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私個人的に3人以上の兄弟で親が「みんな平等に愛してるよ」と言っても信じません。そういうものです。
「レイラ様がお出でになられました」
恭しく筆頭宰相に扉の中へと導かれながら、レイラは再び食堂へと戻ってきた。
「お待たせいたしました。
お呼びでしょうかお父様」
完璧な礼で侯爵の前に屈むレイラに、掛かる声は無い。
(えっと・・・誰もいなかったかしら?私一人?恥ずかしいですわ)
しんと静まり返った食堂で、確かに父を始め母や兄妹も居たように思っていたが。目の錯覚だったのだろうかとレイラが上げられない顔をどうしたものかと逡巡していると、思いがけない声がレイラの名を呼んだ。
「レイラ!私の子豚ちゃん!
まあまあこんな立派な礼ができるような令嬢になっていたのねえ」
衝撃と共に華やかな声がレイラを抱きしめていた。
上げた視界一杯に声よりも華やかな女性が自分を抱きしめていることに気付くと、レイラは驚きで目を見開いた。
自分を抱きしめていたのは果たして母方の祖母であるエリフレーデだった。
幼い頃から会える頻度は少ないとはいえ家族の誰よりも可愛がってくれた事は、レイラにとって辛い毎日を生き抜く糧でもあった。
いつか、政略の具として嫁ぐ身であっても、もしかしたらこの家を出て祖母のように己の力で生きてゆくことができるかもしれないと夢想をしていた。
王国の希代の英雄はレイラにとっても救いを与えてくれる神のような存在だった。
「まあまあ、すこし痩せ過ぎじゃあない?
年頃でコルセットも付ける前だというのに私の手を廻しても大分余るじゃないの。
ダイエットは必要ないわよ。ねえ、侯爵」
嫣然と笑みを佩き、ねめつける様にエリフレーデは娘婿を振り返る。
苦虫を噛んだような顔の返礼に、エリフレーデの顔にも苦笑が浮かぶ。
年頃の娘を持つ男親に問うても満足のいく返答など返ってこない。
ましてやレイラと父である侯爵との間は文字通り不和な関係にあり、レイラからすれば娘の顔さえ覚えていないのではないかと疑っている。
奇跡的に家庭円満な高位貴族としても名を馳せている侯爵家の唯一の異分子。それが自分だと自己評価しているのだ。
候爵ぐらいの身分ともなれば食事を家族とともにとることさえ本来稀な話だ。政治的にも社交シーズンともなれば本領に帰着することすらままならない日々が続くのだ。王都のタウンハウスや王城内にある高位貴族が所有する屋敷にバラバラに滞在する貴族の方が圧倒的に多いくらいだ。
当侯爵家は其の稀な例で家族の仲の良さは王国中に知れ渡っている。本領も王都からそれ程離れていない立地条件もあり、主な拠点は本領の王都により近いマナーハウスとなっている。
社交シーズンが始まれば、王都のタウンハウスや王城内の拝領屋敷にも家族全員で移る様子がいつも王都の人々の注目を浴びる年中行事となっていた。
「今日遅くなるようならば泊めて戴こうかしら。
どうも騙し騙し使っていた馬車の車軸が壊れたらしいのよ。買い替える方が早いという話だったわ。
急な話で申し訳ないのだけれど・・・よろしくて?侯爵」
無邪気な様子で義理の息子におねだりするエリフレーデ。
「喜んで。ルミエラ後は頼む」
顔に『忍耐』と刻まれた侯爵が全精神力を蹴上げて応じると、それまで置物のようだった侯爵夫人ルミエラが目に見えて動揺する。
久しぶりの親子の再会だというのに、当初からエリフレーデと目を合わすどころか声を掛けられないようにと言わんばかりに身を竦め息も潜めていた。それなのによりによって夫に背後から撃たれる形となった。
「あ、わざわざ客間など用意して頂かなくてよろしくてよ。
私はこの子豚ちゃんじゃなくてもう子猫ちゃんね?レイラの部屋で一緒に寝ますからね。
ねえレイラいっぱいあなたのお話が聞きたいわ」
(え?私の部屋ですか?それは・・・どうなんでしょう)
レイラが戸惑っていると娘の態度に再度怒りが再燃した侯爵が、返事を横取りして話を終わらせようとした。
「勿論ですとも。
レイラはそのように支度しておきなさい。
ルミエラも足りないものを準備させるように。
それから、皆本日の予定は全て中止だ。
数年振りにお会いできた閣下なのだゆっくりと積もる話もあるだろう?」
どうしてもエリフレーデに溺愛されているレイラを見たくないのか、強い調子でルミエラとパスカルに命じると席を立つ。
「それでは義母上。陛下をお待たせすることはできません。
御同道お許しいただけますでしょうか?」
癇症を押し隠し義理の母に手を差し出すと、エリフレーデは優雅に同意しその手を取る。
侯爵はエリフレーデと退場した。
残された者の悲喜交々が、レイラは物質的な圧となって広い食堂を重苦しいものに変えたことを感知する。が、正直どうすることも出来ないと一歩引き食堂内の中の相関図を見守ることにした。
先ず見遣るのは卒倒しそうなルミエラと侍女長。
(私ならおばあ様がお帰りになられる前に逃亡する案件ですわね)
どう考えても自分の環境をエリフレーデに見せることはできないだろう。
エリフレーデは一代限りとはいえど侯爵家の上位者だ。しかし上位者と言えど急に『泊まる』などという反則的な行動は対外的に許されない。肉親と言えど先触れや手紙を出して相手に確認を入れることは当然のマナーだ。
馬車の故障という突発的なアクシデント故のアクシデント。自業自得とはいえルミエラは苦境に立たされた。
兄は、パスカルは終始黙って大人たちの動向を見ていたが、侯爵とエリフレーデが退場するとその視線を母ルミエラに据えた。
内向きの侯爵家の女性に関する差配は集約すれば侯爵夫人である母に帰結する。そう思い至ったからだ。
不信と疑惑。微かな嫌悪が母と母に寄り添う侍女長に向かっている。
妹のセイラは気忙しくパスカルと母ルミエラに視線を送っていたが、無表情に自分を見つめるレイラの視線に気づき、他者からは見えないように睨み返してくる。
(今!チッてチッて言いいましたわよね?うわあ・・・)
レイラにしか見せない感情をぶつけてくるセイラは「少し気分が・・・」などと言い出し食堂から退場する。
残るは筆頭執事だ。侯爵家を差配する彼の動向に注目するレイラ。
当の筆頭執事は館にいる全使用人を集めるように指示を出し、残った使用人に次々と指示を与えている。その様はまるで王国の重鎮『疾風迅雷』という双つ名を冠する筆頭宰相ガルウス卿も斯くやという速さで、一気に慌ただしくなった食堂を支配していた。
(敵に回すととんでもない人がいました!)
レイラは無表情に戦きながら、そっと自分の存在を希薄にしようと奮闘していた。
今迄接触することのなかった彼について、名前すら知らないでいたことが裏目に出る。けれど何故か彼の事は敵か味方で言えば、敵ではないとレイラは感じていた。
これからの事だが安定の戦力外空気な存在のレイラには注目は当たらない。
母たちは自分の事で精一杯であろうし、筆頭執事の指揮のもとに慌ただしく動き回る使用人にもいつも以上に無視されている。
(戻ってもいいのかしら)
どの道レイラの私室は使わないだろう。どうにか父と祖母が帰る前に『レイラの部屋』を設えねばならない。父の様子ではどうやら知らない。でも母は知っている。それどころか『指示』を出しているのは母だ。『実行』は侍女長で、多分母自身はレイラの部屋の内容は知らない。セイラの部屋程に充実していないだけ程度の認識だろう。それでも見比べれば格差のあることがありありとしている。という認識なのではないか?
状況証拠でしかないけれど、『主犯』は両親ではない。その事だけは確信が持てたレイラだった。
(戻る場所がないわねえ)
メインホールにずらりと並んだ使用人と、何とか威容を保つ侯爵夫人を筆頭に、侯爵家の兄妹が並んで出立する父侯爵と一代公爵を見送りに立つ。
侯爵家の家紋が入った扉が開けられ、庭から吹き入ってきた馨しいバラの香りに、ほうとエリフレーデが目を細める。
そのエリフレーデの下に筆頭執事が恭しく塵除けの扇子を持ち寄ると、今気が付いたようにエリフレーデが目を見張って声を上げた。
「レイモンド!久しいわねえ。見違えてしまったわ。
あなたのページボーイ姿が忘れられないわ。こんなに立派になっていたのねえ。
あんなに可愛かったあなたが筆頭執事さんになってるなんて。時間って過ぎるのが早すぎるわね。
久し振りにあなたのお茶が飲みたいわ。帰ってからお願いね」
可愛らしくおねだりをするエリフレーデにお愛想の笑みを浮かべ筆頭執事は首肯する。
「承知いたしました
道中お気をつけて」
(レイモンドというのね。今更聞けなったから助かりましたわおばあ様)
いらいらとエリフレーデを待つ侯爵に、ようやく馬車へ足を向けたがハッと思いついたのか行き成り振り返ったエリフレーデは、今この時にルミエラに爆弾を落とした。
「そうだわルミエラ!貴女に預けておいたレイラのデヴュタント用の一揃い出しておいてね。
これだけ育ってれば体に当てるくらいはできますもの。
レイラの瞳に合わせた石が手に入ったものだから気が早いけど作ってしまって・・・ようやく日の目が見れるわね」
これが強烈な威力があったらしく、ルミエラはひきつけを起こしたかのように震え上がり侍女長は硬直している。
(新たな問題発生かしら。あの様子では相当な事ね)
二人の様子に目を奪われているレイラに、エリフレーデが突進してきた。
「あらあら忘れるところだったわ大変大変。
はい、これお土産よ。今度はどれくらいで開けられるかしらね」
いそいそとドレスの隠しから掌の大きさの何かをレイラの手に落とす。
「難しそうですわね。こんな形も初めてですわ。
鍵はなんですの?」
二人の間ではお決まりの符丁で、周囲の者からは注目を浴びたが、今更なのでレイラはサクッと無視をし手の中で転がしながら問うと、いたずらっぽく微笑みエリフレーデは答える。
「お歌よ。覚えているかしら?」
「勿論ですわ。でも・・・沢山あるから大変ですわね」
渡された物に気を取られ、ハッと気づけばエリフレーデは軽やかに身を翻し渋い顔の侯爵の下へ駆け戻っていた。
「キーワードはたった一つよ。
では行ってくるわね子猫ちゃん」
そう言い残すと、嵐の様な訪問者は席を温める間も無く車上の人となり、馬車は王都へと鞭を入れられ館を後にしていた。
ウチの親は毒親ではないし尊敬できるところもありますが、子供の気持ちには鈍感な人たちでした。
母は兄、対抗してか父は妹を盲愛していました。私は家政婦要員でしたが「将来お嫁に行くんだから困らないように、ね?」と言われても、料理洗濯をしろと言って何ひとつ教えないので独学するしかなかったと言う。
そんな両親揃って、父はアルツハイマーの入り口、母は脳梗塞3連ちゃんでボケております。
『俺の家族は嫁と子供だけ』と宣った長兄が、周囲の目に渋々介護の予行演習中。
あ~愚痴になっちゃったですね。ゴメンナサイ。この話は意外と私的にキツイかも。
読んで戴き感謝感激!