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そして、犯人は現場に舞い戻る(下)

後半戦。



 黄色いテープがマンションの前に張り巡らせられる中、警察車両があちこちに停まっている。事件現場となったマンションの一室では、鑑識らしき人々が慌ただしい様子で右へ左へ、上へ下へとを行ったり来たりしていることだろう。

 その現場から少し離れた警察車両の一つで、よれたコートを羽織った刑事が元気のない黒髪の少女に『練乳入り』と名高い缶コーヒーを手渡していた。

「まったくひでぇことしやがる。大丈夫かいお嬢ちゃん」

「……はい」

 刑事は心配する言葉を掛けるが、あくびを噛み殺している。『めんどくさい』というのが顔からあからさまから滲んでいた。腰に刺した木刀にだらしなく片手を置きながら、とりあえず慰めになりそうな言葉を探す。

「まぁ、あれだ。人生って奴はうまくいかねぇことがある。俺もな、ついさっきまでパチンコでツキが回ってきたって所で呼ばれちまってよ。ついてねぇぜ」

 堂々と『職務放棄』していましたと語っていることに気づかぬ刑事の話を、少女は上の空の様子で聞き流す。

 そこへまだ二十代ほどの若い警官が駆け寄った。大変汗っかきなのか、滲む汗をハンカチでふき取りながら二人に近寄って来る。

「的場刑事、現場の検証が大体終わったみたいですよ。にしても、ひどいものですね。幼なじみのご両親を惨殺だなんて。やった奴の神経が知れないですよ」

「犯行も見られているし、今回はそいつが犯人で確定か」

「――はたしてそうでしょうか?」

 唐突に割り込んだ幼い声に、三人の顔が向く。そこにはゴシックロリータに身を包んだ女性を連れたありすが、窓枠から車内をにゅっと覗き込んでいた。

「君、どこから入ってきたんだい? ここは関係者以外立ち入り禁止だよ」

「そいつは大丈夫だ。今回はずいぶんと嗅ぎつけるのが早いじゃねぇか」

 幼い子どもが勝手に入ってきているというのに、平然と練乳入りコーヒーを飲む上司に、若い警官は首を傾げる。

「刑事、お知り合いですか?」

「そ、探偵だよ。で、後ろのフリフリな嬢ちゃんは誰だ? 見ない顔だけど」

「新しく雇った助手です」

 慣れたように平然と答えるありすに、若い警官は驚いたように目を見開く。

「た、探偵……? こんなちいさい子が……?」

「これでよろしいですか?」

 国家認定の探偵手帳を見せられ、さすがの若い警官は押し黙った。

「……あの、もしかして犯人はあき君じゃないんですか?」

 幼馴染みの縋るような視線に、ありすは坦々と言い切る。

「この事件には、不可解な点が幾つもあります」


『おい、ありす。ほんとうに大丈夫なのか?』

『何か不都合でも?』

 頭の中に直接響く声に慣れなさを覚えながらも、秋人は口を開かずに言葉を返す。

『いや、その……この格好、とかさ……』

『安心してください。とっても似合ってますよ』

『うれしくねぇ……』

 事件現場となったマンションの居間に移動してきた面々は、死体があった白線の前にありすに座り込む視線を注いでいる。

『喉仏はフリルスカーフで隠していますし、男性らしい腕の太さや脚はブーツやフリルが隠しています。何か問題でも?』

『おかしいよなぁ……なんで問題がないんだろう』

 俺はありすの後ろに控えながら、頭に響く声に内心でため息をついた。

 『テレパス』――それが彼女の異能らしい。秘密の会話をするにはもってこいの能力だ。

「あの~、この辺りで聞き込みをした人を連れてきましたよぉ……」

 若い警官が居間に顔を出すと、二人の人物が部屋に入ってくる。同じ高校の制服を着た青年は黒く大きな鞄を肩にかけ、殺人現場にいることに不安を滲ませている。もう一人は、リクルートスーツを着た大学から出たばかりと思われる赤髪の女性。髪を一つに結び、凛とした立ち姿は仕事のできる大人の女性を思わせるが、なぜか真っ白なお面を被っていた。

「あの……僕たちはどうしてここに連れてこられたんでしょう……?」

 隣の不審な女性にちらちらと視線を送りながら、連れてこられた少年が控え目に手を上げる。

「それを説明するためには、まず今回の事件を振り返りましょう。今回殺害されたのは新田ひとみさんのご両親。新田ひとみさん自身がその現場を目撃し、悲鳴を駆けつけた警察官が急行。五階のベランダから飛び降りて逃走する犯人をあなた方二人が目撃した、ということになりますね。聞く話によると、ひとみさんは何者かからストーカー被害にあっていたそうですね」

「ええ、それでボクがこの辺りの見回りを担当していました。彼女の家に立ち寄ろうとした所、悲鳴が聞こえて駆けてつけてみたらこんなことになっていて……」

 若い警官の説明に、ありすはもう一度この場にいる人間を見渡した。

「なるほど。それではさっそく犯人を捜しましょうか」

「え? 犯人ってもう報道されているじゃないですか。ほ、ほかに犯人がいるんですか……?」

 挙動不審な男子高校生にありすは頷き返す。

「ええ、確かに。ですが、不審な点も多いのも事実なんです」

「不審な、点……?」

「聞く所によると、現在の容疑者の能力は血を自由自在に操作・変質させることができるようですね。この能力を使えば人を殺す刃物なんてものも簡単に造り出せます。なのに、犯行に使われた凶器は市販の包丁です。……これ、おかしくありませんか? どうして現在の犯人は自分の能力を使わずに、あえて凶器を使ったのでしょう?」

「そんなの、他人の犯行だって見せかけたかったからじゃないか?」

 あくびをこぼす刑事の言葉に、ありすは頷いて見せる。

「そうとも考えられるでしょう。ですが、彼は新田ひとみさんの幼なじみだったのですよね」

「は、はい」

 ありすの視線にひとみが戸惑いながらもしっかりと頷いた。

「聞いた話によると、帰ってきた時刻はいつもと変わりなかったようです。市販の刃物を買い、他人の犯行に見せかけようと考えたなら、どうして彼はそんなへまを犯す必要があったのでしょう? 彼女が予想外の時間に帰ってきたならまだしも、いつも通りの時刻に帰ってきたのに? 計画していたとしたらおかしな話です」

「つまり、嬢ちゃんはこのお嬢ちゃんの幼なじみがハメられたって言いたいのか?」

「ええ。そして、犯人はこの中にいます」

 ありすの言葉に、全員が身動きをこわばらせた。この場に犯人がいるという言葉は、強い力を持って緊張を走らせる。

「そして、現時点でもっとも犯人に近いのは、あなたです」

 ありすはゆっくりと首をもたげた指先をはっきりとひとみへと向けた。

『おい、ちょっとまて!』

『まぁ、まだ彼女が犯人と決まった話ではありませんが』

 思わず上げた広義の声に、頭の中で坦々とした声が返ってくる。声を出して否定してしまいそうな気持を堪えて、脳内で訊ねる。

『ひとみは犯人じゃないのか?』

『あくまで今現在の有力候補というだけです』

 指先を示されたひとみは動揺が隠し切れないように身を強張らせた。

「わ、わたし……?」

「ええ」

「ちょ、ちょっと、待ってくれよ! 彼女は自分の両親を殺されたんだよ! そんな不謹慎だろう!」

 見かねた若い警察官が声を上げる。そんな相手に、ありすは坦々とした視線を向けた。

「あなたも警察なら客観的に見る視点をもったほうがいいですよ。一番犯人を嵌められる立場にいたのが彼女だった、というだけです。では、皆さんのアリバイを聞きましょうか」

「えっ、は、犯人はわかったんじゃないのかよ……」

 弱々しい言葉を出す男子高校生にありすは軽く肩をすくめる。

「別に犯人が確定したわけではありませんよ。ただ彼女が一番真犯人に近い立場にいるということです」

「では、彼女は犯人ではないと?」

「それは今から解き明かされます」

 仮面を被った女性の言葉にありすは断言する。

「では、あなたから」

「ぼ、ぼく……?」

「ええ。お名前は?」

「……斎藤はじめ。この近くの高校に通ってる」

 不愛想に答えた青年に、ありすは手元の調書を見ながら訪ねる。

「では、あなたはどうしてこんな所にいたんですか? 住まいとはずいぶん正反対のようですが」

「そ、それは……この近くのコンビニに用があったんだよ」

「ほう。わざわざ、こんな所まで。では、そのサイドバッグの中身を見せて貰えますか?」

 何か含んでいそうな清々しい笑顔をありすは浮かべる。件の少年は、その言葉に思わぬ反応を見せた。

「そ、それは、ムリだっ!」

「おや、どうしてでしょうか? あなたが何ら後ろめたいことがなければ悩むことではないでしょう」

「む、ムリなものはムリなんだ!」

「では、犯人はあなたと決めつけられてもいいと?」

「そ、それでも、ムリだっ!」

 少年はかたくなに鞄の中を見せるのを拒む。異常、とでもいうべきおかしな反応に、周りが訝し気な視線を彼に向けた。

「刑事、取り押さえてください。手荷物を確認します」

「おーす、ちょっとしつれいねー」

「な、なんだよ! は、はなせよ! はなせって!」

 大の大人に取り押さえられてもがく青年を横目に、ありすは足元に落ちた手提げカバンを裏返す。

 ぼとぼとと落ちてきたのは、赤い荒縄、スタンガン、そして、真新しい包丁。

「ちょっと署で詳しくお話しようか」

「ぼ、ぼくは殺してない! やってない! やってないんだ!」

「でしょうね。包丁はまだ包装が開けられておらず、どれも新品です。犯行前にすでに事件が起きていたのでしょう。さしずめ、最近彼女を付きまとっていたストーカーの一人かと」

『僕は未遂だ!』と喚き散らしながら二人の警官によって部屋の外へと連行される青年を傍目に、ありすはもう一人の女性へと視線を向けた。

「では、今度はあなたからお話を聞きましょうか。どうしてあなたはこの場所に」

「それはもちろん。彼女を監視するという崇高な使命があったからです。365日24時間、片時もわたしは彼女から目を離したことはありません」

「はい、かくほー」

 刑事は女性に手錠をかけて、二人目のストーカーが部屋の外へと連れ出されていく。

「……」

 秋人は静かに目を伏せた。なぜか無性に頭が痛くなったような気がした。

『ただ、間抜けなストーカーが捕まっただけにしか思えないんだけど』

『気にしないでください』

 気を取り直して軽く咳払いをしたアリスは、パイプを軽く弄びながら口を開く。

「さて、これであと一人になりましたね」

 みなの視線がおのずと最後の一人に集まる。

「まさか」

 若い警官が息を呑むようにひとみを見つめた。


「ええ、そうですよ。名前も知らない警官さん?」

 その言葉に、一斉に視線が向いた。向けられた本人は、あまりにも突然の出来事に狼狽する。

「え……? い、いや、最後は彼女だろ!?」

「おかしなことを言いますね」

 思わぬ問いかけに狼狽する警官に、ありすは鋭く指摘する。

「ここは五階です。いくらなんでもあなたの到着が早すぎませんか?」

「それは、彼女の家に報告に上がろうとしてたまたま……」

「ええ、必然と言う名の偶然ですね。あなたはエレベーターから上がってくるひとみさんを階段で上がってきたと見せかけて合流したんでしょう。ストーカーであるあなたなら、彼女がいつ、どの時間に帰って来るかわかりますものね」

「な、なっ……」

 有無言わせぬ事実を突きつけられて、警官の顔が強張った。

『……この人もストーカー?』

『ええ。つまり、彼女は三人のストーカーに付きまとわれていたんですよ』

 うんざりするような事実である。

 アリスに突きつけられた事実に、若い警官は顔色が悪い。

「や、やだなぁ……? いくら子どもでも言って悪いこといいことがあるよ。それに犯人は返り血を浴びているはずだろ?」

「ええ。それは犯人にも予想外だったはずです。まさか、犯人に仕立て上げた人物が異能によって血を流し落としてしまうとは。ですが、犯人はいまだに血の付いた衣服を身に纏っているはずです」

 坦々と。坦々と。真実を告げるありすに、若い警官は恐れの滲む顔で見つめた。

「あなたは警察官という身の上でありながら、新条ひとみさんに付きまとうストーカーでした。そして、幸運なことにあなたの元にストーカーの相談をしにひとみさんが来ました」


「あなたは喜んだことでしょう。何しろ、自然に彼女の近くいることができるようになったのですから」


「しかし、彼女の隣にいることはできなかった。その隣には、すでに幼なじみである稲葉秋人がいたから」


「彼女を独り占めしたいあなたは思ったことでしょう。『どうにかして、あいつを彼女の心から排除できないか』、と」


「そこで、あなたは今回のトリックを思いついたのです」


「まず、ストーカー対策の相談に来た警察官として新条家を訪問。何も疑いを持たない心情夫婦を睡眠薬で眠らせた後に殺害。そして、呑気に犯行現場に来た稲葉秋人をスタンガンで気絶させ、証拠である凶器を握らせれば無事に証拠隠滅です」


「あなたが犯人です。名無しの警官さん」

「あ、あ……」

 ありすは迷いなく指をつきつけた。

 反論できない警官は、空気を求めるように喘ぐ。

「い、言いがかりだっ! 僕がやったという証拠はないだろ!」

 動揺する警察官に対して、ありすは冷静に言葉を返した。

「犯人は身軽なスポーツウェアで犯行に及び、その後滲み出ないようにビニール製の上着を着込みました。そんなものを着込めば、たいして暑くなくても当然汗をかきます。あなたのその警察服の下は、いったいどうなっているのでしょう?」

 言い逃れできない真実を突きつけられたのか、助けを求めるように彼は周囲を見るが、返ってきたのは厳しい視線だけだった。顔色の悪い警官は、喉が干上がったように荒い呼吸をくり返す。

「あ、あははは……あははははっ!」

 狂った哄笑が響き渡る。ひとしきり笑い終えた彼の瞳には、煮え滾るような殺意が宿っていた。

 俺は直感的に動いていた。

「ふざけるな、ふざけるなよっ! こんなガキにっ! こんなガキにぃいいいいいいっ!」


 躊躇いなく抜かれた拳銃の銃口が、ありすを捉える。予想していなかったのか、彼女の冷静な表情がはじめて崩れた。

 銃声が鳴り響く。

 一発、二発、三発――轟く度に、赤い血飛沫が飛び散った。

 幼い顔が驚愕に見開かれ、噴き出した血が床に真っ赤な飛沫を描く。

 だが、鉛の銃弾が彼女に届くことはなかった。

「お前っ、お前えぇええええっ! 何度も、何度もっ! 何度も、何度も、何度も邪魔しやがってぇえええええ!」

 おぞましいほど激情に染まる警官。少女を庇ったゴシックロリータの正体に気づいたのだろう。その視線だけで呪い殺しそうなほど表情を歪んでいる。

 秋人はあまりの痛みに意識が飛びそうになりながらも、背中の痛みを無視して異能を行使した。

 獲物に飛びつくように走る血の一閃。縦に細く伸びた斬撃は見事に拳銃を弾き飛ばし、相手の攻撃手段を奪った。

 一番の得物を失った警官は、苦し紛れに警棒を抜いて振りかぶる――だが、その一撃が届くことなく、横っ面を容赦なく木刀の切っ先が殴り飛ばした。

「はいー、容疑者確保」

 人が出してはいけないような音を出して壁際まで転がった警官に、刑事が何事もなかったようにガシャンと手錠をかけた。


 パトカーに送られる犯人を見送った後、俺は幼なじみに簡単な治療を受けていた。マンションの前で(しかも、この姿で)背中を晒すのは恥ずかしいが、互いの自宅ではまだ撤収作業をしている鑑識が慌ただしく動いているため致し方ない。

「あき君、だいじょうぶ?」

「めちゃくちゃ背中が痛い……」

 血液を瞬間的に硬化させたため、弾丸が内臓までは達しなかったものの、骨を軋ませるような衝撃まで殺せる訳ではない。火傷のような酷い痛みに思わず泣き言が出てくる。

「それが痛いだけで済むなんて、ほんとふざけた異能ですね……まぁ、ありがとうございます」

 ちいさな探偵がジト目で呆れながらも小声で言う。どこか『大変不本意』という感情が滲み出ているような気がするのは俺の気のせいだろうか。

 ごほんと軽く咳払いしたありすは、改め俺たちに向き直る。

「では、真相の推理と参りましょうか」

「真相?」

「ええ、真相です。この一連の流れを計画した人物がいる訳ですよ。自分の手をまったく汚さずに」

 やれやれと言いたげにパイプを咥え込んだありすは、軽く俺の方を一瞥した。

「ねぇ……新条ひとみさん?」

 思わず幼馴染みの顔を見た。

 ありすに睨みを利かせられた彼女は、いつもと変わらない綺麗な笑顔を浮かべている。

 その姿は、普通の感性なら歪な気配を感じていただろう。

「私が? おもしろい推理だね。どうしてそう思うの?」

「あなたが秋人を逃がしたことです。あなたは血の海に伏している彼を一目で殺人犯ではないと見抜いていました。この反応は、いくらなんでも幼なじみといえ、おかしい」

 アリスの語る言葉にひとみはただ薄ら綺麗な笑みを口元に浮かべ続ける。しかし、その目は笑っているようで笑っていない。不穏な雲行きに背筋に冷たいものが走り、周囲から温度が極端に下がっていくような錯覚さえ覚えた。

「だから、あなたは事前に知っていたのではないですか? 警官が自分の両親を殺し、秋人を嵌めようとしたことを」

「そんなことをして、いったい私に何の得があるの?」

「しいてあげるなら、このボンクラのたった一人の味方になれることでしょう」

「その言葉を聞く限り、私はとんでもないサイコパスに聞こえるね」

「違いますか? 法人団体『迷える子羊の会』教祖『新田ひとみ』さん?」

 沈黙が降りる。両者とも互いにまったく視線を外さなかった。

「うん、さすが名探偵さん。見事な推理だよ……けど、それが例え真実であっても私が捕まる理由は何一つないけど」

「今のあなたを逮捕できる法律はないでしょう。なぜなら、あなたが犯罪を企てた訳ではなく、ただ見逃しただけなのですだから。ええ、見事な完全犯罪です」

 嘆息をこぼしたありすは、俺に呆れに似た視線を向けた。まるで、キチガイな飼い主に飼われるペットを見るような同情心を感じるのは果たして気のせいだろうか。

 ひとみはクスクスとちいさな笑い声をこぼす。それは、まるでありすの言い分が正しいと証明しているような含みを持たせていた。

「わたしが関与してなければ、間違いなくこれは捕まって刑務所にぶち込まれていましたが……そこは理解しているのですか、ひとみさん?」

「うん、そうだね。でも、それの何に問題があるの?」

 心底不思議そうに、ひとみは首を傾げた。その反応に、ありすは険しく目を細める。

「刑務所に入ったら、あき君がもっと私を見てくれるようになるね。むしろ、邪魔なものにあき君が時間を取られなくなっていいことだね」

 さすがに、豚箱にぶち込まれるのはゴメン被りたい。そのことを幼なじみに伝えても、きっとわかってもらえないのだろう。

「……そのために、あなたは両親を見殺しにしたと?」

「うん。あの目障りな肉の端末を破壊するにはちょうどよかったし、大本への意趣返しもあった」

「大本……? どういうことです?」

 ありすの問いには答えず、ひとみは軽く目を閉じてちいさく肩をすくめる。

「目に見えているものが全てではない。それはあなたにもわかっているはずだよ」

「なんのことです?」

「あなたはどうやら数奇な運命にあるようだね」

 坦々と呟く彼女は、ありすを見つめる。慈しむ表情に浮ぶのは虚ろに塗れた瞳。

 夜空に浮かぶ星々を閉じ込めた宝石のように綺麗で、宇宙の深淵を覗いているかのように底知れない永久の宵闇。人間性のない瞳がありすをしっかりと捉えた。

 よくよくひとみを見れば不自然さが浮かび上がってくることに気づく。作り込まれたような人間離れに整った顔立ち。白い素肌は透き通るほど滑らかで、傷の一つも見当たらない。手足はまるで人形のように細く華奢で可憐。『普通』であることがおかしいよう容貌であるというのに、なぜか俺には『普通』としか見て取れなかった。

 普通の人間であれば、異なった世界を垣間見てしまったかのような気持ち悪さに襲われるだろう。

 ありすの足が一歩後ろに下がる。心臓を握られたような緊張を横顔に湛えながら、彼女はそれでも気丈にひとみを睨み返す。

「……あなたは、何者ですか」

「さぁ? なんなんだろうね。私にもそれはわからないよ。あなたも自分が何者か問われても答えられないでしょ?」

 『それと同じ』と言いたげに、にこりと張り付けたような満面の笑顔を浮かべた。

「今はあなたに貸しておくよ。あきくんをよろしくね、ちいさな探偵さん?」

 人には思えない綺麗な笑みを浮かべて、人離れした美しさの彼女は踵を返していく。

 その隣には、いつの間にか現れたのかリクルートスーツに変なお面を被った女性が付き従い、手渡された応急箱といった手荷物をまるで下賜されるがごとくうやうやしく受け取っていた。

「……なんか、悪いな。うちの幼なじみが変なことして」

「よくあなたは、あんなことをしでかしたあれを見て冷静でいられますね」

 『あれ、人間ですか』という視線に俺は応えあぐねる。

「まぁ、あんな奴だけど、意外と人間味の溢れる奴なんだぞ」

 何の理由もなしにあいつが犯行に及ぶと思えない。それは、長年あいつの幼なじみをしている身としてわかる。今みたいに意味深な発言をしたり、怪物のような精神構造をしているが、根はいい奴なのだ。たぶん。

 不安を煽る不審な言動も、長年の中二病が実を結んだ結果だろう。いつになったら治るかは不明。

「あなたの正気を疑いますね」

 黒幕にしか思えない幼なじみをオブラートにフォローしたら、酷い言い草を返された。

「あと、そうそう。あなたにはこれを渡しておきますね」

 『契約書』と書かれた紙を渡される。

 ふと何気なく目を通すと、請求額の行に『一億』の桁。

 俺の口元は問答無用でひきつった。

「なんだよ、これ……」

「なにって、今回の事件解決による成功報酬の金額です。まさか、ただで『国家探偵』が事件を解決するとも?」

 『大変頭がお花畑ですね』とでも言いたげな冷徹な視線に俺は押し黙った。

 いったいどこでと考えを巡らせて、事務所に書かされたサインを思い出す。ずさんな管理かと思いきや、とんだ手口が隠されていた。

「まぁ、わたしも無慈悲ではありません。どうしても払えないというなら、肉体労働で返済をしてもらっても構いません。わたしは優しいので」

 それはつまり、『ただ働きしろ』ということか。少女の皮を被った悪魔に、俺は呻いた。

「おまえ……卑怯だぞ」

「あら、そうですか。あなたにとって自分が薄汚い牢獄にぶち込まれなかった対価がこの程度もなかったと。別にわたしはいいですよ。あなたが契約を踏み倒す恩知らずな人だとしても。その場合、あなたはまた遠くない未来で刑務所にぶち込まれそうですけどね」

 ふと、立ち去っていく幼馴染みの背中を思い出す。

 ぴらぴらと契約書を見せる少女に、俺は屈した。

「わかった、わかった……やればいいんだろう。やれば……」

「ええ。ちょうど頑丈なボディーガードが欲しかったのです」

 ありすは表情を綻ばす。

 その顔つきは、これまでのものと違い、年相応の笑顔に思えた。

 

 こうして、俺たちの最初の事件は幕を閉じた。


 これにていったん終わり。

 ネタはあるのでまだまだ続きます。(しかし、不定期)

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