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「ぼくの出来る事」

 まさとの為に出来る事……ジルは考えた。

 操に言われたメニューを思い出しながら「家事」を思い浮かべる。

 掃除……簡単に終わってしまうくらいにまさとの部屋は物がない。

 洗濯……は、洗濯機がやってくれる。

 料理……操の料理を見たけれど、ジルはとてもマネ出来なかった。


 まさとが研究所から出てくるとジルの声がした。

「まさとさーん」

「ジル?」

「こっちですよ~」

「ジル……どうして?」

「えへへ、毎日じじうさのお見舞いに来てますよ」

 ジルが嬉しそうな顔をして言うのに、まさとも笑みを浮かべると、

「係長だもんな~」

 まさとはジルの後に立っている女の子に目がいった。

 一人はよくコンビニにやって来るおさげの女の子・あっちゃん。

 もう一人はたまにコンビニにやって来る長い黒髪の娘だった。

 まさとはそんな二人に目をやっていると、

「こっちがあっちゃんで、こっちが操ちゃんです~」

「こんにちは」

 二人が一緒に挨拶するのにまさとは手をヒラヒラさせながら、

「いつもジルがお世話になってます」

 まさとの言葉に晶子の方はニコニコし、操の方は会釈した。

「じゃ、私、長崎先生の所に用があるから……」

「また明日~」

 操は黒髪をなびかせながら行ってしまった。

 まさとはそんな操を見ながらびっくりした顔をして、

「すげー娘だな……」

「操ちゃんですか?」

「ああ、あんな娘、めったにいないぞ」

 ジルと晶子はまさとを見上げて首を傾げた。

 そんな二人のしぐさにまさとは目を丸くして、

「絵に描いたようなかわいい娘」

「ですよね、ぼくもそう思います!」

 ジルとまさとが話しているのを、晶子は黙って見守っていたが、

「あの……晶子はどうなの?」

「さて、行くか……」

 まさとはサッと顔を背け、ジルは晶子を見て動けなくなっていた。

「何、晶子は女の子らしくないの!」

 晶子が膨らんで拳を振り上げるのに、ジルは笑いながらまさとの後に続いた。

「何か食べて行くか?」

 校門から研究所や大学の校舎まで続く並木道。

 まさとが言うと、ジルは晶子を見ながら、

「ぼくはあっちゃんに用があるから、先に帰ります~」

「そうか……バス代とか持ってるか?」

 ジルと晶子が引きつった笑みを浮かべるのに、まさとはあきれた顔をして財布から小銭を出した。

「西徹でもこれだけあれば大丈夫だろ?」

「えへへ、福祉バスなら余っちゃいますよ!」

「小遣いにしていいよ」

「わーい!」

 ジルは小銭を握りしめると飛び跳ねて喜んだ。

「じゃ、あっちゃんよろしくね」

「はーい!」

 そして二人は踵を返すと行ってしまった。

 まさとはジルのブロンドと、晶子のおさげを見送りながら唇を歪ませた。

「ジル、あっちゃんが好きなのかな??」

 行ってしまう二人の後ろ姿は仲が良さそうに見えた。

「操ちゃんじゃないのか……」

 まさとは黒髪の女の子を思い出しながら眉をひそめた。


 佐賀荘202号室。

 ジルはクロウを抱いてご満悦だった。

「クーちゃんかわいいですね~」

 しかし抱かれているクロウの目は嫌そうだった。

 晶子はそんなジルにお茶と食パンの耳を揚げたお菓子を出しながら、

「料理っても、ジルはこの間、豆腐も切れなかったよね」

「えー、ちゃんと切ってましたよ!」

「え、ウソ!」

「本当です、ちゃんと切ってました!」

 晶子は眉をひそめ、この間の調理実習の時の事を思い出していた。

「だってジル、指切ってたじゃ……」

「でも、豆腐ちゃんと切れました」

「あはは……」

 膨れるジルに晶子は、

「揚げはどうだった?」

「ちゃんと切れました!」

「晶子が言ってるのは、指を切ったりしなかったかって事!」

「う……」

 晶子はジルの手をつかまえた。

 その指先はまだ傷跡が残っていた。

「そ、それは豆腐の時の傷で……」

「豆腐切る時に指切ってるじゃん!」

「いや、それはドッチの時に転んで手をついて……」

 ジルの言い訳に晶子は深い深いため息をついた。

「晶子前から思ってたんだけど……」

 いじけてお菓子をクロウにやっているジルを見て、晶子のチョップがジルの頭に命中した。

「晶子前から思ってたんだけど……」

「ふえ?」

「ジルってすごく鈍くない?」

「うっ……」

「ドッチでもよく転ぶし……」

「……」

「飼育係りも一生懸命だけど遅いし」

「飼育係りは思いっきりすごいんですよ!」

 反論するジルに晶子はあきれた顔をして、

「ジル、ウサギと遊んでるだけじゃん」

「うっ……」

「ノートをとるのも遅いよね」

「……」

「階段上がるのも遅いし」

「そ、そんなに言わなくても……」

「給食も遅い」

「給食はあっちゃんが早すぎるんです!」

 ジルに言われて晶子は笑ってごまかすと、

「まぁ、そんなどんくさいジルでも出来る料理ってわけだよね」

「どんくさい……」

 ジルはムッとしながらクロウを抱きしめた。

 むくれているジルに見向きもしないで晶子は台所に行くと、袋ラーメンを持って戻って来た。

「これ、これならどう?」

「ラーメンですか?」

「うん」

 ジルは晶子から袋ラーメンのパッケージを受け取ると、

「カップメンのカップ無しバージョンですか?」

「まぁ、そんなところかな?」

 ジルはパッケージの調理方を見ながら、

「これでいいなら、ぼくでも出来ますよ~」

「じゃ、早速やってみようか?」

 晶子が見つめるのにジルは頷いた。


 ジルは台所を借りると、まず鍋に湯を沸かし始めた。

 その間晶子はクロウを抱いてジルの料理を眺めていた。

「あっちゃん、何も教えてくれないの?」

「カップメンって言ったくらいだから楽勝でしょ?」

「うーん」

 ジルは袋から麺とスープを出して不安になっていた。

 調理方を見ながら、一応その通りに作ってジルはがっくりと肩を落していた。

 どんぶりに出来上がったラーメンはパッケージのそれとは全然違っていた。

「出来ましたよ……」

 しょぼんとして言うジルに、晶子はラーメンを見ながら頷いた。

「まぁ、こんなもんだよ」

「こんなもんって……」

 晶子は早速ジルのラーメンを試食し、明るい顔をして、

「あ、ちゃんと食べれる、おいしいよ、これ!」

「……」

 晶子は本気で言っていたけれど、ジルはふてくされて、

「このラーメンはインチキです」

「は?」

「完成図はこんななのに、麺とスープとねぎが浮いてるだけです!」

 ジルがパッケージを見せながら怒っているのに、晶子はその完成図の隅に書かれた「調理例」の字を指差した。

「裏面にも『お好みに合わせて』って書いてあるよね」

「ふえ、本当です~」

「だから、お好みに合わせてトッピングするんだよ」

「ふえ~」

 ジルが感心するのに、晶子は冷蔵庫を見ながら、

「包丁使わないで作れるの……だよね」

 晶子の言葉にジルは苦笑いしながら、

「ぼくは何を……」

 台所をくるくると動く晶子に見とれながら、ジルは何も出来ないでいた。

 モジモジしているジルの前で、晶子は手際よく調理を続けた。

 レンジに皿を入れたり、鍋をかき回したり、ジルは覚えるどころではなかった。

 そしていつのまにか麺が出来上がり、レンジからコーンが出てきて、オーブントースターから焼いたハムが出てきた。

 晶子は鼻歌まじりで海苔を入れてラーメンは完成した。

「ほら、こんなのでどうかな??」

「ふえ、あっちゃんすごい!」

「どう、ちょっとは晶子の事、見直した?」

「あっちゃん料理人みたいです」

 晶子がどんぶりを居間のテーブルに持って行くと、

「今の、見てた?」

「ええ、ちゃんと見てましたよ~」

 ジルは笑顔で言ったが、晶子の笑顔はどことなくぎこちなかった。

「本当に?」

「……」

 ジルが愛想笑いを浮かべるのに晶子はため息をつくと、ジルに箸を渡して、

「一応全然包丁使わないで作ったんだよ」

「ふええ……そういえばコーンもレンジだったしハムもオーブントースターです」

「これならジルでも出来るんじゃない」

 ジルは箸を手に晶子の目を見た。

 晶子が頷くのを見てジルは早速ラーメンをすすった。

「ラーメンもおいしいです」

「まぁ、明日から練習して、すぐに出来るんじゃないかな?」

「師匠、よろしくお願いします……でも」

「うん?」

「でも、包丁の使い方も、やっぱり教えて欲しいなぁ~」

 ジルの言葉に晶子は視線を泳がせると、

「そうだね、包丁使えたり炒めもの出来たら、レパートリー増えるしね」

 晶子が言うのを見ながら、ジルは箸を握る手が止っていた。

「どうしたの?ジル?」

「ううん……何かあっちゃんがすごく女の子らしく見えました」

 晶子はジルをにらんで、

「ジル、泣かされたいの?」


 まさとが仕事から帰ると、いつも通りジルが出迎えてくれた。

「ただいま~」

「おかえりなさい~」

 いつもジルがロボット犬を抱いて出て来るのを、まさとは頭を撫でてやっていた。

「ごはん、すぐに作るからな」

「はーい」

「今日はケーキもあるし」

「やったあ!」

 喜ぶジルの顔を見てまさとも笑みを浮かべた。

 まさとの作る料理は、コンビニ弁当の温め直しだった。

 捨て弁や期限切れのを持って帰って、皿に並べて温め直すだけだ。

 まさとはレンジが鳴るのを聞いて料理をダイニングのテーブルに並べると、それをじっとジルが眺めていた。

「どうした?」

「まさとさんは、いつもお弁当を温め直してるだけなんですね?」

「うん、そうだけど……」

 ジルがニヤニヤするのにまさとは目を丸くして、

「長崎先生はどうだったんだ?」

 ジルは晶子に料理の特訓を受けてる事でニヤニヤしているのに、長崎の名前に一瞬パニックになった。

 ロボット犬を抱きしめて唸りはじめるジルは、ゆっくりと、

「ぼくは三つの部屋でずっと過ごしていたから……」

「三つの部屋?」

「ですです、大きな部屋でテレビを見て、遊んで、寝て」

「……」

「もう一つが食事で、もう一つがお風呂でした」

「ふーん……じゃあ、先生が料理するの見た事ないな」

「です~」

 ジルはコンビニ弁当の容器を手にして、

「でも、いつもこんな感じの……色は白のに盛って来ましたよ」

「コンビニ弁当だったのかな?」

「いいえ、味は……学校の給食にそっくりでした」

 まさとはそれを聞いて研究所時代を思い出した。

 研究所に詰めている時、まさとも白いトレイの食事を何度も口にしていた。

「これの白いの?」

「ええ、そうです~」

 まさとはその味を思い出しながら、すぐ側にある大学の学食の味と重ね合わせようとしていた。

 しかしまさとの記憶では、研究所で出る食事の味は学食のそれとは違っていた。

「あれ、誰が作ってるのかな……」

「ですね~」

「ともかく……弁当温め直すだけ……ダメか?」

「いいえ、おいしいですよ~」

 ジルは手を合わせると、早速箸を動かし始めた。

 まさとは嬉しそうに食べているジルを見ながら、研究所に出ている食事の事を思い浮かべていた。

 そんな考え事をしながら、まさとは黙々と食べるジルを見て、

「ジル……」

「?」

 まさとはジルの腕を掴み、引き寄せた。

 ジルは箸をしっかり握っていたが、箸を取り上げると指を開いた。

 五本の指のどれもに切ったような傷があった。

「ジル……どうしたんだ?」

「ふえ」

「怪我」

 まさとがちょっとこわい顔で言うのに、ジルは視線を泳がせて、

「これはドッチの怪我です~」

 言ってまさとの腕を振り払った。

「ドッチの怪我って」

 ジルはまさとがにらむのに膨れると、

「子供の世界の事です!」

「って……どう見ても切ったような」

「ほっといてください」

 プイとそっぽをむいてしまうジルに、まさとはそれ以上追求しなかたった。

 ただ、まさとの脳裏には、おさげの女の子の顔が思い浮かんでいた。


 ジルの特訓が始まって一週間目。

「よーし、では、今日出来たら免許皆伝!」

「うん!」

 晶子の目の前でジルはガッツポーズ。

 今日のジルの目は気合がこもっていた。

 晶子はそんなジルを見て頷くと、居間に目をやって時計を確かめた。

「状況にあわせて料理を作る事、制限時間は十分」

「わかった」

「晶子、おいしいの待ってるね」

 言うと、晶子はクロウを抱いて居間に引っ込んでしまった。

 ジルは拳を固め、自ら気合を入れた。

「よし!頑張るぞ!」

 そう小さな声で言うと、冷蔵庫を開けた。

 フリーザーには冷凍食品も何もない。

 冷蔵庫にはハムと野菜に卵。

 ジルは居間でテレビを見ている晶子の背中をにらんだ。

(昨日は冷蔵庫に材料あったのに……)

「昨日全部食べちゃったんだよ~」

 見向きもしないで晶子が言うのに、ジルは愛想笑いして、ともかく野菜とハムを手にしていた。

「な、何も言ってないよ、あっちゃん~」

「ならいいけど」

 晶子は居間にゴロンと横になると、テレビの方にリモコンを向けた。

 ジルは水屋を見て袋ラーメンを取ると、早速台所に立った。

 鍋に水を入れてコンロに掛けた。

 まな板を出すとハムを切り、野菜も切った。

 ジルはかつて習った中で一番苦手に思えた野菜炒めラーメンに挑戦していた。

 洗った野菜の水分をタオルで吸い取り、フライパンをコンロにのせた。

 油を滴らして煙が出るようになるまでの短い間、ジルは改めて冷蔵庫の中を見て唇を噛んだ。

(何もないです~)

 ジルはパックに入った生しいたけにニンジンを見て、結局それも入れる事にした。

(ぼくはしいたけ、ふにゃっとして嫌いです~)

 しいたけ・ニンジンを洗いながら、

(でもでも、ニンジンはそんなに嫌いじゃないですよ)

 ジルはしいたけを刻み、ニンジンにも包丁を入れた。

 ここ数日、包丁は特訓していた。

 もう指を切るような事もなかった。

 ニンジンを繊切りにしてしまうと、ちょうどフライパンが温もったところだった。

 ジルは野菜や肉を入れる瞬間が、今だに恐かった。

 最初は水を切らないでやったから火傷をしたりした。

 でも、もう特訓を一週間受けているのだ。

 ジルは鍋フタを手に野菜を入れた。

 油の弾けるのも、弾ける音ももう恐くはなかった。

 落ち着いたところでジルはしゃもじを握るとフライパンを揺すった。

(もうぼくは昔のぼくじゃないんだ!)

 フライパンの中で踊る野菜やハムに、ジルの顔は真剣だった。


 野菜炒めラーメンを前に晶子は頷いていた。

「ジルくん、よく出来ました!」

「あっちゃんいじわるです~」

「何が?」

 晶子は箸を握ると、どんぶりの中を確かめた。

「昨日の練習の時は、冷蔵庫に何でも入ってました」

「そうだっけ?」

「ですよ~」

 ジルはクロウを抱き寄せると、その喉元を撫でながら、

「冷凍食品もあったし、ハムだって切ったのがありました」

「ジル、人の家の冷蔵庫よく見てるね」

 晶子はラーメンをすすり、野菜をつまんで口に運んだ。

 いつもとかわりない顔で食べ続ける晶子に、ジルは力なく笑うと、

「毎日特訓してるんです、ちゃんと見てますよ~」

「だね」

 晶子はラーメンを半分くらい食べたところで顔を上げた。

「でも、きっとジルは晶子の事を感謝すると思うよ」

「えー、そうかなぁ」

 ジルが疑わしい顔で言うのに見向きもしないで晶子はラストスパートに入った。

 どんぶりを持って汁をすすり、麺をかき込んだ。

 ゆっくりとどんぶりを置く晶子。

 テーブルに微かな音がするのに、ジルの目が晶子に注がれた。

「どうですか、師匠?」

「うん、おいしかったよ」

 晶子は微笑みながら箸をどんぶりに置いた。

 そしてゆっくりと晶子の手が伸びてきて、ジルの手首を捕まえた。

「ふえ?」

「今日は……大丈夫みたいね」

「何がですか?」

「包丁で切ってないかどうか」

 ジルは晶子が指先を見てるのに、

「あ、それ、まさとさんにもやられましたよ」

「大分のお兄ちゃんが?」

「何かにらまれました」

 晶子はジルの手を放すと、

「何て言ったの?」

「ドッチの怪我って言いました」

「本当の事、言えばいいのに」

 晶子の言葉にジルはムッとすると、

「本当の事って、あっちゃんの所で特訓してるのですか?」

「うん」

 ジルは目を大きく見開くと、

「そんなバカな事出来ません!」

「ど、どこがバカなの?」

「せっかくここまで秘密で特訓したんです、びっくりさせたいんです!」

「そ、そう……」

 ジルは怒った顔で晶子を見ながら、

「で、ラーメン、おいしかったです?」

「う、うん……ジルも上手になったね~」

 晶子が微笑むのを見て、ジルの顔もほころんだ。

「えへへ、あっちゃんが誉めてくれるなんて初めてです~」

「そうかな」

「でも、なんだかちょっと、料理の面白さがわかったような気がします」

「料理の面白さ?」

「あっちゃん見てて思いましたよ」

「晶子?」

「喜んでもらえると、すごく嬉しいです!」

 ジルが笑顔でそんな事を言うのに、晶子も頷いた。

「きっと大分のお兄ちゃんも喜んでくれるよ」

「うん、ぼく頑張りますよ!」


 まさとは長崎を前に深刻な表情で語り始めた。

「先生……俺、どうしていいか……」

「何?」

「ジルを毎日学校にやってます」

 長崎は聞きながらポットを引き寄せるとコーヒーを入れ始めた。

「毎日毎日、ジルは楽しそうに学校に行ってます」

「それで?」

「でも、毎日切り傷が絶えないんです」

「そう……」

 長崎はまさとの前にマグカップを置くと、ノートパソコンを出してジルのモニター画面を出した。

「ジルは楽しそうにしてるけど……心配で」

「ドッチでもやってるんじゃないの?」

「それは……ジルもそう言ってます」

「それくらい、子供の勲章みたいなもんよ」

 まさとはマグカップを手にすると、長崎をにらむようにして言った。

「でも、ジルの手の傷はすりむいたりした怪我じゃないんです」

「それはどんな?」

「刃物か何か……奇麗な傷なんです」

「ふうん」

 長崎はモニターを見ていたが、すぐにノートパソコンを畳んでしまった。

「モニターにはこれといって……」

「そうですか……」

「モニターじゃたいした事わかんないんだけどね」

「ともかく……ジルはウソをついてるみたいなんです」

「ジルが、ウソを?」

「ええ、で、もしかしたらいじめられたりしてないかな……って」

「いじめ……」

「ジル、金髪だし、眼鏡だし」

 心配そうな顔をするまさとに長崎は眉をひそめた。

「いじめだったら、モニターには出るのよ、ストレスでね」

「出てませんか?」

「過去の記録ならちょっとはあるけど……でも、問題ないレベルよ」

 まさとはコーヒーを一口飲んで、

「もしもいじめられてるとして……最悪な場合ですけど……」

「どうしたらいいのか……って?」

「ええ、そうです」

 長崎は言われて、改めてノートパソコンを開いてジルのデータを確認した。

 ストレスの値はどちらかといえば低いくらいで移行していた。

 長崎はいろいろな状況を考えながら、まさとに聞いた。

「いじめ……って大分くんが思うくらいなら、何か思い当たる事でも?」

 そんな言葉にまさとはすぐに頷いた。

「ジルは『あっちゃん』って女の子とつきあってるみたいなんです」

「……」

 それまでモニター画面を操作していた長崎の手が止った。

「大分くん、それは本当?」

「どうも……そうみたいなんです」

「あっちゃん……操ちゃんか響ちゃんじゃないの?」

「長崎先生は……三人を知ってるんですか?」

「うん、大分くんがここを辞めたのと入れ代わりかな、研究にいろいろと協力してもらってるのよ」

 長崎はちょっと考えるような顔をして、

「道理で何も教えてないのに、三人がジルの事ロボットって知ってるわけだ」

「あの娘らは、ジルがロボットなのを知ってるんですか?」

「うん、そうよ」

 厳しい目で見つめてくるまさとに長崎は愛想笑いを見せながら、

「あの娘達はそれでジルに嫌がらせしたりしないわよ」

「でも……」

「みんないい娘だから」

 長崎は言っておきながら不安そうな顔になって、

「確か……あっちゃんって言ってたわね」

「ええ、ジルはあっちゃんと一緒にいる事が多いみたいなんです」

「あっちゃんねぇ……」

 長崎は腕を組むと、

「多分……きっと、大丈夫よ」

 まさとはそんな長崎の表情を見て不安になっていた。


 夜、時計が九時を回るとジルは床についていた。

 水色のパジャマを着たジルはあくびをするとテレビの前を立った。

 まさとはそんなジルの手についつい目が行ってしまう。

 最近は指先の傷も治り、新しい傷は見当たらなかった。

「では、ぼくは寝ます~」

「ああ、おやすみ」

「おやすみなさい~」

「そうだ」

 ジルは眠そうにしていた目を大きく見開くと、部屋の隅に置かれていた鞄に飛びついて明日の準備にかかった。

 教科書を鞄に詰めると、今度は財布を出して中から百円玉を出した。

 まさとは毎日小遣いで百円をジルに与えていた。

 自分が小遣いを与えるなんて考えた事がなかったまさとは、最初いくら与えていいかわからないでいたが、とりあえず、百円を一日の小遣いにしていた。

 ジルはそんな小遣いを、毎日寝る前に貯金箱に入れるのだった。

 ブタの形をした貯金箱。

 ジルは毎日それに百円玉を入れ、揺すっては嬉しそうな顔をしていた。

「えへへ、溜りますね~」

「そうだな、ジルは貯金して何に使うんだ?」

「え?」

 まさとの言葉にジルの表情が凍った。

 動かなくなったジルを見てまさとが真顔になると、

「ジル……小遣い使った事ないのか?」

「お小遣いは使った事ありますよ……」

「何に?」

「バスに乗るのに使ったり……ノートを買うのに一度使いました」

「……」

 まさとは目の前でブタの貯金箱を持って目を丸くしているジルを見て唸った。

 ジルにとりあえず小遣いを与えているまさとだったが、ジルが必要な物は大抵まさとが与えていた。

 それに、ジルは研究所ではお金を使った事さえなかった筈だった。

「その、なんだ、何か欲しい物とかないのか?」

「ふえ……欲しいもの……ですか?」

 ジルはちょっと考えると、ブタの貯金箱を見ながら、

「ペットが欲しかったです……でも、今はロボットわんちゃんがいます」

 ジルはいつも寝る時、まさとのプレゼントしたロボット犬を枕元に置いていた。

「バスに乗るのにお金がいるのは、長崎先生から教わりました」

「そ、そうか……」

「でも、何か欲しいもの……うう……」

 考え込んでしまうジルにまさとは笑うと、

「いいって、もう、寝ろ」

「はーい」

 ジルは貯金箱を抱きしめて立ち上がると、

「欲しいものは、明日までに考えておきます」

「あ、ああ……」

 ジルは貯金箱をテレビの上に置くと、神妙な顔つきで床に入ってしまった。

 まさとはジルが貯金箱に百円玉を入れるのを思い出しながら、ジルが改めて普通の子供でないのを思い知ったような気になっていた。

 普通の子供なら、ゲームやお菓子で使ってしまうだろうと思った。

 それに今までジルが欲しがったモノといえばペットくらいなのだ。

 そしてまさとの心の中でもう一つ安心した事があった。

 ジルが貯金箱に入れている百円玉。

 毎朝ジルが学校に行く時、まさとがジルに与えている小遣いの金額だった。

 ジルが百円玉をそのまま貯金箱に入れているという事は、ジルがいじめられてお金を取られているわけではないという事だった。

「あっちゃん厳しいですね~」

 枕に頭を埋めているジル。

 そんなジルが寝言を言うのに、まさとはタイミングの良さでドキドキしていた。

「ジル……」

 まさとの脳裏でジルが晶子と話している姿が浮かび上がっていた。

「いじめられてないならいいけど……」

 ジルはそれからも寝言を言った。

 その度に「あっちゃん」と言うのに、まさとは心を揺り動かされた。


 放課後、ジルは晶子の家でクロウを抱いて暗い顔をしていた。

「問題って?」

「それなんですが……」

 晶子はパンの耳を揚げて砂糖をまぶしたのをジルに出しながら耳を傾けた。

「あっちゃんからごはんの炊き方からラーメンとカレーの作り方を習いました」

「それで?」

「家を見回したら、ジャーはありました」

「うん」

「でも、カレーとラーメンありませんでした」

「は?」

「カレーとラーメンはないんです!」

「……」

 ジルは晶子の出してくれたパンの耳を不思議そうな顔をして食べたが、一口食べただけで表情が変わり、パクパク食べ始めた。

「カレーとラーメンがないって?」

「え、ええ……どっちもないんです」

 ジルは食べるのを止めると、

「冷蔵庫の中はちょっと食べ物あります」

「冷蔵庫の中……」

「野菜とか、ハムとか卵とか、朝、パンを食べる時のです」

「ふうん……」

「でも、ぼくの家じゃラーメンはカップラーメンで、カレーはまさとさんが『捨て弁』っていってるのです」

 それを聞いて晶子は何度も頷いた。

「はいはい、大分のお兄ちゃん、コンビニ店長さんだからね」

「ですです、まさとさんはいつも『捨て弁』を持って帰って来て、それです」

 晶子はコップにペットボトルのお茶を注ぐと、

「うーん、晶子もお兄ちゃんが持って帰って来る捨て弁食べる事あるもんなぁ」

「おいしいですよね~」

「うん……でも、あれがあると、ごはん作らなくてもいいから……」

 晶子が言うのにジルの表情が曇った。

「作らなくていいから、家にはカレーもラーメンもないです」

「レトルトも?」

「ええ……それに、ぼくの家の下はコンビニ」

「買い置きしなくていいのか……一階がでっかい冷蔵庫みたいな」

「ですです~」

 晶子は一口お茶を飲むと、

「ラーメン、買えばいいじゃない」

「!!」

「お金、持ってないの?」

「お金……」

 ジルは財布から百円玉を出して、

「これで大丈夫でしょうか?」

「百円もあったら大丈夫だよ……コンビニじゃなくてマルキューで」

「マルキュー?」

「そう、コンビニ高いから、近所のスーパー……学校の近くにある」

 晶子が困った顔をしているのに、ジルは通学路を思い出しながら、

「あの、タコ焼き屋さんがある?」

 ジルはいつもいい匂いのするタコのオブジェの店を言った。

「そうそう、タコ焼き屋さんとクリーニング屋さん」

 通学路のマルキューにはタコ焼き屋とクリーニング屋のプレハブが駐車場の隅に建っていた。

「ジル、入った事ないの?」

「うん……」

 晶子は部屋の隅の新聞入れの棚に行って、一枚のチラシを持って来た。

 カラーのチラシをテーブルに置いて、ラーメンのパッケージを指差しながら、

「水曜日が二十九円でラーメンの日だよ」

「三つ買えます?」

「うーん、買えるけど、買えたらね」

「ふえ?」

「売り切れる時があるから……ね」

「なるほど……」

「でも、マルキュー安いから、普通に買っても二つは買えるから」

 ジルはテーブルの上のチラシをにらみながら、百円玉を握りしめていた。

「ぼく、お買い物した事ないです」

「一度晶子がつきあうよ」

 晶子は力なく笑った。


 まさとが研究所に顔を出した帰り、ばったりジルに会った。

「まさとさーん」

「ジル……」

 走って来たジルにまさとは微笑んだが、その後ろに晶子の姿を見て、すぐに表情が曇ってしまった。

(またこの娘だ……)

 まさとの気掛かりは、昨日ジルがブタ貯金しなかった事だった。

 正確にはいつも百円入れるところを十円玉や一円玉を入れたのだ。

(この娘がジルから……)

「まさとさん長崎先生のところです?」

「あ、ああ……うん、そう」

「ぼくはじじうさの世話です~」

 ニコニコ顔のジルを見ていると、晶子がいじめているのが想像出来なかった。

「あっちゃんは何もしないんですよ!」

 ジルが言うと、晶子はジルの頭をポカッと一撃。

「ジルだって抱いてばっかりでたいした事してないじゃない!」

「えへへ……」

 晶子の一撃がジルの頭を叩くのを見て、まさとは息を呑んでいた。

「じゃ、晶子先に帰るね」

 駆け出して、二人より先に行ってしまう晶子。

 おさげが揺れるのにジルが叫んだ。

「あっちゃん一緒に帰ろー!」

 晶子はそんなジルの言葉に振り返る事もなく、元気に手を振って並木道に小さくなっていった。

「ふえ、行っちゃいました~」

「あ、ああ……」

「あっちゃんは、ぼくの師匠ですよ~」

「師匠?」

「!!」

 ジルは言ってからしまったという顔をして口をつぐんだ。

 しかし、じっと見つめるまさとの視線に耐えられなくなって、

「えへへ、あっちゃんから料理を習っていたんですよ」

「え?」

「操ちゃんに相談したら、家事をするのがいいかな~って」

「家事……掃除・洗濯・料理?」

「ですです、掃除は……家は物がなくて散らかってないから簡単でした」

「そういえば……」

 まさとは最近ごみ袋を出した事がなかった。

 その日がくればジルが持って行ってくれたし、ごみ箱だっていつもスカスカだった。

 そしてジルが言うように、まさとの部屋はそれほど物がなかったりもした。

 洗濯物はいつの間にか洗濯機の中が空になっていたし、干してある洗濯物もいつの間にか……ちょっと変な感じで畳まれてタンスに入っていた。

「俺、最近何もやってないな……」

 まさとは料理とその後片付けくらいしか覚えがなかった。

 それも朝は簡単に作っても、夜はいつだってコンビニ弁当温め直しで、それで足りない時はカップメンだ。

「えへへ、あっちゃんから免許皆伝もらってるから、味もばっちりですよ~」

「……」

 まさとはジルの指の傷を思い出し頷いた。

 二人が歩いていると、スーパーマーケットが見えてきた。

「ちょっと待っててください!」

「うん?」

 ジルは駆け出すと、スーパー・マルキューに消えてしまった。

 まさとがちょうど店の前まで来ると同時に、ジルは白い袋を手に出てきた。

「何を買ったんだ?」

「袋ラーメンですよ」

 嬉しそうな顔で言うジルに、まさとも笑みを浮かべた。

(袋ラーメンなら大丈夫だよな)

 ジルが袋を振り回しながら前を歩いているのを、まさとは目を細めて見つめた。

 白いビニール袋が回ってるのを見ながら、まさとは小遣いの百円を思った。

(毎日使わなかったのは貯金させてるから……)

 ジルが袋ラーメンを買ったのは、ビニール越しでもよくわかった。

(ラーメンだけでも……結構な値段だよな)

 まさとはジルのブロンドと、チラチラと見える横顔を見て息を呑んだ。


 まさとは……家に帰って手伝おうとした。

「まさとさん!」

「!!」

 ジルは包丁を手に目を血走らせていた。

「まさとさんはあっちに座っててください!」

「あ、ああ……」

 包丁を腰に構えたジルを前に、まさとは引き下がるしかなかった。

 ジルはいつの間にか用意されている踏み台にあがると、手際よく調理にかかった。

 しかしまさとが安心していられたのは、鍋をコンロにかけたところまでだった。

(そういえば……包丁何で?)

 まさとは居間から台所にチラチラ目をやった。

 ジルは包丁を手に野菜を刻み始めたところだった。

(大丈夫かな……)

 まな板を叩くリズミカルな音に一瞬安心したものの、その音が止るとまた不安がつのってきた。

(今度は何を?)

 またまさとが見ると、今度はフライパンに油を滴らしているところだった。

(うわ、何するんだ?)

 まさとが身体を硬直させていると、油の弾ける音がした。

「ジルっ!」

「まさとさんっ!」

「だ、大丈夫か?」

「気が散ります!」

 まさとはジルのいつにない強い口調に、もう見ない事にした。

 いつもジルが抱いているロボット犬を手にすると目を閉じた。

(何事も起りませんように!)

 まさとが祈っている間も、何度か大きな音がしたが、ロボット犬にしがみつくようにしてまさとは目を向けなかった。

 そして、音が消え、足音が近付いて来た。

「はーい、出来ましたよ」

「……」

 まさとの目の前に置かれたラーメンには野菜がたくさん入っていた。

「チャンポンというかもしれませんよ」

「……」

 ジルが笑顔で言うのに、まさとは神妙な顔をして箸を手にした。

 麺をすすり、野菜を口に運んだ。

「おいしい……」

「おいしいですか!」

「あ、ああ……」

 信じられないといった顔でまさとはラーメンを食べ続けた。

 まさとの眼鏡が曇るのを見てジルが、

「ラーメン食べる時は眼鏡取ったほうが……」

「ううん、いい……」

 黙々と食べ続けるまさとを見て、ジルも自分のラーメンを食べ始めた。

 まさとは曇った眼鏡を取る事が出来なかった。

(食事作ってもらうなんて、久しぶりだ……)

 まさとはラーメンをすすりながら、目頭が熱くなっていた。

 いつ涙がこぼれるか……もしも涙が流れてもジルに悟られないようにと思った。

 向かいで箸を動かしているジルを見てまさとは鼻をすすった。



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 部屋に入って椅子に座ろうとしている長崎の手をまさとはつかまえた。

「先生!」

「!」

 キスでもしそうな勢いで顔を近付けてくる。

「先生、ジルが!」


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