第107話 供養の灯火
天気は晴れ。
夕日が西の空へと沈みはじめて、王宮内は赤く染まっている。
今日は供養の日だ。
授業を終えた俺は、早めに夕食までを済ませると、白の真新しいワイシャツを手に取った。
(これもいい感じだ)
素材は異なるものの、日本のシャツと着心地は同じくらいだ。
実は先日の仕立屋で、ワイシャツも何枚か用意してもらっていた。今後のことを考えての購入だ。
新しいスーツにネクタイ、そしてワイシャツ。
ほぼ全身を揃えたとなると気になるのがその額だが、それほど気にするほどの金額ではないとガルベラに言われていた為、あまり気にしないようにはしている。
(今日はやっぱりこれだよな)
俺は並べて掛けていた三本の中から赤いネクタイを手に取る。
今夜これからやる事は、俺個人が勝手にやる事。それならやはり赤だと思い選んだ。別に俺の格好は制服でも普段着でも構わないし、それに上からマントを羽織る予定だから外からは殆ど見えないのだけれど。
でも一応行う目的が供養なので、それなりの格好はしたいなと思ったのだ。
ネクタイを結ぶ。
そして鏡越しに俺はそのネクタイをじっと見つめた。
赤いネクタイか。
先日の封筒の色といい、仕立屋での色といい、ここ何日かで色について考えるようになった。この国の色に対する独特な文化に触れたからかもしれない。色なんて日本にいた頃は、物を好きな色で選ぶ、くらいの事しかしたことがなかったのに。
黄色と青色のものと見比べると、やはり赤いネクタイは火魔法使いの雰囲気が出るかもしれない。今夜もこれから火魔法を使うから、赤でいいと思うんだけど。
(でも、このネクタイは母さんと父さんの形見でもあるからな)
単純に色で選んだだけではなくて。
何か新しいことを始めたり、ケジメをつけたい時には、二人に見守っていてもらいたくて。そういう意味でも今日はこの赤いネクタイの気分だった。
(これからも、赤いネクタイをする度に、二人のことを思い出すんだろうな)
それならそれでもいいか。
俺はジャケットへと手を伸ばした。
机の上から準備していた袋を取り、もう一度持ち物の確認する。忘れ物は無さそうだ。
部屋から出れば、待ち合わせをしていたナタムが寮の玄関で先に待っていて、俺たちは二人、植物園の方へと歩きはじめた。
「今からやるその“クヨウ”って、タクミの国で行われていたものだったよね?」
「ああ。やる内容は全く同じではないけれど、目的は一緒かな」
「そうなんだねぇ。あ、いたいた。ペルシカー!」
城の正門前へと着くと。門の側に見覚えのある長い青髪の女性が立っていた。
アメルアで会った水族、いわゆる人魚のペルシカリアさんだ。ナタムの彼女だ。
「ナタム。タクミ」
こちらに気付いた彼女は時間をかけてゆっくりと近づいてきた。
海では尾びれ姿の彼女も、今は地上で二足歩行をしていて。「慣れない脚だから歩くのが遅いけれどいい?」と前もってナタムから話を聞いていたから、それについては特別驚きはしなかった。
「ごめんね、待たせたかな?」
「平気。今着いたところだ」
ペルシカリアさんは、ナタムに抱きついて、それから俺の方を見る。しっかりと彼女と目が合った。
暗がりの中、彼女の目が明るく光っている。
まるで猫の目だ。
彼女とは今まで昼間しか会ったことがなかったから。
見た目は俺たち人間とそう変わらないのに、その目が妙に野生を感じてギョッとして彼女を凝視してしまった。「彼女、夜は目が光るんだよ〜」とナタムが教えてくれた。
彼女は朝から何時間も掛けて馬車を乗り継いで王宮まで来たそうだ。お疲れ様、と俺が頭を下げて挨拶をすれば、彼女も俺を真似て頭を下げてくれた。
そして彼女は俺の前に立って、また頭を下げた。
「タクミ。ロゼリスを、助けてくれてありがとう」
「え、ああ……助けただなんて……」
そのまま彼女からお礼を言われた。
彼女は頭を上げない。
そして彼女はかなり小柄だからか、俺からはその表情が見えなかった。
確かに俺がロゼリスを助けに行ったのは事実だけど。彼女が頭を下げ続けるほどのものではない。
どうしよう。言葉掛けに戸惑っているとナタムがすかさず声をかけてくれた。
「タクミ。あのね、ペルシカはね。
あの日の火事の時に、深森の火事に雨雲を使っちゃった事をずっと気にしてるんだって」
「雨雲?」
急に天気の話をされ、その内容に頭の中に疑問符ばかりが浮かんだ。
二人の話によると、あの日植物園の火災を知ったロゼリスは、雨雲を呼び寄せる水魔法を使ったらしい。それは水魔法の中でも難しく、そして魔力を多く使うという雨雲の魔法。消火に必要な雨量を確保するため、ロゼリスはかなり多くの魔力をその時に使ったのではないかという話だ。
だが同時刻に深森でも大きな火災が起きていて、同じように水族たちが水魔法を使っていて、結果魔力の差で王宮には雨雲が現れなかったそうだ。
「水族は、深森を護る理由があるの?」
今の話を聞いた感じだと、海に住む彼女たちが内陸部の、それも森の火災に対応したというのは意外だった。
「森が死んだら、川が死ぬ。海も死ぬ。森を護るのは海を護るのと同じ」
「そっか……」
ペルシカリアさんのその言葉は、つまり自然は全て繋がっているという、食物連鎖とか生態系のバランスとかそういう事を言いたいのだろうか。
「でも、あの時私たちが使い過ぎなければ、植物園は沢山燃えずに済んだ。ロゼリスも、怪我をしないで済んだんだ」
頭を下げていた彼女は顔を上げる。
表情は乏しいが、おそらく、悔しそうな顔をしている。
その気持ちも分からなくはない。もしもあの時別の選択ができていたら、って思うこと。俺だって、同じような事を思ったから。でも、それでも。
「でもね深森だって沢山の大切な命が集まる大事な場所だよ? ペルシカたちはそれを守ろうとしたんだから、何も悪いことなんてしてないよ」
フォローするナタムの意見に俺も賛成だった。
深森に生きるものたちを守ろうとした水族たち。
王宮に集まる植物たちを守ろうとしたロゼリス。
どちらも正しいよな。お互いがそれぞれの大事なものを守ろうとして、結果的には片方が大怪我をする結果になってしまったけれど。
それは仕方のない事だったかもしれない。
だけど、いやだからこそ。
「だからこそ、俺たちはまた同じようなことが起きてしまった時に、少しでも被害が抑えられるように、それぞれが工夫や対策をしていくんだ。
その一つとして、今度の植物園の再建が始まるんだから」
「そうだね」
だからそれ以上は、自分を責めたりしないでね。そう彼らの方を向けば、これまたいつものように笑うナタムの横で、ペルシカリアさんの口角がほんの僅かに上がった気がした。
城の西側の広場に到着した。
念のため城の門脇に立っていた騎士さんに声を掛ければ「届け出を確認しております」とすぐに許可が得られた。
向かいの植物園は、以前はまだ木々が残っていたのだが、今はもう綺麗な土だけが一面に広がっていた。
「あーもう、完全な更地になってるねぇ」
「ひとつも、ない」
ナタムも久しぶりに来たのか驚いていて、ペルシカリアさんは火災後はじめて見たのかとても驚いているようだった。
俺も並んで更地になった植物園を見る。
植物園の周囲には柵が等間隔で作られていて、これから新たな建設がはじまる、まさにそんな雰囲気を醸し出していた。
「大丈夫そうなものは、今は研究所で管理しているんだって」
「そうだったんだねぇ」
「………」
俺たちが話す隣で、ペルシカリアさんはキョロキョロと周りを見ている。人目が気になるのだろうか。場所を移そう、と二人に声をかけた。
「僕ら、座った方がいい?」
「なら階段のところに座ろうか」
夕食の時間帯のため、もうこの辺りの人通りはまばらだ。とはいえ一応通行の邪魔にならないよう階段の隅の方に三人で座る。
ナタムが中央に座って、俺とペルシカリアさんが彼を挟む感じだ。ナタムとペルシカリアさんは、揃って俺の指示を待っている。
「じゃあ今から説明する。ペルシカリアさんは見ていてもらっていいかな。
ナタム。火球を手のひらの上に作って」
「小さくていいの?」
「いいよ」
ナタムに説明しながら俺も手のひらに火球を作る。ナタムに合わせた小さな火の玉だ。
俺はそのまま腕を広場の方へとまっすぐ伸ばす。
「これを軽く空に向かって、押し上げるようにして打ち上げるんだ」
風船を飛ばすかのように赤い火の玉をそっと手のひらで上へと持ち上げれば、ふわりと玉が浮いて、ゆっくりと登りはじめた。
「ほらね。ゆっくり火の玉が上がるだろ?」
「なに、これ……」
ナタムが目を丸くして空を見上げている。
隣のペルシカリアさんも不思議そうに空を見上げた。
「よかった。ナタムも真似できる魔法で」
ナタムが驚くのも無理はない。
俺がこの学校で学んだ火魔法の殆どは、生活に役立つ術か、もしくは攻撃魔法のどちらかだった。
だがこの魔法は、そのどちらにも当てはまらない術。もちろん教科書にもどこにも書かれてはいない術で、見本がないものだから。だから術の使い手本人が、ナタムがイメージができなければ、術そのものが発動が出来ない可能性もあったのだ。
ナタムは未だに空を見上げている。
「……僕。火魔法って何かを焼くとか、それこそ戦う時の為の術を練習することしか、してこなかった。
如何にして早く飛ばして早く燃やすか。そういうものだった。
こんなにもゆっくりと火が浮かぶなんて……生まれて初めて知ったよ」
てっきりいつものようにハイテンションになるかと思っていた彼は、静かに空を見上げ続ける。
二つの火の玉がゆっくりと上がっていく様子は、こうして見上げると、神秘的な感じだ。
だが俺がやりたかったのはこれだけじゃない。
天然石を使いたいのだ。
あの魔物の灰から見つかった石を。
あの魔物の魂を鎮めるための、供物として。
ポケットから、天然石の入った袋を取り出そうと俺は身をかがめた。
その時だった。
バサリ、と近くで何かが音を立てた直後。背中に重みを感じて俺は顔を上げた。
すると後ろから伸びて回された手が、俺の頭を撫でた。
早くまた撫でてほしい、ずっとそう思っていたから。待ち焦がれていた感触に目元が熱くなる。
「…………っ、拓巳くん……」
耳元で、今にも泣き出しそうな、それを必死に堪えるかのような、くぐもった声がする。
言葉にならない声。漏れ出す吐息。もうそれだけで十分だった。
顔も髪の色も、そして目の色も。この姿勢のままでは何も見えないけれど。
久しぶりに感じた、その変わらない腕の冷たさと花の香りは、一気に俺の胸を高鳴らせた。
「おかえり、ロゼリス」