「学校に行こう~!」
日春北小学校、四年二組に「転校生」として転がり込むジル。
「ジールー!」
教室でジルを呼ぶのは、研究所で会った晶子だった。
晶子に脅されたりもしたけれど……
操ちゃんがいるからいいか?
ジルは不安な気持ちでまさとに手を引かれて学校に向かった。
校長室で、校長先生が優しそうなのに、ちょっと安心していた。
でも、クラス担任の髭面の先生を見て、完璧に凍りついてしまった。
「四年二組担任の吉田です、よろしく」
「あわわ……」
担任吉田の大きな目は、どことなく得物を狙う猛禽をイメージさせた。
ジルが動けないでいるのに、バーコード頭の校長先生は吉田の肩を叩いて、
「ほら、吉田先生、大分くん、びっくりしてますよ」
「……」
「先生、髭は剃った方がいい男ですよ」
「校長、髭は私のトレードマークですから」
吉田は平然として言うと、
「彼が転校生ですか?」
ジルが固まっているのに、まさとが笑みを浮かべると、
「はい、大分ジルです」
「お兄さん?」
「はい」
吉田がジルとまさとを何度も見比べるのに、
「父があちらで再婚しまして……」
まさとは額に汗を浮かべながら言うと、吉田は頷きながらしゃがんで視線をジルと同じ高さにすると、
「吉田です、よろしく」
「え、あ、はい……ぼくはジル……」
視線が泳ぎまくるジルに、吉田の背後から様子を見ていたまさとは手に汗握った。
「では校長、授業も始まりますので」
吉田は言うと、ジルの手を引いてさっさと校長室を出て行ってしまった。
ドアの閉まる音がまさとと校長を残した部屋にこだました。
そんなドアを見てまさとはつぶやいた。
「よろしく……お願いします」
階段の手前でチャイムが鳴った。
ジルは吉田に手を引かれ、大きな背中を見上げながらただ歩いていた。
「大分……ジルくん」
そんな吉田の足がいきなり止るのに、ジルはぶつかって尻もちをついた。
「痛たた……」
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫です~」
吉田の手が伸びてきて、ジルの肩を揺すった。
「ごめんゴメン、そんなにいきなりだったかな?」
「……」
吉田はしゃがみ込むとジルと視線を同じ高さにして笑みを浮かべた。
「俺の髭、そんなにこわいかなぁ」
ジルはにこやかに言う吉田の顔を見てポカンとしていた。
さっきまでのこわいイメージは消え、優しいイメージが膨らんでいた。
吉田は髭を撫でながら、
「まぁ、そのうち慣れるよ」
言うと、ジルの手を握って立った。
ジルは吉田の大きな背中を見上げながらクスっと笑うと後に続いた。
二階に上がってトイレから二つ目の教室が四年二組だった。
階段から近い一組は静かだったのに、二組の方はまだ騒がしくて、廊下まで話声が聞こえていた。
吉田は教室の扉を開けると声を上げた。
「おらっ!さっさと席に着けっ!」
「は~い!」
吉田の怒ったような声とは対象的に、教室からの返事は気のないものだった。
ジルは大きな声を上げた吉田にまた表情が固まっていたが、吉田に促されて教壇に立つと、教室を見回した。
「おらっ、静かにしろっ!今日は新入りがいるんだ!」
吉田が言う前からジルに生徒達の視線が集中していた。
机がずれ、椅子が擦れる音が続いた。
ジルはみんながジロジロ見るのに肩をすくめていた。
そんなジルの視界の中で、生徒達がどんどん席に着いていくのに、一人だけ立っている人間がいるのに、ついつい目がいった。
「ジールー!」
「!!」
教室の一番後ろの席で、立って手を振っているのは研究所で会った晶子だった。
「あっちゃん!」
ジルは声を上げると一直線に晶子の席に向かった。
クラスメイトや机をかき分け、鞄やランドセルにぶつかりながら晶子の方に歩いて行くジル。
「あっちゃん!」
「ジル!」
「どうしてここに?」
ジルは晶子の所に到着すると、手をとって目を大きくした。
「晶子はここのクラスだもん」
「びっくりしましたよ~」
「晶子もびっくりしたよ」
ジルが嬉しそうにしていると、吉田がその背後に歩み寄って、
「なんだ、長船と知り合いなのか?」
「長船?」
ジルがきょとんとすると、晶子が苦笑いしながら、
「晶子の事だよ、『おさふねあきこ』ね」
「ああ?あっちゃんの事ですか~」
吉田はジルの頭を撫でながら、
「そうか、長船と友達なら、席は隣がいいかな」
吉田は言うと、晶子の隣の席に目をやった。
ジルもその視線の先から目が離せなかった。
「渡辺、席代ってくれるか?」
「はい」
返事をした渡辺という女の子は、机に下げていた鞄を手にすると席を移った。
「……」
ジルはそんな渡辺に目が釘付けだった。
奇麗な黒髪は長くて、腰に届くくらいだ。
澄んだ声。
白い肌。
研究所で見たアニメの美少女みたいだった。
ジルは見ていて顔が熱くなった。
「じゃ、大分はそこに座って」
吉田が席を指差すのに、ジルは腰かけると机のフックに鞄を掛けた。
「じゃ、みんな、今日から大分……ジルくんをよろしく頼むぞ~」
「は~い」
みんなの返事を聞いて吉田は教壇に戻ってしまった。
吉田は出席簿を広げながら、
「そうだ、大分」
「せ、先生……」
「何だ?」
「ぼくの事はジルって呼んで下さい~」
「あ、ああ……じゃ、ジル」
「はい!」
吉田は出席簿をめくりながら、
「教科書持ってないだろ、隣から見せてもらう事!」
それだけ言うと、吉田はクラスメイトの名前を呼び始めた。
ジルは吉田の言葉を聞いてちらっと髪の長い女の子の方を見たが、すぐに晶子から肩を叩かれた。
「あん?」
「ジル、学校に来るなんて思ってなかったよ~」
「ですです」
晶子が小声で言うのにジルも頷いた。
「教科書見せてあげるよ~」
晶子の手がジルの机を引き寄せる。
ジルは努めて笑みを作ったが、内心渡辺から教科書を見せて欲しいと思っていた。
しかし、机を並べられては何も言えなかった。
「ありがとう」
「どういたしまして!」
ジルは渡辺の事が気になりながらも、晶子の笑顔を見てちょっとドキっとしていた。
出席が終わり、授業が始ると、空気が一転した。
算数の授業にジルは勝手がわからないでポカンとしていたが、教科書を見せてくれている晶子の表情は険しくなってうつむいてしまった。
「あっちゃん、どうかしたの?」
ジルが耳元でつぶやくと、前で吉田が声を上げた。
四名の生徒が呼ばれ、黒板に向かってチョークを滑らせ始める。
すると急に晶子が顔を上げた。
「あっちゃん?」
「ふへへ……今日宿題やってないんだよ~」
「宿題……」
「うん、昨日テレビ見ちゃって……写すのもわすれたから、当たるとピンチなんだよ」
「そ、そうなんですか~」
「ジルは宿題、知らない?」
「学校初めてですから」
「そだね」
ジルが戸惑った顔で言うと、晶子はクスっと笑って言った。
「でも、ジル、さっき操ちゃんの方、ちらっと見たよね」
「操……ちゃん?」
「そ、操ちゃん」
晶子は操の方を一度指差して、それからジルを肘でつついた。
「ジールー!」
「な、何ですか!」
「晶子より、操ちゃんの方がいいな~って思ったでしょ!」
「!!」
「ねぇねぇ!」
「な、何の事です?」
「操ちゃん教科書見せてくれないかな~って思ったでしょ!」
ジルが赤くなってうつむいてしまうのに、晶子はニヤニヤして、
「晶子で残念だった?」
「そ、そんな事はありません……」
ジルがゆっくりと顔を上げると、晶子はニヤニヤさせていた顔を一転させ、頬を膨らませ怒った顔をした。
それからジルに顔を寄せると、耳元でボソっと言った。
「ばらすよ!」
「!!」
ジルの背中で汗が噴き出していた。
額も汗が珠になっていた。
「ばらしちゃおうかな~」
「あ、あっちゃん……」
晶子がニヤニヤしながら言っていると、いきなり吉田の声がした。
「長船っ!」
「はいっ!」
「黒板端っこ空いてるから、五番やれっ!」
ジルの目の前で晶子の顔が引きつるのがはっきり見えた。
頬をピクピクさせながら晶子は立つと、
「せ、先生……五番って一番難しい……」
「黙ってやる!」
言われて晶子はトボトボと黒板に向かった。
ジルは行ってしまう晶子の背中を見ながら胸を撫で下ろしていた。
それから隣の髪の長い女の子をちらちら見ながら、息を呑んだ。
(うん、言おう!)
ジルは意を決すると隣の机に手を伸ばした。
いきなりジルの手が机に上に現れたのに操は顔を上げると、目を丸くしてジルを見つめた。
「あ、あの……」
「?」
「ぼぼぼ、ぼくの名前はジル!」
「うん、私は渡辺操、よろしくね」
操が微笑み、ちょっと首を傾けると長い黒髪が揺れた。
ジルはそんな操を見て頬を熱くしながら、
「渡辺……操……」
「うん、渡辺操」
「操ちゃん……ですね?」
ジルがさっきの晶子の言い方を思い出しながら言うと、
「ふふ……みんなそう呼ぶよ」
ジルはそれまで顔が熱くなるばかりだったが、操の笑顔を見ているうちに落ち着き、笑顔を作れるようになった。
「これからも、よろしくです~」
「私も……で、何か??」
ジルは言われてから、固まってしまった。
(どうしよう……)
晶子に脅されているのを助けてもらうにも……ロボットな事を話してはいけない事になっていた。
(操ちゃんは良さそうな人です……)
ジルは告白したい気持ちが膨らむのを、必死に我慢した。
「あ、あの……消しゴム貸してくれませんか?」
「はい」
「どうもです~」
操が貸してくれた消しゴムの香りを嗅いだ。
その時、教壇の方から大きな音がした。
ジルが目を向けると、吉田の手にした出席簿が晶子の頭にヒットした瞬間だった。
吉田があごで合図すると、晶子はにらみつけるようにして吉田を見上げた。
怒った顔をして戻って来る晶子。
「……」
その怒りの表情にジルの視線が釘付けになっていると、
「何っ!」
「い、いえ……その……」
晶子は顔を真っ赤にして席に着いた。
ジルは吉田をにらみ続ける晶子の顔を見て、再び汗びっしょりになっていた。
「畜生っ!髭将軍めっ!」
つぶやく晶子を見て、ジルは願った。
(早く授業終わって~)
チャイムが鳴った瞬間、晶子の鬼のような形相は一変した。
「さ、休み時間だよ!」
「ふえ?」
「転校生が来たら、学校を案内するもんだよ!」
「そ、そうなんですか」
ジルは晶子に捕まって逃げられなかった。
心の中で何度も操の名前を呼んだ。
しかし、晶子の目がじっと見つめるのに息を呑んだ。
余計な事を考えていると、また脅されると思った。
「晶子が案内してあげるよ~」
「ああああっちゃんありがとう……」
晶子がジルの手を握って立ち上がると、
「操ちゃんも響ちゃんも行こう!」
ジルは「操」の名前が出た瞬間、ちょっとだけホッとしていた。
晶子だけなら恐かったけれども、操も一緒なら大丈夫と思っていた。
「あっちゃんどこに行くの?」
操の方から別の声が聞こえて来たのにジルが目を向けると、操の横に背の高い女の子が立っていた。
「いいからいいから、早く早く!」
ジルが背の高い女の子・響子に見とれていると、晶子が嬉しそうな顔をしてジルの手を握って駆け出した。
「ああああっちゃん!」
「早く早く~!」
走って行く晶子の後を、ジルは足を絡ませながらもなんとかついていった。
階段を駆け上がり、何度も向きを変えた。
何階まで上がったかジルには忙しくて全然わからないうちに、鉄の扉の前で二人は足を止めた。
晶子が扉のノブを回し、屋上に出ると、真っ青な空が広がっていた。
「うわ、いい景色ですね~」
二人の後を、操と響子が覗き込むようにしてドアから顔を出した。
「操ちゃん響ちゃん、鍵かけといてね」
「う、うん……どうしたの?」
後から来た二人がドアに鍵をするのを見て、晶子はジルの肩を捕まえると、
「うふふ……」
ジルは晶子の笑っている声を聞いて、背筋がぞっとした。
表情をこわばらせていると、操と響子がじっと見つめていた。
「あ、あっちゃん……何なんです~」
「じゃじゃーん、ジルくんはロボットでーす!」
「!!」
晶子の爆弾発言に操と響子の動きが止った。
ジルは引きつっているんだか笑っているんだかわからない顔で固まっていた。
三人がピクリともしなくなったのに、晶子は再びジルの身体を揺すって言った。
「ジルはロボットなんだよ!」
「あ、あっちゃん!」
ジルが叫び、肩を揺すっている手を捕まえると、晶子の表情が困惑した。
「あっちゃん言ったらダメって言ったのに!」
「え、あ、その~」
ジルの眼鏡の奥の瞳に瞬時で涙が溜り、あふれ出した。
「あっちゃんが言ったんだよ!」
「そ、そうだけど……」
今度はジルが晶子の肩を掴み、激しく揺すりだした。
操がハンカチを出し、響子がジルの身体を押さえると、晶子はびっくりした表情のままポカンと三人を見つめていた。
「あっちゃんのバカーっ!」
ジルは操からハンカチをもらって涙を拭っていると、晶子が困ったように笑って、
「ジルがロボットなのは、操ちゃんや響ちゃんには言っても大丈夫なんだよ」
「!!」
「みんな長崎先生知ってるし」
「え……長崎先生知ってるんです?」
ジルが言うと、操が頷いた。
後ろで羽交い絞めにしている響子に目をやると、やはり頷いた。
「ふえ……みんな長崎先生の知り合いなんですか!」
ジルの顔がみるみる笑顔になった。
操がジルの手を握り、そして指を触ったりして確かめると、
「ジルくんロボットなの……」
「うん……」
羽交い絞めにしていた響子もジルの腕を押したりしていた。
「長崎先生が作ったんだ~」
「そうなんですよ~」
操が目を丸くして、
「人間そっくりだね」
響子が腕組すると、
「長崎先生なかなかやるなぁ~」
「えへへ」
「でも、ここまで人間っぽいと、どの辺がロボットなんだかわかんないね」
晶子の言葉にジルは、
「ぼくの身体は人間で、頭は電子頭脳なんですよ~」
ジルの発言と同時に三人の目がジルの頭に向けられた。
真っ先に背の高い響子がジルの頭を捕まえると、晶子と操が髪の毛をまさぐって頭を観察した。
そんな三人にジルは苦笑いすると、
「頭といっても頭の中ですよ~」
「頭の中?」
操が首を傾げながら言うと、
「ですです、頭の中がコンピューターなんです」
ジルが言っても、三人は手を休めなかった。
「ジル、何かロボットらしい事出来ないの?」
「ふえ?ロボットらしい事ですか?」
「そう、ジルくん何か出来ない?」
操が顔を近付けて言うと、ジルの頬がポッと赤らんだ。
「ロボットらしいですね……」
「そうそう、ロボットって言ったらロケット・パン……」
晶子が言おうとしたのを、響子が口を塞いだ。
そんな二人を唖然として見ていた操とジルは、
「そうですね~」
「ロボットなら……メンテナンスとかしないの?」
「メンテナンス??」
「そう、機械の頭脳なら、お手入れなんか、どうなってるの?」
「お手入れ?」
ジルが腕を組んで唸って、
「よくわからないけど……テレビならリモコン出来るんですけどね~」
「うーん、ここにテレビなんてないよ」
晶子がぼやくと、ジルは急に何か思い出したような顔になると、
「そうだ、電子頭脳のモニター用には電波を使ってるそうです!」
「で、電波……」
晶子と響子が眉をひそめると、
「携帯電話ですよ~」
ジルがにこやかに言うのに、晶子はまた難しい顔になって、
「携帯電話っていわれても……」
すると操がポケットから携帯電話を出した。
「操ちゃんナーイス!」
晶子が言いながら操の手から携帯電話を奪うと、
「で、どうするの?」
晶子が携帯電話をジルに見せながら言うと、
「ちょっと貸してください」
ジルは携帯電話を受け取ると、液晶画面を見つめていた瞳をゆっくりと閉じた。
三人の少女は、祈るように携帯電話を握っているジルを見守った。
ジルの目の前の携帯電話のLEDが点滅した。
「あ、操ちゃん、鳴ってるみたい」
晶子が言うと、ジルは目を見開いて携帯を操に返した。
「??」
操がそれを受け取り、ボタンを押して見守った。
『どうですか~』
「!!」
三人は携帯電話からジルに目を向けた。
ジルは口を閉じたままなのに、
『もしもし~、聞こえますか~』
操と響子が渋い顔になるのに、晶子だけは嬉しそうにして、
「うわ、電話と繋がってるよ!」
『こんなので、よろしいですか~』
そこで携帯電話のLEDは消えてしまった。
操がポカンとしていると、響子が言った。
「すごいね、本当にロボットなんだ」
「えへへ……」
晶子が操の手から携帯電話を奪うと、ボタンを押して眉をひそめた。
「あっちゃん、どうかしたの?」
操が聞くと、晶子は液晶画面をみんなに見せながら、
「ほら、見て見て、ジルの電話番号だよ!」
ジルはあいかわらず照れて笑っていた。
操と響子が感心しながら画面を覗き込むのに、晶子が低いトーンの声で、
「PHSの番号だよ……」
「……」
晶子の言葉に操と響子が黙り込むと、ジルは二人の顔を見ておろおろし始めた。
「あ!」
「操ちゃんちょっと借りるね~」
言いながら晶子は携帯電話を持ったまま屋上の一番端まで行ってしまった。
三人はそんな晶子を不安気な顔で見送りながら、
「すごい、本当にロボットなんだね」
「そうですか~」
操の手がジルの頭に伸び、ブロンドの髪の間を白い指が泳いだ。
「ロボットなんて、全然わからないね」
操の言葉にジルが照れていると、フェンス際まで行った晶子が携帯電話を操作し始めるのが見えた。
三人が目を細めて晶子を見守っていると、ジルの背中が一瞬ピンと伸びた。
操がその様子に気付き、ジルを見つめると、そんな視線にジルは笑みを浮かべ、ゆっくりと頷いた。
「はい、ジルでーす!」
「……」
誰も、何も言っていないのに一人しゃべり出すジル。
響子は晶子の方を見て手を振り、操も一瞬晶子を見たが、すぐにジルに目を戻した。
「えへへ、ぼくはロボットなの、信じてもらえましたか~」
「……」
「ですです、どんな電話でも、この番号でばっちりですよ~」
「……」
「目を閉じるんですか?」
見守っている操の目の前で、ジルがにこやかな顔でゆっくりとまぶたを閉じた。
「わーーーっ!」
途端に操の背後から声がした。
さっきまで聞こえなかった晶子の声。
操の前でジルの目がカッと見開かれ、瞬時に白目をむいてしまった。
ゆっくりと倒れるジルを操はとっさに抱きかかえた。
「あわわ!!」
のしかかってくるジルの身体を支えながら操は叫んだ。
「響ちゃん響ちゃん!!」
あわてて響子が操と一緒にジルを支えていると、晶子が携帯電話を手に戻って来た。
「ジルー、びっくりした?」
にこやかに言う晶子に操は噛みついた。
「あっちゃんのバカ!」
晶子の叫び声がいつまでたってもジルの頭から抜けなかった。
「大丈夫? ジルくん」
「う、うん、大丈夫」
操が心配そうに見つめるのにジルは笑みを浮かべた。
そんなジルの顔を見て操が微笑むのに、ジルの頭は熱くなっていた。
あの時間から、ずっと操が教科書を見せてくれていた。
授業なんてそっちのけで、ジルは操の顔を脳裏(?)に焼き付けていた。
操がノートを取っている姿。
操が席を立って答えている姿。
操が教科書をめくっている姿。
操が考え込んでいる姿。
ジルの目は見開かれたまま、給食時間になっていた。
開きっぱなしだった目は、真っ赤になっていた。
教室最後尾の六人で集まったグループで、
「ジル、操ちゃんにいじめられたの?」
ジルの向かいになった晶子が言うのにジルが困っていると、
「あっちゃんにまかせてたら、何するかわからない」
ボソッと言う操に、ジルもちょっと引きつっていた。
初めての給食も見よう見まねで「いただきます」を済ませたジル。
研究所で味わった事もない給食の味にご満悦だった。
そんなジルを操と響子はじっと見守っていた。
「どうかしましたか?」
二人の視線に気付いたジルが言うと、響子が口を開こうとしたのに操の厳しい視線が向けられた。
「??」
響子は聞きかけた言葉を呑み込むと、操がジルに顔を寄せ、耳元でささやいた。
「ね、ごはんも食べるの?」
「え、ええ……」
ジルはすぐに「ロボット」と「食事」の事だと思うと、小声でこたえた。
操が表情をこわばらせ、小さく何度も頷くのを見て響子の方もジルの返事がわかったみたいだった。
「そのうち、説明します~」
今度はジルが操に顔を寄せ、耳元で言うのに操は笑みを浮かべて頷いた。
「おいしい?」
響子が聞くと、
「スパゲッティはインスタントしか食べた事なかったし!」
「ああ……あそこじゃぁねぇ……」
響子が目を丸くしていると、
「みんなで食べると、おいしいですよね!」
ジルの笑顔に、響子も操も固まっていた。
ジルがそんな給食を味わっていると、目の前の晶子が無心に食事を口に運ぶのを見て手が止った。
ジルがパンを一口食べている間に、晶子は音を立ててスパゲティを口の中に呑み込んでいく。
「……」
ジルは目を上げ、教室の時計を見た。
「いただきます」の挨拶の後、五分程だった。
ジルがゆっくりとパンを食べていると、晶子はあっという間にすべての食器を空にしてしまい、パンで食器の底まで奇麗にしてしまった。
ズルズルとパックの牛乳を飲み終えると、手を合わせて一礼した。
「じゃ、響ちゃん頼むね~」
「行ってらっしゃい」
二人がそんな会話を交わすと、晶子はしゃがんで教室を出て行ってしまった。
ジルは先割れスプーンを持ったまま、
「ね、操ちゃん……あっちゃんは?」
「あっちゃんはドッチの場所取りだよ」
こたえてくれたのは響子だった。
ジルから斜め前の響子は口に人差し指を立ててジェスチャーするのに、
「まだチャイム鳴ってないから……見つかったら怒られるの」
「そうなの……」
操が困った顔をして小声で言うのに、ジルは感心したような顔をした。
「ドッチって?」
「ドッチボール、知ってる?」
操の言葉にジルは頷くと、
「知ってますよ」
「でも……一人だったんだよね」
言いにくそうに言葉を選らんでいる操に、ジルは笑みを浮かべると、
「遊んだ事はないです~」
「じゃあ?」
「漫画やビデオはたくさん見ましたから~」
「そう」
すると響子がスプーンを握る手を止めて、
「ジルも来る?」
「えっ、いいんですか!」
その言葉に響子の隣にいた男子・功も声を上げた。
「外人も来るか?」
「ぜひぜひ~!」
操が食べている最中にいきなり咳込み、口を押さえてしまった。
「よーし、チャイム鳴ったら山本と一緒に来いよ」
「わかりました~!」
功は言うと、親指を立てた手をジルの方に突き出してニヤリと笑った。
それからしゃがんで功が教室を出て行くのを、ジルは笑顔で見送った。
操はようやく落ち着いて、食器をトレイに置くとジルを見つめた。
「ジ、ジルくんっ!」
「ぼくは漫画でたくさん研究してるから、大丈夫ですよ~」
「ま、漫画って……」
引きつってる操を見て、響子は笑いを堪えながら、
「あたしジルを期待してるよ!」
「まかせてください!マグナムシュート!みたいな!」
ジルが嬉しそうに言うのに、響子は飲んでいた牛乳を噴き出しそうになった。
そして、操は青ざめた表情で響子をにらんだ。
はしゃぐジルをよそに、操は響子に問い正した。
「きょ、響ちゃんはどっちの味方なの!」
「どっちの味方って言われても……」
「ジルくんが……ドッチ出来ると思ってるの!」
操の怒った顔に響子の動きが一瞬止った。
しかし次の瞬間イタズラっぽい笑みを浮かべると、
「だっから面白いんじゃない!」
響子の言葉に操はムスッとしてパンを口に運びながら言った。
「響ちゃんのバカ!」
昼休み、響子は笑いを堪えてジルに聞いた。
「どうしたの、ジル?」
ジルはニコニコ顔で、
「操ちゃんも一緒に来るそうです~」
「そう、よかったね!」
響子はジルに手を引かれて来る操を見て口元を押さえた。
裏運動場にはすでにクラスメイトが集まっていて、ガヤガヤと騒がしかった。
「操ちゃん、ぼくは頑張りますよ~」
「ジ、ジルくん……本当にドッチするの?」
「もちろんです~」
「わ、私はやめた方が、絶対いいと思うんだけど……な」
心配そうに見ている操に、ジルはガッツポーズして顔を寄せた。
「操ちゃん、ぼくは最新で最先端なロボットだから、大丈夫ですよ~」
「そ、そう……」
操は肩を落とし首を振ったが、ジルは見ていなかった。
「ジルー、来たの?」
「あっちゃん、ぼくは来ましたよ~」
「ははは……ジル、大丈夫なの?」
晶子が心配そうに言いながら、響子や操もちらっと見た。
肩を落す操とニヤニヤしている響子に晶子は首を傾げると、
「えへへ、ですです~」
「うーん、今日は隣のクラスとやるから、結構手強いよ」
「大丈夫ですよ~」
晶子は無表情で隣のクラスの集団を指差した。
そこにはやたらと背の高い女の子が目立っていた。
「うわ、大きな女の子です!」
ジルはすぐに響子を見、それから問題の女の子の方に目を戻した。
「あの娘の球は受けないようにね」
晶子が言うのにジルはただ頷いた。
そして、試合は始まった。
ジルは晶子と一緒になって内野に残った。
センターラインで響子がボールを空に向けて放る。
功と例の背の高い娘が続くようにジャンプした。
功はちょっとだけジャンプし、すぐに着地すると陣地の一番奥に待避した。
背の高い娘がボールを弾くと、相手の陣地に落ちた。
すぐに一人の男子が拾うと、センターライン際から投げた。
「!!」
ジャンプボールをぼんやりと見ていたジルは逃げ遅れて、陣地の中心付近で立ちつくしていた。
そんなジルの目の前を、唸りを上げてボールが通り過ぎて行った。
晶子にキャッチされるボール。
「もらったぁ!」
唖然とするジルの背後から晶子が駆け出すと、相手陣地に向けて全身をバネにしてボールを放った。
しかし、そんなボールは一等背の高い娘の身体に吸い込まれ、キャッチされた。
『あの娘の球は受けないようにね』
ジルの脳裏でさっきの晶子の言葉がリピートされた。
(逃げないと!)
身体がこわばって、動けなかった。
ジルが固まっていると、背の高い娘と目が合ってしまった。
「!!」
駆け出す女の子。
まだライン際でもないのに、腕を振るった。
繰り出されるボール。
ひしゃげて飛んで来るのがはっきり見えた。
「ぴっ!」
ジルの足がようやく動いた。
正面を向いたまま、後ろに逃げるジル。
ボールはジルに向かって一直線に飛んで来た。
「ジルっ!」
みんなの声。
ジルの足が絡まった。
後ろに転ぶジルの身体。
そのままなら身体の中心に当たる筈だったボールが、倒れるジルの顔面に直撃した。
ジルの視界が真っ白になった。
見ている晶子達も表情が凍った。
ジルはそのまま外野まで弾き飛ばされた。
スポ根漫画のように地面に叩きつけられるジル。
続いてボールが地面をバウンドし、銀縁眼鏡がキラキラしながら落ちた。
「ジルっ!」
その場にいた四年二組全員がジルの元に集まった。
帰り道、ジルと晶子は一緒だった。
「死ぬかと思いました」
「晶子もびっくりしたよ~」
晶子とジルは並んでジルのアパートがあるコンビニの前まで来ると、
「ぼくの家はここです~」
「ジルは……大分ジルだったよね」
「ですです」
「大分……まさとさんの弟って事になってるの?」
「そうですよ、まさとさんを知ってるんですか?」
「うん、大分のお兄ちゃんはコンビニの店長だから」
晶子は言うと、手を振った。
「じゃ、また明日ね~」
「あっちゃんバイバーイ!」
ジルは駆け出すとコンビニ裏の鉄の階段を駆け上がった。
アパートのドアを開けると、まさとの姿を見てジルは嬉しそうな顔で、
「ただいまです~」
「お!おかえり~」
玄関でジルが見上げるのに、まさとはブロンドの髪を撫でてやった。
「学校は楽しかったか~」
「すごく楽しかったです~」
これ以上ないって感じの笑顔で言うジルに、まさとはしゃがんで顔を覗き込んだ。
「そうか……でも、なんか怪我してないか?」
まさとはジルの顔を見てちょっと眉をひそめた。
額の傷はもう大分乾いていて、かさぶたが出来ていた。
しかし頬や鼻の頭にすり傷がたくさんあって、まさとが触るとジルは目をつむってしまった。
「しみる?」
「いいえ、しみませんけど……」
「何かあったのか?」
「ドッチをして、顔面にボールが当たりました~」
ジルが力なく笑いながら言うのに、まさとは眉をひそめた。
「大丈夫か~」
「大丈夫ですよ~」
ジルが靴を脱いで上がるのに、まさとも一緒になって居間に入った。
「ほら、座って」
「学校で薬塗ってもらったから大丈夫ですよ~!」
「大丈夫っても、ジルは電子頭脳だから……本当に大丈夫か?」
まさとが心配そうに言うのに、ジルは笑ってみせるとガッツポーズをした。
「へっちゃらです~」
ジルはまだ心配そうに見ているまさとの手を取ると、
「心配してくれて、どうもです~」
「そ、そうか……」
ジルの青い瞳に見つめられ、まさとは目を逸らした。
「そうそう、まさとさん!」
「うん?」
まさとは一度台所に行って、ジュースのペットボトルを持って戻って来ると、
「今日ですね、学校で友達が出来ましたよ~」
「友達……もう出来たのか?」
「はい、この間、眼鏡を作りに行った時に会ったあっちゃんがいました~」
「あっちゃん……」
まさとはコンビニに現れる晶子を思い出しながら、
「おさげの娘か?」
「です!」
まさとは晶子が友達で、ちょっとだけ安心した。
「でも、学校で久しぶりに会ったら、いきなり正体ばらすぞって言われて、ドキドキしました~」
「ジル……それっていじめじゃないのか?」
まさとが引きつった笑みを浮かべながら、ジュースをコップに注いでいるのに、
「そ、そうですね……」
「……」
「ぼくも最初はそう思いました!」
「それは友達っていうのか??」
「でも、あっちゃんのおかげで響ちゃんや……操ちゃんと友達になれました」
ジルの言葉にまさとは晶子の友達の女の子がすぐに思い浮かんだ。
「それに、クラスの子と一緒に遊べました……」
「そ、そうか……」
ジルの顔にすり傷があるのが、まさとにはかなり気になったが、ジルが嬉しそうな顔をしているのに、段々不安も薄れていった。
まさとはジルにコップを押しやると、喉を鳴らして飲みほすジルの姿をじっと眺めていた。
「ぷはー、おいしかったです~」
「そうか……ジル」
「はい?」
「学校、楽しかったか?」
まさとはジルの頭を優しく撫でてやりながら言った。
そんなまさとの手にジルは微笑んだ。
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「長船、お前何でジル泣かしてるんだ!」
「あ、晶子泣かしてないよ~」
「あたしも見た、登校の時からジル泣いてた!」
「そ、それは朝からジルが泣いてて……」
ジル、泣きます。皆さんもこんな経験ないですか?