第116話 新たな者
教えてもらったとおり、年末年始が見事な大雪となり、あたり一面銀世界となった小さな島国、ジラーフラ。
年越しを親友ナタムの地元アメルアで過ごした俺は、整備された雪道の中、王都へと戻ってきた。
ナタムはというと、ギリギリまで地元にいるとのことで、俺だけ早めの帰寮だ。
「うう、王都もやっぱり寒いな」
馬車が通れるほどの道は確保出来ているとはいえ、まだまだ雪の積もっている箇所は多い。日本では俺の育った地域は雪の少ない地域だったからか、大晦日と元旦はその雪の珍しさに感動したのだが、流石に4日も降るとその景色にも慣れて、早く雪が止まないかと外を眺めてばかりだった。
雪だけ降るのならまあ、悪くはない。悪いのはこの寒さだ。魔法でローブの下は暖められても、露出したこの顔だけはどうにもならない。
凍りそうなほどの冷たい空気が頬を撫で、思わず俺は肩をすくめた。
(ん……?)
ふと、どこからか俺の名を呼ばれた気がした。
南正門から王宮内へと入り、雪の積もった広場に立ってキョロキョロと周りを見渡す。見渡す限りは、まばらに人影は見えるものの、俺の知る顔は特に見られない。
空耳だったか、と前を向き直した時だ。
「拓巳くん!」「わ! ロゼ!」
左右ばかり見ていたから気が付かなかった。まさかの真上から人が落ちてきた。
いや、ここはちゃんと訂正しよう。
落ちてきたのではなく、飛んできました。彼女が。
背中に真っ白な羽を生やした彼女は、この国の王女様で、そして俺の彼女なんです。
飛んできた彼女、ロゼリスを受け止めようと手を伸ばす。が、元々荷物を抱えやや不安定な姿勢だった俺は、足元の凍った地面に足を取られてつるりと背後へ倒れてしまった。
「っいた!!」
思いきり尻を打った。
痛すぎる。
「ご、ごめんなさい。嬉しくてつい勢いが良すぎちゃった」
慌てて俺の身体を心配しはじめる彼女。平気だよ、と彼女の頬に手を添えて小さくキスをした。
「……明けましておめでとう。ロゼリス」
「あけまして、おめでとう? 拓巳くん」
雪と氷の混じった地面にそのまま寝そべり、ピンクゴールドの髪と瑠璃色の瞳に笑顔を向けた。返ってきた笑顔は、この厚い雪の山をすぐにでも溶かしてしまいそうな、眩しい太陽のような笑顔だった。
「拓巳くんが帰ってくるの、ずっと待ってたの」
そう答える彼女が愛おしくて、俺は彼女を抱きしめた。
サクサクと、雪道に足跡をつけながら俺たちは歩みを進める。
「体調はどう?」
「この年末年始で調子が戻ってきたみたい。凄く元気よ」
調子がいいという彼女の言葉に嘘は無さそうだ。頬もほんのり赤く、最近の中では一番の顔色の良さだと思う。
どんどん元気になってくれるのは嬉しい。何か特別な事でもしたのかと聞けば、彼女は水魔法の特化型だからか、雨の日が続くと身体が元気になるらしく、雪の日は更にそれが加速するそうだ。だから年末年始に降った大雪で一気に元気を取り戻したのだという。
(相変わらずファンタジーというか……)
魔法ありきのこの世界だから、もうその事実を素直に受け入れるしかない。だって現に彼女は元気になっているのだから。
「ロゼの今日の予定は?」
「なーんにもないの」
「ははっ、なーんにもないのか」
「そう。お仕事は明後日から再開するからね」
王宮の仕事初めはまだということで、今日はまだ仕事という仕事がないというロゼリスは、俺の寮部屋まで一緒に荷物を運んでくれるとの事だった。
病み上がりの、しかも王女様にそんなことはさせられないと一度は断ったものの、「早くまた体力つけなきゃね。私がしたいからいいのよ」と半ば強引に荷物を奪われた気がしなくもない。
まあ、足場はやや悪いが、こうして話しながらゆっくり歩くのも、いわゆるデートらしくていい。
と思っていた俺が甘かった。日本であまり歩く機会のなかった久しぶりの雪道は、やはり強敵だった。
城の前から寮までは、やや距離がある。
更に今は除雪作業もほぼされていないこともあって、中途半端に溶けた雪は氷の床と化していて、転びやすい足場だった。その為、途中からは魔法で安全な道を作りながら歩みを進める羽目になった。
俺が火魔法で雪や氷を溶かし、ロゼリスがその雪解け水を除けるという作業だ。
今ばかりは、お互いが火と水の特化型で良かったと思うくらいだ。
「………いや、雪道を舐めてたな」
「やっと寮が見えてきたね」
やや息が上がりながらも、見えてきた寮の屋根を見て足を早める。寮の入り口にも同じく雪の山が出来ていて、どうやらここも溶かさないと、そもそも玄関扉が開かないようだった。
「俺が一番最初の帰寮者か」
明らかに積もったままの雪の山。一番最初の帰寮者として、玄関周りくらいは雪を溶かしておこうと、地面に荷物を置き手元に火をつけた。
そして雪の山の上部を目掛けて火を放った。
ゆっくりと雪が溶けていく。
「………?」
すると何か黒いものが、溶けだした雪の山から出てきたような気がして、俺は火を止めた。
「ロゼ、……何だろう?」
「雪に混じった土にしては、黒いわね」
側にいた彼女も目の前の異変に気がついたようで、二人でじっと雪の山を見つめる。すると溶けた雪の中からスッと黒い輪が現れた。
何度か目にした、あの魔法陣だ。
「「い、異世界の魔法陣!」」
俺は思わず手を伸ばし、彼女を引き寄せた。
「怪我するかもしれないから、気をつけて」
「う、うん」
ロゼリスを抱き寄せながらも、視線は魔法陣から離さずに身構える。黒い魔法陣は、俺がこの世界に来た時と同じもの。異世界から何物かが来る時の特別な魔法陣だ。
そして何が来るのかは、現れるまで分からない。
攻撃性の高い何かだったとしたら、かなり危険だ。現れた途端に、その何かに襲われる可能性もある。
そう思い身構えるが、魔法陣はその場でサラサラと霧状に変わり、そして消えてしまった。
肝心の何かは、未だ姿を見せていない。
消えてしまった魔法陣の下には、雪の山が残ったままである。
「もしかして、あの雪の山の中にいる?」
ガサガサッ……
「ひっ」
雪の山が大きく動いた。やはりあの中に魔法陣から現れた何かがいるらしい。
冷静に判断しよう。と周りを見渡すが、俺たち以外には近くに誰もいないようだった。
ああ、これは前にもあったよな。確か図書館の前でシロクマが出た時。俺とグロリオさんの二人で退治したんだった。
魔法の授業の時に、もしも危険な魔物が現れたら、少なくとも大人は率先して退治するよう教わっている。つまり今回は俺とロゼリスで戦わないといけないかもしれない。そう思うと抱きしめる腕に力が入った。
王女様にも戦わせる?
(そんな、ロゼには、怪我させたくない)
立場だけを考えても、彼女には戦わせたくないけれど。
彼女は回復魔法が扱えて。そして回復魔法が効かない。そのどちらを考えても、彼女には前に出てほしくない。今もこれからも盾になるは俺だと、心からそう思う。
万が一、俺が痛い思いをしても、彼女が治してくれるなら、俺は遠慮なく戦える。
ガサッ
雪の中から黒い丸い何かが飛び出した。俺は手元に大きな火球を作る。
だがその何かはすぐにドサッと音を立て、俯せに倒れてしまった。
白い雪の中に半分ほど埋もれた、黒い身体に丸い頭、そして小さな尾に平たい羽。
それは昔、水族館で見たことのある動物だった。
「……ペンギン?」
「何? それ?」
呟いた俺の声に、倒れたペンギンが顔を上げる。
「ピューイ……」
すると、俺と同じ黒い瞳が、俺の目をじっと見つめてきて、思わず俺もその目を見つめ返した。その目からは、どこか不思議な感じがして、俺たちはしばらくその場から動かずにいた。
『おーい、俺の言葉分かるかー?』
「ピューイ」
あれから。
雪の山から出てきたペンギンを観察していたが、特にこれと言って危険な事は起こらず、どちらかと言えば平和な時間が流れていた。
このペンギンを見た時にまず思った事だ。
それは竜の魔物と遭遇した時のような、嫌な感じがしなかった事だ。
(どれかといえば、初めて魔物の言葉を聞いた、あのシロクマの時と同じ感じだよな)
そう。
あのシロクマが現れた時、野生の動物が目の前に現れた事への緊張感や危機感のようなものはあったのだが、本能的に嫌悪感を感じなかった。
その時とよく似ている。
さらにあの時は相手が熊だったから身構えたものの、今目の前にいるのは俺の膝丈程の小さな鳥だ。
緊張感や危機感が早々に無くなった俺は、とある事に疑問を持ちはじめていた。
「おかしいな。日本語喋らないぞ? このペンギン」
さっきから何度も話しかけているのだが、このペンギンからは鳴き声しか聞こえない。
この世界に来て俺が何度か耳にした魔物たちの言葉。彼らとはジラーフラの言葉ではなく、日本語で話が出来たのだが。だがその魔物たちとは何故か異なり、このペンギンは言葉を話さなかった。
「えー、この子はシロクマとは違うのかな」
いや、そもそもあのシロクマが違ったのかもしれない。
俺がこの世界で初めて会った魔物の竜は、あちらの世界では架空の存在だったから。だから水族館で見た事のあったシロクマを、勝手に俺と同じ世界から来たのだと思っていた。
でも思い返してみると、あのシロクマは直ぐに氷の魔法を使っていたから、俺のいた世界のシロクマではなく、魔法の存在する世界から来たシロクマだったのかもしれない。
俺と同じ世界から来た動物とは言葉が通じなくて、俺と別の世界から来た動物とは言葉が通じる、そのパターンなのか。
「うーん……分からないな。まあ、特に害が無ければ、言葉は後で考えればいいか。
どう思う、ロゼ?」
目の前のペンギンは攻撃的な様子もなければ、特に魔法を使うような気配も見られない。ならば、と同意を求めようと振り向けば、彼女は一点を見つめていた。その視線の先は、もちろんペンギンだ。
「ロゼリス?」
「これは、鳥だよね?」
「鳥だな」
「飛ばないの?」
「……飛ばないな。飛べないけど、泳ぐのが得意な鳥」
「……それは鳥なの?」
隣に腰掛けるロゼリスが、視線を動かさずに、俺へと質問を続けてくる。
詳しく話を聞けば、彼女は初めてペンギンを目にしたらしく、この国にペンギンに似た生き物はいないとの事だった。
鳥は空を飛ぶもの。その常識を覆すものが目の前にいるものだから、彼女は絶賛混乱中だ。まあ、初めて目にするのだからその反応は正しいと思う。
そのペンギンはというと、先ほどから俺たち二人の周りをくるくる周りながら、鳴き声を上げている。
俺にとっては見覚えのある生き物だけど、この国からしたらイレギュラーな存在の鳥だ。どう対処したらいいのか、俺には決められない。
「年明け早々だけど、ランタナ王子に報告しなきゃだな。ランタナ王子は騎士団本部にいるかな?」
「お兄様は、城内だと思う」
昨年末、この王宮内に異世界研究所が設立され、俺はそのメンバーに任命された。とはいえ、今は俺しかメンバーがいないので、何かあれば元々異世界の情報をまとめていたランタナ王子に報告するよう言われている。
先ほど目にした黒い魔法陣は、通称“異世界の扉”と呼ばれていて、別の世界から生物などが送り込まれるというもので。俺も同じように送り込まれた人間だ。そして俺も同じように、この世界に来て直ぐにランタナ王子に報告されている。
だからこのペンギンも、異世界から来た証拠がある以上、報告をしなければならなかった。
さて、報告をする為に城へと立ち上がるも、今の自分の状態を見て彼女に断りを入れた。
「城に戻る前に一度、部屋に荷物を置いてもいいか? ナタムの実家から海産物を沢山貰ったから。それだけ置きたい」
「うん、いいよ」
いくら急ぎの報告とはいえ、流石に個人の荷物を持ったまま、城に上がるのは失礼だと思う。そう思い寮の方へと歩けば、ペンギンが俺の後をついてきた。
「ピューイ」
『お、偉い。ちゃんと来るじゃん』
足を一生懸命に動かして、ついてくるペンギン。
なんだか気分は水族館の飼育員だ。
平和である。
「その鳥、人みたいに歩くのね……」
その更に後ろをついてきたロゼリスが、未だに興味深そうに俺の後ろに続いて歩くペンギンを見つめていた。