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暫くは貯め込んでおりますので貯金で賄おうと思いますが、多分息切れは早いのではないか・・・と
何か、自分の与り知らないところで何かが起こっている。これから起ころうとしている。
そんな予感めいたものが今パスカルを突き動かしていた。
学院での生徒会活動が忙しく、生徒会役員用の寮に生活拠点を変えてからもう数年たっている。
明日からの新学期、自身最終学年となる最後の新学期の準備で3カ月ほど実家に帰っていなかった。その間は兄弟と言えど就学時間中も滅多に妹たちと会うことはなかったから、正直レイラの変化や悪辣な噂は人伝えに聞いたものばかりだった。
それでも、身分的に遠慮のある階級や、実家の使用人たちまでがレイラの悪行を訴えて来るに至っては血の繋がった兄だけに証拠云々を言い出すことも儘ならず、又調べることもしなかった。
妹は変わってしまった。
可愛さ余って・・・という言葉があるが、正しく幼い頃から可愛がってきた妹の豹変ともいうべき悪評に、家族同様レイラ自身を責める言葉しか出なかった。
しかし、今日改めて直接妹と向き合ってみれば、言う事も行動も噂通りの高慢で悪辣な令嬢の姿は無かった。やや表情が乏しく平坦な口調だが、自分が見たままの現状をその理由を端的に答え兄を敬う態度にわざとらしい欺瞞は無かった。
何故か、『嘘』を言っているようには見えなかった。
それでは以前偶然見た妹の部屋の惨状も、侍女からの不当な扱いも、被害者は妹の方だったのか。
いや、首を振りながら思考する。
いや。貴族社会の厳粛な身分制度の中で、例え主がその名に値しない者だとしても下位の使用人があのような態度をとるものなのか。
正直有り得ない。どんなに酷い主でもあの侍女のような態度を取れば逆に侍女や侍女を預かる侍女長に責が行くのだ。そんな不義を父も認めない筈だ。それは特異な事ではない他家でもそうだった。あってはならない事柄だから。
そういう面から見れば、物言わず耐えているように見えるレイラは本当に噂の通りの行動をしているのか。
そもそも自分はその噂を誰から聞いたのだったか。
「パスカル様。
・・・・・レイラ様お出でになられました」
はっと気が付けばもう朝食用の食堂についていた。
扉前に控えるいつも何事があっても動じない侍従が、侍女を伴わないパスカルという滅多に見られないものを見て目を白黒させているのを感じ、レイラは視線を下げながらも(そうですわよね私もあなたの気持ちに同意いたしますわ)と相槌を打つ。相手からの返信は無くともレイラの自己満足の内であるので問題はない。筈だ。
勝手に盛り上がっている背後の妹の事は存在ごと忘れ、パスカルは慌てて居住まいを正し扉の前の侍従に合図を送る。
「遅かったな。なにをして・・レイラと一緒とは珍しいな。
席に着きなさい」
もう既に家長である父侯爵が席に着いていた。
時計を見れば10分前になっている。慌ててけれど優雅に自分の席にパスカルは向かった。横目にレイラが扉に近い末席に着くのを確認しながら。
父侯爵がいつにない息子の行動に不審の目を向けていたが、レイラを熱の無い目で見遣ると事無しとばかりに話し始めた。
「何があったかは食事の後に聞こう。
それでは祈りの前に今日の話を。
私は王城に、陛下よりお呼び出しがあったので伺候する。
ルミエラはレインの新しい家庭教師の選別の為に希望者との面談だったか?そうだな。
パスカルは学院の寮に戻るのだったか?今年も生徒会会長としてその役目を十全に果たすことを望んでいる。
セイラは学院の生徒会から声が掛かっているそうだな?今日はパスカルの馬車に同乗していくと良い。
レインは母の言う事をよく聞いてこれから来る先生とお話をする日だな?頑張りなさい。
これで全て言ったかな?
皆、侯爵家の人間として恥ずかしく無い行いをするように望む。
では、祈りを」
(長い。そして清々しいまでの無視っぷりが痺れますお父様)
レイラは、晩餐用の食堂の物より半分の大きさの食卓の端で大いに父親の愛情の偏りっぷりにツッコミが止まらなかった。
何故か今朝の挙動不審振りが不審な兄は家長席の右隣に座ると、しつこい視線をレイラに向けていたが、正面向かいの母に見咎められ居住まいを正している。
母の隣にはレイン。その隣には世話をする乳母が着席している。落ち着かない素振りのレイン以外からは気持ちのいいぐらい視線も向けられず、離されて末席に座るレイラ。
(もうお母様のお声も朧となりましたわ)
そして兄の横には双子の妹であるセイラが座っていた。
双子だけに同じ顔をした妹が、兄の横で年頃らしく華やかな笑顔でパスカルに挨拶をしている。
その様子に自分以外の家族が和やかに微笑み合っていた。
家族団欒の絵を見せつけられているような。
ちょっと気分が沈むような自爆思考で供された具の無いスープに匙を入れると、湯気の一筋も上がらないことにレイラのウンザリとした気持ちが追加されてしまう。
きっと自分以外のスープは温かくて具があるのだろうなあとは思うが、訴えても無視されるのが落ちだと口にはしない。
こんな時は一人遊びの妄想世界に入りながらも作法通りに優雅に食事をすることに集中することにするのだった。
「お兄さま。
今日はご一緒できるなんて、セイラはとっても嬉しいです。
あんまり学院でもお話することが出来なくて・・・寂しかったんですよ?」
甘い声がパスカルの隣辺りから聞こえてきた。
レイラは溜息を吐き、只管早くこの茶番劇が終わるようにと祈りながら、ジャムもバターも添えられていない硬い(三日前のだよねこれ?お父様達が食べてたパンの残りって?流石に無いよねこれ)パンを千切ってはスープでふやかし呑み込む作業を繰り返す。
レイラの事などお構いなしに予定調和の自分以外の家族団欒が始まった。
「わ、私も嬉しいよ。
中々話も出来ないでいたからね。最近学院では変わったことは無かった?」
レイラから無理やり意識を外され、パスカルはまるでセリフに詰まる若手俳優のように答えている。これもいつもに無い行動で、レイラは不審に頭を上げる。
そこで、自分と瓜二つの顔をした少女の姿が兄にしなだれかかるように話し掛けている姿を見た。
自分のすぐ近くで展開される食事時でなくとも無作法な行動を、何故か父は咎めない。
逆に微笑ましそうに見ている姿に、流石にレイラの身の内に怖気の様なものが奔った。
厳格な父がこのような姿を見せるなんて有り得ないと。まるで父の顔をした全くの他人を見るようで気持ちが悪かったのだ。
母も兄と妹のその様子を微笑みながら見ている。時折レインに話しかけては団欒の一コマを演じているのだ。
こうして離れた位置で見ているとどこか歪なその様に、それを異質だと思う自分に戸惑いを初めて覚えた。
自分を疎外するこの光景は見馴れた光景の筈なのだ。
なのに、まるでどこかから切り取ったものを無理やり張り付けたような違和感を感じた。
(なん・・だろう)
名前の無いそれをレイラは必死で見極めようとしていた。
「ねえ?お姉さまもそう思うわよね」
いきなり意識を引き戻され、まさか話を自分に振ってくるとは思わなかった妹に、レイラは咄嗟に反応できなかった。
僅かなその時間を妹の言葉を無視したと両親の顔に険が奔る。
(ええええ?こんなの誤差にもならないよねえ?)
「レイラ!セイラがお前の様な者にも気に掛けているというのに、無視をするとは!
そんな性根だから人心を得ることが出来ぬのだ!
侯爵家の人間として恥ずかしい行いばかりするお前のような者がなぜ生まれてしまったのか」
(ああ、また始まった)
うっかりから急展開する父からの叱責は弁解など許されない。始まったら父の気の済むまで拝聴しなければならなかった。
そうくれば母が悲壮な顔をして父に縋る。
決して娘の援護ではない。
「申し訳ありません旦那様。私の育て方が悪かったのです。
兄のパトリックは優秀な侯爵家の血を継いでおります。双子だというのに妹のセイラも王国の英雄と呼ばれた我が実母の再来との声も上がる功績を持っています。
弟のレインは我が侯爵家にして最大の魔力を有しておりその将来を嘱望されているというのに・・・
どうしてこの子だけこうなのか」
(・・・それは私が一番知りたいことなのですよお母様)
悔しそうに手を握り締める母の指先は真っ白になっている。心からそう思っているのだろう。その事に思うところのあるレイラの心は沈んだ。
結局は自分は悪くない。侯爵の妻として素晴らしい結果(レイラ以外の兄弟たちの功績)を齎した自身の保身と、瑕である娘への八つ当たりの他ならないのだが、抗弁する力はレイラには無い。
そしてコンボのように妹が続くのだろうとレイラは予測する。
「お父様そんなにお怒りにならないで?
お母様もよ。そんなにしたら爪が傷んでしまいますわ。
レイラ姉さまも申し訳ないと思っておいでですわ。それに、この国でお姉さまの環境はとてもお辛い事だと思います。
せめてこの国ほど魔力尊重の国柄でなければお姉さまだって楽に生きて行けると思うのに・・・」
セイラの大きな瞳から零れ落ちそうな涙を見て、両親は慌ててセイラを宥める。
(訳:迷惑にならない他国へ行って下さい。という事かな?)
「なんて優しい娘だろう。
自分の能力や家格に奢ることなく人々からも愛される。お前の心根の半分でもレイラが持ち得たら、魔力の無い人間であっても私たちは家族なのだから支え合えるというのに」
(お父様・・・)
「本当に、双子であるお前の人気に嫉妬して意地悪をしたとも聞いていますよ。
それなのにそんな不出来な姉をかばうなんて!」
「何!そんなことがあったのか!聞いておらんぞ!!」
(うわあ、最悪な冤罪が来た。意地悪って私が?セイラを?物理的に無理ですわお父様)
いきり立ち席を蹴立てる当主を妹が宥めすかす姿にほっと息を吐くが、難は不運なレイラを見逃すはずが無かった。
母は自分が火を点けておいて知らぬ顔で席に着いていた。
(それは無いですわお母様・・・)
当主が顔から火を噴かんばかりに怒鳴りつける。
「レイラ食事を止めて部屋へ戻れ!私が良いと言うまで食事抜きだ!」
(それで良いというの忘れて3日間の断食再び?私の胸が育たない理由はこれですわね)
内心を押し殺し完璧な礼を父に奉げレイラは食堂を後にする。その様がまた完璧が過ぎて機械的なものに映り当主の怒りを刺激する。
家族の異分子であるレイラが退出したというのに食堂は荒れ、セイラが根気よく宥めて場は沈静する。
だが、日常化したその結末に、ただ一人腑に落ちない顔をしている者がいた。
長子のパスカルだった。
いつもであったら父と同じく妹に厳しく注意をしていたパスカルが、その流れにも加わらずその光景を見ながらもずっと考え事をしている事だった。
ただ父や母の姿とレイラを見比べては何かを探すように視線を彷徨わせては頭を振っている。
考え事をしていたからこその行動だったのかもしれないが、パスカルの視線は扉の向こうに消えても尚レイラの上にあった。
そしてそんなパスカルの様子を二対の瞳が見ていることに誰も気付く者はいなかった。
「お館様」
筆頭執事が空気を乱さない所作で当主に耳打ちする。
その内容に真っ赤になっていた当主の顔が見る見るうちに真っ青になる。
父のその様子に残された兄と妹は何事かあったかと視線を集中させる。
母もまた不安げにその夫を見ていた。
「旦那様。何事でしょうか?」
素早く用意されたクリスタルの中の水をぐいと飲み、当主が声を絞り出した。
「客が来る」
侯爵家の当主として微塵も揺るがない自信にあふれた男の瞳には、今はっきりと困惑の中に畏れの色が浮かんでいるのが見えた。パスカルは咄嗟に母を見るが母に覚えは無いようだ。
『誰』なのか。
「エリフレーデ・ハリュース一代公爵閣下だ」
その名の持つ破壊力にに母の顔色も変わっていた。
勿論この場の誰もがその名に覚えがある。
何故ならその人物は、侯爵の義母であり侯爵夫人の実の母親であり兄弟達の外祖母であったからだ。
「おばあ様?
ぼくははじめてね?
おあいできるの?」
大人しくしていたレインが生まれてから一度も会うことが無かった外祖母の名に喜びの声を上げる。
何故か沈静してしまった食堂の空気の中、凍り付いた両親と事情を知らないが察している兄たちと、知らないレインの間の温度差は異常なほど開いていた。
明らかに彼の人は『招かざる客』であるようだった。
兄さんは何かを感じ取っているがそれが何かは分からない。弟は天使のままでいて欲しいが・・・保証はできない。取り敢えず・・・待て次話!!
読んでいただき感謝感激!