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「なかなおり」

 晶子のいたずらで怪我をしたじじうさ。

 ジルと晶子の溝が深まる。

 最初は「あっちゃんなんか……」思っていたジルの気持ちが、ちょっとずつ変化する。

 晶子の家まで押しかけるジル……しかし閉ざされた玄関は開かない。

 ジルは晶子のハンカチを手に、開かないドアを見上げた。


 まさとは家に帰ってから、ジルが元気がないのに神経をすり減らしていた。

 長崎に電話し、ウサギを怪我をさせて落ち込んでいるのはわかった。

 でも、どこをどうなぐさめていいか考えつかなかった。

 食事をごはんしか食べないジル。

「じじうさ……大丈夫なかぁ」

 ジルがつぶやくのを聞いても、まさとは何も言わなかった。

「じじうさ……」

 ジルの脳裏では元気だった頃のじじうさが、実際よりも二~三割増し元気な姿で再生されていた。

 鼻をひくひくさせながら餌を食べるじじうさ。

 元気に飛び跳ねるじじうさ。

 おとなしく胸に抱かれるじじうさ。

 ジルの脳裏で想像が膨らんでいた。

 しかし、そんなジルの想像の中にニワトリを抱いた晶子の姿が出てくると、ジルの表情が険しくなった。

(あっちゃんがいけないんだ!)

 おさげ髪が行ってしまう姿が頭の中でちらついた。

(でも……)

 晶子が何度も謝っているのが思い出された。

 ハンカチも貸してくれたのに、ジルは手で払い退けてしまった。

(でも……やっぱりあっちゃんが悪いんです!)

 ジルは拳を固めて、憎悪に満ちた目を壁のどこか一点に向けていた。

 まさとはこわい目をしているジルに表情をこわばらせた。


 翌朝、操がジルに話しかけてきた。

「おはよう、ジルくん」

「操ちゃん、おはようです~」

「ジルくん、昨日水あげてなかったんじゃない?」

「あ……」

「でしょ」

「あわわ……」

「長崎先生から電話があったから、吉田先生には話しておいたよ」

「どうもです!」

「じゃ、早速水やりに行こう」

「うん!」

 操の優しい声と口調にジルの顔もついついほころんでいた。

(昨日も操ちゃんがいてくれたらよかったのに……)

 ジルはこわい目を晶子の机に向けた。

 晶子の机にはすでに手下げがさがっていて、もう登校しているみたいだった。

(そういえば、今日は朝会ってません……)

 ジルは晶子に会いたくなくて、いつもよりちょっと早い時間に学校に出て来ていた。

(あっちゃんの鞄があるって事は……)

 今、学校に出て来たばかりのジルは、自分よりも先に晶子が出て来ているのに初めて気付いた。

「ね、操ちゃん……」

「うん?」

「あっちゃんもう来てるの?」

「うん、鞄あるね……ドッチじゃない?」

「ドッチ?」

「うん、朝一番に来て、場所取りする事あるから……」

「ふうん……そうなんだ」

 ジルは頷きながら、前を歩く操の髪に目をやった。

 その揺れる黒髪が、何故か昨日、おさげを揺らせながら行ってしまう晶子の姿とダブって見えた。

 ジルは通路から裏運動場を見、靴を履いて表運動場を見渡した。

 いつもは裏運動場でドッチをしている四年生が、今日は表運動場の隅でボールを投げていた。

 ジルはその一団をじっと見つめていたが、晶子の姿はなかった。

「どうしたの、ジルくん?」

「うん、何でもない」

 ジルは笑みを浮かべると、操の元に走った。


 それからジルは晶子と一言も口をきかなかった。

 朝、一度だけ晶子が挨拶を交わそうとした。

 でもそれにジルは何も言わずに、顔まで背けていたのだ。

 それからは授業の最中も休み時間も、ジルは晶子の方さえ向こうとしなかった。

 晶子が当てられて前に行けば、下を向いたり窓の外を見たりした。

 休み時間も給食の時も、ジルは晶子の顔を一度も見なかった。

「……」

 いつも通り、晶子が給食を早く片付けて出て行ってしまうのを、ジルは黙って見守っていた。

 晶子の姿が教室から出て行ったのを確かめて、ジルは操に聞いた。

「操ちゃん……あっちゃんはどこに行ってるんでしょう?」

「うん?」

 操は食事の手を止めて首を傾げた。

「あっちゃん、今日は休み時間にどこかに行ってます」

「ドッチじゃないの??」

「朝のドッチにもいませんでした」

 ジルの言葉に操は笑みをみせたが、その表情がぎこちないのをジルは見抜いた。

「操ちゃん、教えてください」

「えと、その、あの……」

 操は言葉に困っていると、操の正面で食事していた響子が手を止めた。

「操ちゃん、教えたら?」

「う、うん……」

 響子の言葉に操は頷くと、表情を曇らせて言った。

「あっちゃん、図書委員なんだ」

「図書委員……」

 ジルは操の表情を見、それから響子の顔を見た。

 響子の顔が引きつっているのを見て、ジルは操の肩を掴んだ。

「操ちゃん、ウソはダメです」

「う、ウソじゃないよ」

「響ちゃんの顔が引きつってます!」

 操とジルの視線が響子に注がれる。

「あ、あたし何も言ってない!」

 響子が言うのに操がため息をついて、

「私もウソついてない」

「じゃあ、何なんです!」

 困った顔をするジルに響子が言った。

「あっちゃんは……そりゃ、確かに図書委員だよ」

「何でウソなんです??」

「あっちゃんが図書委員ってガラ?」

「ふえ……」

 ジルは図書委員を思い浮かべた。

 いつもドッチか飼育係りで、図書室にはあまり縁のないジルだったけれども、一度だけ校内を案内されて中を見た事があった。

「あの、カウンターでに座ってる人です?」

「そう」

 響子が頷くのを見て、ジルは必死になって想像してみた。

「うーん、あっちゃんはドッチのイメージが……」

「だよね」

「でもでも、あっちゃんは図書委員なんですよね」

「うん、そう」

「今日の朝、あっちゃんは図書委員さんをしてた?」

「あたしもびっくりしたよ……あっちゃんは図書委員の当番でも、大抵サボっちゃうんだよ」

「……」

「まぁ、図書委員は一人じゃないし、操ちゃんも図書委員だから、ね」

 ジルは響子の言葉に操を見つめた。

「操ちゃんも図書委員さんなんですね」

「う、うん……」

「あっちゃんは今日、図書委員に出てるんです?」

「うん……」

「いつもサボるあっちゃんが、どうして?」

「そ、それは……」

 予鈴が鳴った。

 ジルは残った給食の多さにびっくりして慌ただしくスプーンを動かした。


 飼育小屋で操とジルはいつものように掃除と水と餌やりをしていた。

「その、あっちゃん反省してるよ」

「反省してるの……」

「ジルくん……許してあげて」

 操の言葉にジルは見向きもしないでウサギに餌をやっていた。

「ね、お願い」

 操に言われている間、ジルは昨日の事を思い出していた。

 それから急に立ち上がると、ニワトリ小屋に入って茶色いニワトリに一直線に向かって行った。

 ジルの行動に操は息を呑んだ。

 ニワトリのけたたましい鳴き声がし、羽根音がした。

「ジル!」

 茶色い羽根が散った。

 ジルはしっかりと茶色いニワトリを捕まえて立っていた。

「ジルくん!」

「操ちゃんは……昨日の事、知ってるんですよね」

 茶色いニワトリのくちばしが容赦なくジルの手をつつき、血がにじんでいた。

 ジルが無表情で言うのに、操は引きつっていた。

「ぼくはあっちゃんに、ここの動物は学校みんなのペットって言ったんです」

「ニワトリ放して!」

 操は叫び、そしてジルの手からニワトリを取り上げた。

 掴むもののなくなったジルの指先が微かに震えた。

「でも、ぼくはニワトリさん、抱けませんでした……」

「……」

「ぼくがもっとしっかりしていれば……」

「ジルくん……」

「ぼくが、ニワトリもちゃんと世話出来てたら、あっちゃんのイタズラなんかでびっくりする事はなかったんです」

 ジルの目が揺れ、大粒の涙がポロポロとこぼれた。

 操はただ黙って頷き、そしてハンカチを差し出した。


 ジルは晶子と話をする機会がなかった。

 飼育小屋の掃除を終えて図書室に行くと「閉館」の看板が出ていた。

 操が眉をひそめて扉を開けようとしても鍵がかかっていて開かない。

 職員室に鍵を借りに行くと、どうも晶子が握っているとの事だった。

 授業中に話しかける事も出来たけれども……朝の挨拶を無視してから口をきいていないのが、ジルの気持ちにブレーキをかけ続けていた。

(何だか話しかけずらい……)

 休み時間になったら……思ったが、チャイムが鳴ると同時に晶子はダッシュでトイレに逃げ込んでしまうのだ。

 結局放課後になって、晶子はジルや操の前から逃げるように帰ってしまった。

「ふええ……あっちゃん逃げ足早いです」

「そうだね」

 ジルは操の服を引っ張った。

「どうしたらいいでしょう?」

「どうしたらって……」

 操は首を傾げて、

「ジルくんは、どうしたいわけ?」

「うーん、どうしたらいいでしょう!」

「あのね……」

 操があきれていると、ジルは難しい顔をして、

「謝るのが、いいのかな?」

 今度は操が難しい顔になった。

「うん、何となく、ジルくんの気持ちわかる……でも……」

「でも?」

「どうしてジルくんが謝るの?」

「ふえ?」

「だって、イタズラしていじわるしたの、あっちゃんでしょ?」

「そ、そうですけど……」

「謝るのはあっちゃんの方」

「あっちゃんが昨日たくさん謝ってました」

 ジルが言うと、二人とも唸り出してしまった。

「何かきっかけがあると……仲直りしやすいのにね」

「です~」

 ジルは泣きそうなのか笑いそうなのかよくわからない顔でピョンピョン飛び跳ねて操の服を引っ張った。

「何かきっかけ……」

 ジルがしょぼんとして目に涙を溜めていると、操が苦笑してハンカチを差し出した。

「ジルくんすぐ泣く~」

「まだ泣いてませんよ~」

 ジルは笑うと、思わず涙がこぼれてしまった。

 操の貸してくれたハンカチで涙を拭おうとした瞬間、噴水の所で晶子のハンカチを払い退けたのを思い出した。


 ジルは操と一緒に大学の噴水まで来ていた。

「ふええ……もうないかも……」

「ジルくん、あっちゃんのハンカチ、本当に噴水に?」

「うん……パッと手で払っちゃって……」

 ジルと操は噴水で揺れる水面を見つめた。

 噴水の水は澄んでいて、底まではっきり見えてハンカチのようなものは見あたらなかった。

「昨日の事なのに……」

 ジルが操の貸してくれたハンカチで涙を拭っていると、丈の低い生垣からいきなり作業着に白髪の人が現れた。

「噴水に何か落したの?」

「!!」

 用務員を見てジルは一瞬固まっていたが、すぐに大声で聞いた。

「あのあの、噴水にハンカチ、落ちてませんでした?」

 ジルの言葉の勢いに用務員のおじいさんは微笑んで頷いた。

「ちょっと待ってなさい」

 おじいさんは言うと、研究所の裏の小屋に入ってすぐに戻ってきた。

 その手ににぎられたハンカチに二人の顔がパッと明るくなった。

「それです~」

 ジルが飛び付くのにおじいさんは微笑むとジルにハンカチを渡した。

「ありがとうございます~」

「どういたしまして」

 二人がペコリとおじぎをして行ってしまうのを見て、おじいさんは思った。

(雑巾にしようと思ったけど……)


 ジルは晶子のハンカチを手にニコニコ顔だった。

「えへへ、これがあればばっちりです」

「あっちゃんのハンカチなの?」

「ですです、昨日貸してくれたんですけど……」

 ジルは昨日の事を思い出しながら、それ以上は言わなかった。

 ジルと操は連れだって晶子のアパートを見上げていた。

 操が人差し指を口に立てるのを見てジルは頷くと、二人は足音がしないように鉄の階段を上がった。

 佐賀荘202号室。

 ジルはドアに耳を押しあてて中の音を確かめた。

 テレビの音と晶子の声、そしてたまにクロウの声もした。

「いますね」

 ジルは微笑むと、ドアをノックした。

「あっちゃーん!」

 ジルは返事を待ったけれど、それはいつまでたっても返って来なかった。

「あっちゃんってばー!」

 ジルは声を大にして言ったけれど、返事はなかった。

「ねぇーってばー!」

 ジルはさらに激しくドアをノックした。

 操が肩を掴むのにジルは我に返ると、再びドアに耳を押し付けた。

 しかし、今度はドアの向こうから音はしなかった。

「ふえ……音がしなくなりました」

 操があきれた顔で笑うのにジルは、

「ぼくの空耳だったんでしょうか?」

「違うよ、あっちゃんいるよ」

「そうですか??」

 ジルは笑っている操を見て、晶子の家の格子のはまった窓を見上げた。

 爪先立ちになって格子につかまり、ジルは中を見ようとした。

 しかし模様の入ったガラスで中の様子は全然わからなかったし、中は薄暗くて人がいるように思えなかった。

「本当にいるんでしょうか?」

「さっき声したんだよね」

「うん……確かにしたような気がするんですけど」

 操がジルをつかまえて耳元で作戦を伝えた。

 ジルは目を丸くして頷くと、ドアに耳を押し付けた。

 操はアパートの階段を音をさせながら降りて行った。

 ドアに耳を押し付けるジル。

 部屋の中の足音がはっきりジルの耳に聞こえた。

「あっちゃんいるんでしょ!」

 ジルが大声でノックすると、今度は部屋から転んだような音が聞こえた。

「ねー、あっちゃんってばー!」

 ジルはノブを握るとガチャガチャいわせた。

 操が戻って来てがっかりした顔でつぶやいた。

「あっちゃんが顔を出すのを待ってればよかったのに……」

「あ、そうでした」

 ジルはため息をつくと、

「研究所みたいにカードキーだったら簡単に開けられるのに……」

 そう言いながらジルは家の前に置かれた洗濯機に寄り掛かった。

「!!」

 ジルは洗濯機のフタを開けると中から鍵を取り出した。

 すぐさまドアを開けて踏み込むジル。

 晶子は居間で洗濯物を抱きしめ、引きつっていた。

「あっちゃん!」

「あわわ!」

「あっちゃん!」

「い、いらっしゃい」

「あ……あっちゃん……」

 ジルは晶子の前に立っていた。

 が、それ以上何をしていいかわからなくなっていた。

 晶子も晶子で謝るタイミングを失って口をパクパクさせるしか出来なかった。

「あ……あっちゃん……」

「ジル……」

 立っていたジルもペタンと座り込んでしまうと、じっと晶子を見てからポケットに手を入れた。

 ジルは噴水に落ちたハンカチを出しながら、

「ごめん……ぼく、何だか言い過ぎました」

「……」

「ハンカチ噴水に落としちゃったし……」

「ううん、晶子も、いじわるしてごめん」

 晶子も言うと、二人の視線が合わさり、笑みがこぼれた。


 晶子は居間を片付けるとテーブルを出してお茶とケーキを持ってきた。

「ケーキは日付ぎりぎりだけど、大丈夫だよ」

 晶子はそう言いながら、ケーキの載った皿をジルと操にやった。

「ぼくはケーキ、大好きです~」

 ジルは言いながら、早速イチゴショートにフォークを入れた。

 晶子と操は嬉しそうにケーキを食べるジルを見ながら微笑んでいたが、操は目の前のケーキを見、それから晶子を見て目で合図した。

 操はケーキを二つに分けると、半分を自分の手に載せて残りを晶子に返した。

「いいのに……」

「全部食べたら、夕飯入らなくなるから」

「そう」

 晶子は操の言葉を聞いて半分になったケーキを一口で食べてしまった。

 操はケーキを食べながらイチゴだけ退けると、膝の上でおとなしくしているクロウの口に入れた。

 ジルはそれをポカンと見つめていた。

 操が膝のクロウをジルに手渡してくれると、ジルはその重さに、

「でも、じじうさ大丈夫かな……」

 さっきまでの笑顔がウソのように暗い表情になった。

 それを聞いて晶子の顔の微笑も消えた。

「ぼく、思わず力一杯投げちゃったような気がします」

 ジルはクロウの喉元を指で撫でながら、

「ぼくは治療を見てから、記憶がありません……」

 青い瞳を涙で揺らしながら、ジルは晶子を見つめた。

「あっちゃんは治療してるの、見てたんです?」

「ううん……晶子はジルを抱いて、噴水のベンチに行ったから」

「そうですか……」

 そんな二人を見て、操がお茶を一口飲みながら、

「今から研究所に行こうよ」

「そ、そうだね!」

 それを聞いてジルの顔がパッと明るくなった。

「長崎先生に任せておけば、きっと大丈夫」

「そ、そうですか?」

「だって、ジルくんを作ったくらいなんだよ」

「そうです、長崎先生なら、きっと治してくれます!」

 ジルは思わずクロウに抱き着いた。

 クロウの羽根が一・二枚落ち、悲鳴を上げていた。


 毎日研究所通いをするジルに、操や晶子・響子が交代でつきあっていた。

 怪我をしたじじうさは、最初の二・三日はケースに入れられていたが、すぐに研究所裏の飼育小屋に移った。

 じじうさが移って、直接世話を出来るようになってからは、ジルの研究所に向かう足どりもどんどん軽くなった。

 ジルは夕飯を食べながらまさとに聞いた。

「じじうさ元気になって、最近はピョンピョン跳ねますよ~」

「そうか、よかったな」

 おいしそうにごはんを食べるジルを見ていると、まさとの方も食が進んだ。

 ジルはお茶碗のごはんを全部平らげると、おかわりをしてきた。

 まさとは茶碗にごはんをよそぎながら、

「黒いウサギだよな、あの研究所の裏の」

「ですです、あれがじじうさです」

 ジルはおかずを口に運び、ごはんを食べ、箸を止めた。

「……」

「どうした?」

 さっきまで笑顔で箸を動かしていたジルの顔が真顔に戻っていた。

「ごはん、何か入ってたか?」

「い、いいえ……」

 まさとはジルの皿におかずがないのを見て、自分の皿から鳥の唐揚げを全部やってしまった。

「あ、いいのに……」

「いいから、食えよ」

 ジルはまさとを見つめ、小さく頷いた。

 しかし、まさとがおかずを分けただけではジルの顔色は変らなかった。

「ジル……」

「あの……長崎先生がですね」

「うん、長崎先生が?」

「長崎先生が言うんですよ、じじうさが早くよくなるのは、ぼくが来るからだって」

「?」

「ぼくは毎日餌をやって掃除はしてるけど、じじうさを治したのは先生です」

「……」

「どういう事でしょう~」

 まさとは首を傾げながら、

「でも、ジルは毎日行ってるんだろう?」

「はい……でもでも、それは係長としては当然の事です!」

「か、係長??」

「ぼくは飼育係長なんですよ~」

「飼育係長……」

「だからぼくがじじうさを看に行くのは当然なんです!」

 まさとはジルがウサギの世話をしている姿を想像していた。

「ぼくは何もしてないのに……長崎先生はジルが来ているからだって」

「……」

「ぼくは餌をやったりするしか出来ません……もしもぼくが行けなかったらどうなるのかなって思ったら、その時は用務員さんが餌をあげるから大丈夫だって……」

 ジルの表情が暗くなった。

 まさとはそんなジルの顔を見ながら笑みを浮かべると、

「ま、何にせよ、そのじじうさは元気になったんだろ?」

「え、ええ……そうですよ」

「じゃあ、いいじゃないか!」

 ジルはポカンとしてまさとの顔を見上げた。

 そして次第にまさとの笑顔が移っていった。

 ジルは唐揚げを口に運びながら言った。

「ですよね、難しい事はわからないけど、ぼくは係長の任務を頑張るだけです!」

「そうそう!」

 再びジルがおいしそうに食べるのを見て、今度はまさとが考え込んでいた。

(ジル、本当に人間みたいだな……)

 まさとは箸を動かしながら、

(俺が設計した電子頭脳……なんだよな)

 食事を終えたジルが手を合わせている。

 そんなジルの姿を見ていると、まさとの心も何故かウキウキした。

「今日のごはんはおいしかったです~」

「毎日研究所まで歩いてるからなぁ」

 まさとは冷蔵庫からケーキの箱を持って来ると、食べ終わったジルの皿にイチゴショートを置いた。

「期限切れのだけど、今日なら大丈夫だろ」

「ケーキ大好きです~」

 ジルは言うと、早速手を合わせてケーキを口に運んだ。

 口の回りを生クリームまみれにして頬を膨らませているジル。

 まさとはそんなジルの顔を見て目を細めた。

「おいしかったです~」

「お、もう食べちゃったのか?」

 ジルがコクコクと頷くのを見て、まさとは最後のケーキもジルにやった。

 狐色のチーズケーキを見てジルは、

「うわ、チーズケーキです、食べちゃっていいんですか?」

「どうぞ」

 ジルはまた手を合わせて、ケーキに手を伸ばした。

 しかし、その指先がケーキまでほんの数センチの所で止ってしまった。

「まさとさんのは?」

「ああ、いいよ」

「でも……」

 ジルが食べたい気持ちで一杯なのは、ケーキまであとわずかという指先が震えているのでよくわかった。

「早く食べちゃえよ」

「……」

 ジルは難しい顔をすると、ケーキを手にして二つに分けると、小さい方をまさとの皿に載せた。

「どうぞ」

「あ、ああ……」

 まさとはまだ食事が終わってなかったが、ジルの目を見ていてなんとなくケーキに手をつけていた。

 二人は一緒になってケーキを頬ばった。

 ジルはニコニコ顔で、

「チーズケーキもおいしいです!」

「ああ……」

「まさとさんはチーズケーキ好きです?」

「あ、ああ、そうだな、うん」

「えへへ……一緒に食べるとおいしいですよね」

 ジルの姿にまさとは固唾を呑んだ。

 脳裏にジルの頭部レントゲン写真が思い出されたけれど、まさとの口の中はどういう訳か苦い味で一杯になった。


 学校の昼休み。

 ジルと操は一緒に飼育小屋を掃除していた。

 餌をやり終えたジルは、息を呑んで白ウサギに手を伸ばした。

 ジルの手が身体に触れても逃げださない白ウサギ。

 ジルはちょっと表情をこわばらせていたが、難なくその白い身体を持ち上げた。

「えへへ……」

「どうしたの?」

「これでウサギさんは完全制覇です」

 ジルの言葉に操は目を大きく見開き頷くと、

「毎日何かやってるって思ったら、ウサギ抱こうとしてたの!」

「えへへ……ですです!」

 操はジルの腕に抱かれておとなしくしているウサギの頭を撫でながら、

「毎日真剣な顔してたから……」

「ここにはじじうさはいませんから」

「……」

「それに、あっちゃんに言ったんです」

「あっちゃんに?」

「ここの動物はみんなのペットって……毎日面倒を見ているぼくが、捕まえられない動物がいるなんて言えません!」

 ジルはウサギを足元に放すと、もう一羽も簡単に捕まえてしまった。

「えへへ、ウサギはモソモソ動くから……でも、もう平気ですよ~」

 ジルが笑顔で言うのに、操もつられていた。

「そう、操ちゃんならわからないかなぁ?」

「うん、何が?」

「長崎先生がね、ぼくがじじうさを看に行くから、じじうさが元気になるって言うんですよ~」

「それが?」

「だって、じじうさを治したのは長崎先生ですよ」

「……」

「ぼくは係長だから、毎日行って看てるんですよ」

 ジルの言葉に操は真剣な顔になってうつむいてしまった。

「まさとさんに聞いたら……なんだかはぐらかされて、こたえを聞けませんでした」

「そう……でも、私も先生が言う通りだと思うよ」

「ふえ、操ちゃんはわかるんですか!」

「うん、きっとジルくんがじじうさの所に行くのが、じじうさをよくしてると思う」

「どうして?」

 ジルの青い瞳がじっと操を見つめていた。

 眼鏡で余計大きく見えるジルの目に、操は息を呑んでから、

「その、気持ちがこもっているのが、いいと思うの」

 考えながら言う操にジルは首を傾げた。

「気持ち……ですか?」

「うん、気持ちがこもっている事が、大事なんだよ、きっと!」

「気持ち……」

 操に見つめられて、今度はジルの視線が泳いだ。

「私がじじうさを看に行くより、きっとジルくんが行ったほうが、じじうさ元気になると思う」

「そうかなぁ……操ちゃんが行っても……」

「ジルくんは、私よりずっとじじうさが好きだし……」

「……」

「じじうさの事を一番思っているのは、学校でもジルくんだよ」

 操がやさしい笑みを浮かべて言うのに、ジルは頭を掻きながら、

「なんだか、よくわかんないや」

「ふふふ……」

「でも、気持ちが伝わって、元気になるんですね」

「そうだよ、ジルくんも大分のお兄ちゃんになぐさめてもらったりしない」

 ジルはその言葉にちょっと眉をひそめると、

「気持ち……伝わるんですね」

「うん」

 ジルは操をじっと見つめた。

 それから操の手を引き寄せ、握りしめた。

「??」

 真剣な表情で見つめるジルに操は首を傾げた。

 操が不思議そうな顔をしている間も、ジルは唸りながら操を見続けた。

 次第にその力のこもった目が、にらんでいるようになる。

「ジルくん……私、何かした?」

「い……いえ」

 ジルはため息をついて肩を落した。

(ぼくの気持ちは、操ちゃんに伝わりません)

 落ち込んでいるジルに操は顔を近付けて言った。

「大丈夫?熱でもあるの?」

 ジルの額に操の手が重ねられた。

 心配そうな顔で見つめる操にジルの顔は熱くなった。

(気持ち、伝わらなくてもいいや!)

 操は嬉しそうな顔をするジルを見て渋い顔をすると、

「ジルくん何?」

「えへへ、何でもないです~」

 ジルはニコニコしながら、

「でも、ぼくが行くだけでじじうさ元気になってくれるなら、どんどん行きます~」

「そうだね、そう、世話をしてるのもいいんだよ」

「世話は当然です」

 操っはちょっと考えてから、

「ほら、お仕事手伝ったりするのは、お手伝いする方も、される方もきっと楽しい……嬉しいと思うよ」

「お仕事手伝うの……」

 ジルは操を見て頷いた。

「ですです、操ちゃんに手伝ってもらうと、嬉しいです」

「人の為に何かするのは、いい事だよ」

「!!」

 ジルは再び操の手を取ると、

「ぼくも何か出来ないでしょうか!」

「……」

「操ちゃんの場合はどうですか?」

 ジルの問いかけに操は難しい顔をして、言葉を考えながら言った。

「お手伝い……家のお手伝いとか、どうかな?」

「家のお手伝い?」

「そう、掃除とか、洗濯とか……家事」

「家事……」

 ジルは操をまじまじと見つめると、

「掃除は出来ます、洗濯も多分出来ますよ、他には?」

 ガッツポーズをするジルを見て、

「お料理かな?」

「お料理……」

 操は言っておきながら、ジルの顔を見て「しまった」という顔をしていた。

「料理……教えて下さい!」

「え、えっとー!」

 操がはぐらかそうとするのが顔を見てすぐにわかった。

 ジルは操の手を握る指一本一本にさらに力を込めた。

「操ちゃん、お願いします!」

 ジルのいつもより低く迫力のある口調に、操が肩を落して頷いた。

「ちょうど今日の午後、その時間があるから……」

 笑顔になるジルを見て、操は引きつった笑みを浮かべていた。


 学校が終わって、晶子の家・佐賀荘202号室にジルはいた。

「あっちゃん!」

「な、何?」

 ジルは居間でクロウを膝の上に乗せていた。

「あっちゃん!」

「……」

 ちょっと怒ったような顔で言うジル。

 晶子は最近何もイタズラしていないと思いながら、困ったような笑みを浮かべてジルにお茶を出してた。

「晶子、いじわるとかイタズラやってないと思うんだけど……」

「そんな事じゃないです」

「じゃ、何?」

「ごはんです!」

「は?」

 ジルの言葉に晶子は完璧に困惑していた。

「今日の午後の授業、覚えてますか!」

 給食の後は、朝ごはんを作ろう……って感じで調理実習だった。

「うん……晶子何もしてないよ」

「いじわるやイタズラじゃないんです」

「そ、そうなの……」

 ジルはクロウの喉元を撫でながら、

「ごはんにお味噌汁にお魚焼いたのか目玉焼きでした」

「そ、そうだったね……」

「ぼくは操ちゃんに教わろうと思って、いろいろやろうとしました」

「あ、ああ……」

 晶子の口元が引きつった。

 ジルはそれを見てムッとしながら、

「ぼくには難しくてさっぱりでした」

「ごはんと味噌汁が出来ないくらい、どうでもいいんじゃ?」

「お魚も目玉焼きもダメでした」

「だったね……」

「まさとさんは、お味噌汁はお湯を注いで作ってるのに!」

「そ、それはインスタント……」

 ジルが料理の事を言うのに、晶子は思い出したように聞いた。

「でも、何をいきなり?」

「ぼくは人の為に、まさとさんの為に、家事を征服するんです!」

「で……料理?」

「ですです!」

 晶子はケーキの皿をジルの方にやると、自分でも食べながら、

「晶子、料理さっぱりだよ」

「今日の実習で目玉焼き奇麗に焼いてました!」

「あ、あんなのでいいの?」

 あきれる晶子の顔を見てジルは膨れた。

「ぼくは味噌汁失敗しました!」

「豆腐切るのに指切ってたよね……揚げを切るのも……」

「うう……」

 ジルは涙目になって言った。

「ぼくは料理はさっぱりなんです」

 ジルがうつむいて、クロウを撫でる姿は哀愁を振りまいていた。

「操ちゃんに習えばいいのに……」

「学校で習いました……」

「?」

「操ちゃんではぼくには難しすぎます」

「で?」

「響ちゃんにも聞きました……料理ダメって言ってました」

「ふーん」

「あっちゃんなら、ちょうどいいと思いました」

「……」

「あっちゃんが出来る料理なら、きっとぼくにも作れます」

「そ、それはどーゆー意味かな??」

「だから、あっちゃんが作れるくらいなら、ぼくでも大丈夫と!」

「何だかすごくバカにされてるみたいで嫌だな」

 晶子がにらむのに、ジルは愛想笑いを浮かべて出されたケーキをもりもり食べた。

 それから晶子をじっと見つめて、

「師匠、師匠と呼ばせてください晶子師匠!」

 晶子はそれを聞いて胸を叩くと、

「晶子におまかせ!」

「晶子師匠、お願いします!」

「もっと言って、もっと師匠って!」

 晶子の言葉にジルは力なく笑った。


 まさとは研究所で長崎を前に興奮していた。

「先生、ジルがケーキを半分くれたんですよ!」

「そ、それがどうかしたの?」

「ジル、お菓子とか、好きですよね」

「そ、そうね、ジル、お菓子好きね」

「自分の好きなのを、半分くれたんですよ」

「……」

 まさとが真剣な顔で言うのに、長崎はパソコンを引き寄せると画面を見て、

「ジルの電子頭脳は、どんどん書き変っているから……」

「成長してる……んですよね?」

「まぁ、成長と言えば成長」

 長崎が画面を見ている横にまさとは移動すると、一緒になって画面を見つめた。

「最近、ジルが嬉しそうに食事をしているのを見ていると、すごく心が和む時があるんです」

「私も、ここにいる間世話をしてて、結構なぐさめられたような気がする」

 まさとは目を細めると、

「ケーキを半分もらって、それを食べながら思ったんです」

「うん?」

「思いやり……ジルは思いやりをどこで学んだんだって」

「教わったと思う?」

 長崎の言葉にまさとは笑うと、

「教わったっていうより……人間と同じように、どこかで見て感じたんじゃないかと思うんです」

 まさとが言うのに長崎は目を大きく見開くと、

「この間、自分で問題を見つける……みたいな事、言ってたわね」

「ええ……後で考えたんですけど、興味を持ったり好きになったり」

 長崎とまさとはモニターに映った数字を見ながら、

「まるで人間……」

 はもって言ったのに、二人はお互いを見て笑った。




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「まさとさーん」

「ジル?」

「こっちですよ~」

「ジル……どうして?」

「えへへ、毎日じじうさのお見舞いに来てますよ」


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