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「もっと一緒にいたかったですよ~」

 まさとの心臓を貫いたナイフ。

 次第に壊れていくまさとの心臓。

 長崎はジルの心臓を移植する準備を進めていた。

「もっと一緒にいたかったですよ~」

 ジルは人らしく生きれましたか?


 朝、ジルは飼育小屋でぼんやりと餌やりをしていた。

「ジル?」

「ほえ?」

「大丈夫、元気ないよ……わかるけど」

 操はジルの肩を揺すりながら言った。

「昨日大変だったのはわかるけど……」

 操が心配そうに見るのに、ジルはいきなり神妙な顔になって、

「いえいえ、まさとさんは大丈夫だったんですよ」

「でも、あっちゃんナイフ刺さってたって……」

「ええ、でも、昨日の夜は手術も終わって話もしたんですよ」

「そうなの」

「傷はたいした事なかったんです」

 ジルが笑顔で言うのに、操はホッとしていた。

「でも、ちょっと困ってます」

「うん?」

「まさとさんいないし、ミサも研究所だから……」

「そうだね……ジルも研究所にいたほうがいいよ」

「そうですね……」

「そんな事心配してたの?」

「ですです~、ごはんどうしようかって」

 ジルは頭を掻きながら言うと、真顔に戻って、

「まさとさんのケーキ、ダメになっちゃいます」

「そうだね、でも、話も出来るなら、お見舞いに持って行ったら?」

「ですね!」

「響ちゃんの家の冷蔵庫にしまってあるから、帰りに寄るといいよ」

「そうします!」

「大分のお兄ちゃん、元気になるよ」

 ジルは笑いながら、

「でも、もう会えないかもしれません~」

「え、でも、元気って……」

「昨日は会わせてもらえたけど、面会謝絶って部屋に貼ってあったし」

「きっとジルは別だよ~」

「ですね!」

 操はジルがいつものジルになってくれたと、安心していた。

「操ちゃんは好きな人いますか?」

 言われた途端、操は顔を真っ赤にした。

 じっと見つめているジル。

 操は一度考えるようにして視線を泳がせると、

「な、何をいきなり……」

「いえ、好きな人がいて、困っていたら、何とかしてあげられないかな~なんて思いませんか?」

「……」

 操はジルを見つめ、ほうきを握りしめた。

「それはそうだけど、具体的には?」

 操は言いながらジルの顔を見つめ、それがまさとの事だと悟った。

「お兄ちゃんの事?」

「ですです……ベットに寝ているのを見たら……ぼくが代ってあげられたら……って」

「それは、ちょっと思った事ある」

 二人は唸っていたが、

「でも、怪我を代ってあげる事なんて出来ないから」

「ですです」

「ジルなら……お見舞いに行くだけでも充分だと思うよ」

「……」

「そうだ、お見舞いに行けない、会えないなら、送り物でもいいと思う」

 ジルは操を見て何度も小さく頷いた。

「私もお見舞いをもらった事あるの……あっちゃんから」

 ジルは操の目をじっと見つめた。

「あっちゃんがよく食べてるお菓子だったんだけど、それを見てたらあっちゃんの顔を思い出しちゃった」

「そうですか」

 ジルが感心し、うんうん頷いているのを見て、操は微笑んだ。

 そんなジルがゆっくりと顔を上げ、操を見つめると、

「操ちゃんあっちゃんが好きなんですか~」

「な、何でそうなるの……」

「前から不思議だったんですよ~、あっちゃんと操ちゃんじゃ、どうして友達なんだろうな~って……全然つりあってないし」

 言われて操はポカンとした。

「あっちゃん男みたいだから、操ちゃんあっちゃんの事が好きなんですね」

「え、あ、えーっと……」

 ジルのスットコドッコイな発言に操は戸惑っていた。

「前から不思議で不思議で……」

 ジルは操を置いて行ってしまった。

 操は小屋の中で、ジルに投げ掛けられた疑問に真剣に悩んでいた。

「私、何であっちゃんと一緒なんだろ?」


 給食当番の後片付けで、ジルは響子と一緒に調理室に向かっていた。

 ジルがカラカラと台車を押し、響子が空になったバケツを持っていた。

「響ちゃん、今日、ケーキをもらいに行きます~」

「あ、うん、一人で持てる?」

 響子の言葉にジルは一瞬固まると、

「結構大きかったですよね?」

「うん」

「まさとさんの所まで持って行けるかなぁ……」

 響子は周囲を見回し、廊下に誰もいないのを確かめてから、

「大分のお兄ちゃん、大丈夫なの?」

「あっちゃんが連絡してくれたから」

「今朝の朝刊にも載ってなかったよ」

 ジルは響子を見上げながら、

「ぼくがいるから、警察沙汰になったら困るそうです~」

「なるほどね」

「ケーキはみんなで分けましょう」

「いいの、分けちゃって?」

「まさとさん、ケーキを食べれるかどうかもわかりません」

「そう……じゃあ、あっちゃんも?」

「ですです」

 ジルは台車を押しながら、

「響ちゃんは、好きな人とかいますか?」

 途端に響子は耳まで真っ赤になった。

 そんな響子を見上げながら、ジルはクスクスと笑った。

「朝、操ちゃんに同じ事聞いたら、やっぱり真っ赤になりましたよ」

「そ、そう……何をいきなり!」

「いえいえ、響ちゃんみたいにかわいかったら、どんな人が好きなのかな~って」

「誉めても何も出ないよ」

「で、好きな人がいて、何かしてあげた事がありますか?」

 響子はちょっと考えてから、

「バレンタインに、チョコをあげたよ」

「なるほど……他には?」

「……」

「何か、代ってあげたとか、病気の見舞いをしたとか……」

 響子は思い出しながら、

「うーん、功が怪我をして……あたしが運んだよ」

「響ちゃんが運んだんですか?」

「うん、誰もいなかったから、ともかくあたしがね」

 ジルは難しい顔をして黙り込んでしまった。

「怪我をして、響ちゃんが運んだんですね」

「うん、怪我すごくて、あたし死んじゃうって思わず泣いちゃったよ」

「ふええ、そうなんですか」

「今考えると、すごく恥ずかしい」

 しかし響子はニコニコしながら、

「でも、功は今生きてるから、よかったと思う」

 ジルはそんな響子の笑顔に、

「死にそうだったんですね」

「……」

「代ってあげたい……とか思いました?」

 真剣な顔で見上げるジルに、響子は視線を逸らす事が出来なかった。

 ゆっくり頷くと、

「功の怪我、治らないって思った時、もっと早く気持ちを言えばよかったって」

「……」

「代るっていうのはわからないけど……もっと一緒にいたいって思った」

 語る響子を見上げるジルは固唾を呑んで頷いた。

 そんなジルが優しい笑みを見せるのに、響子の顔もほころんだ。

「功、今は元気だから、ちょっと恥ずかしいけど」

「ですです~響ちゃん功くんが好きなんですね~」

 ニコニコしながら言うジル。

 響子はジルの肩をしっかと掴むと、

「その事言ったら、泣かすからね!」

「は、はい……」

 いつになくオーラを発して言う響子に、ジルは引きつっていた。


 昼休み、保健室の扉が開かれ、鼻血を流したジルが晶子と一緒に入って来た。

 保健室には担当の先生の姿はなく、担任・吉田が新聞を眺めていた。

「おう、何だ長船に係長」

「ジルがボール食らって鼻血出した」

 晶子はジルを椅子に座らせると、吉田の服を引っ張った。

「ねー、せんせー、手当ー!」

 晶子の言葉に吉田は缶コーヒーに煙草を捨てながら、

「あ、先生の休憩終わり、手当自分でしなさい!」

「髭、ちょっとは仕事しろよ!」

「おさげは黙ってろ!」

 吉田はアッカンベーしながら晶子の頭を撫でると出ていってしまった。

 晶子は髪をクシャクシャにされたのを直しながら、

「髭将軍が、いつかコテンパにしてやる!」

「あっちゃんこわい~」

 ジルが言うのに晶子は怒りの視線を向け、

「ジルもジルだよ、ドッチに来なきゃいいのに」

「何でです??」

「だっていっつも怪我するし~」

「えへへ」

「保健室に付き合う晶子の気持ちにもなってよ~」

「どうしてです?」

「晶子がやったように思われるじゃん!」

「な、なるほど……」

 晶子はうんざりした顔をしながら、棚から消毒スプレーを出した。

「でも、晶子が一緒に来るのは正解かも」

「どうしてです?」

「晶子もしょっちゅう怪我するから、棚に何が入ってるかよく知ってるよ~」

 晶子はジルの顔を拭うと、鼻にティッシュを押し込んだ。

 それからジルの膝に消毒液を吹き付け、ばんそうこうを貼った。

「はい、完了!」

 ジルは膝をかかえて目尻に涙を溜めていた。

「もっとやさしくして下さい!」

「男だろ~」

「うう……そうそう、あっちゃん好きな人います?」

「お兄ちゃん」

 顔色一つ変えないで言う晶子にジルはポカンとした。

「ああ、寝てる人ですね」

「お兄ちゃん傷つくよ」

 二人して笑うと、ジルは、

「憲史さんが怪我とかした時、看病とかしました」

「それはあたりまえ」

 即答する晶子にジルは目を丸くした。

「どうしてそんなに簡単に答えられるんです?」

「だって好きだから」

「そう……なんですか」

「答えになってない?」

「いえ、あんまりストレートなんで」

「でも、晶子もちょっと後悔した事、あるんだよ」

 晶子は消毒スプレーを元の位置に戻した。

 それから机の一番下の引き出しからお菓子を出して、

「晶子、お姉ちゃんがいたんだ」

「あっちゃんのお姉ちゃん?」

「うん、晶子が二年のクリスマスの時、事故で死んじゃったんだ」

 ジルは「死んじゃった」を聞いて表情をこわばらせた。

「そ、それで?」

「ケンカもたくさんやったから、お姉ちゃんとはあんまり仲よくなかったんだ」

 晶子はお菓子を一つ食べると、袋をジルにすすめた。

「事故で病院に担ぎ込まれたんだけど……お姉ちゃんに晶子は何もしてあげられなかったんだ」

「何も……出来なかった?」

「うん……晶子聞いてるよ、ジルは大分のお兄ちゃんの為に血を分けたんだよね」

 そんな言葉にジルが頷くのを見て、

「晶子も、知ってれば、ね」

「……」

「結局、晶子は何も出来ないで、お姉ちゃん死んじゃった」

 晶子が笑みを浮かべて言うのに、ジルは抱きついた。

 お菓子の袋が床の落ちた。

「ジ、ジル……」

「あっちゃんもういいよ……」

 ジルは晶子をしっかり抱きしめ、震えていた。

 そんなジルの髪を撫でながら、

「晶子、あの時の後悔は、もうしたくないって思ってる」

「……」

「何もしないで後悔するなら、やるだけやって後悔の方が絶対いいよ」

 ジルはゆっくりと離れた。

 しかし晶子の肩はしっかりと握ったまま、

「やっぱりあっちゃんはぼくの師匠です、人生の師匠です!」

 晶子は肩を揺すられるのに力なく笑った。

「わ、わかったから!」

「普段はガサツで男女って思ってました!」

 それまで笑っていた晶子の顔が瞬時に怒り顔になった。

 拳が唸りをあげ、ジルの腹部にめり込んでいた。

「ぐっ!」

「ジル……男女って誰が?」

 晶子の身体にすがりつくようにしながら、床に崩れ落ちるジル。

 背中を丸め、咳込むジルに晶子は仁王立ちで見下ろしていた。

「泣かすよ!」

「もう泣いてます!」

 ジルは……晶子はスペシャルだと思った。


 響子の所でケーキを分けあって、ジルは研究所に向かった。

 集中治療室に向かう途中、長崎と会った。

「あ、先生~」

「ジル、どうしたの?」

「まさとさんのお見舞いに来ました~」

「お見舞い?」

「ですです、びっくりさせようと思って誕生日のケーキを作ってたんです!」

 長崎はジルが差し出すケーキの包みを覗き込んだ。

「上手に出来てるじゃない」

「えへへ、操ちゃんや響ちゃんと一緒に作りましたよ」

 長崎はジルの頭を撫でながら、表情を曇らせた。

「でも、大分くん今眠ってるから……」

「あう……そうですか~」

 ジルはガックリと肩を落したが、すぐに顔を上げると、

「ではでは、先生からまさとさんに上げてください~」

「私から?」

「です、先生は治療でまさとさんに会いますよね」

「え、ええ、もちろん」

「なら、お願いしま~す!」

「い、いいの?」

 ジルは元気に頷くと、手下げの中から別の袋を出した。

「ぼくとミサの分はちゃんとあります~」

 長崎はケーキの包みを受け取ると頷いた。

「二つあるから、一緒に食べてください!」

「ありがとう」

 ジルは踵を返して行ってしまおうとした。

 が、すぐに立ち止るとゆっくりと振り向いた。

「先生!」

 潤んだ目で見つめるジル。

 長崎は昨日まさとに言った言葉を思い出しながら息を呑んだ。

「先生……あの、あの!」

「何?」

「今日も、ここに泊まっていいですか?一人じゃこわいし!」

 ジルの言葉に長崎は噴き出して笑った。

「いいわよ、こんな時だし、泊まっていきなさい」

「えへへ、ここは住み心地いいから、ずっと住んじゃおうかな~」

「バカね」

「先生、夕飯に出てくる食事は、先生が作ってるんです?」

「うん、あれ、そうね、昨日ジルが食べたのはそう」

「おいしかったですよ~」

 手を振って行ってしまうジル。

 長崎はそれを見送ってから、渡された包みを覗き込んだ。


 ジルが自分の部屋に戻ると、ミサがうなだれて座り込んでいた。

「ふえ、ミサ……」

「ジル……」

 起き上がっているミサにジルは駆け寄ると、肩を揺すった。

「大丈夫なの?」

「たまには身体も動かさないと」

「でも、電子頭脳、壊れてるんだよね」

「ですね」

 ミサは微笑んだが、顔色が悪かった。

「でも、起きれてよかったです」

「どうかしたんですか?」

「まさとさんの誕生ケーキ、持ってきたんだ」

 言いながらジルは鞄を引き寄せ、中から紙袋を出した。

 おそるおそる中を見て、パッと笑顔になった。

「今日は無事でした!」

 ジルは立つと棚から皿を持って戻ってきた。

 二つの皿にケーキをのせると、一つをミサによこしながら、

「本当はまさとさんにびっくりしてほしかったです~」

「会えなかったんですか?」

「うん、昨日行った時も本当は面会謝絶だったんだ」

「そう」

「今日は長崎先生にケーキ渡してきた」

「なら、まさとさん食べてくれますよ」

「だね!」

 ミサはゆっくりとした動きでケーキの皿を手にすると食べ始めた。

 そんなミサを見てジルは微笑んだが、すぐに暗い顔になると、

「そうそう、ミサ」

「はい?」

「操ちゃんが、転校しちゃうんだ」

「え?」

「操ちゃん、転校しちゃうの」

「初めて聞きました」

「ぼくが代ってあげられたらな~って思うよ」

「ジルが代って転校なんて出来ませんよ」

「……」

 ミサの顔を覗き込むようにして見つめるジル。

「ミサ、もしもミサが、代って転校出来たりしたら、どうする」

「そんな事出来ません」

「あのね……」

「代わりに転校なんて出来ないんですよ」

「わかってるから!」

 ジルは膨れると、

「その、転校は嫌な事だよね」

「え?」

「友達なんかと別れて、嫌だよね」

「友達と別れるのはつらいでしょうね」

「そこで『もし』友達に代って転校してあげられたら……ミサならどうする?」

「ふむ……」

 ミサは一度頷くとまぶたを閉じた。

「大好きな友達の代わりに、転校出来る?」

「大好きな友達の代わりに……転校出来るかって事ですね?」

「うん」

「『もしも』……ですよね」

 ミサは先割れスプーンでケーキを口に運びながら考えていた。

「大好きな友達の代わりに転校したら、自分が代わりに友達と別れる事になりますね」

「うん、ぼくもそう思ったよ」

「その、大好きな友達とも会えなくなりますね」

「そ、そうだね……」

 じっと見つめるジルに、ミサは考え続けた。

「難しく考えないでよ」

「難しいですよ」

 ミサは微笑むと、ケーキを一口食べてから、

「転校は嫌な事で、代ってあげられるか……って事ですよね?」

 ミサの言葉を聞いてジルは目を丸くした。

「そ、そうだね、うん」

「なら、代ってあげられます。代ります、絶対に」

「ど、どうして?」

「だって、大切な友達でしょう?」

「!!」

「ジルは操ちゃんが好きですよね」

「う、うん……」

「なら、好きな人の為ならって、思いませんか?」

 ジルの顔が見る見る明るくなった。

 ミサの手を握ると何度も上下させて、

「ミサ、すごいよ!」

 ジルはミサの肩を抱いてゆすった。

「ぼくは好きな人と会えなくなるのが、すごく嫌でした」

「ですよね、つらいですよね」

「ミサも、そう思った?」

「ええ、でも、その人の笑顔を思えば、きっと出来ます」

「ですです!」

 嬉しそうな顔をするジルを見て、ミサは真顔に戻ると、

「でも、『もしも』でしたよね!」

 ミサがまじまじと見るのに、ジルは何度も頷いた。

「代わりに転校なんて、出来る訳ないですよ~」

「操ちゃん、転校するんですか……」

 ミサは考え込んだが、ジルは笑顔でケーキをパクついていた。

 そんなジルを見て、ミサもケーキを一口食べた。

 甘さが口の中に広がるのに、ミサの顔も笑みが浮かんだ。

「おいしいですね」

「えへへ、頑張りました~」

「ジル一人で?」

「ううん、ほとんど操ちゃん、あとはぼくと響ちゃん」

 ジルはおいしそうに食べているミサの笑顔に見とれていた。

「そんなにおいしい?」

「はい……久しぶりに食べるから、お腹すいてるのかな?」

「きっとそうです」

「でも、それだけじゃないと思いますよ」

 ミサは大きく口を開けてケーキを食べると、

「気持ちがこもってるから、きっとおいしいんです」

「気持ち……」

 考え込むジルに、ミサはちょっと口ごもってから、

「まさとさんが食べられるといいですね」

「う、うん……」

 ジルは立ち上がり、歩き出した。

「ジル?」

「うん?」

「どうしたんです?」

「ちょっとトイレ」

 ジルが靴をはいて出ていくのを、ミサは微笑んで見つめていた。

 ドアの向こうに姿を消すジル。

 ミサはケーキを見て、息を呑んだ。

 トイレは部屋にあった。

 でも、ジルは靴をはいて出て行ったのだ。

(何か……嫌な予感が……)

 ミサは通信用の回路であれこれと考えていた。


 長崎はなかなか眠らないまさとにしかめっ面だった。

「早く眠りなさいよ……」

 まさとの口はパクパク動くだけで、言葉になっていなかった。

 長崎はまさとが怒ってるのがよくわかっていた。

 そんなまさとを見て長崎はため息をつくと、ベット脇のパイプ椅子に越し掛けた。

「ジルは手順を踏んで眠ってもらうの!」

「んーんーんー!」

「ミサで確立した技術があるから、細胞の再生は出来るけど、時間かかるの!」

 長崎は言うと、まさとの手を握った。

「今、移植しないと、大分くんが死んじゃうの!」

 しかしまさとの目は怒ったままだった。

 長崎はため息をつくと、ためらわず麻酔注射をつき立てた。

「私にまかせてよ」

 そんな時、壁の電話が鳴った。

 長崎が立って受話器を握ると、ジルの声が聞こえてきた。

『ジルです、長崎先生ですか?』

「そうよ?」

『ケーキおいしかったですか?』

「ええ、食べたわよ、おいしかった……でも大分くんは食べられないから……」

『残念です~』

「そうそう、ジル、ちょっと用事が……」

 長崎は話を切り出した瞬間、遮るようにジルが言った。

『まさとさんに代って貰えませんか?』

「……」

 長崎はベットのまさとに目をやった。

 まさとはさっき注射した腕を押さえ、目を真っ赤にしていた。

 長崎は受話器を見つめ、ため息をついた。

「いいわよ、ちょっと待ってて」

 長崎は受話器を持ってまさとの側に行くと、ポケットから小さな機械を出した。

「んーんーんー!」

「何言ってるかわかんないのよね」

 長崎は機械をまさとの喉にばんそうこうで止めると、人差し指を唇に立てた。

「静かに!」

「……」

「ゆっくりしゃべって」

「長崎先生……!」

 まさとの口が微かに動いた。

 今まではっきりしなかった発音が、機械をつけてからははっきりした。

「どうして!」

「喉の振動拾って増幅してるのよ、はい、ジルから電話」

 長崎はまさとの肩に受話器を押し付けた。

 まさとは受話器を枕に押し付けるようにしてしゃべり始めた。

「ジル、どうした?」

 まさとは息切れしながら長崎をにらんだ。

 そんな視線に見向きもしないで、長崎は部屋の外に消えてしまった。

 ドアの閉まる音を聞いて、まさとは言った。

「ジル、逃げろ!」


 ドアの外で、長崎は子機を手にあきれた顔をしていた。

 通路に置かれた長椅子に腰を下ろすと、まさととジルの会話を聞いていた。

『ジル、逃げろ!』

(あらあら、会話筒抜けなのにね~)

 長崎は壁に背中を預けながら、ジルが逃げない事を確信していた。

(でも、大分くんが何を話すかによるけどね)

 長崎はまさとが全部しゃべってしまうと決め込んでいた。

 そして、心臓の事をしゃべったら、ジルは絶対逃げないと思っていた。

(ジルは、あなたの言葉を聞いたら縛られるわよ)

 長崎の脳裏で笑ったり泣いたり、怒ったりしているジルの姿が思い出された。

 黒ウサギが死んだり、小屋を襲った犬が死んだ時涙を流したジル。

(すごく……かわいくなっちゃったわよね)

 長崎はジルが水槽から出て、まぶたを開いた時を思い浮かべた。

 濡れた身体を拭いてやりながら、抱きつくジルの身体を抱きしめた。

 それからは、言葉を教えたり、食事を、トイレを、お風呂を、服の着方も教えたし……一緒にテレビを見たり、遊んだりした。

(研究ばっかりだったから……)

 長崎は笑みを浮かべると、二人の会話に耳を傾けた。


『まさとさん元気そうです~』

「いいから早く逃げるんだ!」

 まさとの唇が痙攣するように動くと、喉の機械から声が出た。

 まさとはその機械が盗聴機になってると決め込んでいた。

『何でぼくが逃げるんです??』

「何でもいいから!」

『まさとさん怒ってますね?』

「言うこと聞け!」

 まさとは深呼吸した。

 胸がちょっと痛んだ。

「長崎先生が、お前を殺そうとしてる」

 まさとの受話器を握る手に汗が噴き出した。

「お前の心臓を、俺に移植しようとしてるんだ」

 電話の向こうで何か言いそうな気配が感じられた。

 でも、まさとはしゃべり続けた。

「ジルと俺とは、遺伝子情報から細胞から、コピーなんだ……だから、心臓だって移植には最高なんだ!」

『え、ええ……』

「だから、殺されたくなかったら、さっさと逃げろ!」

『……』

「逃げれる所まで……」

 まさとは言い終えると、激しく息をした。

 受話器の向こうから微かな音が聞こえた。

 ジルの着ている服が擦れている音だと思った。

「ジル、聞いてるか?」

『ええ、聞いてますよ』

「もう、長崎先生が追ってるかもしれない、早く!」

『ぼくは逃げませんよ』

「ジル!」

『まさとさんはぼくをバカにしてますね?』

「な、何を?」

『昨晩話を聞いちゃったんです……近くで一緒に寝ようって思って行ったら、まさとさん

と長崎先生が話してました』

「な、なら、早く逃げろ、お願いだから」

『ぼくの心臓、まさとさんに上げますよ!』

「ジル、何言ってるかわかってるのか?」

『わかってますよ~』

「お前、死んじゃうんだぞ!心臓なくなったら、血が回らなくなって、電気も出来ないし

人工知能も冷やせない」

 ジルからの返事は、しばらくなかった。

『知ってますよ!』

「なら!」

『でもでも、それでもです!』

 まさとは受話器をにらみつけた。

『学校の友達にも相談したんです』

「友達がわかるわけが……」

『操ちゃんも響ちゃんも、相談にのってくれました』

「子供だろう」

『あっちゃんはお姉ちゃんが死んだ時の話でした』

「……」

『あっちゃんの言葉を聞いて、ぼくも後悔したくないって思ったんです』

「ジル、ジル!」

『それに、ミサもです』

「ジル、お前が血を分けてくれただけで、充分だから……」

『ミサも、大好きな人の為ならって言ってました』

「もういいって、言ってるんだ!」

『ぼくはまさとさんが大好きです、ずっと一緒にいたいです』

「ともかく、逃げろ!」

『ぼくが心臓あげたら、まさとさん助かります』

「お前、死んじゃうんだぞ、俺と会えないぞ!」

『それでもです!』

「バカジル……」

 まさとの言葉に、電話の向こうから笑い声が聞こえた。

 笑いを噛み殺すような、背中を揺すってるのが見えるような声だった。

『ぼくが死んでも、大丈夫です……掃除は掃除機でするし、洗濯は洗濯機です。ごはんは炊飯機がやってくれるし、コンビニ弁当もあります』

「ジル……」

『掃除機も洗濯機もお米を洗うのも、食器を洗うのだって、ミサがいるから全然大丈夫ですよ~』

 明るく言うジル。

 その言葉を聞いてまさとの目に涙が浮かんだ。

『だから、まさとさんは、ぼくがいなくても大丈夫ですよ~』

「学校のウサギとか、ニワトリはどうなるんだ?」

『学校はたくさん人がいるんです、大丈夫ですよ』

「お前、係長だろ、ちゃんとしろよ!」

『ぼくからお願いです……長崎先生と約束した事があるんです』

「話聞けよ!」

『わんちゃんの赤ちゃん、ポチの世話が出来ません~』

「お前がやれよ!」

『今日、来る時に様子を見て来ました……一匹はさみしいから、まさとさんがプレゼントしてくれたロボット犬を置いてきました~』

「ジル、話をちゃんと聞け!」

『ロボット犬も、もらってからずっと動きません……修理おねがいしますね!』

「ああ、わかったから!」

 まさとは受話器に怒鳴った。

「一度、俺の所に来い!」

『ダメです』

「な、何で?」

『まさとさんに会ったら、気持ちが、決心が、へこたれます~』

 てれ笑いのようなのが聞こえて、

『だから、もう、まさとさんの前には行けません』

「ジル……」


 長崎は受話器を手に表情をこわばらせた。

『だから、もう、まさとさんの前には行けません』

「ジル」

『昨日から、ずっと考えてたんです』

「何を?」

『包丁で自殺しようって思ったんですよ』

「自殺……」

『料理の時に何度も指を切ったんですけど、アレは痛いです、こわいです!』

 長崎はそれを聞いて息を呑んだ。

『それに、包丁で胸を刺したらまさとさんに心臓あげられません』

「死ななくていいんだよ」

『この間の停電の時、ミサの電子頭脳が壊れちゃいました』

 長崎は立ち上がると、ドアを開けた。

 いきなり部屋に戻ってきた長崎にまさとはびっくりした。

 長崎が唇に人差し指を立てるのに、まさとは何度も頷いた。

『負荷をかけると、電子頭脳が壊れてしまいます』

「ジル……まさか!」

『家の炊飯機、電気コード切っちゃいました』

 二人の顔が凍りついた。

 長崎はまさとの耳元で、

「出来るだけ引っ張って!」

 まさとは頷き、長崎に目で合図した。

『ミサを見てて、電気なら血も出ないから痛くないかな~って』

「ジル、バカ、止めろ!」

 返事がないのに、まさとは呼び続けた。

「ジル!」

『じゃ、わんちゃんの世話、約束しましたよ!』

 それを聞いて長崎は携帯端末を持って駆け出した。

 まさとに掛ってきた電話は館内通話専用回線だった。

 長崎の携帯端末が、電話の接続元を即座に検索した。

「バカジル!」

 長崎は表示された部屋に走った。

 男子トイレの個室。

 長崎が扉を開くと、閉ざされた弁座の上に受話器と携帯電話が並べて置いてあった。

「なっ!」

 長崎は舌打ちすると、個室の壁を叩いて携帯端末をにらんだ。

(ジルの番号!)

 メンテナンス用の番号を検索した。

 答えはなかなか返って来なかった。


 まさとは身体を揺すったが動ける筈もなかった。

 まさと一人だけになった病室。

 長崎が飛び出したドアがゆっくり開いて、ジルが入って来た。

「ジル!!」

「えへへ、やっぱり最後に顔を見に来ました~」

 ジルはプラグをコンセントに挿し込んだ。

「あのな……」

 まさとが身体を動かしたおかげで、貼付けてあった機械が外れた。

 どんなに叫んでも、まさとの声は出なかった。

 目の前でジルが電気コードを握っていた。

「もっと一緒にいたかったですよ~」

「!!」

 むき出しになった部分をジルが握った。

 それまで半ベソで笑っていたジルの顔が固まった。

「!」

 まさとの口は動くだけで声は出なかった。

 ジルの目が大きく見開かれ、身体が痙攣した。

 ショックでジルの手から導線が離れた。

 ジルの目から魂が抜けていた。

 ぼんやりとした目でまさとを見つめるジル。

 一筋の涙が頬を濡らし、ゆっくりと倒れ始めた。

 ジルが倒れる音が、やたらと大きく感じられた。

「!!」

 まさとがベットから離れられず震えていると、部屋に入って来たのはミサだった。

「ジル……」

 ミサはフラフラしながら部屋に入ると、電気コードを払ってジルの身体を抱えた。

 まさとが声にならないで口をパクパクさせていると、ミサは目を伏せた。

 ゆっくりと首を横に振るミサに、まさとの身体から力が抜けていった。


 クリスマスイブ。

 まさとの眼鏡にはコンピューターの画面が映り込んでいた。

 キーボードの上をまさとの指が慌ただしく動く。

 プラスチックの触れ合う微かな音が途切れる事なく続いた。

 エンターキーを押下した直後だけ、一瞬だがキーを押す音が途切れる。

 画面に並んだ緑色の文字が次々と上に送られていった。

 そんなまさとの操作している画面の横には、ガラスで出来たオブジェがあった。

 ガラスのオブジェ……四角いビデオテープくらいの大きさのそれの中に、緑色の何かが封入されていた。

 コンピューターの基盤だった。

 そんな基盤の所々には、焼けたのか穴が空いたりしていた。

 まさとは時々そんなオブジェに目をやりながら、しかし作業を続けていた。

 そんなまさとの胸元から電子音がする。

 まさとは手を止めると、胸のポケットから携帯を出した。

「あ、長崎先生」

 耳にした携帯から微かに声。

 まさとは左手でキーボードを操作して、作業画面を切り替えた。

 何度か画面を切り替えたところで、まさとは手を止めてそれを見つめた。

 何本もの棒グラフが左から右へと伸びている最中だった。

 どれも八十パーセントを越えた値で、まさとは小さく何度も頷いた。

「あとはこっちのデータですね」

 まさとは言いながら、さっきまで自分が入力していた画面に戻った。

「出来上がってます、早速解凍してそっちに流します」

 まさとがエンターキーを押すと、画面がスクロールしてカウントダウンが始まった。

「じゃ、俺もそっちに行きます」

 携帯を切ってポケットにしまうと、まさとはガラスのオブジェを手に席を立った。

 研究室のデスクの間を、まさとはオブジェを見つめながら歩いた。

 そんな目が細められる。

「ジル……」

 オブジェに封入されているのは、あの日感電して壊れたジルの電子頭脳だった。


 病室にはジルのベットと、それを囲むように数台のパソコンがあった。

 あるモニターには心電図がリアルタイムでグラフを描き、あるモニターではいくつもの数字が表示されていた。

 そんな病室には長崎にさえ、そしてミサがいた。

 病室のドアが開いてまさとが入ってくるのに、三人の目が向けられた。

「再起動……大分くんがやって」

「ええ、そのつもりでした」

 長崎の言葉にまさとは笑みを浮かべ、モニターの前に陣取った。

 そんなまさとの背後に長崎は回って、

「大分くん……そのね……」

「?」

「わかってると思うけど……ジルが復活するかどうか、わかんないわよ」

「……」

 キーボードを操作しているまさとの手が止った。

 そしてゆっくりと長崎に顔を向けた。

 交差する二人の視線。

 長崎は普通の目だったが、まさとの方は険しい目だった。

「前も言ったけど……」

 長崎はため息をついてから、

「ジルの電子頭脳は、データからプログラムから、自分で書き換えて成長していた」

「……」

「大分くん、データ見て知ってるでしょ」

「ええ……知ってます」

 まさとは画面に向き直って、慌ただしくキーボードを叩き始めた。

「データをポンと返したら、またジルがポンと復活……なんて単純なものじゃないっていうのはわかるでしょ?」

「ええ、わかってます」

「……」

「でも、こうするしか……しないときっと後悔すると思うんです」

「大分くん……」

 まさとの手に長崎の手が重ねられた。

 そんな長崎の行動にまさとは手を止めると、長崎に目をやった。

「俺は、それでもジルは帰って来る……そんな気がするんです」

 まさとの言葉に長崎は小さく頷いた。

 そんな長崎を見て、まさとはエンターキーを押下していた。

「ジル……帰ってこいっ!」

 ベットに横たわっているジルのまぶたが微かに震えた。

 まさとや長崎、そしてさえやミサが、そんなジルのまぶたの動きに注目した。



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Aiジルはこれにて終わり…

と、思いきや、続編準備進行中です!

みなさんが「いいね」をたくさん押してくれると進行が早まるかも…しれません!

今まで読んでくれたみなさん、ありがとうございました!

ではでは~!

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