがゆらゆらと揺れている。
『だぁって、ガル様のペンダント欲しかったんだもん』
『バカモンが!だからといってやっていいことと悪いことがあるってもんだ!』
『本当にもう……あ、ロゼ様ぁ! 捕まえてきましたよ!』
先ほど聞いた声と共に他の男女の声が混じりながら近づいてくる。姿は見えないが、どうやら本当に精霊たちが来たらしい。
速度を落としてふわりと浮いたペンダントは、ロゼリスの手の中に置かれた。すると石を握ったまま、彼女は手を俺の腕にそっと添えた。
腕に触れた手が冷たい。
俺の身体が熱いからか、それとも彼女が冷たいだけなのか。それが冷静に判断できない程には、触れられた途端に胸がどきりとした。
「ごめんね、タクミくん。もう言葉ちゃんと聞こえる?」
「うん、ちゃんと分かる」
ロゼリスが流暢な言葉遣いに戻ったから、おそらく日本語を話すのを止めて、この国の言葉で話し始めたのだろう。
「首飾りを盗んだのは、今目の前いる四人のうちの二人です」
「ごめんなさぁい。ロゼさまぁ……タクミさま……」
「もう二度ととしませんですっ!」
うん、先ほど聞いた覚えのある高い声が目の前で謝っている。もちろん姿は見えないが。
謝る声を聞いて、心の中で咀嚼した。
うん、怒りの感情は湧いてこない。困ったことは事実だけれど。
「もうしないでね」
こうして直ぐにペンダントは戻ってきたわけだし。
きっと精霊たちのちょっとした悪戯心だったのだろう。
「タクミくんは優しすぎるよ」
そう答えるロゼリスは、再び硬い表情へと変わった。まだ怒っているらしい。
「うん、でも俺は怒ってないから。しかも二人とも謝っているんだから、いいよ」
俺の方を向いた彼女は、俺の顔色を伺うように見つめた後、しゅんと表情を曇らせた。
「ごめんね。精霊のお世話も私の仕事なのに、こんなことになっちゃって」
「もう行っていいよ」という彼女の声かけと同時に、彼女は俺の腕に添えていた手を放し、俺の手のひらへとペンダントを置いた。
するとまた耳鳴りが始まった。
今回は小さな耳鳴りだけれど、でも不快な耳鳴りだ。顔をしかめてしまう。
「どうかしたの」
「耳鳴りがする。これってもしかして精霊の声なのかな」
「耳鳴り? ……うーん、そうなのかも。
その首飾りを使ってない時は、精霊の声がちゃんと聞こえていたんだよね? 魔法同士が反発して耳鳴りがしたのかな」
魔法同士の反発なんてあるのか。そう思っていると耳鳴りが治まる。
「あ、治った」
「やっぱりそうだと思う。もう皆いなくなっちゃったから」
クリアな彼女の声だけが聞こえるようになった。それは精霊たちが近くにいなくなったからだという。
「精霊の声は耳の良し悪しで聞こえるものでは無いわ。
これってタクミくんの特有の力だと思う」
「俺の特別な力?」
彼女の話では。
どうやら精霊の声は、普通の人には聞こえないらしい。
ごく稀に聞こえる人がいるらしいが、子どもの頃だけだったり、逆に歳を取ってからの一定の時期だったり、はたまた声は聞こえないが姿は見えたりと、そのタイプもバラバラだそうだ。
「ロゼは何もしなくても声が聞こえるのか?」
「うん、私は言葉まではっきりと聞こえるから、会話も少し出来るよ。姿もぼんやり光って見えてる」
「凄いな。これって魔法じゃなくて、体質みたいなものなのかな」
「体質だね。私のも体質だと思うから」
魔法の存在だけでも不思議なのに、精霊の声が分かる体質でもあると判明して、益々不思議な気分だ。
たが火魔法しか使えないと判った時と比べると、動揺はほとんどない。他の音と同じように難なく聞こえてしまうため、あまり違和感を感じないのだろう。
それに、精霊たちが、そして彼女が、日本語を話していたことも大きな理由の一つかもしれない。
「ねえ、そういえば何で精霊たちは日本語を話せるの?」
「精霊たちの言葉? 昔、それはもう凄く昔にね。
遠い遠い国から来た人が、ある時、花の精霊たちに言葉を教えて。
それが精霊たちの言葉のはじまりだったって聞いたわ。
もしかしてタクミくんの故郷の言葉と同じなの……?」
「うん。だから凄いびっくりした。
まさかこんなところで日本語が聞けるとは思っていなかったから」
「日本……」
じっと何かを考えはじめた彼女。彼女は日本について何か知っているのだろうか。
ガルベラからこの世界の地図を見せてもらった時に、その地図に日本がない事はもちろん、俺の知る世界地図ではない事もこの目で確認済みなのだ。
だが庭師である彼女は、どこまで知識を持っているのだろう。日本がどんな国なのか、とか。日本がどこにあるのか、……とかだ。
「………ロゼは」
「タクミくんはいいな。精霊の言葉が全部分かるのね」
「うん?」
「精霊の使う言葉って、中々言葉が難しいのよね。
でも周りには誰も聞こえる人がいないし、未だに上手く話せないわ」
「そう? 凄く上手に話せてたと思うけれど」
先程の彼女を思い出すが、会話が成り立つくらいに彼女は上手だったと思う。
俺も彼女みたいにペンダントの力に頼らず、この国の言葉を上手に話せるようにならないと。そう思った時に、とある案が浮かんだ。
「ねえ、ロゼ。よかったら今度一緒に言葉の勉強しないか?」
「言葉?」
「俺が日本語をロゼに教える。ロゼはこの国の言葉を俺に教える。……どうかな、俺、この国の言葉を早く覚えたいんだけど」
教育者でも何でもない人に、一方的に教えてくれと頼むのはやはり気が引ける。
だが俺が教えられるものがあるのなら。互いに提供できるものがあるのなら、提案しやすかった。
彼女を見ると明るい笑顔で「いいね、それ」と返事が返ってくる。
やった、彼女と一つ約束が出来た。
もちろん自分でも言葉の勉強は続けようとは思うけれど、一緒に教え合えるというのなら、益々勉強が捗りそうだ。
先ほどのペンダント窃盗事件について、上に報告しなければならないから、と立ち上がる彼女。
彼女はどこへ報告に行くのだろう。
庭師の上、もしかして花の大好きな王女様?
王女様の姿はまだ見たことが無いけれど。
彼女のような身軽な子を下に置くくらいだ、強そうな王女様な気がする。
そういえばあの時、彼女は俺を捕らえて、牢に入れると言っていた。
ペンダントを盗んだ二人の精霊は大丈夫だろうか。
少し心配になる。
一時的に大事なものが奪われたことに間違いはないけれど、あまり大きな処分を受けたりするのは流石に可哀想にも思える。
その辺りについては彼女の報告と王女様の判断次第なので仕方ないと思いつつ、大事にならなければいいなと思っていると、もろに顔に出ていたのか「心配しないで」と微笑まれてしまった。
また連絡するね、と言い去る彼女。今日は一瞬で消えたりする事なく、遠くなっていく背中を見送る。揺れる深緑色のワンピースから、視線が離せない。俺はしばらくの間、彼女の去った方をじっと見つめていた。
再び一人になる。
静かな植物園、心は軽やかだ。
どこからかナタムが俺の名を呼ぶ声がして、暫くするとガルベラと二人、姿を現した。
「ずっとここにいた? 探したんだよ?」
「ごめん。ちょっと迷子になってたんだ」
てっきりもう帰ってしまっていたと思っていた二人は、どうやら俺のことを探していてくれたらしい。
なにかいいことあった? そう覗き込むナタムに「何もないよ」と笑う。
ベンチに座りながら深呼吸をして、空を見上げれば、青々としていた空は、少し茜色に染まり始めていた。