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僕らには、名前しかない。

作者: 浜能来

 旧友との再会を悲しむのは何度目だろう。

 目の前で気怠げにグラスを回すトリマインを、僕は悲しみとともに見つめていた。諦念とブレンドされたこの感情は、きっと彼女のグラスの中で揺れる静脈血より粘度が高いのだろう。

 喉のあたりにずぅっと引っかかっていて、吐き出せるものなら吐き出したかった。


「あなたは変わらないのね、『喀血』の」

「あぁ、君も。君も、君のままだね。『隠血』のトリマイン・フルーレ」


 けれども、それは許されないことだろう。今夜は、僕ら吸血鬼の宴なのだから。

 半径十二メートルはあろうかという巨大シャンデリアが、太陽みたいに照らしつけるダンスホール。人間には辿り着けない神域に達したピアニストが舞踏曲を奏でるのを、美しき吸血姫たちがドレスの花を咲かせるのを、僕らはその片隅の立食会場で眺めている。

 今夜は、吸血鬼の永い生涯に節目をつける一日だ。下手をすれば、千年だって命をつなぐ僕らには、そういう節目が必要で、それがなければ、僕らは段々と風化していくのだろう。

 だから、個人主義の強い吸血鬼たちも、今日ばかしは粧し込んで集まっている。


「それにしても」


 僕の旧友たるトリマイン・フルーレも、そのうちの一人だ。

 夜色のイブニングドレスに、冬空のアンタレスのようなルビーのネックレス。人間的な美的感覚に毒されがちなものも多い中、吸血鬼然とした静謐な美しさを保っている。

 ただ、惜しむらくは。


「身体を変えたんだね、トリマイン。なんというか、そう、とてもエキゾチックだ」

「あら、どうも」


 ふぅ、と溜息をこぼす彼女は、陰鬱を纏っていて。それが彼女の美しさにまとわりつき、退廃的な情緒を醸し出しているのだった。

 吸血鬼がいくら、血と名前を拠り所とするからとはいえ。身体は、都合が悪くなれば乗り換えるものであるからとはいえ。


 勿体無いと思った。


 例えば、かつての『隠血』が静脈血の苦味を楽しむ時。口に含んだ血液を舌の上で転がし、それを嚥下する喉の動きすら艶かしかったのに。彼女が血を飲むその様は、もはやただの食事である。

 例えば、かつてのトリマインがテーブルの上のギモーヴに手を伸ばす時。そのすらりと伸びた指の先まで、美しさが張り詰めていたというのに。血のグラスを傾ける傍に菓子をつまむ彼女を、浅ましいとまで思ってしまった。


 例えば、例えば。


 例えば。

 もはや僕の胸は、彼女に名を呼ばれても高鳴らない。


「それじゃあ、僕もたまには、踊ってみるとするよ」

「珍しい。誰か目当ての女性でもいるの?」

「そんなところ」


 会話もそこそこに切り上げて、僕はその場を後にする。踊る相手に心当たりなんてないが、言ってしまった手前、僕はダンスホールの中央へと歩いていく。人間の給仕が差し出してきたグラスを、僕は乱雑に受け取って煽った。

 喉を流れ落ちる、胸を突かれた人間の最後の叫び。喀血。身体の内から溺れていく苦しみを刻んだ魂が僕の身体に満ちて、これこそが『喀血』たる僕の吸血だ。

 永遠に続く幸福も。永遠に続く友情も。永遠に続く愛情も。永遠に続く安心も。

 どれもないのかもしれないが、今この瞬間、『喀血』たる僕だけは、永遠に続くと信じられる。


 ピアノの演奏が途切れる。

 くるくると回り続けていた男女が優雅にお辞儀をして、次の相手を求める流れの中に、僕は混じった。程なくして、頭二つ分も小さい少女に声をかけられる。


「何よ『喀血』。あなた踊れたの?」

「……誰だ、君は」

「失礼しちゃうわね。『凝血』よ。『凝血』の、パースリィ・デイライト。まぁ、わからないのもわかるけど」

「ぎょう、けつ……?」


 最初、あまりに突拍子がなさすぎて意味をなさなかった文字列が、やっと意味をなす。『凝血』とは、やはり旧き友の名前だ。けれども()は、まかり間違ってもこんな姿じゃあなかった。豪奢にレースをあしらった血色のドレスは、壮年の武人の面影には似合わない。

 僕の中に、再びあの悲しみが顔を出す。


「君はまた、随分と変わったんだね」

「そうね。だとしても、私は私よ。文句があって?」

「いや、そんなことは」

「そう。なら、よろしくね」

「よろしく、というのは」

「踊りよ。いっつもお高く止まっていたあなたに、踊る相手なんていないでしょ」

「僕は別に」


 言いかけて、ピアノの伴奏が始まった。誰もが再び踊り出す中で、立ち尽くす僕はただの異物だ。肩をぶつけられ、よろけたところで『凝血』に手を引かれ、そのままホールを満たすステップの一部になってしまう。

 大人と子供の体格差を感じさせず、僕をリードするこの少女は、やはり見た目通りの少女ではないのだろうが。


「そういえば、あなた」


 彼女は不意に言う。見慣れない鳶色の瞳に僕を映して。


「自分のこと、僕って呼ぶようになったのね」

連載考え中の、世界観作りの一環で書きました。

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