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表と裏

作者: 綿柾澄香

 海岸に一人の男が倒れている。白い髪に、長く伸びた白い髭。そのすぐ脇には豪奢(ごうしゃ)な箱が落ちている。


 男の名は浦島太郎。


 浦島太郎は頬と両腕に砂の感触を感じながら、何故こうなってしまったのだ、と自問していた。

 私はただ亀を助けただけだ。そのお礼に、と竜宮城に案内され、ほんの数日楽園でのひと時を満喫しただけなのに、どうしてこんなにも残酷な仕打ちを受けなければいけないのか。あの時、亀を助けた私の善意は間違っていたというのか。


 浦島太郎の老化は今もなお進行を続ける。

 徐々に体が枯れていくのを感じる。呼吸さえも困難になりつつある。きっと、このまま自分は後悔に満ちたまま朽ちて死にゆくのだ。


 もはや涙さえも零れない浦島太郎のその目に、人の脚が見えた。

 誰かが今、自分の目の前に立っている。


 その誰かを確かめようとするものの、もはや浦島太郎は首さえも動かない。なんとか眼球を動かせる限界まで動かして、見上げようとするものの、その誰かの膝あたりまでしか見えない。

 お前は誰だ、と問おうとして声さえ出なくなっていることに気付く。喉からは空気が漏れるような音しか出てこない。


「ああ、無理はしなくてもいい。もう終焉を迎えるんだ。最期くらいは楽にしていなさい」


 と、その人は言った。男か女かもわからない、不思議な声。


「キミは今、非常に後悔している。当然だろう。こんな結末は誰だって嫌なものさ。でもね、これは避けようのない、どうしようもない結末なんだ。キミが“裏”島太郎としてこの世に生れ落ちた時から決まっていた。……キミに、世界の仕組みを教えよう」


 浦島太郎には、この人が何を言っているのかわからない。けれども、そんなことは構わず、その人は続ける。


「世界には白と黒があり、右と左があり、上と下があり、それと同様に表と裏がある。それぞれは均衡を保ち、それによって世界は成り立っている。そして、キミは表の世界の住人の均衡を保つための存在なんだよ。つまり“表”島太郎のね」


 表島太郎……一体誰なんだ、それは。

 聞いたことも無い名に、浦島太郎は混乱する。

 俺は、その見たことも聞いたことも無い男の為にこんな仕打ちを受けるのか?


「亀を助けた“表”島太郎は竜宮城で三日間過ごし、乙姫から玉手箱を貰い、村へ帰る。そこには変わらず母も友も暮らしていて、玉手箱の中には再び竜宮城へと行くことのできる手形が入っていた。“表”島太郎は自由に竜宮城と村を行き来しながら、幸せに暮らしたんだ」


 は? なんだ、それは。そんな幸福があるというのか。俺の不幸の裏側で……! いや、あちらが表で、こちらが裏か。……ふざけるな! なんであっちが表でこっちが裏なんだよ! 俺が表だっていいじゃないか!


 浦島太郎の心の叫びは声にならず、掠れた空気となって肺から漏れ出るだけ。枯れたと思っていた涙が、頬を伝う。


「ああ、わかるよ。“裏”島太郎、キミの苦痛はね。でも、仕方がないんだ。これが世界の仕組みだ。どうしようもなく、抗う術もない。残念だが今生での幸福は諦めてくれ。そのかわり、来世では……」


 来世……ああ、なるほど。確かに世界が均衡を保とうとするというのならば、今生でこれだけ苦しんだ俺の来世はきっと幸せなものに違いない。そうでなければ、辻褄(つじつま)が合わない。

 一条(いちじょう)の光が射したような気がして、浦島太郎の心は平静を取り戻す。


 そうさ、来世こそは。


「……ああ、キミの来世は大庭葉蔵(おおばようぞう)か。まあ、頑張りたまえ」


 その人の声が少し笑ったような気がして、浦島太郎は安心した。

 きっと、幸せな来世が待っていると信じて、ゆっくりと目を閉じる。

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― 新着の感想 ―
[一言] 大場葉蔵と聞いて思わず「あぁ…」と思ってしまいました(;´д`)来世も何だかんだで不憫だぁ。 でも、この二人は似てる様な気がしますね。 この二人を引き合わせた綿柾澄香さまの感性に脱帽しました…
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