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そして、犯人は現場に舞い戻る(上)

初投稿です。


彼女にとって、世界は黒く塗り潰したようなものだった。

瞳の中に広がるのは、歪な人型の群れ。醜さを剥きだしたように悪質で、醜悪で、人の形を成していない『人間(モノ)』。

 少女にとっては、それが当たり前の光景だった。

写真に写るのは自分と変わらないのに、生身の視界に映るのは濁り澱んだ影になる。それは、嘘をつくものや他人を蹴落とそうとするものほど酷く、醜いにおいを発している。

 彼女の瞳は、常に真実を映していた。ありのままの真実を。

 しかし、彼女にとって意味はない。

 彼女にとって世界は無情で、彼女の瞳に映る者は常に異常だったゆえに。

 世界は、彼女にとって無意味なものだった。


 近年『能力者』という特別な力を持つ者が現れてから、犯罪は右肩上がりの傾向にある。一昨日のニュースでそんな報道が流れていた。

 ニュースではよく犯人が逃走中という珍事が報道されている。その光景を傍目に見て、いつも思うことがある。

 国外逃亡ならまだしも、国内で逃げ回るなんてよく無謀なことをするな、と。

 戦国や江戸時代といったまだ組織や技術が未発達であったならまだしも、現代では警察という国家組織が全国にあり、情報伝達も一瞬で伝わるくらいに発達している。そんなご時世で逃げ回るというのは、一人で軍隊と追いかけっこするくらい無茶なことだ。四六時中、相手は常に自分を見ているかもしれないという恐怖。いつどこで見られているかもしれないという強迫観念に襲われながら日々を逃走しなければならない。そう考えると、犯罪をするなんて碌なことがないことがわかる。殺人なんてもっての他だ。暴力が全てであった古代の時代ならいざ知らず、現代ではあまりにもそのリスクに見合わない。

 だから、つい一昨日の夜、ニュースを見ながらふと思った。


 世間から隠れるように逃げ回る犯人は、いったいどんなことを思って過ごしていただろう、と。

 

 今なら分かる。きっと間違いなく、俺と同じ想いを抱えていたに違いない。

『現在逃走中である隣人の両親を殺害した少年は、攻撃性の高い『異能』を保持しているということで――』

 街頭テレビから流れる報道。駅前の複雑な陸橋を渡る俺はフードを目深く被り直して、その場所から足早と離れた。

 誰かとすれ違う度に、気づかれるんじゃないかという嫌な高鳴りを感じる。端末に視線を落としてるフリをしながら人々の脇をすり抜け、階段近くの路地裏へと逃げ込んだ。

 暗く狭い道のりに人の気配はない。緊張を解くように長い息を吐く。それだけで、心の底から安堵を感じられた。

 ――これから、どうするか……

 自分は今、殺人容疑者として追われている。

 まったく身に覚えのないことだった。青天の霹靂とはこのことだろう。しかし、他人からしたら自分が犯行を犯したようにしか見えないらしい。

 逃げはじめてもう丸一日。正直、八方塞がりである。思わず発狂したくなる状況に頭を抱えたくなる。

 自分一人ではどうやっても解決しようのない問題を抱えながら、暗く狭い路地裏を歩いていく。その薄暗さが先の見えない未来を映しているように思え、暗澹たる想いがずっしりと頭にのしかかってきた。

 とりあえず、暗くなるまで隠れていよう。ここの路地は前にも来たことがある。複雑に入り組んでいるから、さすがにそうそうと見つかることはないだろう。気休めの考えに、なんとか心を落ち着ける。

 ――きっと、なんとななるさ。

 俺自身、殺人を犯した訳ではない。その内警察が真犯人を捕まえてくれる。

 根拠のない希望だが、気持ちを切り替えて俺は曲がり角へ一歩を踏み出す。

 瞬間、飛び込んできた光景に俺は足を止めた。

(おんなのこ……?)

 長い黒髪の上にふんわりと膨らんだシックなキャスケット帽。色彩が物静かで品の良い制服には藍色のケープを羽織る姿は、この近くにあるお嬢様学校でよく見かける後ろ姿だ。そんなちいさな女の子が路地裏の片隅でうずくまり、虫眼鏡片手に何かを観察していた。

 年頃は小学低学年といった所だろうか。育ちがいいのか、幼くも色白く整った横顔が見て取れる。

 まったく人気のない路地裏に子ども一人という状況に、一抹のおかしさと不用心だなという感想が思い浮かぶ。こんな所を危ない不審者に見つかったら簡単に攫われても誰にも気づかれなさそうだ。

 まぁ、俺もその一人になっているから他人事ではないのだけど……。

 内心でため息つき、俺は少女の背後を通り抜け、その場の何事もなかったように後にした――はずだった。

「血の匂いがしますね」

 思わず振り返った先で、こちらを見つめる少女の視線と重なった。海の底へと引き込まれるような、それでいて底を見られるような蒼い瞳。無機質でありながら、強い意志を感じるその双眸は、じっと自分を見上げている。

 嫌でも、自分の喉が渇くのが分かった。こんな小さい子に何を恐れている。いや、本当に子どもなのだろうか。背中にじっとりとした汗の感覚が滲みだすような不快な感覚が、自分の本心を語っているようだった。

「なんのことだ?」

「人気のない所に逃げるのはあまり得策ではないですよ。それでは自分が不審者であることを物語っているようなものなのです。逃げるなら堂々と。人混みの中で、さも一般人であるかのようにしなければ」

 俺がとぼけるのに対し、少女は小学生とは思えない口ぶりで言葉を返す。妙に達観している大人びた言葉が、目の前の相手に違和感を拭いきれない。

 軽くスカートの土埃を払うと彼女は立ち上がり、俺をしっかりと見据えた。

「ねぇ? 今、大変話題になっている殺人容疑者さん?」

 その揺るぎない視線に、嫌でも心臓は喧しく高鳴った。全てを見透かしているかのような双眸に俺は視線を外せなくなる。

 どうしてバレた。何がいけなかった。滲み出す焦りと緊張に思考が追い詰める。迷走に迷走を重ねる思考は混沌と混ざり合い、答えの出ない迷宮へと誘う。

 そして、ふと過った『殺す』という二文字。

 すぐに馬鹿らしいと一蹴する。それこそ身も蓋もない。

 ――なら、連れ去るか?

 思考が過った瞬間、少女がちいさな口を開いた。

「連れ去りますか? わたしを」

 胸の内を見透かしたような言葉に身体が固まる。思わず目を見開いてしまった俺に、少女は幼くも艶めいた笑みでくすりと小さく笑った。

「どうやらあなたには、殺人について身に覚えがないようですね」

「……は?」

 さも知ったように語る少女に、こっちが呆気にとられる。いったい、今のどこで自分が殺していないと断言できるのか。

「なんでわかるんだ……?」

「わかりますよ。これくらいのこと」

 心が読まれる奇妙さよりも、自分が殺していないことをわかってくれる相手に藁にもすがりたい気持ちが湧き起こる。自分の冤罪を証明してくれるなら、俺は年下の子どもにだって頭から土下座をするだろう。

「ニュースからの情報では殺された二人は首の頸動脈が包丁によって猟奇的に断ち切られていたらしいですね。これほど迷いのない犯行なら、今さら犠牲者の一人や二人増えた所で気にしないはずです」

 言い聞かせるように彼女は語る。

「ですが、あなたはためらいました。どうして? あなたが本当に猟奇的な殺人犯なら、躊躇う理由なんてないのに?」

 口元に軽く手を当てて、少女は年齢に似合わぬ不敵な笑みを見せた。自分の半分も生きていないはずなのに、その瞳に宿る輝きは老成した知性を宿している。

 いったい、彼女は何者なのか。底知れぬものを俺は肌身に感じていた。

「……一瞬で、そこまでわかるものなのか?」

「こう見えても、見る目には自信があるのです。では、行きましょうか」

「行く?」

 どこに、という疑問が頭に浮かんだ。そんな俺の様子に少女は当たり前のように口を開いた。

「もちろん、あなたの事件を解決しに」

 彼女は懐から手帳を取り出し、俺に見せた。警察手帳に似たソレには少女の顔写真がはっきりと載っていた。

 『国家探偵』――能力犯罪が横行する昨今、その事件解決の功績と類まれな能力が国に認められた特別な探偵にのみ与えられる証だった。


 少女に連れられ大通りから離れた路地裏を突き進むと、古い雑居ビルが立ち並ぶ通りに出た。人通りは一人二人が歩いているのを見かけるくらい少なく、駅前とは時間の流れがまるっきり違ってしまったかのように思える。

「こっちです。ついてきてください」

 少女は目の前に見える雑居ビルへと歩いていく。

 一階がちいさなカフェ、二階がレンガ造りのような見た目をしている周りより古風な雑居ビル。古き大正時代を感じさせる趣だ。一階へループのように伸びた階段を少女は有無言わずに上っていき、すこし気後れを覚えながらも、俺もその後に続いて階段に足を掛けた。

 登り切った先にあった薄暗い広間には、レトロな木扉とその雰囲気を損なわない立て看板が置いてあった。

「言の葉探偵事務所……?」

 古き時代を感じさせる懐古趣味な筆記体に目を取られながらも、少女に続いて扉をくぐった。

 埃っぽい匂いが充満する室内。応接間と思われる場所は、辞書のように分厚い本が積み重なってまるで座る場所がない。内装は綺麗に整っているが、片づけていないことが一目でわかった。

 少女は部屋の片隅にあるいつ淹れたかわからないコーヒーポッドから黒い液体を注ぐと、その一つを俺に差し出した。口をつけたコーヒーは時間が経ったせいか苦みとえぐみをきつい酸味と混ぜ合わせたような味が口いっぱいに広がる。思わず顔をしかめそうになる味わいを、少女はなんてことない様子で平然と飲んでいる。この味に随分と飲みなれているらしい。

 曇り空のせいで薄暗さが目立つ室内。少女は執務机に向かうと、ゆったりとした革椅子に腰掛けた。

「とりあえず、これに氏名と名前を」

 一番下に手書きの横線が書かれた用紙を渡される。ずぼらなというか、ずさんな対応に本当にこの子に頼って正しかったのだろうかと、一抹の心配が浮んだ。

「さて。さっそくですが、あなたがこれまで体験したことを教えてください」

 大きな椅子に埋もれる少女は、懐から年期の入ったパイプを取り出すと、それを口に当然のように咥える。唐突の出来事にギョッとするが、どうやらそれはただの雰囲気づくりらしい。吹かしているようすはない。

「あんまり詳しく言えないぞ。あの時、酷く混乱していたから……」

「別に大きな期待はしていません。ただ、今は少しでも前情報が欲しい状況ですから、覚えていることは何でも話してください」

 言われて、俺は気乗りしないまま巻き込まれた事件を思い返した。

「学校から帰ってきて、俺は隣の幼なじみの家に行ったんだ。二人でテスト勉強をしようって話になって」

「青春していますね。それで、あなたはぬけぬけと幼馴染みの家に向かったと。そこで、あなたは彼女の両親が人には言えない悪事の取引を目撃してしまい、いらぬ正義感を働かせた結果、衝動的に殺してしまったと?」

「違う」

「冗談です。話を続けてください」

 椅子をくるくると回した彼女は泥水のコーヒーを他人事のように啜る。すこし、この少女を本当に頼っていいのか不安になってきた。

「玄関を入ったら、いきなり背後から何かを押し付けられて、電気を浴びたような衝撃の後、意識が遠くなって……気づいたら赤く染まった包丁を自分が握っていて、彼女の両親が血だまりに沈んでいた」

「ふむふむ。それで?」

「あまりの出来事に動揺していたら、幼なじみがちょうど帰ってきて、彼女の悲鳴を聞いて巡回中の警官が駆けつけてきて……彼女に言われるがまま逃げていた」

「警官が駆けつけるのが早すぎる気がしますが?」

「最近、幼なじみはストーカー被害にあって、警察に巡回をお願いしたんだ。ちょうど、その巡回の時間に当たって……」

 それが見事に自分を苦しめたけど。

「もう一つ気になる点は、幼なじみはあなたを逃がしたんですか?」

「そうだけど……あいつは犯人じゃないぞ」

「あくまで聞いたまでです。それで件の幼なじみさんはあなたと同じ『能力者』ですか?」

「いや、一般人だけど……?」

「ふむ……」

 パイプを触れた彼女は深く椅子に座り込んだしばし思案に耽る。

 しばらくすると、彼女は椅子から地面に足をつけ、傍に置いたケープを羽織り直した。

「だいたいわかりました。それでは事件現場に向かいましょう」

「向かうって……俺は追われているだけど……?」

「…………あなた、中々整った顔立ちをしていますね?」

 にんまりと口端を上げる幼い顔。俺は果てしなく嫌な予感がした。

読んでくれてありがと!

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