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「じじうさとカタキの犬」

 朝、ジルが飼育小屋に行ってみると、そこに野良犬がいた。

 撃退したけれど、ぐったりと動かないじじうさ。

「長崎先生の所に!」

「ミサも行って!」

 じじうさは助かるのか?


 当直明けの朝、吉田はとろんとした目で校庭の水場で歯を磨いていた。

 もうすぐ八時で、早めに学校に来ている生徒達が挨拶しながら吉田の前を通り過ぎて行った。

「おはようごさいま~す!」

「おおう、係長おはよー」

 ジルとミサがぺこりと頭を下げるのに、吉田は歯ブラシを一度止めてこたえた。

「毎朝頑張るな~」

「ぼくは係長ですから~」

 ニコニコしながら一度教室に上がる二人。

 吉田が再び歯ブラシを動かし始めると、

「せんせーおはよー」

「おはようございます」

「……」

 晶子と操を見て吉田は再び手を止めた。

 操が早く来るのはわかったが、晶子が来るのがわからなかった。

 吉田が指差すのに、晶子は表情を歪めると、

「晶子図書委員だよ~」

「!!」

 吉田が何度も頷いていると、二人は下駄箱に姿を消してしまった。

 そんな二人と入れ代るようにジルとミサが下駄箱から出て来ると、飼育小屋に向かうのを見送った。

 それまでは、いつも通りの朝だった。

「?」

 ミサが走って来ると、下駄箱を通って行ってしまう。

 吉田はウサギやニワトリの餌は配膳室の裏と思って首を傾げた。

 すぐに廊下を走る足音が響いてくる。

 ミサと晶子がうわばきのまま運動場に飛び出した。

「先生!飼育小屋が!」

「!!」

 後から出て来た操が叫ぶのに、吉田は吐こうとしていた歯磨きを思わず飲み込んでしまった。

 そして吉田自身も草履のまま駆け出した。

 吉田が駆け付けると、飼育小屋の中で黒ウサギがぐったりとしていた。

 それを前にジルが膝からくずれ落ちている。

「……」

 身体を震わせながら、茫然と見ているジル。

 吉田も、そして操も晶子も、黒ウサギとジルを交互に見ていた。

 操は血まみれのウサギに言葉を失い、吉田はジルがショックに震えているのに手をかけようとして、それ以上出来ないでいた。

 そして、何とか操が声をかけた。

「ジ、ジル……」

「……」

 目を大きく見開いていた晶子が我に返って叫んだ。

「ジルっ!」

「!」

「じじうさを!」

「う、うん!」

 怒ったような顔をして言う晶子に、ジルは震えながらじじうさを抱いた。

「長崎先生の所に!」

「うん!」

「ミサも行って!」

「はい」

 晶子に怒鳴られるまま、ジルとミサは走り始めた。

 ジルの脳裏で元気だった頃のじじうさが思い出される。

 そして、その時の抱いた感触と今の感触を比べていた。

 じじうさは、ぐったりとして全然動かなかった。

 ジルはひたすらに走った。

 じじうさが動かないのを「おとなしい」と何度も心の中でくり返しながら。

 通い慣れた道を走っているのに、ぜんぜん研究所に着かない。

「ジル」

 時々先行するミサが振り向いて声をかけてくれる。

 ジルは息を切らしながら、それにこたえる事もなく走った。

 研究所のある大学の正門が見えてくる。

 横断歩道を渡ろうとしたジルの腕をミサがつかまえた。

 信号が赤になったばかりだった。

 二人の前を通り過ぎる車に、ジルは抱いているじじうさを見つめた。

 胸のじじうさはじっとしていて、元気だった頃のじじうさと区別がつかなかった。

 でも、ジルが頭を撫でようとすると、その手は血まみれだった。

「!!」

 足元を見れば、血の滴がいくつも赤い点を作っている。

 今、走って来た道に目をやると、点々と血の跡があった。

 ジルがちょっとゆすってみると、じじうさを抱いている胸が冷たく感じられた。

 信号が青に変る。

 ジルはすぐに駆け出した。

 信号の変わり目に飛び込もうとした車がブレーキを鳴らして止る。

 ジルは見向きもしないで研究所の建物に向かった。

 いつもセンサーを見つめて入る扉は既に開かれていて、長崎が立っていた。

「先生っ!」

「操ちゃんから話は聞いてるわ」

 ジルとミサを引き連れて長崎は自分の研究室に入ると、早速天井のライトをつけた。

「先生、じじうさ助かりますよね!」

「早くそこに置く」

 長崎は手術用の手袋をしながらテーブルの前に立った。

 ジルは長崎の前にじじうさを横たえた。

 抱いている時は見えなかった傷口が、奇麗なピンク色をして、ライトを反射して光って見えた。

 ジルはそんなじじうさの様子を見て息を呑み、手を握った。

 じじうさを抱えていた手は血で濡れ、服は血まみれなのだ。

「ジル……」

 震えているジルを見てミサが声をかけた。

 指示を仰ごうとしたミサの目に、長崎は厳しい目で一度頷くだけだ。

 ミサはジルの肩を抱くと、隣の部屋まで連れ出した。

「ジル……大丈夫?」

「う、うん……」

 何とか部屋にあった椅子に座らせる事が出来たミサだったが、ジルの膝ががくがくと震え続けるのを見て表情を曇らせた。

 ジルの顔を覗き込んで見ても、まるで意識がないみたいで、カッと見開かれた瞳は焦点が合っていないようだった。

 ミサは部屋の中を見回し、棚のタオルを手にジルの身体についた血を拭い始めた。

「ジル……」

「……」

「ジル!」

 ミサがめずらしく強い口調で言ったのに、ジルの身体が弾かれたように震えた。

 その震えが小さくなり、ゆっくりとミサの方を見るジル。

「ジル……先生だから、きっとじじうさよくなりますよ」

「ミサ……」

「きっと、よくなります!」

 ジルの手についた血を拭っていたミサの手が止る。

 その拭かれたばかりの手をミサは握りしめた。

 じっと見つめるミサの目にジルは息を呑んだ。

「ね!」

「う、うん……」

 ジルはミサの気迫に押されて頷いていた。


 まさとは職場で長崎からの連絡を受け、表情を曇らせていた。

 アルバイトが病欠で、穴をまさとが埋めないといけなかった。

(落ち込んでるぞ……)

 まさとは社長に頼んで、せめて自分のアパートの下の仕事にしてもらえないか頼んでみたが、すべての店を把握しているのは社長とまさとくらいのものだった。

(しかたないか……)

 ジルを一人にしておくのは、普段ならたいして心配はなかった。

 まさとが仕事で遅い事はしょっちゅうで、その時の食事はアパート下のコンビニで買って来るように言ってあった。

 それに火の扱いも、料理の勉強の時にかなり火傷をしたらしく、今のジルなら安心だと思った。

 ミサもいるのだ。

(でも……)

 そんな日常の心配の必要はないぐらいジルはしっかりしているのだけれども、お気に入りのウサギが瀕死の重傷となれば話が別だ。

(ミサ頼むぞ……)

 まさとは思いながら店内の時計に目をやった。

 交代はまだまだ先だった。

 まさとをいらいらさせたのは、今日の時計の針の動きがやたらと遅い事だった。


 翌日は土曜日。

 誰もいない朝の校庭。

 正門脇の小さな門が開かれると、ジルが一人入って来る。

 ジルは黙って飼育小屋に向かうと、最初に扉の南京錠を確かめた。

 何度も手で鍵をガチャガチャとしてみたが、しっかりと鍵はかかっていた。

 ジルの指が金網にかかった。

 遠くで小鳥のさえずりがして、羽根音が聞こえる。

 小屋の中のニワトリが首を振りながらジルの方にやって来ると、見上げて翼を羽ばたかせた。

「……」

 ジルがしゃがんでニワトリを見ていると、急に自分の回りだけ暗くなった。

「オハヨー!」

「!」

 ジルは自分の頭にずっしりと重い物が乗りかかって来たのにあわてて立ち上がった。

「クーちゃんクーちゃん!」

 ジルはあわてて頭の上に手をやると、クロウの身体を捕まえた。

「クーちゃん!」

「オハヨー」

 ジルはクロウを抱きしめると、運動場の方に目をやった。

 そこにはミサと晶子が微笑んでいた。

「おはよー!」

「あっちゃん……」

「ミサが……一人で出ていったからって電話して来たんだ」

「そう……なんですか……」

「元気出しなよ~」

「ゲンキダシナヨ~」

 ジルは自分の胸元でクロウが言うのに微笑んだ。

 それからミサにクロウを手渡すと、晶子に目で合図した。

「あっちゃん……」

「何?」

 ジルが頷くのを見て晶子は歩み寄ると、一緒に南京錠のかかっている扉の前に立って鍵をポケットから出した。

「ぼく……操ちゃんとケーキ作る約束したんだ」

「……」

「あっちゃんが言ってくれたんだよね」

 ジルは言うと、南京錠を開けた。

 金網の扉をちょっとだけ開ける。

「?」

 ジルは改めて南京錠を開けた扉の方にかけ、音がするまで押し込んだ。

「ぼくは操ちゃんとケーキ作れるって……すごく嬉しかったんだ」

 ジルは鍵のかかった扉をゆっくりと開けた。

 鍵は扉の方だけにしか、かかっていなかった。

「朝来たら、鍵はこっちにしかかかってなかったんだ」

 ジルは扉を開けたり閉めたりしながら、

「ぼくがもっとしっかりしていれば……よかったんだ」

 ジルの言葉に晶子は言葉がなかった。

 三人は小屋の中に入るとニワトリ小屋を抜けてウサギ小屋に入った。

「ぼくが来た時、まだ犬が中にいたんです」

 ジルは足元に寄って来た白ウサギを抱き上げると、

「この二匹が隅で丸くなってるのを、じじうさが守ってました」

 胸の白ウサギを撫でながら、ジルは鼻をすすった。

「犬が外に出て行って、ぼくが入ったらじじうさが飛び跳ねて来て……そして動かなくなってしまったんです」

「……」

 ジルは抱いていたウサギを足元に放すと、

「ぼくがしっかりしていれば、じじうさはあんなになりませんでした」

「……」

「せっかく元気になったのに……ぼくが操ちゃんの事で頭が一杯だったばっかりに」

 ジルが鼻をすするのを聞いて、晶子はポケットに手を突っ込んだ。

 しかしそこにはハンカチはなかった。

 代わりに隣に立っていたミサがハンカチを出した。

「ぼくは係長なんだから……」

 ジルの目は揺れていたが、涙が頬を濡らす事はなかった。

 何度も肩を上下させ、鼻をすすり続けるだけだった。

 ミサがハンカチを引っ込めると、ジルが言った。

「あっちゃん、ミサ……掃除しといてくれる?」

「う、うん……」

「ぼく、餌取ってくる」

 ジルはトボトボと歩き始めた。

 そんな背中を見て晶子はミサに目をやったが、ミサはちょっと考えてから首を横に振って、

「大丈夫ですよ」

「そう?」

「私のお兄ちゃんなんですから」


 じじうさの容体がはっきりしないまま、月曜日になっていた。

 日曜を挟んで久しぶりに学校で顔を合わせたクラスメイトも、ジルに声をかける事ができなかった。

 ジルは教室に鞄を置くと、すぐに飼育小屋に向かった。

 クラスメイトはジルの姿が教室から消えたところで、そろってため息をついていた。

 晶子がジルに続いて行こうとしたミサの肩をつかまえた。

「ミサ!」

「はい?」

「ジル、まだ元気じゃないの?」

 聞くまでもない質問だった。

 ミサは微笑み頷くと、

「今日、連絡が入ると思います」

 近くにいた操の表情が曇った。

「今日連絡?」

「多分……そう思うんですけど」

「私のところに電話来たよ」

「え!」

 ミサ・晶子、そしてやって来た響子が声を上げる。

 操はちょっと小さくなると携帯電話を出してから唇を開いた。

「……」

「操ちゃん!」

「……」

 晶子の声にも、操は声を出す事が出来なかった。

 操の視線がどこかを見つめているのに気付いた三人は、操の視線の先を確かめた。

「ジ、ジル!」

 出て行った筈のジルがそこにいた。

 怒った顔をして四人を見つめるジル。

「いいい行ったんじゃなかったの!」

 引きつって言う晶子を押し退け、ジルは操に迫った。

「操ちゃん……先生何て?」

 迫って来るジルの影に入る操。

 まっすぐに見つめる青い瞳は、殺気にも似たオーラを放っていた。

「先生は……」

 操はそこまで言って、続きの言葉が出なくなった。

 ジルはじっと見つめ続ける。

 操が顔を逸らすのを見て、ジルは踵を返すと駆け出した。

「ジル!」

 晶子が追おうとして足を絡ませ転んだ。

 連鎖的に響子・ミサも巻き込まれると床に倒れ、出て行くジルを見送った。

 ジルは階段を三段飛びで駆け降り、靴も履きかえずに飛び出した。

 歯を磨いていた吉田が何か言ったがかまわず走り続けた。

 校門を飛び出して校庭に沿って走っていると、晶子の声がした。

 ジルは交差点で車にクラクションを鳴らされて、ようやく足を止める。

 びっくりして後ずさりしたところで、バランスを崩して尻もちをついた。

 赤信号に一度息をつくと、立ち上がった。

 手についた土を払いながら、ふとそんな自分の手を見つめた。

 土曜日曜と毎日お風呂にも入ったし、歯を磨いたり顔を洗ったりした時に、何度も手を洗っていた。

 金曜日に、じじうさを残して研究所を出た時だって手は洗った。

 様子を聞きに研究所に行った時も、トイレで洗った。

 そんな白い指先が、じじうさの血に染まった時の指先と重なる。

(じじうさ……)

 信号が青に変る。

 ジルは表情をこわばらせて走り始めた。

 通りを歩く人々が、そんなジルを少し驚いた感じで避ける。

「ジルっ!」

 晶子とミサ・響子が交差点で追い付こうとしたところで信号が変っていた。

「行っちゃった!」

 晶子は背中を丸め、手で膝を押さえながら行ってしまったジルを見つめた。

「こんな、ときは、元気、だね……」

「あっちゃん、どうする?」

 晶子と響子はミサを見つめた。

 響子が受話器を耳に当てるようなしぐさをしたのにミサは頷く。

 ミサが瞳を閉じてるのを二人は固唾を呑んで見守っていると、

「先生と連絡とれました……先生もジルを待ってるみたいです」

「そ、そう……」

 ミサはゆっくりと目を見開くと二人を見ながら、

「どうします?」

 ミサの視線に響子は困った顔をし、晶子も腕を組んで動きを止めた。

 通りを行き来する車の音やバス停の学生達の声がする中、晶子がゆっくりと顔を上げて言った。

「ミサは行って……晶子達は帰るよ」

「わかりました」

 ミサは手を振るとくるりと背を向けて走り出した。

 晶子と響子はそれを見て頷くと、学校に向かって歩き始めた。


 研究所の扉が次々と開錠されていくのが長崎の前のモニターに表示されていた。

 足音がして、長崎の部屋の扉が開かれた。

「先生っ!」

 長崎が席を立つと、ジルは体当たりしてきた。

 そんなジルの身体を長崎はしっかりと受け止めると、目を細めてジルの頭を見下ろしていた。

「じじうさ、死んじゃったんですね!」

「ええ」

「何で教えてくれなかったんです!」

 ジルの右手は長崎の白衣を掴み、もう一方の手は固く握られ震えていた。

「ぼく、毎日来てたのに!」

「……」

「先生何で、何でじじうさ死んじゃったんです!」

「怪我と出血よ、犬に噛まれてたの」

 押し殺したような声にジルの動きが止った。

「ここに来て、すぐに死んだのよ」

「そ、そんな……」

 ジルの瞳から涙がポロポロとこぼれた。

「先生この間だって助けてくれたじゃないですか!」

 ジルは激しく白衣を揺すった。

 しかし長崎は目を細めて、ただじっとジルを見つめているだけだった。

 そんな目にジルは大声を上げた。

「ぼくやミサみたいに、じじうさの新しい身体作ってよ!」

「……」

「新しい身体があったら、じじうさだってきっと助かるから!」

 ジルの固められた掌が白衣を叩く。

 しかし、長崎は顔色一つ変えなかった。

 ゆっくりと手を上げると、テーブルの上のダンボールに手をかけ、ズルズルと音をさせながらジルの方に寄こした。

「埋めてあげなさい」

「!」

 ジルは唇を震わせ長崎をにらみつけた。

 ジャンプして長崎の襟首をつかんだ。

「今から、じじうさを生き返らせて!」

「……」

「生き返らせて!生き返らせて!生き返らせて!生き返らせて!生き返らせてっ!」

 その時ミサも部屋に入って来た。

 長崎はミサを見て微笑むと、ミサはその場に足を止めた。

 ジルが叫び、ミサが見守る中、長崎は目を閉じるとしばらく沈黙を守っていた。

 そんな長崎の態度にジルの声も止み、つかんでいた襟首も放した。

 静かになったのに、長崎はしゃがんでジルと視線を同じにすると、

「ごめんなさい……出来る事と、出来ない事があるの」

 長崎は優しく言うと、ジルの頬に手をやり、ゆっくりと撫でた。

 言葉を聞いた瞬間、ジルの瞳が大きく見開かれ、そこに長崎の顔が映り込んだ。

 長崎が行ってしまっても、ジルは立ちつくしたままだった。

「ジル……」

 ミサは声と、そして電子頭脳の回線を通してジルに話しかけていた。

 しかし返事はまったくなく、ミサがジルに歩み寄ろうと一歩を踏み出したのと同時に膝から崩れ落ちた。

「ジル!」

 ミサが駆け寄り肩を掴むより早く、ジルは背中を丸め床に手をついてしまった。

「う、ううっ……」

 ジルの嗚咽にミサの伸ばした手は、あと一センチもないジルの背中に触れる事ができなかった。

「ううっ……」

 ジルの眼鏡に涙が溜り、あふれた滴が床を濡らした。

「ぼくが……ぼくが鍵をしっかりしなかったから!」

 ミサはうずくまったままのジルを見て目を細めると、そのまま部屋を出て行ってしまった。

 ジルは泣き続けた。

 頭の中ではじじうさを初めて抱いた日の、額に傷のある隻眼の黒ウサギの姿で一杯だった。

 自らの胸を抱きしめるジル。

 しかしそこにはじじうさはいなかった。

 目から眼鏡、そして鼻先をつたって涙が次々とこぼれた。

 じじうさが頬を舐めた日を思い出しながら、ジルは腕に力を込めた。


 噴水の所にある柱の時計は三時を回っていた。

「もう、大丈夫だよ~」

 ダンボールを抱えて出て来たジルはミサを見て微笑んだ。

 しかしその瞳はちょっと血走っていた。

「どこに……お墓を作ってあげたらいいかな?」

「そうですね……」

 ミサはダンボールを受け取ろうとしたが、ジルが目を伏せて首を横に振るのに手を引っ込めた。

「先生がフェンスの所って言ってました」

 ミサが言いながら、敷地の境の金網を指差して言うのにジルは頷いた。

 夏に向かっている陽の光は真っ白で、ジルは建物の影から出たところでまぶしくて足を止めた。

 右手で太陽の光を遮りながら、空を見上げた。

 青い空には所々ぽつぽつと真っ白い雲が浮かんでいた。

 芝生の上を歩いてフェンス際まで行くと、そこにはレンガで出来た花壇がずっと続いていて、一瞬二人は途方にくれた。

 が、左右を見渡すと一ヶ所花壇が切れている所があった。

 ジルとミサは目を見合わせて頷くと、そちらに足を向けた。

「!!」

 行ってみると、そこだけ芝生がなくて土がむき出しになっていた。

「お墓ですね」

「うん……」

 ミサの言葉にジルは頷くと、その場にしゃがみ込んだ。

 レンガが切れている所は結構広くて、そこにはわかるだけで二十もの石の塔が作られていた。

「じじうさがいた飼育小屋、空でしたもんね」

「そうだね」

 二人はじじうさがいた飼育小屋を見てから、再び石が積まれたお墓に目をやった。

 ジルはしゃがんでダンボールを下ろすと、一番隅の芝生と地面の境目辺りに目を付けて言った。

「ぼくがお墓を掘るから、ミサは石を拾ってきてよ」

「はい」

 ミサはちょっと考えると、ゆっくりと来た方に戻った。

 ジルはダンボールの中のスコップを手にすると、黙々と地面を掘り始めた。

 スコップを動かす度に、ジルの脳裏にじじうさの姿がよみがえってきた。

 さっきたくさん泣いて、お別れを済ませたつもりでいた。

 スコップを一度また一度と動かす度に、頭の中のじじうさは元気に動き回るのだ。

 ジルの知っているじじうさは、いつだって地面で丸くなって、むくむくしているだけだったのに、頭の中のじじうさは二本足で立ったりする。

 穴を掘った分の土が山を作る。

 その山の高さが段々と高くなるのに合わせるように、ジルの頭の中のじじうさはどんどん元気になっていった。

 頭の中で元気に動き回っている隻眼の黒ウサギに、ジルの顔もついついほころんだ。

(じじうさはおじいさんウサギだから、そんなに動かないよ~)

 ジルが思うと、頭の中で駆け回っていたじじうさがジルの頬を舐めるような気がするのだった。

 大体いいかなと思うところでスコップを置くと、ジルは箱の中の新聞紙を見つめた。

 血まみれになった手を思い出しながら、その新聞紙を開いてみる。

 紙のこすれる音がして、じじうさの黒い毛が見えた。

「……」

 そこには生きていた頃そのままのじじうさがいた。

 抱えてみたが、血がつくような事はなかった。

 怪我をしたところは毛が剃られていたが、しっかりと傷口が縫われていた。

「先生……」

 ジルはじじうさが生きていた頃のように抱くと、その頭を撫でてやった。

 最初はこわいと思った額の傷も、今はへっちゃらだ。

 ジルがどんなに撫でても、身体を揺すってみても、じじうさはまぶたを開かなかったし鼻をひくひくさせる事もなかった。

 そして、その身体に温もりはなかった。

「ジル~!」

「あっちゃん!」

 おさげを揺らしながらミサと一緒に晶子がやって来る。

「心配になったから来てみたよ」

「どうもです~」

 座ってじじうさを抱いているジルを見て晶子は微笑むと、

「ミサがお墓の石を探してるって言ってたけど、この辺ないよね」

 晶子の言葉にミサが頷き、ジルはちょっと視線を泳がせてから笑った。

「でも、お墓の石がないと困りますね」

「他のお墓の、取ったら悪いもんね」

 晶子は目を丸くすると、ポケットに手を突っ込んで花壇の方に歩み寄った。

 そして花壇のレンガを一つ一つ品定めすると、角の一つを掴んだ。

 晶子の手の甲の腱が浮き上がるのがジルの目にもはっきりわかった。

 そして、晶子の手にしていたレンガが簡単に外れてしまったのだ。

「これでいいかな?」

「……」

 ジルは外れた赤レンガを見て一瞬厳しい表情をしたが、ちょっと考えてから首を横に振った。

 なんとか敷地じゅうを回って石を集めると、ジルはじじうさを穴の中に置いた。

 手で土をかけていると、枯れた筈の涙がどんどん溜まっていく。

 全部埋めて、その上に石で山を作ったところで涙が一気にあふれた。

「じじうさ死んじゃった……」

「ジル……」

「ぼくが殺しちゃったんだ!」

 ジルは腕で涙を拭い、鼻をすすりながら、

「ぼくが代ってあげられたら……」

「そ、そんな……」

 晶子が近寄って来て、ジルの服を引っ張った。

 ミサが積まれた石を見てつぶやいた。

「人は、手術する時、輸血したりします」

「輸血……」

「移植なんかもします」

 ジルはそれを聞いてうつむいてしまった。

「ぼくは人間の身体だから、じじうさに身体あげられないよ……」

 墓石を見つめるジルの腕をミサがつかんだ。

「ジル……」

「ミサ?」

「ジルは……ずっとお見舞いに来ました」

 ミサのまっすぐに見つめる瞳に、ジルは身動きが取れなくなっていた。

「だからじじうさだって、きっとわかってくれた筈です」

 ミサの手がジルの身体を揺すった。

 ジルはそんなミサにただ頷いた。


 昼休みの学校。

 ミサは操の手を引いて飼育小屋から離れた所でジルを見守っていた。

 晶子と響子も一緒になって小屋を見つめていた。

「あの……ジルを元気付けてあげてください」

「私に出来るのは、一緒に小屋の掃除をしたりくらい……」

 操の手を握るミサの手に力がこもった。

「お願いします」

「……」

「操ちゃんじゃないと、きっとダメなんです」

 ミサの言葉に操は額に噴き出した汗を拭いながら、

「何で私じゃないといけないの?」

 晶子と響子も首をかしげると、

「そうだよ、ミサでもきっといいと思うよ」

 晶子の言葉に響子も続く。

「うん、あたしもミサは一緒に暮らしているくらいだから、ミサの方が元気付けられると思うんだけど」

 そんな言葉にミサは厳しい顔をして首を横に振った。

「毎日一緒に暮らしています……でも、私はジルの特別ではないんです」

 そう言ってミサは操をじっと見つめた。

 向けられた視線に操は意味を悟って頬を赤らめると、

「で、でも……ミサは一緒にいる時間が長いから絶対私よりも……」

「一緒に食事をしても、一緒にお風呂に入っても……」

 途端に操の手がミサの襟首をつかんだ。

「い、今何て?」

「え?」

「一緒にお風呂?」

 ミサを捕まえ、にらみつける操。

 すぐさま晶子が割って入り、響子が操を羽交い絞めにした。

 響子は操の口を塞ぐ。

 晶子はちょっと考えるような顔をして、

「ミサの裸でダメならやっぱり操ちゃんしか……」

 響子に口をふさがれた操は手足をばたつかせていたが、一回り大きな響子の腕から逃れる事は出来ないでいた。

 するといきなり四人の前にジルが顔を出した。

「!!」

「あっちゃん!」

 いきなり出てきたジルに四人は目を丸くしたが、ジルは四人をしばらく見て、晶子の手を握って駆け出した。

「あわわ……ジル、どーしたの?」

「こっちこっち!」

「な、何なに?」

 ジルに手を引かれて行った先は飼育小屋近くの生垣だった。

「ジル……」

「犬がいました」

「え?」

 ジルの後に続いて晶子が進んでいると、鼻をつく異臭がした。

「ほら」

「!!」

 ジルの指差した先には、一匹の犬が横たわっていた。

 赤い首輪をした犬だった。

「あれは小屋を襲った犬です」

「そう……なの」

「ぼく叩いたから覚えてます~」

「そ、そう……」

「赤い首輪をしていました~」

「う、うん……そうだね」

 晶子が近付くと、犬が歯を剥き出しにして威嚇するのがわかった。

「どうしたのかな?」

「……」

 晶子の言葉にジルは表情をこわばらせたまま、生垣を離れた。

「さっき変なにおいがすると思ったら……」

「そうなの」

「どうしたらいいんでしょう」

 ジルは操やミサ、響子にも犬の事を話すと生垣に足を運んだ。

「あれが小屋を襲った犬なの……」

「ええ、間違いありません」

 操の言葉にこたえながら、ジルは横たわる犬をじっと見つめた。

 茶色い毛並みはどことなく生気がなく、犬の額は血で汚れていた。

「ぼくが叩いて、頭あんなになってるんです」

 四人はジルの顔をじっと見つめた。

 そんな視線にジルはしばらくして気付くと、首を傾げた。


 ジルは職員室の吉田に報告すると、

「そうか……保健所に連絡かな」

「保健所で預かってくれるんですね」

「ま、まぁ、そうだな……」

 ジルは吉田が口篭るのを見逃さなかった。

「先生、どうしたんですか?」

「あ、ああ……預かるってもな……殺しちゃうんだけど……」

 吉田は一瞬本当の事を言うべきか迷ったが、新聞で顔を隠しながら言った。

「え……殺しちゃうんですか」

「ああ、うん、そう」

 ジルは新聞に隠れている吉田を見て、その服を引っ張った。

 それでも吉田が新聞に隠れていると、ジルはその新聞を取ってしまった。

「先生……保健所で犬、殺しちゃうんですか?」

「……」

 吉田はジルの瞳に見つめられて息を呑んだ。

「しかしどうしようもないだろう……犬は学校で飼えないぞ」

「はあ……」

 吉田の言葉にジルはがっくりとうなだれると、くるりと背を向けトボトボと教員室のドアへと向かった。

「ジル、どうだった?」

 待ちかねていた晶子が真っ先に聞いた。

「う、うん……保健所なんだって」

 途端にミサを除く三人の表情が曇った。

 しかし、そんな三人の顔色を見てジルは厳しい目をすると、

「いいんです、あんな犬、死んじゃえば」

「!!」

「じじうさも殺しちゃうし、悪いヤツなんです」

 四人を置いてさっさと教室に向かうジルに、ミサがつぶやいた。

「ジル……どうしちゃったんでしょう?」

「うん、何かジルらしくないよね」

 しかし、ミサと晶子の言葉に響子が、

「でも、お気に入りを殺されたりしたら、誰でも怨んだりしない?」

 ジルの姿が見えなくなるまで見送ってから、三人の視線が操に集中した。

「操ちゃん、何とかできない?」

「な、何で私なの?」

「だってジルは操ちゃんが好きなわけだし……」

 晶子は響子に目で合図を送った。

「そうそう、あたしも操ちゃんに行ってほしいな」

 響子はミサを見つめた。

「ですね……ジルの気持ちを動かせるのは、操ちゃんだけのような気がします」

 操はミサの青い瞳が見つめているのに渋い顔をすると、

「何でも私なんだね」

 操は深いため息をつくとジルの後を追って駆け出した。

 廊下を曲がる直前に操は立ち止ると、

「そのかわり……ミサにお願いあるんだけど」

「はい?」

「その……ジルと一緒にお風呂に入るの、やめてね」

 操は顔を真っ赤にして言うと、行ってしまった。


 ジルは犬の姿を確かめてから、操の所に戻って来た。

「どうしたの?」

「うん……まだいた」

「どこにも行けないんじゃないの?」

「うん、多分」

 操も犬を見て戻って来ると、

「もう、ダメみたいな感じだね」

「うん……」

 ジルは頷くと、瞳をゆらしながら操を見つめた。

「ぼくが叩いたから、死んじゃうんでしょうか?」

「うーん……」

 操はちょっと考えて、今一度様子を見て戻って来ると、

「それは違うんじゃない?」

「そうですか?」

「うん、額の怪我は血が出てるけど、そんなにひどくないみたいだよ」

「……」

「力いっぱい叩いたの?」

「うん……でも、当たったかどうか、よく覚えてない」

 操は微笑むと、

「ジルじゃなくて、じじうさが戦って怪我させたんじゃないの?」

「そうなんでしょうか……」

 操は犬の様子を思い出しながら、

「毛並みや身体のつやがなかったから、もう歳だったのかもしれないよ」

「それなら……ぼくのせいじゃないですよね」

「うん」

 ジルはちょっと笑ってみせると、

「うん……でも……死んじゃいそうだよね」

 ジルは歩きながら、時々操に視線をやっていた。

「なんとか、助けてあげられないかなぁ」

 ジルの言葉に操は一瞬目を丸くし、そしてホッとしていた。

(死んじゃえ……なんて言ってたのに)

 操は思いながら、

「長崎先生にお願いしたらどう?」

「長崎先生ですか……」

「うん」

「この間、ひどいこと言っちゃったし……怒ってないかな?」

 操の返事を待っていたけれども、ジルはそれを聞く事はなかった。


 翌日、当直明けの吉田が校庭の水場で顔を洗っているとジルが走って来た。

「先生っ!」

「おー係長、どうしたー?」

「犬が!犬が!」

 吉田はすぐさま一歩を踏み出したが、それ以上は前に出られなかった。

「犬」とは生垣の中でぐったりしている犬の事だった。

 弱っているのは聞いていたが、それをジルが言って来た理由はだいたい察しがついていた。

「ジル……犬は、そっとしとけ」

「えっ……でも」

「お前、あれは小屋を襲った犬だぞ」

「……」

 ジルは吉田の顔をじっと見つめたが、何も返事がないのに踵を返すと生垣に向かって駆け出した。

 生垣の影に横たわっている犬は、もうジルの方を向く事も出来ないでいた。

 しかし、ジルの足音を聞くと低く唸って歯をむくのだ。

(どうしよう……)

 一度ジルは引き返して、水を汲んで来ると犬の鼻先に置いた。

 犬は唸ってはいるものの、飛び付いてジルの手を噛んだり出来なかった。

(弱ってます……)

 ジルはしゃがみ込むと、歯をむき出しにしている犬をじっと見つめた。

 唸ってはいるものの、まったく身動きしない犬にジルは手を伸ばした。

(噛みつかれるかな?)

 ゆっくりと差し出された手は、犬の唸る声が大きくなる度に進んでは止った。

(!!)

 目を閉じて、さっと犬の額に手を重ねた。

 血の固まった毛は、あまり感触のよいものではなかった。

 犬は唸り続けていたけれども、ジルは息を呑んでその頭をゆっくりと撫でた。

 そんなジルの手の動きに、次第に犬の唸り声はおさまっていった。

 犬の目が穏やかになったのを見て、ジルは肩の力を抜いた。

(さて、どうしましょう……)

 犬はじじうさを噛み殺した憎いヤツだった。

 しかし、弱っている姿を目の当りにすると、憎らしさはどこかに消えてしまった。

 ジルは悩んだあげく、ミサを呼ぶ事にした。

 同時に操の携帯も頭の中で念じていた。

 二人がジルの呼び掛けにこたえ、来てくれるまで一分もかからなかった。

「小屋にいないから、びっくりしたよ」

 操が息を弾ませて生垣に現れたのに、ジルは満面の笑みでこたえた。

 二人はジルが犬を撫でているのを見て一瞬緊張した表情を見せると、

「ジル、どうしたの?」

「この犬は弱ってて、どうしていいかわかりません」

「そ、そりゃ、弱ってるけど……」

「う、うん……」

 操もしゃがみこんで、犬の身体を撫でると唇を歪めた。

「長崎先生の所に連れて行く?」

 操の瞳に見つめられて、ジルは一度犬の方を見てため息をついた。


 ジルは犬を抱えて長崎のもとに訪れていた。

 すでに長崎の部屋・手術台の上に横たえられている犬に長崎は鼻をつぐんだ。

「先生~」

「あーもう、犬持ってきて」

 長崎は犬をちょっと診てから腕を組むと、脇に置いてあるモニターを見せ、

「さっきから犬の事は知ってるのよ」

「ふえ、ぼくが見たのと一緒です~」

「これはあんたの見たのを、そのまま出してるの!」

「そうなんですか~」

「においの方もだいたいわかっているんだから」

「においもわかるんですか!」

「数字だけどね」

 長崎はモニターの前に丸椅子を出して腰を下ろすと、

「この犬、助からないわよ」

 ストレートな言いように、ジルの身体が一瞬弾かれたようになった。

「画面も出てたし、においもだいたいわかってたから、来るまでもなかったの」

「そ、そんな……」

「もう寿命なのよ」

 長崎が平然と言うのに、ジルは白衣を引っ張って言った。

「先生額に傷があるんですよ、あれ、治したらよくなりますよ」

「無理」

「治してみましょうよ!」

「無駄」

 長崎の言葉にジルは膨れると、その場でピョンピョン飛び跳ねた。

「治して!治して!治して!治して!治して!治して!治してー!」

 長崎は急に立ち上がるとジルを見下ろした。

「それより……」

「モウ、早く治してよー!」

 長崎は犬に向かうと医療用の手袋をし、マスクを装着した。

「ウサギの時もそうだったけど、どうしてそうキャンキャンうるさいかな」

「先生が早く治してくれれば、ぼくも叫んだりしません」

 長崎は犬の額に見向きもせず、身体の方を触り始めた。

「怪我はこっちです!」

「うるせー!」

 長崎が怒鳴るのに、ジルは小さくなってしまった。

「だって先生いじわるばっかり……」

「何もしてないじゃない!」

 長崎は引き出しから注射やメス、はさみを出すと台の上に置いた。

「ウサギ殺した犬だし」

「そ、そうですけど……」

「普通憎たらしいとか、殺したいとか思わないかしら?」

「うう……」

「こいつ、ウサギ殺したのよ!」

 長崎の声にジルはうつむいてしまった。

 再び顔を上げ、台の上に目をやると、

「でもでも……」

「何!」

「でも、弱ってます!」

 ジルはぐったりとした犬の頭を撫でると、

「ぼくは助けてあげたいんです!」

 ジルは長崎をにらみつけたが、長崎は顔色一つかえなかった。

「ダメなものはだめ!」

「う……」

 長崎は血まみれの手袋を外しながら、

「助けたらどうするの?ジル飼えるの?」

「そ、それは、ここに飼育小屋あるし……」

 長崎はジルの言葉にため息をつくと、

「その、あの飼育小屋使うのはいいけど、面倒見れるの?餌とか水とか!」

 長崎は言っておきながら、ジルならやりかねないと思った。

 幸い沈黙しているジルを見て長崎は次の言葉を考えた。

「その……犬を飼ったとして、また死ぬわよ、いいの?」

「……」

「ペットは人間より寿命短いんだから……この老いぼれ治しても、間違いなくジルより先に死ぬわよ」

「死んじゃうんですか……」

 ジルが真剣な表情になるのを見て、長崎は改めて手袋をした。

 長崎が再び作業に戻っても、ジルは考えたまま何もこたえないでいた。

 そのうちにトボトボとその場を離れ、さっき長崎が出した丸椅子に座った。

 長崎は一連の作業を終えると、再び手袋を外して手を洗い始めた。

「ジルー!」

「死んじゃうんだとしても……」

「……」

「ぼくはそれまで、一緒にいたいんです」

 長崎は表情を歪めると、ジルの前に立って聞いた。

「死に別れるのは、悲しいわよ」

 ジルは顔を上げ、手術台の上の犬を見つめて、

「それでも、です!」

「……」

「先の事なんて、飼ってあげられるかなんてわかりません!」

「なら……」

「でも、今、死なせたくないんです!」

 長崎はジルの言葉にトーンを一つ落した声で、

「犬、死んじゃったわよ」

「……」

「ちゃんと世話、すんのよ」

 長崎はタオルにくるまれた仔犬をジルに見せると、

「先生、これは?」

 まだ毛も生えていない仔犬にジルは驚いた顔で言った。

「お腹の中にいたのよ~」

「ふえ、わんちゃんです~」

 ジルは渡された仔犬をおっかなびっくりで胸に抱くと瞳を輝かせた。

「その犬は親がいないんだから、ジルがしっかり世話しなさい」

 長崎の言葉に合わせるようにミサが入って来ると、ジルの胸に抱かれた犬をのぞきこんで微笑んだ。

「先生、名前は?」

「犬はポチよ」

「ポチですか~かわいいです~」

(そ、そうか??)

 しかし、ジルのしぐさに長崎の表情も自然と優しくなった。



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「ミサはメンテナンスで長崎先生の所です」

「メンテナンス?」

「この間の停電騒ぎから、ちょっと調子悪いみたいなんです」

「そうなの……ジルは大丈夫」

「えへへ~」


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