「お泊り物語」
「そうそう、ぼくは今日、お泊りですよ」
「お泊り?」
「あっちゃんのお兄ちゃんの所ですよ」
「ああ、憲史さん」
何故か研究所じゃなくて憲史の家にお泊りなジル……その晩ジルは……!!
学校の飼育小屋にはじじうさが戻っていた。
ジルと操がそんな飼育小屋を掃除していた。
「じじうさが戻ってきてよかったね」
「ですです~」
ジルはニコニコしながら、じじうさを抱き上げた。
「でも、ミサはまだダメなの?」
「昨日のウイルス騒ぎで、まだ頭が痛いみたいです~」
「家で寝てるの?」
「研究所に行ってます」
ジルは操を見ながら、
「そうそう、ぼくは今日、お泊りですよ」
「お泊り?」
「あっちゃんのお兄ちゃんの所ですよ」
「ああ、憲史さん」
「お泊りですよ~」
ジルの言葉に操は考えるような顔になって、
「何でジルがお泊りなの?」
「!!」
ジルは公園の出来事を思い出しながら、
「公園で襲われたんで、まさとさんが夜勤の間って事です」
「ふうん……そう」
「あっちゃんのところにお泊りだから、ちょっと安心です~」
「でも、何で研究所とかじゃないの?」
「ふえ?」
「研究所に預けてもらったら、もっと安全そう」
「そ、そんな事言われても~」
操はジルが困ってるのを見てクスクス笑いながら、
「あっちゃんと一緒でよかったね」
「……」
「どうしたの?」
「操ちゃんの所だと、もっとよかったのに~」
顔を真っ赤にして言うジルに、操はこたえに困っていると、ジルはすかさず操の手を握って言った。
「操ちゃん……」
「な、何?」
「あ、あの……」
「?」
ジルは操を見つめて、なかなか次の言葉が言いだせないでいた。
操を見つめるジルの脳裏では「ジルくん、好き……」と言ったミサの顔が何度もリプレイされていた。
「どうしたの?」
「う、うん……そう、お願いがあるんです!」
「お願い?」
「そう!」
「ケーキ一緒に作るの?」
「!!」
操の手を握るジルの手に力がこもった。
「操ちゃん、ぼくの思ってる事わかるんです?」
「あっちゃんから聞いたよ」
「そ、そうですか……」
ジルは一瞬肩を落したものの、すぐにミサの「ジルくん、好き……」が膨らんだ。
「?」
目の前には首を傾げる操。
ジルは赤面し、頭を掻きながら、
「あっちゃん様さまです~」
「丸いの一個、食べたいんだよね」
「えへへ……でもでも、じじうさの快気祝いというのがありますよ~」
「ジルが……食べたいんだよね?」
「えへへ……ですです~」
それまで微笑んでいた操の顔が真顔に戻った。
ジルの手を握り返してくる操。
「大分のお兄さんは、誕生日はいつなの?」
「!!」
操の言葉にジルは目を丸くした。
それまでケーキを食べたいのは自分の為でしかなかった。
この間、ジルのラーメンを食べているまさとの姿が頭の中に思い出された。
「まさとさんの誕生日ですか?」
「そう、もしかしたらって」
ジルは操の手を握ると何度も上下して、
「今日、ミサを迎えに行ったら長崎先生に聞いてみます!」
二人はそんな会話をしながら飼育小屋を出た。
ジルの手が引っかけてあった南京錠を押し込むと、微かな金属音がした。
夕暮れの公園。
男は包帯の巻かれた腕を見て舌うちした。
「何だあのガキ」
ミサに腕をねじられた瞬間が鮮明に思い出された。
腕をちょっとでも動かすと、複雑骨折し、肉も筋もズタズタにされたのが痛んだ。
不器用な左手で煙草を出そうとしたが、思ったように動かなかった。
何度も箱を揺すっていると、最後にはパッケージからぶちまけていた。
地面に落ちた煙草を見て、男はパッケージを握り潰した。
公園の街灯に明かりが灯ると、それまで遊んでいた子供達も一勢に姿を消した。
男が自分の腕を見て怒りに震えていると、目の前に一匹の犬がやってきた。
赤い首輪の犬は、この間も公園にいた犬だった。
男の怒りが犬に向けられた。
赤い首輪の犬が、その気配に気付いた時はもう遅かった。
男の手が首輪を掴み、犬の身体に蹴りが加えられていた。
犬の鳴き声が闇夜を切り裂いたのは一度だけだった。
男の靴が、犬の喉元を蹴り上げていた。
憲史はコンビニ弁当をテーブルに並べていた。
晶子・ジル・ミサがそんな憲史をじっと見つめていた。
「どうか……した?」
憲史はじっと見つめる三人の視線に頬をこわばらせばがら言った。
「お兄ちゃん、コンビニ弁当?」
「だって俺、学校行ってバイトの帰りだし……」
晶子が言うのに憲史はムッとすると、黙って箸を手にした。
憲史がそのまま食べ始めようとすると、目の前のジルとミサが手を合わせていた。
「いただきます」
「……」
そんな二人に合わせるように、憲史と晶子も手を合わせた。
コンビニ弁当を嬉しそうに食べているジルを見て憲史は聞いた。
「ジルくんは……先輩の弟なの?」
「ふえ?」
ジルは憲史の言葉に顔を上げた。
途端にテーブルの下を通じて晶子から合図があった。
「??」
晶子の方を見ると、渋い顔をしているのにジルは小さく頷くと、
「ですです~」
「先輩と髪の色とか全然違うね」
「ふえ!」
ジルの手が止り、視線が泳ぎまくった。
そんなジルに代ってミサがこたえた。
「私とジルは、まさとさんの異母兄弟です」
「異母兄弟……」
「まさとさんのお父さんは日本人で、私達のお母さんはアメリカ人です」
「再婚同士の連れ子なの?」
「はい」
憲史は返事を聞いてから、
「悪い事聞いちゃったかな??」
「いえ、いつも聞かれますから」
ジルも晶子も、ミサの受けこたえにびっくりした顔をしていた。
「俺、ジルくんは先輩の弟だよな~って思ってた」
「どうしてですか?」
「目とか、色が違うけど、ちょっと似てるかなって思った」
「ふええ」
「でも、ミサちゃんは意外というか……」
「ミサがどうしたんです?」
ジルがニコニコしながら聞くと、
「いや、ミサちゃんは操ちゃんそっくりだな~って」
憲史の言葉にミサは凍りつき、晶子は噴き出していた。
「ミサちゃん見た時に操ちゃんそっくりって思ったよ、髪が金髪なのと目が青いのは違うけど……うん」
憲史が顔を近付けて、ミサの顔をしげしげと見つめるのを晶子の手が引っ張った。
「お兄ちゃん、失礼だよ」
「あ、ああ……」
引き離されても憲史の目はミサから離れなかった。
「ミサちゃんかわいいね~」
「こらー!」
晶子は憲史の頬をつねり、引っ張った。
ジルは晶子に背中を洗ってもらいながら、
「今日はなんだか楽しいです~」
「何が?」
「お泊りです、あっちゃんも……何で一緒なんでしょう?」
晶子はあかすりでジルの背中をこすりながら、
「何、晶子が一緒だと嫌なの?」
「そんな事はないですよ」
「じゃあ?」
「でも、やっぱり何でかな~って……憲史さんはあっちゃんの本当のお兄さんではないですよ」
「うん、お隣のお兄ちゃんだよ」
「ですよね、ここは201号室です」
「……」
「何であっちゃんもお泊りなんです?」
晶子の手が止った。
「ジルは晶子と一緒じゃ嫌なの?」
晶子はにらみつけたが、ジルはそんな視線に全然気付かないみたいに、
「どうしてかな~って」
晶子はにらみ続けたが、ジルは笑顔のままだった。
そんな鬼の形相のままで晶子がジルに顔を寄せると、鼻先まで来たところでジルの表情が凍りついた。
「ふえ、あっちゃん怒ってます!」
「今まで気付かなかったの?」
「だ、だって眼鏡してません」
「あ、ああ、なるほど!」
「でもでも、どうしてあっちゃんも一緒です?」
「うん、晶子の家もお母さんいないから、用心でお泊り」
その時、202号室の方から大きな音がした。
食器か何かが落ちて砕ける音。
それに続いて女の声も聞こえた。
「お母さんいるんじゃないですか?」
「晶子が一緒じゃ嫌かな?」
すでに晶子の手に握られているあかすりは、ジルの首を一周していた。
「い、いえ、ぼく、嬉しいですよ」
「なら、よろしい!」
ジルが交代で晶子の背中を洗っていると、
「ミサ、何かおかしくない?」
「ミサ……」
晶子に言われて湯舟に浸かっているミサに目を向けるジル。
眼鏡のないジルの目に、ミサはぼんやりとしか見えなかった。
「ぼく、眼鏡ないから……」
「あ、ああ……でも、何だか普段からぼんやりしていない?」
「そういえば……そうかなぁ」
「さっきのフォローはよかったけど」
「あ、あれはぼくもびっくりしました」
ミサはぼーっと天井を見上げ、リラックスしているように見えた。
「転校してきた時のミサは、もうちょっと雰囲気が違ったよ」
「そういえば、そんな気がします」
「それが最近はすっかりジルに似てのんびりさん」
「ぼくはのんびりさんですか!」
晶子が笑うのに、ジルは表情を歪めた。
「テストとかジル負けっぱなしだったよね」
「それは今でも負けっぱなしです!」
ジルは普段のミサの姿を思い浮かべながら、
「でも、そうですね、最近はすごく仲良くなって、一緒にいろんな事しますよ」
「いろんなこと?」
「一緒に家事をしますよ、洗濯とか、畳んだりとか」
「ふーん、まるで夫婦だね」
ジルは晶子の背中にお湯を掛けると、
「テストってわかったときはすごく嫌だったけど、今は好きですよ」
「そう」
晶子は悪魔のような顔になって、
「操ちゃんにそっくりだしね!」
言いながら湯舟に足を入れた。
入れ替わるようにミサは立つと、黙ってジルの前に立った。
晶子は湯舟に浸かりながら、そんなミサの身体を舐めるように見つめた。
湯舟の縁につかまって晶子が手を伸ばした。
ミサの白い脚を触りながら難しい顔をすると、
「裸まで操ちゃんそっくり……」
晶子の手が触るのにミサは一瞬びっくりしたような顔をしたが、黙って座るとジルが身体を洗うのにじっとしていた。
一生懸命な表情であかすりを動かしているジルを見て、
「ね、ミサの身体を洗ってるんだよ、何ともないの?」
意地の悪い笑みを浮かべて言う晶子。
しかしジルは真顔のままで、
「ミサはいきなり出てきたから、ちょっと生活習慣の部分が弱いそうです」
「そうなの?」
「先生、お風呂は忘れていたそうです」
ジルはミサの背中をこすりながら、
「だから、一人でお風呂に入るのはもうちょっと先です」
「ジルは誰から習ったの?」
「ぼくは先生の所で一年くらい修行しましたから~」
「しゅ、修行……」
「だからミサは、もうちょっとぼくが教えないとだめです」
「ふーん」
晶子の手がジルの手を掴んだ。
「ね、ミサは操ちゃんそっくりなんだよ!」
「……」
「裸で、一緒にお風呂、嬉しくないの?」
晶子の真剣な口調。
ジルは真顔でちょっと唸ると、
「ミサはぼくの妹ですから!」
言って笑った。
晶子は手を放すとジルをじっと見たけれど、赤くなったりしないし、晶子の視線に気付く様子もなかった。
「ミサ、髪を洗うよ~」
「はい」
ジルはシャンプーを取ろうと手を伸ばした。
しかし、二度三度空振りして、ようやくシャンプーの容器を手にした。
ジルは景気よくシャンプーを手に出していく。
そんな姿を見て晶子は思った。
(見えてねー!)
テレビの前には家庭用ゲーム機があった。
しかし、二つあるコントローラーは誰の手にも握られていなかった。
四人はテーブルを囲み、手にはトランプが握られていた。
青のパジャマ・ジル。
さっきまでテレビゲームで負けっぱなしで、半ベソ状態だった。
ピンクパジャマのミサ。
テレビゲームは総勝ちだが、まったく顔に出さないポーカーフェイスを決めていた。
青のストライプパジャマの晶子。
ランニングにトランクス姿の憲史。
ミサ・晶子・憲史・ジルでローテーションしていた。
晶子が迷いながらミサのカードを引く。
渋い顔をしてカードを憲史の方に差し出す晶子。
憲史はそんなカードの中から……一枚飛び出したカードを取ろうとしてやめた。
すぐ隣のカードを引いて、ペアを捨てる憲史。
憲史があからさまにジョーカーのカードを目立つようにした。
そっとジルの方にカードを差し出す憲史。
ジルはそんなカードを見つめ、手が泳いだ。
しかし最後には、飛び出したカードを引いてガックリと肩を落していた。
ジルの対面の晶子が、そんなジルの様子をつぶさに見守っていた。
「ジル……トランプ弱いね?」
「そ、そんな事ないですよ!」
晶子の言葉にジルは膨れた。
「ババ持ってるの、ジルだよね?」
「そ、そんな事ないですよ!」
むきになるジル。
晶子は手持ちのトランプをテーブルに伏せると、ジルの方に身体を伸ばして、一番端のカードを引いた。
「ほら!」
机の上にはジョーカー。
ジルは晶子をにらむと、
「あっちゃんインチキです!」
「ど、どうして晶子が?」
「何でぼくがババ持ってるのわかるんです?」
「どうしてって言われても……わかるものはわかっちゃう……」
ジルは三人を見回した。
ミサが頷き、憲史も頷いた。
ジルはテーブルの上のジョーカーを手にすると、裏面を確かめた。
カードを握るジルの手が震えた。
いくら気合を入れても、カードの謎は解決しなかった。
再びミサや晶子、憲史に目を向けるジル。
自分と、他の人間の違いを必死になって探した。
「!!」
ジルの答えは一つだった。
「みんなは眼鏡をしてません!」
「はあ?」
ジルの言葉に晶子が目をしかめた。
「このカードには眼鏡をしていると見えなくなる特殊な印刷がしてあるんです!」
「えーっと……」
今度は憲史があきれ顔で言った。
ジルは眼鏡を外すとトランプを確かめた。
「で、でも、眼鏡をしなかったら全然見えません」
「そ、そうだろね……」
晶子があきれて言いながら、テーブルの上のジョーカーを自分のカードに入れた。
「じゃあ、晶子がババもらってあげるよ」
ゲーム再開。
晶子が目立つようにしたカードを憲史が引き、憲史が同じ様にするとジルが引いた。
「!!」
ジルは目を白黒させながら、カードを一番端にやった。
三人はジルのジョーカーを見つめ、頷いた。
ミサがそれを取り、晶子が取り、憲史が取ってまたジルへ……
「!!」
ジルは苦々しい顔をして、ジョーカーを一番端にやった。
ミサがそのカードを再び取り、晶子が引いて、憲史が引いた。
憲史が再びジョーカーを一枚だけ出すと、テーブルの下で晶子の手が動いた。
「う……」
ミサと晶子が憲史をにらんでいた。
憲史はそんな視線に唇を歪め、晶子に目で合図した。
『どうして?』
『子供相手にそんな事して楽しい?』
晶子の手が憲史の足をつねった。
『またジル泣くよ!』
憲史は適当なカードを目立つようにして、ジルの方に出した。
ジルはカードを引くと嬉しそうな顔をして、ペアになったのを捨てた。
「えへへ、減りました~」
敷かれた布団にジルは横になって、枕を抱きしめた。
「今日は楽しかったです~」
「よかったね」
晶子は横になっているジルにタオルケットをかけた。
頭からかけられたタオルケットを退けながらジルは、
「憲史さんは、思っているような人ではなかったです~」
「思っていた人?」
「ですです~、いつもお店にいる時から思ってました」
「ふーん、どんな人って思ってたの?」
晶子とジルは台所で洗い物を片付けている憲史の背中に目をやった。
憲史の横顔がちらちら見えるのに、ジルはクスッと笑った。
「ぼくはいつも寝ている人と思ってました」
「寝てる人?」
「ですです、いつも目が開いてないな~って」
ジルの言葉に晶子の顔も瞬時にほころんだ。
背中を丸め、布団を叩く晶子を見ながら、
「ぼくはいつも器用に寝てるな~って思ってました」
洗い物を終えた憲史が戻って来ると、布団の上に座っている三人を見ながら、
「ほら~、良い子は寝る時間~」
憲史は苦しそうに笑っている晶子を見て首を傾げ、ジルに顔を寄せた。
「あっちゃん、どうかしたの?」
「あっちゃんはおかしくて笑ってるみたいですよ」
「おかしいの?」
憲史は二人の前に座ると頭を掻きながら丸くなって震えている晶子を見つめた。
するとジルがすり寄って来て、指を二本立てて憲史の前に出した。
「何本ですか~」
Vサインを揺らすのに、
「二本だろ?」
「これは?」
今度は五本の指を全部広げて見せていた。
「五本だよね」
ジルは憲史の頬にそっと手を添え、キスでもしそうな距離でじっと見つめた。
「目は開いてますか~」
「……」
「開いてますか~」
そんなジルと憲史を晶子とミサがじっと見つめていた。
ジルは憲史の顔から手を放すと、
「どう見ても閉まってます」
ジルの身体に晶子が抱き着いた。
「お、お兄ちゃん気にしてるんだから、言ったらダメだよ~」
「ふえ、気にしてるんですか!」
布団の上で絡みあっているジルと晶子。
憲史はムッとして立ち上がると蛍光灯の紐を引っ張った。
「おやすみ~」
落ち込んだ声で憲史は台所に姿を消してしまった。
憲史はダイニングのテーブルで英語の問題を前に油汗を浮かべていた。
試験とアルバイト、どっちも大事だった。
「ここは日本なんだけどな~」
憲史は思いながら、冷蔵庫の中から缶コーラを出したところだった。
「あのー」
「!!」
憲史はシャツを引っ張られて振り向いた。
ジルが枕を抱いて、目をこすっていた。
「な、何?」
憲史はコーラを冷蔵庫に戻すと、しゃがみ込んでジルの頭を撫でた。
眼鏡をしていないジルの目はどことなく落ち着きがなく、きょろきょろしていた。
「便所はあっち」
「はーい」
ジルは一度便所に消え、水音をさせた後に戻ってきた。
「あの……」
「うん?」
憲史はジルの頭を撫でながら、チラッと時計に目をやった。
一時をまわったくらいだ。
「あのあの!」
「?」
「一緒に寝てください!」
憲史はまさとの言葉を思い出していた。
ジルはこの間通り魔に襲われている……それが闇にちらつくのは憲史にもわかった。
「そうだね……」
憲史はテーブルの上のノートを片付けると、鞄に押し込んだ。
「じゃ、一緒に寝るか」
「どうもです~」
眠いのとこわいのがいり混じったような弱々しい声だった。
ジルの手を引いて憲史は真っ暗な居間に入ると、晶子とミサが絡みあって寝ているのを見てため息をついた。
おとなしく寝ているミサ。
晶子はそれにしがみついていた。
憲史とジルは空いているスペースに横になった。
いきなりジルが抱きついてくるのに憲史はびっくりしたが、その腕が微かに震えているのに頭を撫でてやった。
「まだこわいの?」
「真っ暗だと、こわいです」
「先輩とも寝てるの?」
「あの日から一緒に寝てますよ」
憲史は闇の中にぼんやりと見える天井を見上げた。
「ずっと起きてたの?」
「最初は、あっちゃんが手を握ってくれましたよ」
「で?」
「ぼくが寝る前に、あっちゃんはミサに……」
憲史はそれを聞いてちょっと笑った。
それからジルの肩をさすりながら、
「一緒に寝てあげてもいいけどね……」
「ふえ?」
「その、俺が目、細いの言わないでくれる?」
闇の中で、憲史はジルに鼻先まで顔を寄せた。
憲史の目にはジルの目がきょろきょろしているのがよくわかった。
ジルは憲史の身体を抱いていた腕をほどくと、両手で憲史の顔を触った。
「眼鏡かけてないとわかりません~」
憲史は笑みを浮かべると、また天井に視線を戻した。
「先輩じゃないと、さみしい?」
「わかりません……」
憲史に言われてジルはその大きな身体にしがみついた。
まさとより背の高い憲史の胸まわりは、腕を回せば届きはしたが力が入らなかった。
「大きな身体です~」
そんなジルの言葉に憲史は笑った。
「昔、あっちゃんもそんな事言ってたなぁ~」
憲史はそれっきり黙ってしまった。
ジルはしばらく腕を動かして、抱きつきやすい所を探したけどだめだった。
真っ暗な天井。
蛍光灯と天井板がぼんやりと見えた。
ジルはそんな闇を見つめてしばらく過ごした。
涙が溜り、ただでさえぼやけた視界がただの藍色になってしまった。
「あのー」
ジルは憲史を揺すったけれど、反応はなかった。
「憲史さん……」
ジルは憲史の胸をさすった。
しかし憲史は起きなかった。
ジルの手の下で胸板が上下するのがわかった。
「憲史さーん」
ジルは憲史の胸を叩いた。
すると憲史がいきなり寝返りをうち、ジルの身体を抱きしめた。
「むー、あっちゃん許してよー」
「……」
寝ぼける憲史。
ジルはその胸の中でしっかりと憲史に腕を回した。
憲史の胸に顔を埋め、ジルはにおいをかいだ。
まさとと違うけれど、目をつぶって我慢する事にした。
朝、目覚めると天井に色がついていた。
ジルは枕元をあさって眼鏡をすると、周囲を見回した。
ミサと晶子が抱き合って眠っている。
ジルが抱きしめていた憲史の姿はもうなかった。
台所の方から音がして、襖の隙間からおいしそうなにおいがした。
ジルは眼鏡の下の眼をこすりながら立ち上がると、襖をゆっくり開けて台所を覗き込んだ。
憲史が台所に立って身体を小刻みに揺らしている姿があった。
ジルはトボトボと歩み寄ると、その後ろ姿を見上げてちょっとだけまさとに似ていると思った。
「おはようございます~」
「おお、ジルくんおはよう~」
まさとは一瞬顔を向けたけれど、すぐに料理に戻ってしまった。
ジルは椅子に腰かけると、そんな憲史の姿をじっと見守っていた。
豆腐を切って鍋に入れ、油揚げを切って鍋に入れた。
「おはよー」
晶子とミサも起きてくる。
憲史はジャーを開けるとごはんをよそいでテーブルに並べた。
「あっちゃん早い」
「ミサが起きたからね」
ミサと晶子も椅子に座った。
憲史はそんな二人の前に炊きたてごはんの茶碗を置いた。
それから味噌汁、さんまのかば焼き、たくあんが並べられた。
「それ、サービス」
大きな皿に目玉焼きとソーセージが盛られていた。
憲史は制服に袖を通しながら晶子の横に腰かけた。
「それでは!」
憲史が手を合わせるのに、ジル達も倣った。
晶子がモソモソと食べ始め、ジルとミサも箸を動かした。
そんな三人を見て憲史は鞄の中を確かめながら、
「まだ早かったのに」
時計を見れば七時前だった。
「俺、課外授業あるから、もう行くよ」
「はーい」
「布団上げて、鍵かけといて、食器は流しにつけといてくれればいいから」
憲史が晶子に目をやると、晶子は大皿の目玉焼きを茶碗に運びながら、
「急がなくていいの?」
「あ、だね」
ジルは憲史をじっと見守った。
晶子と話してばかりで、目の前の食事に全然手をつけてなかった。
「食べないんですか?」
「あ、うん……」
憲史はジルの言葉にニヤリとすると、茶碗のごはんにさんまのかば焼きをのせた。
そして味噌汁をぶっかけると、一気にすすりはじめた。
ジルが見ている前で、憲史の茶碗がどんどん傾いていく。
そして全部食べ終わった奇麗な茶碗がテーブルに置かれた。
「じゃ!」
憲史はニコニコしながら席を立った。
晶子はそんな憲史を嫌そうな顔で見上げた。
「お兄ちゃん下品~」
「急ぎだからね~」
憲史はミサに手を振り、ジルの頭を撫でると出ていってしまった。
ジルは憲史の残していった茶碗を見て、自分の茶碗と見くらべていた。
憲史がコンビニに顔を出した時、まさとは両替金の計算を終えたところだった。
「先輩、おつかれです」
「あ、憲史……ジルはどうだった?」
「ジルくん、一人で寝れないようで、一緒に寝ましたよ」
憲史は潜入捜査って言葉を思い出しながら小声で言った。
「そ、そうか……」
憲史とまさとは冷蔵庫の裏に行くと、
「なんか全然眠れないみたいで、ギューっと」
「……」
まさとは憲史の顔を見ながら、その時の様子を想像していた。
想像では、ジルは泣いて憲史にしがみついていた。
「泣いてたか?」
「えーっと、涙ぐんではいたけど」
まさとは憲史の胸ぐらを掴んで言った。
「他には!」
「俺、試験勉強あるからすぐ寝ちゃったし」
憲史の襟首をつかむまさとの手に力がこもった。
「期末試験なんてどーでもいいだろう、コラ!」
「せ、先輩なんか今日こわいっすよ!」
「ジルが泣いてるのに、ほっといて寝たのか!」
「だから一緒に寝たって言ったでしょう」
「ジルが泣いてるのに!」
まさとは憲史の襟首を放すと、
「お前、今日からずっと入れ!」
「え……」
「夕方から翌朝までずーっとだ!」
「俺、試験が……」
「るせー!」
「で、でも、先輩は別の店舗で夜勤なら、俺がここに入っても」
「そっちの店にはもう手配済んでる!」
憲史はまさとの肩を掴んですごんだ。
「先輩、それはあんまりです!」
「辞めたい?」
「……」
憲史がその場に崩れ落ちると、棚に並んだ缶が一瞬揺れた。
ジルは飼育小屋で操を前にニコニコしていた。
「昨日はあっちゃんとお泊りでした」
「あ、私も聞いてるよ、憲史さんの所だよね」
「ですです、寝てる人です」
ジルの言葉に操はポカンとすると、
「寝てる人?」
「そう、いつも目が開いてません」
ジルは自分の目を横に引っ張って憲史のマネをするのを見て、操はクスクス笑った。
「電話で長崎先生に聞いてみました」
「?」
「まさとさんの誕生日です」
「ああ、そうだったね、いつだったの?」
「七月二十日です」
ジルは言いながら操の手を握った。
「今日は七月十日ですよ」
「あと十日だね」
「操ちゃん、お願いします!」
「そうね、うん」
返事を聞いてジルは握った手を上下した。
「よかったです~」
ジルは操を抱きしめると、
「買うのも考えたんですよ」
「ああ、ケーキを?」
「ですです、ぼくのお小遣いでは買えません」
操はちょっと考えてから、
「でも、同じくらいかかるよ」
「!!」
ジルの表情が凍りついていた。
「どうしよう……考えてなかった」
操は微笑むと、
「私もケーキ食べたいな」
「ほえ?」
「ジルさんジルさん、作ったケーキを分けてくれたら、私が材料出しますよ」
ジルは操をしっかと抱きしめた。
「操様さまです~」
ジルが抱きつくのに、操は表情をこわばらせていた。
「ジルくん、ジルくん、痛いよ」
「ああ、ごめんなさい~」
「ともかく、集まる日を決めよう」
「十日ありますもんね」
二人はほうきを持ったまま外に出た。
ジルはいつものように南京錠をすると笑顔で、
「おいしいのを作ります~」
ジルが着替えを取りに家に帰ると、まさとが飛び出して来た。
「ジル!」
「ふえ、まさとさんがいますよ?」
ジルとミサは出てきたまさとを見てびっくりしていた。
まだ靴も脱がないでいる二人をまさとは抱きしめた。
「おかえり~」
「ふええ、どうしたんです?」
「今日から夜勤じゃないんだ」
「本当です?」
「ああ、夜勤なくなったんだ」
「じゃ、いっつも夜はいるんですね」
「ああ、そうだ」
まさとの腕から解放され、ジルとミサは靴を脱ぐとようやく家に上がれた。
ミサはジルの肩を揺すると、
「あっちゃんと約束してます」
「ああ、そうだった、どうしよう」
「どうした、ジル?」
「あっちゃんとゲームをする約束してます」
まさとの目が泳いだ。
「お泊りのつもりだった?」
「ですです~」
「でも、憲史は下にいるし……」
まさとは晶子が泊りにくるのか、ちょっと不安だった。
晶子はジルの友達だけれども、今日は三人で過ごしたいと思っていた。
その時、いきなり電話が鳴った。
まさとがすぐさま出ると、受話器をジルに差し出した。
「あっちゃん」
「……」
ジルは受話器を握ると、何度か言葉を交わして受話器を置いた。
「あっちゃんは下で憲史さんと店番するそーです」
言いながらジルはまさとの身体に飛び着いた。
「ジ、ジル……」
「えへへ~」
ジルはまさとの胸に顔を埋め、何度も首を左右に動かした。
まさとはそんなジルのしぐさにくすぐったい顔をしながら、
「ジ、ジル、何?」
「えへへ、まさとさんのにおいがしますよ~」
ジルとミサが風呂を出て来ると、食事の準備が終わっていた。
テーブルに並んだ料理はちゃんと皿に盛られていた。
「さ、ごはんごはん」
まさとが言うのにジルは嬉しそうに椅子に座った。
三人がそろって手を合わせると、ミサは無言で箸を動かし始めた。
まさともおかずの皿に箸を伸ばしたが、ジルがニコニコ顔のまま全然食事を始めないのに気付いた。
「どうした?」
「いえいえ、昨日の事を思い出したんですよ~」
「昨日、憲史の所で?」
「ですです、ごはんの時ですよ」
「何かあったのか?」
「憲史さんは、コンビニ弁当でした~」
「……」
嬉しそうに言うジルにまさとは表情を歪めた。
まさとが出しているのだって、期限切れのコンビニ弁当だった。
「これも、そうだけど……」
「でした、まさとさんのも捨て弁ですよね」
ジルはニコニコしながら、皿の上の唐上げをつまんだ。
「でも、憲史さんは弁当の容器そのままでした」
「……」
「まさとさんは皿に盛り付けてくれるから、ずっとおいしく感じますよ~」
ジルの言葉にまさとはちょっとだけ胸が熱くなった。
「同じ食事でも、ちょっとした事で百倍もおいしいです」
「そっか」
「あっちゃんとお泊りで食べるのもおいしいし、給食をみんなで食べるのもおいしいですよ~」
「そっか」
「でも、家でまさとさんと一緒に食べるのがおいしいですよ~」
「そ……」
「ミサも一緒だし~」
ジルの言葉にまさとは目頭が熱くなった。
こみ上げてくる熱いものに、席を立った。
「まさとさん?」
「おかわり」
まさとはまだ茶碗にごはんが残っているのに、ジャーから新しいごはんをよそいだ。
「私も……ここが一番落ち着きます」
まさとが席に戻ると同時にミサが言った。
「家族?」
つぶやくミサに、ジルはニコニコして頷いた。
そんな二人の前にまさとは仁王立ちになると、
「ジル……ミサ……」
いつになく低いトーンで言うまさと。
ジルとミサはじっと見上げていた。
「ほら、俺のも食べていいから」
言いながら、自分の皿から二人の皿にまさとはおかずを移しまくった。
「わーい」
ジルは喜んだが、
「まさとさん、好き嫌いは……」
ミサがつぶやいた。
まさとが腰を下ろすと、ジルは味噌汁を見ながら、
「そうです、朝、見たんです」
「?」
「こうやって食べると、あっという間に食べられます」
ジルはごはん茶碗に味噌汁をぶっかけた。
それを見てまさとの笑みが顔に貼りついた。
ジルはニコニコ顔で一気にごはんをすすり込んでしまった。
「ぷー!」
「ジ、ジル……」
「ちょっと熱かったですよ~」
「誰から、そんな事習った?」
まさとは聞かないでもわかっていた。
でも、一応、確認だった。
「寝ている人です~」
まさとはコンビニの憲史に電話をかけると怒鳴った。
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「おはようごさいま~す!」
「おおう、係長おはよー」
ジルとミサがぺこりと頭を下げるのに、吉田は歯ブラシを一度止めてこたえた。
「毎朝頑張るな~」
「ぼくは係長ですから~」




