第108話 再会
ゆっくりと目の前に白い羽根が一枚落ちてきた。
もう何度か目にする羽根、彼女の背中のものだろう。
彼女は今、羽を広げている? まさかどこかからここまで飛び降りてきたというのだろうか。
どこから。もしかして部屋からか。
「もしかして、今の光が見えてた?」
もしかしたら、今さっきナタムと一緒に打ち上げた火が、彼女の部屋から見えたのかもしれない。それを見た彼女が、こうして俺の元へ飛んできたのかもしれない。そうだったらいいな、なんて期待も込めて背中の彼女に問いかける。
だが彼女は動くことも無ければ喋ることもなくて。
ただただ静かに泣いている。
どうしようか、とそのままじっとしていれば、次第に早くなっていた俺の鼓動は落ちつきを見せはじめていた。
そこで彼女の身体が震えていることに気が付いた。
本当に僅かにだが、彼女が震えている。
どうする。振り向いて抱きしめたほうがいい? いやでもここは、彼女を待とう。待つのも大事だ。俺はあの時から彼女を待つと決めていたのだから。
「ロゼ。どうした?」
急かさないように、怖がらせないように。でもロゼリスの事が知りたい、と僅かに彼女の方へと顔を傾けた。
すると、ようやく耳元で小さく口を開く音がして。
「謝りたいの」
「何を?」
「花を、ヒガンバナを枯らしてしまったの」
彼女の手がぎゅっと握られた。
彼岸花が枯れた? ああ確か、彼岸花を深森から採ってきた時には、彼女の魔法で花が枯れないようにしていたんだったよな。その後の研究調査のため長期保存する為にだ。
あの日、俺が彼女に最後に会った時は、まだ彼岸花は元気そうに咲いていたけれど。
「土に移して育てていたの。でもやっぱり皆の水魔法や土魔法では維持できなくて。でも私にはかけ直せる程の魔力も戻ってなくて」
彼女の掛けた魔法が切れ、本来の開花日数を過ぎた彼岸花は枯れたのだろう。時が経てば咲いた花は枯れる、それは別に不思議な事でも何でもない。
それを何故彼女が謝る。
それはあの花が俺の故郷の花だからなのだろう。
確かに彼岸花は、故郷日本に咲いていた花だ。
父さんとの思い出も残る、好きな花の一つだ。母さんの墓参りの道中で、咲いていたら必ず足を止めるような花だった。
だけど、彼岸花はずっと咲いているわけじゃない。むしろ決まった季節にしか咲かない花。いつかは枯れる。だからこそ今まで、ああやって季節が巡る度に綺麗だと足を止めてきたのだ。
その彼岸花を枯らさぬよう、魔法で維持しようとしていたのはこの国の研究などの為であって、別に枯らしたからといって、彼女が俺に謝る事ではない。
(そう言ったとしても納得しないんだろうな、この子は)
花の国の王女・庭師の彼女が、命を掛けて火事から守った花だから。
彼女は未だに震えている。
それはやっぱり恐怖や不安からくるものなのか。何が? 何が怖くて不安で彼女は震えているのだろう。
あ……、思い出した。
彼女と最後に話をした時、彼女が言っていたんだ。俺が母さんと父さんを思い出せるような花を一緒に植えよう、と。
彼女はそのことを覚えていないと思っていたけれど、でもそのつもりでいたのか。
もしかして彼岸花を植えるつもりだった?
一緒に植えて一緒に見るつもりだった?
それが出来なくなるから、怖くて不安なのか。
俺が悲しむかもしれないと思って。
「枯れたのは花の部分だけ? 根は残ってる?」
「うん……残ってる。それはちゃんと研究所に渡した」
どんなに綺麗な花も、いつかは枯れる。
だが枯れたままではない。
根が残っているのならまた来年、きっと新しい芽が生えて新しい花が咲くはずだ。
そう思えるから、俺は別に悲しいとは思わなくて。
「なら一緒に来年を待とうよ。
花ってさ、俺たちが手をかけなくても、不思議なくらいに強くてさ。いつの間にかまた季節がくると咲いてくれる花もあるじゃん。
彼岸花はそういう花だ。だから元気にまた来年も咲いてくれるよ」
また来年も。彼女と並んで見たい。
「……うん…」
握りしめられていた彼女の手がようやく緩んで。
振り返れば、瑠璃色の瞳と目があった。
ピンクゴールドの髪に白いワンピースと、その背中に白い大きな羽を広げた彼女。立ち上がり袖から伸びる白く細い腕を掴むと、俺は腕の中へと浮かんだ彼女を抱き寄せた。
「来年も見れるといいな、彼岸花」
「うん」
いつもの花の香りがする。懐かしい、待ち焦がれた香りだ。
「俺はもう大丈夫だから。今度はちゃんと、一緒に見ような」
「……うん」
腕を緩めれば、顔を上げた彼女と再び目が合った。
「待ってたよ、ロゼリス」
「拓巳くん、ずっと会いたかった……!」
久しぶりに会った身体は痩せていて。
片脚もまだ少し引きずっていて。
ついに堪えきれなくなったのか大粒の涙を流しはじめた彼女を、俺は何度も抱きしめた。
しばらくして俺から身体を離した彼女は、今度はペルシカリアさんのところへと向かった。
「ペルシカ、心配掛けてごめんね」
そしてまた泣いている。
彼女を全身で受け止めた小柄なペルシカリアさんは、意外にも二本足で立ったまましっかりと彼女を支えて感動の再会を分かち合っている。
隣にナタムも立ち、和やかな雰囲気だ。
もともとペルシカリアさんは、今回彼女の見舞いも兼ねて王宮に来ていたらしい。明日会う予定だったというが、再会が早まったという雰囲気だった。
彼女たちのやりとりを横目で見ていると、背後から声が聞こえ、視線を送れば城の中から二つの影がこちらへと向かってくるのが見えた。
ガルベラとトレチアさんだ。
金髪と銀髪の二人は夜灯の下でもとてもよく目立つ。なんというか、キラキラしている。二人とも今は落ち着いた格好をしているものの、城の門から現れた姿はまるで映画スターの登場シーンのようだ。
俺に気付いた彼らと目が合えば、ガルベラが手を挙げ、トレチアさんは頭を下げた。そしてもの凄い勢いでこちらに向かってきた。
「ロゼ様ったら……!! もう、急に飛び出して居なくなったかと思えば……此処にいらしたのですね!!」
トレチアさんはロゼリスの前で止まると、息を整えながらロゼリスに話しかけていた。顔を真っ赤にさせて息を切らす様子からすると、これはもしかして、ロゼリスを探して城の中を結構走り回っていたんじゃないかと思われる。
「だから、最初からタクミのところに居ると言ったじゃないか」
対するガルベラはいつもと同じ、余裕のある雰囲気だ。
「分かりましたっ、でしたら次からは一番にタクミ様の所へ伺うように致しますっ!」
少しだけ声を荒げるトレチアさん。今までわりと穏やかな彼女としか話したことが無かったので、新たな一面を見たなと心の中で笑う。
トレチアさんは手に持っていたローブを彼女へと掛けていた。羽をしまい白いローブを羽織った彼女は、小さな声でごめんね、と謝る。
その時少しだけふらついた彼女を俺が背中から支えると、トレチアさんは俺を見て僅かに彼女から離れた。
「なんだナタムたち来ていたのか」
ガルベラがペルシカリアさんに挨拶をした。
「違うよ、元々僕とタクミが密会していたところに、急にロゼ様が乱入してきたんだって」
「…………」
「あー嘘です、王女様。何でもないです」
冗談を言ったナタムをロゼリスが睨みつけている。
二人のやりとりを見ていて思い出した。
そうだこの二人。今まで二人だけで一緒にいる所をあまり見ないけれど、思えば二人もまた幼馴染だったんだよな。
「くくく…っ、お前たち本当に仲が良いよな」
「強さ違えどロゼ様は、一緒に水魔法の練習した仲だからね」
ガルベラがナタムと笑い合う。
「私から見ましたら、ガルベラ様とナタムさんも同じくらい、仲が宜しいかと思われますわ」
「そうかそうか」
今度はトレチアさんがガルベラと眼を合わせ笑いはじめた。
なんともいい感じだ。まるで高校生同士とは思えない程の落ち着き方。この二人、まだ婚約者の段階だよな? もう既に夫婦のような仲睦まじい雰囲気を感じる。
立場的にも年齢的にもガルベラが上なのに、トレチアさんが中々強そうで、それが良いバランスを取っている感じ。
「俺から見たら、ガルベラとトレチアさんの仲も中々だと思うよ」
「そっ、そうか、そうか……」
ガルベラがふいっと視線を外した。あれ? もしかして珍しくガルベラが照れてる?
ナタムの隣にはペルシカリアさんが静かに立っていて、俺の腕の中にはロゼリスが再び収まる。それをガルベラの目が追う。何だ?
じっと彼の顔を見つめれば大きく咳払いをされた。
ああ、やっぱり彼が照れていたのは間違いじゃなかったみたい。
「そう他人の事を言っていられるのも今のうちだぞ、タクミ」
なぜか彼から忠告を受けた俺。
たが彼を囲む者たちの笑顔に俺も気にせず笑って言葉を流した。