第118話 遠い島国の話
雪解けした植物園では、メインとなる温室の建設が本格的に始まった。俺の仕事も再開し裏方に力を尽くしたい……というのが本音だが、俺の現在の本業は学生である。
学校にペンギンの雪花を連れていくことはできないので、俺の登校中はロゼリスや彼女の侍女ヨギさん、第二騎士団の皆に雪花のお世話をお願いする事となった。
とはいえもうすぐ卒業という俺たち学年は、三学期は殆ど授業もない。それは一年限定での在籍となった俺も同様で、通常の授業だけでなく補講授業も数えるほどの少なさしかなかった。
残り少ない学園生活を少しでも楽しめたらと教室に入れば、クラスメイトらから声を掛けられる。
その殆どが俺の話題だった。英雄となった事。異世界研究所の設立と俺の所属決定。あの日の謁見について俺から話したことはなかったが、ついに情報が回りはじめたのだと実感する。
ただの異世界人から国の英雄へ、そして王宮職員となったのだ。周りの人たちの態度がどう変わるだろうかと構えていたのだが、ひとまずクラスメイトの反応からは、卒業までは穏やかな関係のまま過ごせそうだった。
ガルベラが来て隣に座る。
「今日は早いね。始業式だから?」
「ああ、そうだな」
ガルベラは日頃は授業開始の直前に来る。ナタムよりも彼が先に来るなんて珍しいなとドアの方を再び見れば、今度は青い髪の青年が教室に飛び込んできた。
「タクミー! 君って人は、一体どこに隠していたのさ!」
「……は?」
ナタムが青い顔をしていている。どうしたのかと思えば、どうやらその原因は俺らしかった。
「隠してたって、何を?」
「ロ、ロゼ様との子どもだよっ!!」
「…………、はぁ?」
思わず繰り返し聞き返してしまう。
目の前には机に手をついてプルプルと腕を震わせているナタム。
そしてザワザワと騒がしくなる教室。先程まで話題になっていた俺の隠し子の存在など聞いたら、それは騒ぎたくもなるだろう。
それでナタムが何を言うかと思えば、俺とロゼリスの子ども? いやいや。
「って、んな訳あるかーいっ!」
彼の腕を軽く突く。これはただの冗談だ、と。
そうでもしなければ、もう周りのクラスメイトの目ん玉落ちそうだったからさ。
「……くっ、はっはっは!」
隣でガルベラが吹き出して笑いはじめた。机に顔を突っ伏して笑い続ける彼。
「はははっ……おい、ナタム。一体どんな噂を聞いたんだ」
突然笑い出した彼の反応に怪訝な顔をするナタム。
俺はガルベラが笑った理由が分かるから、苦笑いだ。彼はランタナ王子の弟でロゼリスの親戚であり家族だから、この隠し子が誰なのか、もう既に知っているのだ。
「ええっと、タクミとロゼ様が一緒に王宮内を歩いていて。二人の間に、タクミと同じような格好の、小さな子が歩いていて。タクミだけじゃなく、ロゼ様もその子を抱っこしてたって」
「だそうですよ、タクミ殿」
ナタムは俺とロゼリスが一緒にいる所を直接見たわけではなく、他人から聞いた噂を鵜呑みにしていたらしい。
するとナタムの話を聞いていた周りのクラスメイトも、うんうんと相槌を打っていて。話を聞けば、どうやらここ二、三日の間で、この噂が王宮内に広まり始めているとの事だった。
「なるほど。その子の正体は俺が飼いはじめたペットの鳥です」
「へぇなんだ、子どもじゃなくてペット……って鳥!?」
種明かしをすれば、瞬時にいつものニコニコ顔に戻ったナタム。お前、絶対に噂信じていなかっただろうよ。だが、その子どもが鳥だという事実には素で驚いたらしい。
クラスメイトも流石に隠し子はいないだろうと思っていたらしく、皆が笑いながら「やっぱりね」と口々に言いはじめた。
(よ、よかった早めに皆に言っておいて)
ふぅ、と息をつく。本格的に噂が広まったら内容的に大変な事になるところだった。
「そう、鳥。訳あって俺が飼っているけど、学校には連れて来れないから、ロゼや騎士さんたちが代わりにみてくれているんだ」
「そうだったんだ」
「鳥にしては知能が高いみたいで、どうやら王宮内の仕事を手伝っているんだとさ」
俺が説明すればガルベラが捕捉をしてくれる。王子が言う事でぐっと信憑性も上がるのだろう。クラスメイトも俺たちの会話に耳を立てているようだ。視線を彼へと向ければ、彼は小さくニヤリと口角を上げた。
ちなみにその話題の鳥、ペンギンの雪花は今日はロゼリスに預けている。今頃は植物園の中で一緒に花の手入れでもしているのだろうか。
「庭師や騎士団の仕事を、って事? それすごいよね。普通、鳥って決められた区間を飛ばすのでギリギリじゃないかな」
「そうかもな」
この国にも鳥はいる。王宮や城下で目にした鳥たちは、どれも初めて見る姿の鳥だったが、この国ではどこにでもいる種類だという。
中には伝書鳩のように、手紙や小さなものならば運ばせることの出来る鳥もいるそうだが、雪花のような理解力の高さは無いらしい。
「ルマトリ……」
それぞれが、それぞれの事を考えていると、隣でガルベラが呟いた。
「大陸国の向こう側の島国だっけ?」
「そうだ。私も兄たちも、そして父も一度も訪れたことのない国。恐らく祖父もないはずだ。
この国が花の国というのなら、ルマトリは鳥の国だ。もしかしたらその国ならば、その鳥の事が分かるのかもしれないな」
彼が言っていたルマトリとは。この小さな島国、ジラーフラから遥か彼方にある、大陸国の更に向こうの島国だ。
日本に近い四季のあるジラーフラとは異なり、一年中夏の気候という、熱帯の島国らしい。その事は以前授業で習っていたから覚えていた。
が、大陸国ですら将来足を踏み入れるかどうか分からないのに、更にその向こうの島国に行くことなどまず無いだろう、そう思っていたので雪花を飼い始めてからも一度も考えたりしなかった。
(流石はガルベラ。外交や貿易を頑張りたいと言うだけはあって、視野が広いな)
何かもう少しこの世界の鳥の事を知りたい。
そう思った俺は、学校帰りに図書館で動物図鑑を借りてきた。やや重いその本を膝の上に広げ、パラパラとページを捲る。
色取り取りの羽根を見にまとった鳥たち。その多くの生息地がルマトリとなっていた。さすが鳥の国と言われるだけはある。
だがページをめくっても、雪花のような黒い鳥も、飛べない鳥もどこにも見当たらなかった。
「ああ、ルマトリね」
「知ってたの?」
待ち合わせをしていた植物園の屋外ベンチ。そこに庭師姿のロゼリスが来ると、彼女は俺と一緒に図鑑を覗き始めた。
彼女の足元には赤いハンカチを巻いたペンギン、雪花が立っていて、不思議そうに俺たちを見上げていた。
「行った事は無いけれど、一通り知っているわ。そっか、鳥の国なら雪花の事が少しは分かるのかしら」
「ピューイ?」
「ううん、あなたの事を考えていたのよ」
図鑑から目を離し、地面へとしゃがんだロゼリスが雪花の背中を優しく撫でる。
すっかり彼女に懐いているのか、大人しくしている雪花。
(なんだろう、この感じ)
今朝、教室で話題になった俺たちの隠し子の噂を思い出す。聞いた時はありえない、と完全否定したが。だがこうして見ていると、彼女は本当に優しく子どもをあやす母親のようだ。俺たちが三人で遊んでいた所を勘違いした人たちの気持ちも分からなくはない、と思う。
「どうしたの? 拓巳くん」
彼女たちを見つめていたら、その視線に気付いた彼女がこちらを向く。
「いや、雪花って……まるで本当に俺たちの子どもみたいだなって」
「う、うん。そう、かもしれないわ?
雪花、次はこの辺りを一緒にお願いね」
勢いよく立ち上がり向きを変えてしまったロゼリスは、空いていた近くの花壇の前へと歩くと、ガサゴソと持っていた包みを広げはじめた。
変な事、言ったかな。
背を向けて作業を始めた彼女。仕事中なのだから仕方ないと思いつつ、少し寂しさを感じてしまう。
俺は広げていた図鑑をベンチへと置くと、彼女の方へと近づいた。彼女と話がしたい、顔が見たい、そう思い覗き込めば、彼女の手元の包みの中には小さな粒状の種が沢山入っていた。
「それは新しい種? 撒いてるの?」
「そう、雪溶けしてから撒くとちょうど春に花が咲く品種なのよ」
「それは育ちが早い、って事?」
「早いわ」
手にしていた道具でザクザクと花壇の土を調整していくロゼリス。その白い手には土が着いていく。本当に王女様でも、ちゃんと庭師としてこうして土を触るんだな、とその姿を眺める。
王女様か。
ロゼリスに出会うまでは、世の中の、いわゆるお姫様なんて、きっとみんな綺麗な格好だけして、汚れる事を嫌いそうなのにな、と思っていたけれど。
(逞しくて、俺は好きだな)
彼女の仕事の邪魔にならないよう、花壇の近くにそっと腰を下ろした。
視線の先、花壇の奥に広がるのは、沢山の種類の木々だ。植物園には新たに温室を建てているものの、今まで通り屋外でも植物を育てるエリアもあって、そちらは中々のハイスピードで以前の植物園のような緑が戻ってきている。
屋外に関しては俺はノータッチだったから、こうしてゆっくり植物園の緑を見るのは、新鮮な感覚だった。
「拓巳くん。雪花は大人なのかしら、子どもなのかしら」
手を止めたロゼリス。ぼんやりと景色を眺めていた俺も、彼女の声で顔を彼女へと向ける。
「大人な気がする。雪花と同じ種類ような大人のペンギンを見たことがあったから」
彼女の話題は雪花が成鳥か雛かと言うものだ。俺に動物の知識はあまりないが、日本で見たペンギンはどれも成鳥だったはずだし、確か雛はもっと羽根がふわふわしていた気がする。
「それは、日本に住んでいたの?」
「水族館、って所なんだけれど……」
「ペルシカ達みたいな人が経営しているお店?」
あ、直訳したらそうなったか。
こういう時、俺が彼女とは別の世界の人間だと強く感じる。あまりにも話が噛み合わなさすぎて、思わず笑ってしまうくらいだ。
「違う。植物園で花を育てたり研究したりするように、水族館では水の中の生き物を育てたり研究したり、そしてお客さんに見てもらったりしていたんだ」
「水の中の生き物を、研究するのね」
驚いた表情を見せるロゼリス。
「日本は水の国なの?」
「うーん、そういう訳でもないんだけど。むしろ何の国だと思うんだ?」
「なんだろう……」
俺の言葉を元に、彼女は日本をあれこれとイメージしているのだろうか。視線を花壇へと向けて彼女は考え込んでしまった。
「日本が気になる?」
「うん、日本の事も気になる。でも最近はね、大陸国とか他の国の事が気になるかな。前よりも色々な人と話すようになって、世間話や噂話もよく聞くようになったの。
他国の有名なものや流行りものとか、ね」
再び種を蒔き始めたロゼリス。ちらっと視線だけこちらを向くとにこっと彼女が笑った。
その笑みは何を示しているのだろう。他国の事が知りたいという顔、それとも行ってみたいという顔だろうか。
俺に出会うまでの数年間、人前に姿を見せる事が少なかったというロゼリス。学校には行かず庭師の仕事をするも、魔法具で気配を消していたという彼女。
そんな彼女が、こうして他国への興味を持ちはじめたというのは、俺との出会いが影響しているのだろうか、と考える。前向きな変化は、喜ばしいと思う。
(あれ。そういえばロゼは、何で既にもう庭師をしているんだろう)
同い年の王族ガルベラは俺と一緒に授業を受けているし、彼の婚約者のトレチアさんだって学園に通っている。
一二年生には貴族だけでなく、平民出身の女子生徒だっていたはずだ。
この国が男尊女卑の国のようには感じないし、仮にそうだったとしても、王族の一員ならば男女問わず高校までは通いそうな気もするけれど。
もしも彼女が同級生だったら、どんな出会い方をしていたのだろうか。クラスメイトの一員として、一緒に学園生活を過ごせていたのかもしれない。
「あーあ、ロゼも俺と一緒に学生してたら良かったのに」
「え?」
「そしたら授業の内容をもっと一緒に勉強したり、共通の好きな科目で盛り上がれたりしたかもしれないのにな」
「え? ……え?」
「まあ、学校だけが勉強の場じゃ無いからな。また図書館で勉強を一緒にしようぜ」
「………う、うん」
歯切れの悪い返事と共に再び花壇の方へと向いてしまった彼女。うーん、仕事をする彼女に対してやっぱりこの話題は良くなかったかな、と少し反省をする。
出会った時も微妙な反応をされてしまったのだ。でもやはり気になる。またタイミングを改めて聞いてみようかな、と心に留めた。
ベンチから荷物を取ると雪花を抱き上げる。
「雪花のお世話ありがとう。また明日、お願いします」
「うん。また明日ね、拓巳くん。雪花」
手を止めて立ち上がると雪花の頭を撫でるロゼリス。俺は周りを確認してから彼女の唇にキスをすると、顔を赤くした彼女は、またまた花壇の方へと顔を背けてしまった。