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主人公は可成り後にご登場になります。根がまじめな最強な〇〇〇です。
少しでも楽しんでください。
目覚めは窓辺に降り立った小鳥の囀りに起こされたからのようだった。
目立たないところが解れて羽毛が抜けた上掛けを捲くり、レイラは重い頭を枕から引き離した。
今日も眠れなかった。
身体の節々は強張りしっかりと解さなければ身を起こすことも出来ない。覚えのあるこの感覚にレイラは溜息を吐くことしかできない。
渋々寝心地が良い訳でもない寝台から足を下し、使用人が来なくなって久しい洗面ルームへと足を運ぶ。
石鹸が切れたことやタオルが補充されていないことを伝えても、返事だけは良くてもすぐに補充されることのない小部屋で、高位貴族の娘であるにも拘らず自身で身支度を整える。いる筈の部屋付きの侍女は顔さえ覚えていなかった。
『侍女を些細なことでいじめているらしいな!』
先日父親から呼び出され叱責を受けたが、顔も出さない侍女をどうやっていじめることができるのだろうか?父親の背後で震えて泣いている彼女がそうだというのならば、彼女こそ自分の顔を覚えているのだろうかと首を傾げたくなる。
元よりこの屋敷の使用人は父親である侯爵が雇用している者たちなので、自分の使用人ではない。 だからこそ無下に扱った事など無く、第一部屋にも来ないのだからどうしようがあるというのだろうか。
そんなことをつらつら考えていると、態度が悪いと叱られる。
そのあとは夕食を抜かれ、空腹を抱えながら就寝したのだが、遠目で見れば立派な寝台も疲れた心身を癒すものではなく、今にも板が抜けそうな寝台に長く替えられていないシルクモドキの綿の敷布やくたびれた上掛けは少々匂っている。本当に見た目だけならば絹とレースでできた美麗なものだったが・・・
身支度は軽く化粧を施してから衣装へと進む。
勿論髪を結う侍女も衣装を選ぶ侍女もいない。
一度その様を偶然見知った兄は怪訝な顔をしつつも厳めしくレイラを窘めたものだ。
『下位の者と見下し無体なことをするから人心が離れるのだ。心しなさい』
(人心って人っ子一人居ないのに始めからありませんが?)
どんなにか言い返したかったが、父親同様兄も人の言う事など聞かない人種だから、はいとだけ答えるとムッとした顔をして出て行ってしまう。
こんな調子でレイラの環境は成人未満の低位貴族子女でなくともとても辛いものだと言える。
それでも侯爵家令嬢としての威厳を保つために精一杯背筋を伸ばし頭を上げ続けてきた。
卑屈になることは許されない。
王族の婚約者候補としても周囲から見られている事。それもある。
何より、この国でこの国の貴族令嬢として致命的な瑕疵のあるレイラにはそうすることしかできなかったのだ。
レイラの致命的な瑕疵。それは魔力が全く無いという事だった。
王族との婚約も、レイラの家の家格からすれば王太子に最も近いとされる第1王子であってもおかしくないのに、魔力が無いというだけで王位継承の低い第3王子なのだ。
学問という面では通っている学園内では首位を逃したことはない。
だが、魔力を持ち教育機関でそれを制御し使役する術を学び修めてこそ、この国の貴族としての存在意義があった。
初代国王にして英雄王エンドゥルスは双つ名を魔導王と呼ばれていた。
仕えていた王が様々な国難から逃避し民を虐げ続けたため国が荒れた。荒廃が止まらず日に日に儚くなってゆく無辜の民の為に起った彼は、騎士としての能力は勿論、魔導士の家系ゆえの知識や膨大な魔力を用いた人外ともいえる破竹の突破力で、王の護りを次々に討ち果たして行く。
力尽きた王から王権を譲られ、エンドゥルスは新しい国ヴェスラード王国を興した。
この興国の縁起から、この国では彼の血を継ぐ王家より分かたれてゆく貴族階級の者は多かれ少なかれ魔力を持ち生まれる。それが貴族の証とさえ言われることとなった。
故にこの国では年代を経てゆく毎に、魔力を持たない者は『無能者』として扱われてゆくようになったのだ。
レイラの家は侯爵家になる。公爵ではないが王国の礎となった4騎士が王族に続く『4侯』の名のもとに、最高位貴族として連綿とその家系図に刻まれている。それ故に4候家には王家の血が何度も迎え入れられており、その縁は大いに濃い。実際侯爵家に連なる者は濃い魔力と高い能力を持ち得ている。
父であるバルカス侯爵は天候すら支配できる能力がある。レイラの兄弟従兄弟達も各分野に秀でており、国の中枢からも特別視されている家であった。
その侯爵家で『無能者』である存在がどうなるのか。火を見るより明らかだと言っておこう。
この家ではレイラを省みる者は誰もいない。
両親と兄弟は元より使用人たちでさえ前述の通りだった。
けれど、レイラの中では生まれて以来のこの扱いを、何故だかそうではないと思う自分がいた。
何故なのかはっきりしない記憶の中では、魔力を持った幼い自分の拙い制御力を調整してくれたまだ幼い兄の姿や、その姿を微笑まし気に見つめている両親の姿が在った。
敬い笑顔で使えてくれた使用人たちに大きな体を揺すりながら追いかけて来る乳母の姿が・・・そういえば乳母のミラはどうしたのだったか。
いつもそこまで考えていると靄のようなものが頭を満たし、考えをまとめることが出来なくなる。
今日もまた日が昇りいつもの一日が始まる。じっと立っていることさえ辛い事もあるが、もう既にそれは日常と化しており日々心の中でツッコミを入れることで心の平安を保つ技も見出している。
この時まで、レイラにはいつもの朝だった。
嫌々なのが丸判りの態度で侍女が朝食の時間を告げてくる。
それまでには身支度を済ませ立ち去る前に出てくるレイラを見ると、フンとばかりに踵を返し足早に立ち去る若い侍女に、(食堂まで先導するのまでがあなたの役目なのでは?)と早速ツッコミながら慌てず作法通りに食堂に向かう。
暫く行けば長い廊下の先では護衛と専属の侍女に先導された兄パスカルの姿と、専属の乳母に手を引かれる弟レインの姿が見えた。やや速度を落とし彼等の後に続くレイラに最初に気が付いたのはレインだった。
「姉さま?」
陶器のような肌を持ち柔らかい金髪の巻き毛の少年はもう5つになっただろうか。極端に接触を制限されている(いじめられるかもしれないだって!)ので、滅多に近付くことはないが何故だか彼からは親愛の感情が見受けられた。正直嬉しいレイラだったが他の家族の手前それを表現することは叶わない。
まだ幼いこともあるが、父や兄をも超えるという魔力を持つ弟が、姉であるレイラに親しみを感じていることを問題視する当主の采配で喋ることも儘ならない筈なのだ。
「レイラ?」
自分の後から歩いていた弟の言葉に憮然とした表情のパスカルが振り向く。
レイラを認め眉間に皺を寄せるが、何か考えるような仕草をするとじきにいつもの嫌悪の表情を取り戻しレイラに叱咤の言葉を向ける。
「レインと接触することは父上から許されていないだろう。何故此処にいるのだ。
お前の侍女は何をしている!」
侯爵家では本来こういった場面を想起し侍女が先導する申し送りが成されているのだが、若い侍女は問題を軽視して怠っていた。レイラのせいではない。
レイラも彼らを見た時不味いと思ったのだが、どうしようもない。
だが、ここからはまた呆れるような展開が待っていた。
「レイラ付きの侍女を呼べ!」
広い廊下ではあるが部屋ではなく廊下だ、人目もあるはずだが次期当主であるパスカルの命令に、真相を知っていて平然とした態度で控えていた兄の侍女の一人が(兄には2人の侍女が付き従っているの!)飛び上がるように直立して拝命し、足早に去って行った。
「も、申し訳ありません!
レイラさまが先導などいらないと・・・」
(はい!これ冤罪)
先輩侍女である兄の侍女に引き連れられた自分の侍女らしい若い侍女の第一声だ。
しおらしく上目遣いでパスカルに訴える侍女(これもいかがなものなのか?)に、諦めの境地で無言を通すレイラをパスカルは苛立たし気に見下ろす。
朝っぱらから騒ぎを起こす不肖の妹に我慢も限界だとばかりに通告する。
「まだ当主ではない私に決定権はない。
このことは食後に父にお伝えするからそのつもりでいなさい。
それから、お前付きの侍女は替えていただくように進言するぞ」
パスカルがレイラに厳しい口調で告げている間、兄付きの侍女、呼び出されたレイラ付き(らしいよ)侍女とレインの侍女と乳母は腰を屈め頭を下げて聞いていたが、パスカルの最後の言葉に見事に全員が揃えて顔を上げた。
特にレイラの侍女は信じられないことを聞いたかのように驚いた顔を隠さずに固まっている。
「レイラに貴族女性としての『配慮』が足りないとしても、侍女であるお前を雇っているのは父である侯爵だ。
その侯爵からレイラとレインを接触させないようにという指示が出ているのだから、お前はその指示を全うさせなければならない筈だろう。
ミナ、この侍女は何処に居た?」
厳しい表情のままパスカルは呼びに行っていた侍女に問う。
戸惑うミナと呼ばれた侍女は同輩たちを見遣るが、皆目を逸らす。
仕方なくそのままをミナは告げる。
「食堂脇の使用人控室でございます。若様」
震える声を何とか誤魔化しながらも、主であるパスカルの怒りが何に起因するのか探っているようでもあった。
「そこで何をしていたのだお前は」
直接尋ねられた侍女は声も出せずに硬直している。
「何をしていた」
再び自分に話が向けられ、ミナはもう正直に答えるしかなかった。
「同僚の侍女ととおしゃべりをしながら食事をしておりました。
こ、これは給仕をする前に手の空いた者から軽食を取り、各自が持ち場に就く前に決められた行動になります。
当家では朝食の前にお館様のお話がありますので、そのように定められておりまして
「もういい。
それは、レイラを食堂まで誘導という仕事を終えてからの話だろう。
妹に問題の多いことは承知している。
だが、これは当主である父上の指示を軽んじた行動だ。
当家の侍女であるからには縁者の保証付きのそれなりの家の娘であろうが、行儀見習い以前の問題だ。これでは他所で迷惑を掛けることになるやもしれん。勿論当家にも傷がつく。
後でこの者の関係者と共に父上の書斎までくるように」
青褪めて固まっていた侍女は最後の言葉にわっと声を上げて泣き出した。
慌ててパスカルの侍女二人に支えられこの場を退場させられてゆく侍女に、パスカルは頭痛がするのか、頭を振っている。
そして、まだレインがこの場に残っているのを思い出し、彼の乳母たちに先へ進むように指示をする。レインは小さくレイラに手を振ると大人しく食堂へと向かっていった。
(どうしよううちの弟可愛いのですけれど!)
残されたのは、空気のようだったパスカルの護衛の青年と、交わることのない兄と妹。
「騒ぎはいつもお前から始まる・・・何とかしようと思わないのか?」
(おおう。初めて訊いて下さった)
些か軽い感動を覚えながら、忌憚なくレイラは答えることにした。
「あの侍女の名前どころか顔も良く知りませんし、指示をしようにも部屋に参りませんから」
表情にやや乏しい妹の端的な返事に、妹の傲慢ゆえの発言かとひくりと蟀谷が攣ったパスカルだったが、今日は何故だか妹の『言葉』を聞いてみたくなった。
「それは、お前が上位者としての威厳も無く、無茶や無理強いをするからだろう」
何十回と言われた『理由』に、レイラは溜息しか出ない。しかしこの朝の兄は何故だか視線で更に追及してくる。
「部屋に来ず、部屋の掃除や身支度にも来ず、朝食になったらノックをして部屋の外で朝食ですよと声を上げるだけ。ドアが開く前に居なくなっている人間の顔をどうやって覚えればよいのでしょうか」
妹の思ってもいない言葉にパスカルははくはくと口を開けるしかなかった。
思い返せば気付いた時には妹は一人だった。
魔力を持たないことが知れ渡り、将来的にも立場的にも妹は居場所を無くした。
それでも、彼女は勉学や礼儀作法、社交術など最上級のお墨付きを戴くほどの努力はしていたのだ。家族である自分たちも彼女を愛しいと思う以上にこれからの行く末を心配し支えてきたのだ。
それなのにここ数年の彼女の言動は、その噂が彼女自身は元より侯爵家として看過できない程に悪化していた。
館の使用人からも苦情が出始め、今はもう家族の中でも嫌厭されるまでになっていた。
それでも、侯爵家の娘が使用人である者からこのような屈辱的な態度を取られることは家の威信にも関わるのだ。だが、それら全てが妹自身の不徳の顕れと言うのには奇妙に過ぎた。
「部屋にも来ない者をいじめることなどできませんわ」
考え込むパスカルにそれだけ言うと、「お父様が待っておられます」とパスカルに時間を促した。
はっとパスカルが頭を上げる頃には兄に一礼したレイラがしずしずと歩みを再開し始めていた。
兄に先行するわけにはいかないという妹の配慮を感じ、パスカルは急ぎ足でレイラを追い抜いて先を行く。
(はああ。緊張した。今日のお兄様少し変だけど怒られないだけマシよね)
やや足取りの軽い妹に気付かず、パスカルは食堂へと急いでいた。
どーなるか見切り出航な船出ですが、前書きでも書いておりましたように少しでもお楽しみいただければ幸いです。
読んでいただき感謝感激。