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花火を打ち上げて。  作者: 黒花
第1章 点火
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第1話 異世界人と花の国ジラーフラ

 それは、俺が【この世界】に来た次の日の朝のことだった。



「……ん」



 勢いよく部屋へと差し込んだ朝日に、俺は自然と目を覚ました。熟睡していたのだろうか、身体が軽い。

 最近は暑くて寝苦しい夜が続いていたはずなのに。今日はそんな煩わしさを感じることもなく、ただ肌を撫でるシーツの触り心地が気持ちいい。

 休みの日ぐらい、もっと寝ていたい。そう思い俺は身体の向きを変えた。



 だが目の前の風景に、俺は再び眼を閉じるのを止めてしまった。いつもの自室とは違う、見慣れぬ洋風の部屋だったからだ。



(そうだ。異世界に来たんだった)



 頭が起きはじめると、思考は一気に回りはじめる。


 俺は昨日、故郷日本からこの世界へと来てしまったのだ。



 まさか、そんな事が自分の人生で起こるだなんて、考えたこともなかった。全くの作り話の世界だと思っていた。

 自分がある日突然、前触れもなく知らない世界に行くだなんて。



「だ、大丈夫なのか……俺……」



 ぽつりと呟いた声に返事はない。

 これからどうなるのだろう、不安が過る。



 俺は頭を軽く起こし部屋を見渡した。

 ここは、この国の城の中にある客室の一つだ。この世界に来たばかりの俺を保護してくれた王子の采配で、今ここにいる。


 俺の住んでいた家とは雰囲気のかけ離れた部屋。かなり大きな部屋だ。やや落ち着いた黄色、山吹色と言っただろうか。絨毯が敷かれた木の床に、レンガ調の壁。部屋の隅には暖炉が作られていて、赤い炭火が部屋を暖かくしている。俺のいるこのベッドと暖炉の間には、木彫りのテーブルとソファーが並んでいた。 

 が、どれもやや距離があり、俺には少し広すぎる部屋だ。


 横たわらせていた身体を起こせば、タイミングよくドアを叩く音と共に、お手伝いさんが部屋へと入ってきた。



「ご確認をお願いします。こちらはタクミ様のご希望に添いましたでしょうか」



 両手で渡されたのは、王子が手配してくれたという服だ。シンプルな白シャツに黒のパンツ。昨晩、何か用意してほしいものはあるかと尋ねてきた王子に、俺が要望したもの。故郷日本の物と近い衣類が欲しいというものだ。


 渡されたシャツに腕を通す。肌触りは、サラッとしていて着心地がいい。思っていたよりも良さそうだ。俺は胸を撫で下ろした。

 客室には洗面台の他にトイレや風呂までもが備え付けられていて。そのため部屋から一歩も外に出ることなく、朝の身支度が終わった。さて、どうしようか。そう思いゆっくりと深呼吸をして、再び部屋を見渡す。



 部屋には人ひとり通れるくらいの小さめの窓があり、開いた窓の隙間から木々の葉がゆらゆらと揺れるのが見えた。緑色の葉が綺麗だ。そうとなると興味が湧きはじめた。外はどうなっているのだろう、外の様子が見たい。



「食事の前に少し、城内を歩くことはできますか」



 王子との朝食の約束までにはまだ時間がある。ならばと目覚ましがてら散歩したくなったのだ。だが果たして異世界からの客人の俺が、城の中を一人で歩いても問題ないのだろうか。お手伝いさんに尋ねれば、至って落ち着いた雰囲気で「今いるこのフロアでしたら、どこでも大丈夫ですよ」と許可を貰えた。


 なんだ、よかった。そして俺は一人、部屋の外に出て歩き出した。


        *


「……」



 昨日は混乱と疲れで見えていなかった、城の様子。

 まるで美術館や高級ホテルにいるかのような綺麗な内装で、それはどこか日本でもありそうな装いだった。違うといえば、部屋や廊下の灯りが蝋燭に灯された火である所と、各所に騎士らしき人たちが立っている所だろう。



 王政の国、王様に騎士か。あまり馴染みの無い存在に信じられないというか、不思議な気持ちになる。もちろんあちらの世界でも王政の国に行けば、その存在を感じることは出来たのかもしれないが、あいにくそれを感じた記憶は思い出せる範囲にはなかった。



 歩く中ですれ違う騎士たちと視線が合う。彼らの仕事の一つは見張りをする事だ。そして俺は客人だ。目で追われるのは仕方がない、軽く会釈をすると彼らの前を通り過ぎる。すれ違う際にチラリと視線を動かして見た彼らのその腰には、長い剣が下げられていた。


(あの剣、本物だよな)

(剣か、つまりはそういう物を作れるだけの文明が、この世界にはあるって事か)



 俺の思考は回りはじめる。

 この国が、文明の発展した国であってほしい。せめて今までと大きく変わらない生活がしたい。そう思うのは、やはり日本での生活が便利なものだったから、なのかもしれない。


 ここで新たな疑問が生まれる。

 この世界で、俺の常識は通用するのだろうか。この世界が、俺の知るような物差しでは測れない可能性だって十分にある。

 だって現にこの世界には、俺の常識から逸脱した存在があるからだ。【魔法】の存在だ。



 魔法の世界。一体何ができるのだろう。そう思うと、未知の力に期待と不安が募る。



(ああ、もしかしたら。今こうして目に入るものが、実は全て魔法で作られているのかもしれない)



 気が付くと俺はその場に立ち止まり、周りを見渡した。長い廊下が続く。俺の周りを囲む壁、床。揺らめく蝋燭の火、そしてすれ違う騎士たち……もしかするとこのどれも皆、作られたモノだったりするのか。全部【魔法】で作られたものなのか。そう思うと目に映る全てが急に無機質なものに見え始めた。


 いいや。至って普通の、どれも本物に見える。見慣れないけれど、俺の知る本物たちだ。だからこそ、どこからどこまでが嘘で、どれが本当なのか。それすら分からない。その事に気がつくと、俺は急に怖くなった。



「外の空気が、吸いたい」


 一気に周りの空気が澱んだ気がして、俺は外気を求めて急いで足を進めた。なんだか少し苦しい。どこを見たら安心するのか分からなくなった視線は、自然と明るい場所を求めた。先へ先へと歩む。


 すると廊下を進んだ先でふわりと風を感じた。先ほどの澱んだものとは違い、心地のいい澄んだ朝の空気だ。廊下の先は開けていた。外に出られるようになっていて、上を見ると青空が見える。その周りを城壁が囲っていて、中央は吹き抜けになっていて、中にはとても大きな中庭が作られていた。



 一言で言うと、見事だ。吹き抜けの中庭と言っても、かなり広い庭だ。小さめの野球場くらいはありそうだ。そしてその中庭の殆どを埋め尽くす、一面の花畑。色とりどりの小さな花が数えきれないほど一斉に咲いていた。

 あまりの美しいその風景に、俺は思わず自分がどこにいるのかを忘れてしまった。

 まるで天国みたいだ。一面に花が咲いていて、青空が見えて、気持ちの良い風が吹いていて。本当はもう俺は死んでしまっていて、天国に来てしまったのかもしれない。そう勘違いをしてしまう程の美しさだ。いやいや、しっかりするんだ俺。こんなに感覚のリアルな天国ってあるのか、無いだろう普通。



 まてよ……普通。普通か。俺の思う普通が通用しない世界かもしれないのに。


 再び心の奥底で恐怖が顔を覗かせる。

 まずい、今は他の事を考えよう。歪んでいた焦点を目の前の景色に無理やり合わせた。そして黄色い小さな花に視線を送る。



「これは、ちゃんと本物……だよな?」



 俺は目の前の花壇へと近づくと、その場にしゃがみこんだ。

 ああ、たった今考えないようにしようと思ったばかりなのに、先程までの思考展開からそう思ってしまった。この花が本物かどうか疑うなんて、まるでもう異世界に来たことを完全に受け入れたかのような反応に、自分で自分を笑ってしまう。



(本物か。それともそうじゃないのか)



 再び思考が回りはじめる。もし、今朝起きてから見てきたもの全てが【魔法】によって見せられたもので。もしこの花が本物の花だとしたら。この花は俺がこの世界で初めて目にする、人間以外の生き物となる。



「……」



 そう思うとほっとした。

 同時に少しだけ目元が熱くなった。


 目の前の小さな命の存在に、何の変哲もなく風に揺られる花々に、こんな安心感を覚えたのは生まれて初めてかもしれない。そのくらい、今俺は不安なんだ。知らない世界に、突然に来てしまって。これからどうやって生きていこう、と思うから。



「何という、名前なんだ?」



 返事が返ってくるわけでもないのに、声に出して問いかけた。そして足下の花へと手を伸ばす。この花は、俺の知る花のように、柔らかな感触の花びらをしているのだろうか。


 伸ばした指先が、その花びらへと触れて。指先が閃光を放ったと同時に、全身が痺れたような感覚がして、俺は後ろに倒れた。



       *



 バチンッ! という、まるで電気が弾けるような音がした。気づいた時には、背中には硬い地面があった。つまり俺は今、青空に向かって仰向けになっていて。



「ここで何をしているの」



 女の子だ。

 女の子が馬乗りになって、俺を押さえつけている。


 どうして。俺はあまりにもその急な状況変化が理解出来なくて、そのまま仰向けのままでいた。


 お互い少しだけ沈黙が出来て、そして目の前の彼女が先に口を開いた。



「今すぐに正直に答えなければ、牢へ連れていきます」


「ろ、牢へって、……って痛っ」



 驚いて飛び起きようとしたところ、押さえつけられた両肩に強い痺れが走った。かなり痛い。恐る恐る視線を動かすと、視界に何かが写り込む。どうやら俺の首元には何かが突きつけられているようだった。光る何かだ、おそらく剣だろう。下手に動かすと首を切られるかもしれない。今は静かにしていよう、と俺は抵抗するのを止めた。


 だが、こんな状況でも頭は動くものだ。俺は彼女の言葉の意味を考え始める。


 牢屋ってどういう事だ。悪い事をしたり、疑われたりする時に入る場所だよな。じゃあ何で俺、疑われているんだ。すれ違った騎士たちは、穏やかに挨拶を返してくれて。つまり俺のことは王子様の客人だって認識している感じだったのに。



「あのー、何か悪いことしました……?」


 とりあえず、俺は覚えが全くないから。疑いを晴らすためにもと思う事を口にしてみる。目の前の彼女は表情を変えずに俺の事を睨みつけたままだ。青い宝石みたいな色の瞳が、冷たくこちらを睨みつけている。


 すると遠くから複数の足音が近づいて、聞き覚えのある声が辺りに響いた。


「タクミ!! ……一体どういう事だ、これは」



 声の主は、この国の第三王子、ガルベラ。昨日、俺を保護してくれた命の恩人だ。今のこの危機的状況の中で、冷静に俺の話を聞いてくれそうな相手の登場に、俺は小さくほっと息を吐いた後、口を開いた。



「分からない。ただ俺はここの花を見ていただけなのに、急に取り押さえられた」



 だが安心したのも束の間だった。痺れた身体に更にぐっと重みが加わって、ビリビリと痛みが増したのだ。痛い。苦しい。やめてほしい。俺は再び彼女と目を合わせた。



「嘘をつくな! 盗もうとしたくせに」



 彼女が先ほどよりも更に強く、俺を睨んでいる。


 彼女は何と言っただろう。〝盗もうとした〟と言っていた。俺が一体ここで何を盗もうとしたと言うんだ。

 客室から歩いてここまで来て、花を眺めていただけなのに。いやまてよ、眺めて触ろうとしていた。


 まさか俺が、花を盗むと思った?



(いくらなんでも、それはない……)



 城の中の庭とは言えど、たかが人の手で植えられたただの花だろうに。そんな物を俺が盗んでどうする。そんなことで、俺は疑われているのだろうか。


 先ほどよりも頭には余裕ができた気がした。だが同時に怒りも沸いた。俺がまさか盗みを働こうとしただなんて、そんな誤解はすぐさま解きたい。ただでさえ世界を移動してしまったというのに、その上冤罪なんて御免である。



「一体俺が。何を、盗もうとしたのですか」



 口を開いた途端、一気に感情が昂って、思わず大きな声が出た。自分でも分かるくらいの、軽く怒鳴るような声。その瞬間、彼女が僅かに力を緩めた気がした。それでも身体は未だ痺れたままで、自由に動くことは出来ていない。



「ここの花以外の何がある」


 案の定、予想通りの答えが返ってきた。やっぱり俺は花泥棒として疑われているらしい。なんだそれは、俺が花泥棒って。確かに世の中にはそういうことをする奴も少しは存在するけどさ。正直言って何の為にって思うレベル。本気でそんな奴だと疑われているのか。そうと分ったところで、俺の中の怒りは一気に限界を超えたらしい。そのせいなのか、最早この状況が可笑しくも感じられた。



「あのー何で、わざわざ花なんかを盗まなきゃいけないんですか?」



 未だ強く睨みつけられた瞳、俺も睨み返した。すると急に身体が熱を持ったかのような感覚に変わった。

 その瞬間、彼女は明らかに動揺し始めた。今度は何だ? 彼女の俺の肩を押さえつける力が弱まり、俺を睨んでいたはずの眼は違う所へ向いている。視線の先は、王子の方か……と俺も王子の方へ向こうとして。


 そこでやっと周りが静まっていることに気が付いた。



「「「……………」」」



 この空気は。まるで皆が呆気に取られたかのような、寝耳に水のような感じを醸し出している。俺は心の中で思い切り首を傾げた。何か間違った事を言ったか、いや言っていない。助けを求めるように視線をガルベラ王子へと送る。すると彼は片手で自分の顔を覆い隠していた。姿勢はなんとなくだが猫背になっている。これは日本と同じ感覚でいいのなら、彼は「やっちまった」というポーズをしていた。



「ああ、そうだな……タクミ。すまないことをした。実はこの国の花には、魔法が掛けられていて、許可された者以外が触ると魔法で弾かれるのだ」


「そうだったのか。俺こそ、勝手に触ってごめん」



 王子の申し訳なさそうな表情は、嘘じゃないと思った。だから俺も素直に自分の非を認めて謝った。

 だがその訳とやらは、信じがたい内容だ。花に魔法が掛けられているって、なんだそれ。改めて視線を花壇へと送るが、その小さな花は、特別綺麗な花でも何でもなくて、そんな魔法で守るような高価な花には見えなかった。


 城の中に植えられた、花。まさか本当にこれが国の重要な事案だというのか。俺は禁忌を犯してしまったことで、牢屋行きになるのか。恐る恐る再び彼へ視線を戻すと、彼は少し歩みを進め、未だ俺を押さえつけている彼女の方へと視線を向けていた。



「彼から離れるんだ。

 彼の名はタクミ・ヒムラ。以後、覚えておくように」


「…………」



 王子が俺の名を告げたその途端。痺れていた身体の痛みは一気に消え去り、押さえつけられていた時の重みも消えた。首の傍に突き付けられていたはずの剣も無くなっていて、俺は驚いて何度か瞬きをした。



「な、治った?」



 未だ熱さだけは強く残る身体を起こして辺りを見渡すも、先程まで目の前にいたはずの彼女の姿は見えない。



「消えた?」



 早すぎる展開にポカンとしていると、王子が大丈夫かと手を差し伸べてくれる。俺を立ち上がらせてくれた腕は、とても優しい腕だ。そんな彼はというと変わらず申し訳なさそうに眉を下げていた。



「本当にすまなかったな、タクミ。彼女も仕事でやった事だ、どうか許してほしい」

「それは全然構わないけれど……この花、そんなに大事な花なのか。

此処はどういう国なんだ」



 目の前に広がる一面の花畑は。先ほどと何の変りもなく、小さく綺麗に咲き続けている。

 ガルベラ王子は少しだけ考える素振りを見せて、それから静かに口を開いた。



「花の国、ジラーフラと言っておこうか」

「花の国……」


          *



 これが、俺が【この世界】に来た次の日の朝の出来事だ。故郷日本から見知らぬ世界へと突如飛ばされた、次の日の朝。

 不安を、そして恐怖を掻き消すかのように。誘われるように中庭へと足を運び、縋る思いで手を伸ばした小さな花。


 触れた途端に閃光を放った指先と、それから熱を持ち始めた身体は。今思えば俺と彼女の始まりを告げる合図だったのかもしれない。


 小さく燃え始めた火は、俺たちの気付かぬ間にその導火線へと燃え移り、少しずつその線を短くしていたのだろう。


 火薬へと火がついて。音を立て、風を切り、大空へと打ちあがる火の花。

 どんな色が咲くのだろう。誰が何の為に上げるのだろう。そして何を想うのだろう。俺は夜空に咲いていく花を見上げる度、思い出す。



 この朝の中庭での出来事と、俺が【この世界】に来る直前。故郷日本で見た最後の景色を。


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