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第2話 魔物

 エルたちが暮らす孤児院は規模が小さく、暮らしているのは八人の子供たちと院長だけだ。人数が少ないために食事は全員で一つのテーブルを囲んで食べる。

 今日の夕飯作りの当番だったルイーゼとダヴィと、そこに乱入したエル以外は既に全員が席についていた。


「匂いは悪くないな。事故も起きてなさそうだし」

「そうだね。でも食べてみるまでわからないからなぁ……」


 台所から漂う匂いを感じながらそう話すのは、エルの二歳年上で最年長の少年たちだ。いつものことながらエルが新しいことを試しているときは心配になる。エルや一緒にいるダヴィ、そして自分の身体も。


「そんなこと言って、結局毎回完食してるくせに」

「なるべく残したくないんだ。そういうアベルこそ、絶対残さないじゃないか」

「お前と一緒だよ」


 アベルと呼ばれた少年は、もう一人の少年、レニーに向かってそう言った。孤児院に住む者たちは、お互いを本当の家族のように思っている。弟が作ったものを残したくない。エルがいつも誤魔化そうそする、()()を始めた本当の理由を察しているが故に、尚更。


「お待たせー!」

「エル走らないの! 零れるわよ」


 一体どうやってバランスを取っているのか不思議なほどたくさんのお皿を持ったエルが小走りでやって来る。見かねたアベルがエルからいくつかの皿を受け取り、テーブルの上に並べていく。


 まずは皆安全だとわかっているスープから手を付ける。食べると何が起こるかわからない鳥肉を誰が一番最初に手を付けるのか、それはもちろん言い出しっぺのエルである。

 見た目や香りは特に変わった様子のない鳥肉を、エルは躊躇なく口に放り込んだ。


「んー……ぅんっ!?」

「どうした!?」


 いきなり顔をしかめたエルに視線が集中する。エルはそれを飲み込むと首を傾げながら言った。


「なんか、不思議な感じ。こう、パチパチする」

「パチパチ? なんだそれ」

「わからん。不味くはないから食べてみろよ」


 エルに促されダヴィは恐る恐る鳥肉を齧る。他のみんなもそれを齧ったが、直後、エルと全く同じような顔をした。


「うん……不味くはないな、確かに」

「オレは好きだな。なんか面白いし」


 次々と鳥肉を口に入れながらアベルが言った。ただ隣でレニーは微妙な顔をしている。


「僕はそこまでかな。なんだか少し舌が痛いよ」

「わたしも、食べ続けるのは無理ね」

「ちゃんと安全なのも用意してあるから、そっち食べてくれ」


 流石のエルでも貴重な肉を全て実験の犠牲にするような真似はしない。少なくとも半分以上は以前の実験で味と安全が保障されているものを作っている。特に年下の子供たちには実験で出来たものの試食を強いるつもりはない、のだが。


「わたし、これ好き!」


 目を輝かせてそう言ったのは、エルの二歳年下の少女、エマだった。エマはダヴィと血の繋がった実の兄妹である。この孤児院で血縁関係があるのはこの二人だけだ。


「お兄ちゃんの、ちょうだい!」

「おーいいぞ」


 そこまで気に入った訳ではなさそうなダヴィがパチパチする方をエマに渡し、代わりにしない方を自分の皿に載せる。パチパチする方の鳥肉はエルとアベル、そしてエマの三人によって消費されることとなった。


「そう言えば院長、これって本当は何に使うの?

「飲み物やお菓子に使うんだ。魔法薬の材料として使うこともあるよ」


 お菓子や魔法薬というのはあまり触れる機会が無いためよくわからなかったが、確かに飲み物ならば合うかもしれないとエルは考える。だがそのまま水に草を入れればパチパチになるかと言われればそうではないだろうし、何かしらの方法があるのだろう。

 一旦思考を中断して息を吐く。エルは隣に座って少しずつスープを飲む男の子の頭を撫でた。


「イノ、美味しい?」

「……ん」


 イノと呼ばれた少年は小さく頷く。イノは六歳だが年齢の割にかなり体が小さく、六歳としては異常のほどに感情の起伏がない。数ヶ月ほど前に孤児院に来たばかりであり、それ以前に何かあったことは明白だが、何があったのかは院長しか知らないだろう。

 何かしらの事情があってここに身を寄せている子供は多い。物心ついた頃からここにいたエルは、心がボロボロになってしまった子を何度も見てきた。エルにとっては、どう立ち直らせるのかの方が重要だ。


「うーん、やっぱ肉はまだ無理か。気が向いたらでいいから食べてみてくれよな」


 スープにしか手を付けないイノにそう声をかける。イノが反応を示さずともエルは全く気にしない。心を壊すことは簡単でも、治すことには長い時間がかかるのだから。

 ゆっくりで構わない。いつになったとしても、いつか笑顔が見られるならそれでいいのだ。




 *




 この孤児院は貧民街に位置するだけあって金銭的な余裕は無く、麦などを除くほとんどの食材は森へ行って自分たちで採集しなければならない。それでも今まで一度たりとも食べるものが全くないという状況に陥ったことが無いのは院長のお陰なのだろう。

 そして今日も、街へ働きに出ている年長のアベルとレニー、まだ幼いサラ以外の面々は森へ採集に来ていた。


「この時期って実はあんま生ってないけど食える草が多いよな」

「嬉しそうね」

「実も好きだけど、俺は草のが好きだ」


 美味しいから、ではなく種類が豊富で組み合わせのバリエーションも豊富だからという理由だが。

 今は春、新たな芽が芽吹く季節だ。暖かくなったことで食べられるものも増えてきている。


「……これ」

「おーイノ、ありがとうな。ここに入れてくれ」


 ここではエルとルイーゼとイノの三人で採集をしている。ダヴィとエマはと言えば仕掛けた罠に獲物がかかっているか、壊れていないかなどの確認中だ。


「エルは香草ばかり探してないでちゃんと食べられるものも探してね」

「ちゃんとやってるって。ダヴィたちが戻ってくるまでにはカゴをいっぱいにしてやるよ」


 エルは他所事はするが動きは速い。手際よく食べられるものを見つけ出してカゴに入れていく。

 そうしてカゴの容量が残り半分ほどになった頃、エルが不意に顔を上げた。


「……なんか、変な感じがする」

「変な感じ?」

「ぞわぞわするっていうか……ほら、あっちの方から」


 森の奥を指差して言うエルに、ルイーゼは不思議そうな顔をする。ふざけないの、と一蹴するにはエルの表情があまりにも真剣で、嘘を吐いているようには思えなかった。


「……ぼくも、怖い」


 滅多に感情を表さないイノが、恐怖を口にした。何かあるのは間違いない、二人のように恐怖を感じ取ることはなかったルイーゼもそう確信し、警戒を強める。


「とにかく、もうちょっと浅いところに行こう。途中にいるダヴィたちにも声をかけて……」


 ――アオォーーン!


 エルが言いかけたその時、大きな遠吠えが響き渡った。この当たりでも犬の遠吠えが聞こえることはたまにある。だがこの遠吠えは、それとは何かが違った。

 鳥肌が立つほどの恐怖。何故指先が震えるのか、何がそんなに怖いのかもわからない。ただ頬に冷たい汗がつたるのを、エルは妙にはっきりと感じ取った。


「野犬、かしら?」


 体の小さい彼らにとって野犬は一頭でも十分脅威になりうる。危ないと感じたらすぐに森から出る、それは院長との約束だ。

 ただの野犬ならばまだいい。しかしそれではこの強い危機感の説明がつかなかった。野犬以上に危険な何かかもしれない。その可能性が僅かでも、最悪の事態を想定しておくべきだとエルは判断した。


「逃げるぞ。カゴは置いていこう」

「え、でも……」

「大人に知らせて、後で取りに来ればいい」


 ルイーゼは戸惑いながらも頷いて立ち上がる。しかしハルは、蹲ったまま動かなかった。


「イノ?」


 エルが何の反応も示さないイノに触れると、その体が微かに震えていることに気付く。


「俺がイノを背負うから、ルイーゼは先に行ってくれ」

「わたしだけ逃げるなんていやだよ」

「ここら辺に残ってる奴らに声かけてほしいんだ。背負ったままじゃ走り回れないからな」


 森へ採集に来ているのは孤児院の子供たちだけではない。そのことに気付いたルイーゼは、迷いながらも頷いた。


「……わかった、エルは真っ直ぐ、一番近道を通ってね」

「うん、ルイーゼより早く森を抜けちゃうかもな」


 いつもと同じように笑うエルに、ルイーゼの不安が少し和らぐ。エルが恐怖を必死に抑え込み、隠していることには、気付けずに。

 ルイーゼが走り去るのを見届けてから、エルはイノを背負って走り出す。やはり二歳しか違わない少年を背負うとなると、いつもと同じ速さで走ることは不可能だ。


(森の奥に帰ってくれねぇかなぁ……)


 しかしいくら逃避しても、()()の気配が徐々に近づいていることはなんとなく察している。全力で走っても、その差は縮まるばかりだということも。


「くそ、このままじゃ……」


 イノが背にいることを思い出し、その先は飲み込む。全力で走るさなか、聞き漏らしてしまいそうなほど小さな声で、イノが呟いた。


「……ぼくを下ろして」

「走れるのか?」

「ううん……ぼくはここにいる」

「は?」

「ぼくを食べてる間に逃げればいいよ」


 イノの声音は自棄になった様子もなく落ち着いていた。確かに一人が囮になれば、もう一人は逃げのびることが出来るかもしれない。だがその選択を認められるような人間ならば、エルは最初から一人で逃げている。


「何言ってんだお前! んなことするわけねーだろ!!」

「……エルが死んだら、みんなかなしむ」

「お前が死んでもみんなが悲しむのは変わらん!」


 イノは、心の底から不思議そうな顔をしていた。赤ん坊のころから孤児院にいるエルやルイーゼは別として、ある程度成長してから孤児院に来た子は皆どこか歪んでしまっている。ダヴィやエマもそうだった。そしてその歪みを消すのには長い時間がかかる。

 だからエルは何度でも伝える。人を信用できない子供たちに、決して裏切らないということを。


「俺にとってはお前も失くしたくない大事なもんだ。ここでお前を離したら、俺が後悔する! だから離さない。ぜーったいに、離さない!!」


 エルはその言葉を体現するようにイノを支える腕に力を込める。エルの背を掴む手の力が少し強くなる。それは恐らく無意識での行動だった。でもエルは、その小さな変化が嬉しかった。

 背負われていたイノは、後ろから近づいて来る何かに気が付づく。鳴き声も足音もしないが、気配を感じる。それが間近に迫ったその時、イノはエルの背を強く押した。


「うぁっ!?」


 エルはバランスを崩して地面を転がる。その真横を、獰猛な牙を剥き出しにしたバケモノが通り過ぎた。


「……っ」


 見た目は犬と似ている。しかし頭頂部から生える不気味な角が、ただの犬でないことを示していた。

 魔力を持ち、普通の動物に比べその危険性は非常に高い。それは子供が採集をするような森の浅い場所ではまず見ないはずの、魔物だった。

 禍々しい気配を纏った魔物が、低く唸りながら二人を睨みつけていた。



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