表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/13

「ぼくの名前はジル」

 まさとの家にやって来たブロンドの男の子。

 遺伝子操作で造られた人間の体に機械の頭脳。

 遺伝子はまさとを元にし、電子頭脳はまさとの設計した物だった。

 まさととジルの共同生活が始る。

 しかしジルには意外な欠陥が!


「ぴんぽーん!」

 まさとは部屋の外から聞こえる声に目をこすった。

「ぴんぽーん!」

 呼鈴は以前ピンポンダッシュをされてから、電池を外してあった。

「ぴんぽーん!」

 ドアの向こうから聞こえて来る声は子供の声だった。

「ぴぽぴぽぴぽーん!」

「……」

 まさとは布団から顔を出すと、携帯電話を確かめた。

 八時半……といえば学校があっている筈だ。

「ぴんぽーん!」

 まさとは起きると眼鏡をかけ、玄関に向かった。

「ぴぽーん!」

「……」

「大分さーん、起きてくださーい」

 まさとはドアを前に腕を組んだ。

「大分さーん、いるのはわかってますよー」

 まさとはドアの向こうの人間を想像した。

 仕事先のコンビニにやって来る小学生はたくさんいたが、ドアの向こうから聞こえてくる声に覚えがなかった。

(でも、こっちの名前、知ってるよな)

 まさとの部屋には表札がなかったから、名字を知っているのはどこかでまさとの事を知っている子供だった。

「ねー、開けてー!」

 声の主は言うと、今度はドアを激しく叩き始めた。

 まさとは土間のつっかけに足を乗せ、ドアを開けようと思った。

「!」

 何気なく、いつも通りにつっかけに足を乗せたつもりだった。

 が、微妙にずれた位置にあったつっかけは、まさとの足が乗ったと同時に傾いてしまった。

「わっ!」

 まさとはそのままバランスを崩し、ドアノブにしがみついた。

 ひねられたノブ。

 勢いよく開かれたドア。

 まさとはその刹那、ノブに鈍い感触を覚えていた。

 チェーンで止るドア。

 しかし、半開きになったドアの向こうから、除夜の鐘のような音が響いてきた。

(やっちまった!)

 まさとはノブを握り締め、隙間から通路を見た。

「ううう……」

 通路にうずくまる子供。

 ブロンドヘアが震えている。

 頭を押さえている男の子を見てまさとは外に出て、その子の肩を揺すった。

「大丈夫!」

「う、うえっ……」

「ごめん!」

 それまでうつむいていた男の子が顔を上げると、額から一筋の血が流れ出していた。

 まさとはすぐさま男の子を抱きかかえると部屋に運び込んだ。

「う、うえっ……」

「血が出てる……」

「い、痛い……」

 まさとはティッシュで額の傷を押さえると、男の子の後頭部に手をやった。

 鐘の音のようなのが聞こえた……通路の鉄の手すりに頭をぶつけた音だ。

 まさとの心配は的中した。

 男の子の後頭部が熱くなり、そしてちょっと膨れていた。

 冷蔵庫から熱冷ましを持って来ると男の子の後頭部を押さえ、薬箱を取って来て額の傷を消毒した。

 男の子はまさとの一所懸命な姿を見て、いつしか黙り込んでいた。

「一応消毒したから……」

「……」

 まさとは男の子の顔をじっと見つめた。

 大きな青い瞳にブロンドの髪。

 額に「×」に貼られたばんそうこう。

 まさとは自分もじっと見つめられているのにプイと目を逸らすと、

「あの……何の用?」

「はい?」

「ここに、何の用?」

 まさとが微笑んで聞くのに、男の子の視線が泳いだ。

「えーっと」

「名前、知ってるみたいだし」

 まさとの言葉に男の子の顔がパッと明るくなった。

「そうです、大分まさとさんですね」

「……」

「ぼくの名前はジルです」

「ジル……」

「長崎先生にここにお世話になるように言われました」

「は?」

「長崎先生から研究所から出ていくように言われた時はちょっとびっくりしましたが、大分さんよさそうな人でよかったです~」

 まさとはジルの肩を掴み、揺すった。

「長崎先生?」

「ええ、長崎先生ですよ」

「ジルくんは……その、先生の何なの?」

 表情をこわばらせて聞くまさとに、ジルは笑顔で

「うーん、そうですね、ぼくは長崎先生の子供になるのかな??」

 まさとの頬がこわばった。

「長崎先生の子供?」

「そうです、長崎先生がぼくを作ったんですよ」

 まさとの心の中で、長崎の姿が思い出されていた。

 長い髪に眼鏡の奥の瞳はちょっと厳しい長崎。

 そんな長崎が微笑み、子供を抱いているシーンを思い浮かべ、まさとは首を振った。

 目を見開くまさと。

 ジルをよく見て首を傾げた。

「先生が作った?」

 まさとが研究所を辞めたのは、大学を辞めたのと一緒で一年前の事だった。

 一年前、長崎は子供なんていなかった。

「ジルくん……本当に、先生の子供?」

「ええ、そうです、多分、そんなところです」

「多分??」

 まさとはジルの言葉を聞きながら、少しずつ表情がやわらいでいった。

 しかし、手放しで喜べなかった。

 目の前のジルが子供という事になれば、長崎はまさとの知らないうちに結婚している事になる。

(第一こんな大きな子がいる筈が……)

 まさとは真顔でジルに聞いた。

「よく、わからないんだけど」

「では!あれ?」

 ジルは周囲を見回し、立ち上がると玄関の方に行ってしまった。

 一度玄関の扉の向こうに消えると、大きな青いファイルを持って戻って来た。

「長崎先生は、他の人に言っちゃだめって言ってたけど……」

「?」

「大分さんはお世話になるんで、これを渡すように言われました」

 ジルが差し出すファイル。

 まさとは受け取ると、何の表書きのないファイルをゆっくりと開いた。

 最初のページを見て目が大きく見開かれ、次のページを見て顔色が青くなった。

「ジ、ジルは……」

 声を震わせ、瞳を揺らせながら聞くまさとと対象的に、ジルの表情は明るかった。

「ぼくはロボットですよ!」

 まさとはジルの額に貼られたばんそうこうをじっと見つめた。

「でも、血が出たし……」

「ですね、血が出ます」

「コブも出来たし……」

 まさとはおそるおそるジルの手を取ると、その感触を確かめた。

 ジルの手は柔らかで温かった。

 指の一本一本を確かめてみたが、まさとの身体と何ら変らなかった。

「人間そっくり……」

「そうです、ぼくの身体は人間なんですよ」

 ジルはまさとに捕まっていない方の手でかわいくガッツポーズすると、

「でも、頭は電子頭脳なんですよ!」

 まさとの頬が一瞬引きつった。

 そんな表情をよそに、ジルは明るく続けた。

「ぼくの身体は人間で、頭は電子頭脳なんです!」

 ジルはまさとの広げているファイルを覗き込むと、手を伸ばしてページをパラパラとめくり始めた。

「音波による画面ですよ」

 ジルが開いたページには、ジルの頭部の透過写真のようなものが写っていた。

 頭蓋骨の中に、白い四角い影が浮かび上がっていた。

 それは人間の脳でなく、明らかに人工的な何かだった。

 まさとはファイルを手に取ると、そのページの説明に目を通した。

「この写真のように、ぼくの頭は電子頭脳なんですよ!」

「……」

「身体は遺伝子操作と聞いています!」

「……」

「遺伝子操作で人工知能、ぼくは最新で最先端なんです!」

 まさとはひきつりながら、自慢気にしているジルに目をやった。

「遺伝子操作……ね」

 まさとは研究室で過ごした日々を思い出してみた。

 長崎とまさとは当時ロボットの研究をしていた。

 当時開発されているロボットは機械仕掛けのもので、油圧やモーターで動かすつもりだった。

 まさとは人工知能の研究専門だったが、長崎の方は様々な研究のトップを務めていて、

その知識は幅広かった。

(先生確か人造臓器の研究もしてたよな)

 まさとはファイルをめくりながら唸った。

 そして思い出したようにベット際の充電器に立った携帯電話を手にした。

 研究室を辞めて、大学を辞めて一年が経っていた。

 長崎の名前が液晶に出るまで、ちょっと時間がかかった。

「どうしたんですか?」

「うん、ちょっと、長崎先生に」

「そうですか~」

 ジルはニコニコ顔でまさとを見つめていた。

 近付いて来ると、まさとが耳にあてている携帯電話をじっと見つめるジル。

 まさとは作り笑顔でジルを見ていると、ワンコールもしないで長崎が出た。

「先生!」

『大分くん、お久しぶりね』

「お久しぶり……です」

『ジル、すごいでしょ』

「すごいって、いいんです、こんなの?」

 まさとがしゃべっていると、ジルは携帯電話のアンテナが点滅するのがめずらしくて顔を近付けて来た。

 そんなジルからまさとは顔を背けると、

「人間の遺伝子操作でしょ?」

『そうよ』

「人間ですよ」

『羊のドリーだってクローンよ、人間も動物よ』

「そ、そりゃそうですけど……」

『大分くん研究所がどんな所か知ってるでしょ』

「え、ええ……」

『じゃあ、話が早いじゃない、ジルを頼めるの、大分くんぐらいなのよ』

「……」

 まさとは嬉しそうな顔をして携帯電話を見ているジルをちらっと見た。

『ジルは一年間研究所で過ごしているから、普通の暮らしもちゃんと出来るって』

「でも……」

『人工知能が人間の暮らしに耐えられるか、テストするのもあるのよ』

「……」

 まさとがこたえないのに、電話の向こうで長崎が咳込んだ。

『ジルの人工知能は大分くんのデザインしたものなのよ』

「え……」

『それに、ジルの遺伝子も大分くんの遺伝子……』

 まさとの額に汗が噴き出した。

「今、何て?」

『ジルの身体の遺伝子は、大分くんの遺伝子情報を元に培養したのよ、ほら、いつか献血したでしょ』

「先生~」

 まさとが怒った顔をするのに、ジルは改まって正座してしまった。

『頼んだわよ!』

 長崎は半分笑いながら言うと電話を切ってしまった。

 まさとは接続時間を表示する携帯の画面をにらみつけていたが、その画面が待ち受け画面に変ったのを見て肩を落した。

「大分さん、長崎先生何かとんでもない事言ったんですか?」

 不安気な顔をして言うジルに、まさとは力無く笑うと、

「まぁ、すごくとんでもない事をね」

「そうですか……」

 しょぼんとするジルを見てまさとは、

「本当に、遺伝子操作で人間の身体なんだ」

「はい……」

 まさとはファイルをめくり、遺伝子操作のページを読んだが理解出来なかった。

「俺の身体の遺伝子……」

「それも聞いてます……だから大分さんの所にお世話になれって……」

 まさとはため息をつくと、一度台所に立った。

 コップとペットボトルのお茶にジュースを持って戻って来ると、

「ま、ジルの事、もうちょっと詳しく知りたいな」

 まさとがお茶とジュースのペットボトルを持ち上げて目で合図するのを見て、ジルはジュースの方を見て頷いた。

「ぼくは一年くらい前、研究所で生まれたんです」

 ジルはコップに注がれるジュースを見ながら語り始めた。


 ジルの身体が培養槽から出されたのは一年ほど前の事だった。

 ちょうどまさとが研究所を辞めた直後の事でもあった。

 培養槽から引き出されたジルの身体は早速手術台に運ばれ、頭を開かれた。

 ジルの身体は遺伝子操作で大脳が出来ないようになっていて、からっぽの頭蓋骨の中にまさとのデザインした電子頭脳の基盤が埋め込まれた。

 そして基本的なプログラムがインストールされ、様々なプログラムが導入されてジルは意識を持つようになった。

 電子頭脳に搭載された通信機能を使って、毎日のようにジルは長崎とコミュニケーションをはかり、次第に目や鼻、口が動くようになり、身体が動かせるようになった。


「何でも、手術に時間がかけられなくて、ともかく機械と身体を繋いだだけだったらしいんですよ」

「そ、そうか……」

「だから、電子頭脳がどう反応したら身体が動くかわからなかったらしいんです」

「ふうん」

「ぼくはこの頃が一番大変でした~」

 まさとが何も言わないで考え込んでいるのを見てジルは、

「だって、最初は思った通りに身体が動かなかったんですよ!」


 身体が動くようになったジルはテレビを見て勉強した。

 長崎が手とり足とりして教えてくれる事もあったけれども、多くはテレビを見せられてそこから人の生活を学んだりした。

 いろいろな番組を見て、習慣や風習・躾といったものを覚えていった。

 半年もすると読み書きも充分に出来、研究に関係している人とも話すようになった。

 ある程度人工知能の問題点もわかり、プログラムにも修正が加えられた。


「電子頭脳のモニターって言って、コンピューターでぼくの頭をあれこれチェックするんですよ」

「モニター……」

 まさとはその言葉を聞いて部屋の押し入れからノートパソコンを出した。

 それからマニュアルのメンテナンス・モニターのページを開いた。

 ページをめくっていくうちに、ページの隅に小さく鉛筆で書かれた数字の羅列を発見したまさとは、そこを指差してジルに聞いた。

「通信機能があるけど、これ、ジルの番号?」

「そうですよ~」

 ジルは両手でジュースの入ったコップを持つと、

「ぼくの身体は人間の身体を使っているから、いろいろするのに切ったり出来ないから携帯電話でって聞いてますよ」

「なるほど……」

 まさとは頷くと、自分の携帯電話をノートパソコンに繋いだ。

 それからジルの番号とパスワードを設定して接続。

 まさとはノートパソコンが接続成功のメッセージを表示したのに、自分が研究所にいる時に作ったプログラムの一つを起動させた。

 真っ黒な画面に緑色の数字が並んだ。

「あ、ちょうどこんな画面でしたよ」

 ジルがまさとの肩につかまりながら画面を見て言うのに、まさとは改めてジルが自分のデザインした人工知能である事を実感していた。

 まさとは画面の数値を目で追いながら、ジルの電子頭脳の中身を読もうとしていた。

 しかし、一年のブランクがまさとのキーボードに重ねられた指を止めていた。

 まさとはジルの顔を覗き込むように見ると、

「ジルは、接続している間は何も感じないの?」

「接続……って、ぼく、何もわかりません」

「そうか」

「普通に電話としてなら、わかるんですけどね」

 まさとは改めて画面に表示されている数値を見つめた。

 自分のデザインした電子頭脳が元になっているのは、数字の所々を見てその意味が読み取れたから実感も出来た。

 しかし、そこに表示されている数値は、まさとが研究していた頃よりずっと複雑な組み合わせになっているようだった。

「長崎先生は、いつもこの画面見てたんじゃないのか?」

「ですね、ぼくが行くと、いつも見てましたよ」

 まさとは微かに頷くと、近いうちに研究所に出向いて、一年間に収集したデータをもらおうと思った。


 ジルの話を聞いて、一日があっという間に過ぎてしまった。

 まさとは食事をテーブルに並べると、ジルにごはんをよそいだ茶碗を渡して、

「あ……」

「どうしました?」

「ジルはロボットだろ?」

「ですね~」

「ごはん、食べるの?」

 ジルはまさとの手から茶碗を受け取ると、

「ぼくの身体は人間の身体ですから!」

 笑顔でこたえるジルにまさとはポカンとすると、

「そういえばジュース飲んでたしな」

「ですです、人間と同じようにごはんを食べますよ」

「電池とか、どうなってるんだ?」

「電池?」

「電子頭脳だから、電源がないとダメなんじゃ?」

 まさとが言うと、ジルは困った顔になった。

「そ、そういえば……そうですね」

 ジルが不安そうな顔をするのに、まさとは半ばあきれた顔をして、

「長崎先生に電話して聞くから、ともかく食べれるんなら食べなよ」

「はーい!」

 ジルはニコニコ顔になると手を合わせて「いただきます」をした。

 ごはん茶碗を手にしたジルは、テーブルに並べられたおかずを見て、

「唐揚げは好きですよ~」

「そ、そりゃよかった」

 まさとはコンビニの残り物をおいしそうに食べるジルを見て唇を歪ませた。

(ジルは一体何なんだ……)

 目の前でジルはおいしそうに唐揚げをぱくついている。

(どう見ても、普通の子供なんだけどな~)

 まさとは思いながら箸を手にした。


 まさとは翌日も休みで一日自由時間だった。

「さて……」

 まさとがベットから起き出すと、敷かれた布団から目をこすりながらジルが身体を起した。

「おはようございます~」

「おはよ……」

 まさとはまだ眠たそうな顔をしているジルを見て、早速長崎に電話した。

 ワンコールもしないで電話が繋がった。

「先生……」

『おはよ、何?』

「ジルの事なんですが……」

『ジルがどうかしたの?』

「ジルを預かるのはいいんですが、俺も仕事あるし」

『知ってるわよ、コンビニでしょ?』

「ジル、どうしたらいいんです?」

 携帯の向こうから笑っているのが聞こえた。

『そ、そりゃ、子供は学校に行けばいいじゃない』

「は?」

『学校、小学校』

 まさとは携帯を耳から離し、画面を見つめた。

「先生、ジル、ロボットですよ」

『そうよ、ロボットだけど』

「俺、先生の作ったジル、すげーと思いますよ」

『でしょ』

「で、その最新で最先端なロボット、ほいほい人前に出していいんです?」

 電話の向こうで大きな音が聞こえた。

 まさとは研究室の様子を思い出しながら、椅子が倒れた音だと思った。

 ちょっとして、ようやく長崎の声が戻ってきた。

『大丈夫よ!』

「先生……研究所に返しましょうか?」

『ちゃんとジルは教育したんだから、人前に出しても大丈夫だって!』

「本当に大丈夫なんです?」

『……』

 まさとはため息をつくと、ちょっと怒った口調で、

「先生、やっぱりジルはそっちに返しましょう」

 すると電話の向こうで大きな声がした。

『いいの、もう処理済ませてるんだから!』

「でも……」

 まさとが言っている最中に電話は切れてしまった。

「どうかしましたか?」

「うん、いいや、うん……」

 まさとは言いながらジルの顔をじっと見つめた。

 昨晩はまさとの使っていないパジャマを着て寝たジル。

 袖や裾をいくつも折ったパジャマはブカブカで動きにくそうだった。

「ジル……」

「はい?」

「昨日の話だと、ビデオなんか見て勉強してきたんだよな」

「はい!」

「じゃ、朝起きたら布団畳んで押し入れに入れる」

「はーい!」

 ジルは返事をすると、早速布団を畳み始めた。

 敷布団と掛布団を二つに折るジル。

 それを抱えると、部屋の押し入れに向かった。

 開いていない押し入れ。

 ジルは足で開けると、布団を押し入れに押し込んだ。

 襖の閉まる音がしてジルはまさとの方に振り向いた。

「はい、完了です!」

「あ、足で開けた……」

 まさとはジルの顔を見ながら頬を歪ませた。

「何か問題がありましたか?」

 まさとは唸りながら、ジルの頭を撫でると、

「じゃ、いろいろわかってるみたいだから、朝ごはんとか作れるか?」

「まかせて……」

「うん?」

「パンなら出来ますよ」

「それでいいよ、やってみて」

「はーい!」

 ジルは手を上げてこたえると、早速台所に向かった。

 オーブントースターにパンを入れ、タイマーをひねる。

 やかんに水を入れてコンロに火を着けた。

 それから水屋を見つめ、椅子を足場にしてビンを手にする。

「大分さんはコーヒーですか?」

「あ、ああ、そ、そうだな……」

 ジルが手にしているのはココアのビンだった。

 まさとの目の前でジルはビンのラベルをじっと見つめたが、疑う事なく蓋を開け、スプーンに取ったココアをマグカップに入れた。

「俺、コーヒー」

「はい、大丈夫ですよ~」

 自信満々なジルの顔を見て、まさとは問題のビンを手にした。

 ラベルはやはり「ココア」だ。

「……」

 まさとは首を傾げ、ラベルをジルの見えるようにしてテーブルに置いた。

 そんなビンにジルの目は向いていたが、ジルはあいかわらず笑顔だった。

(字が読めないのかな?)

 ジルはオーブントースターが鳴るのを聞いてパンを皿にのせて戻って来た。

 さらにやかんが鳴き出すのにコンロの火を落すと、お湯をマグカップに注いだ。

 冷蔵庫を開けてマーガリンをテーブルの上に置くと、

「はい、こんな感じでよろしいですか?」

「まぁ……」

 まさとはちょっとこげたパンにマーガリン、ココアを見て真剣な顔になった。

「これは?」

 まさとはジルにココアのビンを改めて見せた。

 ジルは最初普通にそれを見ていたが、まさとの真剣な目を見てビンを手に取ると、そのラベルを目を細めて見つめた。

「す、すみません……ココアでした」

 まさとはジルの表情がこわばっているのを見て微笑むと、

「ココアでいいよ、ちゃんと読めるんだよな」

「え、ええ……」

 まさとがココアを飲んでるのを見て、ジルは肩をすくめていた。

「うーん、ジルは他に何か出来ないのかな?」

「他に……ですか?」

 まさとはちょっとこげたパンにマーガリンを塗るとジルによこしながら、

「その、勉強して、普通に暮らせるぐらいって言ってたろ?」

「あ、はい」

 ジルはパンを受け取るとまさとを見つめて頷いた。

「研究室では、一人で何でもして暮らしてたんだろ?」

「はい……ええ……」

 まさとはジルの自信の無さそうな返事に力無く笑った。

 そして仕事先のアルバイトが見ていた漫画を思い出した。

 ロボットのメイドさんが主人公をあれこれと世話するストーリー。

 ジルはまさにロボットだった。

「じゃあ、掃除洗濯は出来る?」

「掃除洗濯ですね……」

 ジルはつぶやくともそもそとパンを食べ始めた。

 そして全部食べてしまうと、早速さっきまで寝ていた居間に行ってしまった。

 そのふらふらとした背中にまさとは不安一杯だった。

(大丈夫かな?)

 まさとはさっきから手にしていたパンを思い出したように平らげると、皿やマグカップを片付けて居間を覗いた。

 一度も掃除機の音がしなかったのが不安だったが、部屋は無事だった。

「ジル?」

「……」

 まさとの呼び掛けにジルは目に涙を溜めた顔を上げた。

「どうした?」

「研究所のぼくの部屋と勝手が違って、どうしていいかわかりません!」

 まさとは言われて部屋の中を見回した。

(確かに掃除するほど散らかしてもないしな……)

 まさとが頭を掻いていると、ジルはそのシャツを引っ張って、

「掃除は今度教えて下さい~」

「あ、ああ……そうだなぁ」

 ジルの言葉にまさとは洗濯の事も考えたが、それも昨晩やってしまって洗う物は何もなかった。

 まさとは昨晩のジルが言っていたのを思い出しながら、

「ジルは、研究所でビデオなんかを見てたって言ってたよな?」

「はい、そうですよ」

「どんな……ビデオだった?」

 まさとは言いながら、ちょっと不安になっていた。

 まさとが長崎と一緒に研究していた頃、チンパンジーに学習ビデオを見せて行動を観る実験があった。

(まさかそれじゃないよな?)

 二人は畳の上に腰を下ろすと、ジルが言った。

「一年生の計算とか、言葉遊びのビデオでしたよ」

「……」

 まさとはそれを聞いてテーブルの上のリモコンを取ると、サッとテレビに向けた。

 真っ黒だったテレビに画像が現れる。

 画面の中では着ぐるみとお兄さん・お姉さんが踊っていた。

「あ、これも見ましたよ!」

「教育番組か……」

 ジルはテレビに近付くと、噛りつくように画面に見入った。

 お兄さん達が笑うと、ジルも声を立てて笑った。

 そんな楽しそうなジルの横顔を見て、まさとの顔もついついほころんだ。

 まさとはしばらくの間、ぼんやりとジルのしぐさに見とれていたが、次第にジルがテレビに噛りついているのに眉をひそめた。

 そしてジルの肩を掴むと、

「こら、テレビから離れないと、目悪くするぞ!」

「ふえ?」

「目が悪くなるって!」

 まさとが無理矢理ジルの背中を引くと、ジルはしぶしぶ従ったが、テレビを見つめる目が細められた。

 そして頬を膨らませるとまさとに言った。

「あの、大分さん!」

「な、何だ?」

「ここからだと、画面がぼやけてしまいます!」

「はぁ?」

 テレビとジルの間は二メートルも離れていないくらいだった。

 目を細めて必死になって画面を見ようとしているジル。

「近眼?」

「近眼って、何です?」

 まさとはすぐさま携帯で長崎の番号を呼び出した。

 さっきの様子から出ないのはわかっていた。

 留守番電話に変ったところで大声で言った。

「ジルは近眼だから、一度そっちにうかがいます!」

『え? 本当?』

 まさとが言い終わると同時に長崎の声が聞こえた。

「本当です」

『そ、そう……』

「先生、一年間、一体何やってたんです?」

 厳しい口調でまさとが言うと、電話はすぐに切れてしまった。

 まさとは携帯をテーブルに置きながら、テレビに噛りついているジルの姿にため息をついた。


 バスの中ではしゃべらない約束だった。

「ジルは今まで、ずっとそうだったの?」

 日春公園前でバスを降りると、まさとは周囲を見回してから聞いた。

 ジルは口をつぐんだまま見上げるのに、まさとは頭を撫でて頷くと、

「はい、長崎先生はテレビを見てて何も言いませんでした」

「歩いてて、ずっとふらふらしてたけど?」

「ぼくは……気付きませんでした」

 今でもジルは歩いている時はまさとのシャツを掴んでいた。

 バスから降りるときはステップを踏み外さないか、ちょっと心配だった。

 平日の昼間という事もあって、公園の中は閑散としていた。

 時々園内のコースをジョギングする人とすれ違ったけれども、まさとはかまわずに話し続けた。

「昨日、どうやって家まで来たの?」

「長崎先生が部屋の前まで送ってくれたんですよ」

「先生、来たの?」

 ジルは頷いて、

「長崎先生すぐに帰っちゃって、呼鈴押しても大分さん全然出てこないから……」

 ジルはまさとの服を一度引っ張ると、

「長崎先生、なんだかんだ言って、ぼくを捨てたかと思いました」

「あはは……」

「だから大分さんが出てきた時は、ホッとしました~」

 まさとはジルの言葉を聞いてちょっと唇を歪ませると、

「ジル……」

「はい?」

「ジルは……長崎先生に言われて、俺の所に来たんだよな?」

「はい、そうですよ?」

「ずっと一緒に暮らすんだよな……」

「ええ、そうです」

 まさとはジルを見ながら、

「その『大分さん』ての、やめにしないか?」

「はい?」

「ジルは『大分さん』って言うだろ?」

「ええ……」

 まさとはジルの頭を撫でてやりながら

「今から一緒に暮らしていくわけだし、『大分さん』じゃおかしいだろ?」

 ジルは一度まさとを見上げて、すぐにうつむいてしまった。

「そうですね……じゃあ、何て言ったらいいでしょう?」

「……」

 まさとが返事に困っていると、ジルの表情が急に明るくなった。

「『お兄さま』ではどうでしょう?」

 ジルの言葉にまさとが眉をひそめると、

「うーん、ダメですか、では『お兄ちゃん』は?」

 まさとは言われて背中がちょっとだけ寒くなった。

 ジルは困った顔をすると、

「ぼくはまさとさんの遺伝子から出来てるから、絶対いいと思ったんですけどね」

「俺の遺伝子からだから、『お父さん』が筋じゃないかな?」

 まさとの言葉に今度はジルが表情を歪めた。

 それから唇をもぐもぐさせて、ジルは低い声で言いにくそうに、

「お父さん……」

 そんな言葉に二人して首を横に振った。

 まさとがジルに目をやると、ジルも必死の形相で、

「では、『御主人様』とかどうでしょう!」

「ダメ」

「えー!ぼくはお世話になるから『御主人様』大正解って思いますよ!」

(他人が聞いたら何て言うか……)

 まさとがあきれて笑っていると、ジルは掴んでいるシャツをさらに握りしめて、

「それなら……『まさとさん』はどうでしょう?」

「ま、まさとさん……」

「ですです、『まさとさん』です~」

「……」

 まさとが渋い顔をしていると、ジルはニコニコしながら、

「まさとさん……どうですか?」

 ジルが言っているのを聞きながら、まさとは今まで出てきた選択肢を思い浮かべた。

 いろいろあったけれども、まさとにも良い案が出てこなかった。

「そうだな……それでいくか……」

 まさとが言うと、ジルは嬉しそうな顔をしてシャツを握る手に力を込めた。

「まさとさん!まさとさん!まさとさん!まさとさん!」

 ジルが連呼するのに、まさとはちょっと照れくさかった。


 日春公園のすぐ近く、日春高校と日春野小の間に西和大学の校門があった。

 左手に高校、右手に小学校の運動場を見ながら、まっすぐ続く並木道。

 ちょっと行くと右手に大学の事務棟とホールが見えてくる。

 事務棟とホールの間の道を通って行くと、鉄筋がむき出しの建物があった。

 事務棟やホールの建物が赤レンガ造りっぽく壁を飾っていたのに、問題の建物は灰色のそっけない造りだった。

「さて、まだ使えるかな?」

 まさとはポケットに手を入れると一枚のIDカードを出した。

 なんでもない、どこにでもあるような扉。

 まさとは一度ノブを握ったが回らなかった。

 しぶしぶドアのすぐ横にあるカードリーダーにカードを通した。

 しかしエラー音が鳴るだけで、ロックが解除される事はなかった。

「あ、ぼくが開けますよ」

「え?」

 ジルはにこにこしながら言うと、顔を上げた。

 まさとがジルの視線を追うと、ドアの上に防犯カメラがあった。

「?」

 まさとがジルの方に目を戻すと、ジルの見上げた青い瞳がチカチカと光っているように見えた。

 その直後、ドアから微かな金属音がして、ジルが笑顔でドアを開けた。

「はい、開きましたよ~」

「……」

 ジルに促されてまさとは中に入ると、

「今の、ジルが開けたのか?」

「ええ、そうですよ、機械のドアは開けられます~」

(すげー才能かも……)

 まさとは複雑な顔をすると、さっさと歩いて階段を地下に向かった。

「おお……まさとさん」

「ん?」

「何でエレベーター使わないんです?」

「そりゃ、よく止るから」

 まさとの言葉にジルは足を止めると、ちょっと考えてから、

「まさとさん、なんか研究所の事よく知ってますね!」

 まさとはさっき使えなかったカードを見せて、

「ここの研究員だったから」

「ふえー」

「ジルの電子頭脳は俺の設計なんだけど」

「そういえば、そうでしたね」

 地下三階まで降りると、踊り場に長崎が腕組みして立っていた。

「先生……」

「お久しぶりね」

 長崎はくるりと背を向けると靴音をさせながら行ってしまう。

 まさとはその白衣の背中に続き、ジルはまさとのシャツを握っていた。

「先生」

「何?」

「ジル、本当に大丈夫なんです?」

「何言ってるの、昨日一日一緒に暮らして、大丈夫だったでしょ?」

「そ、そりゃ、まぁ、一緒でしたけど……」

 長崎は部屋の前で足を止めると、壁のカードリーダーに手をあてた。

「ちゃーんと普通に暮らせるわよ」

「でも、近眼……」

 長崎の後に続いて部屋に入ったまさとは、懐かしい光景に目を細めた。

 どういう訳か誰もいなかったが、書類の山積になった机、底にコーヒーの残ったマグカップが置きっぱなしになっているパソコンデスク。

 部屋の隅にひときわ大きな机があった。

 長崎はそこに腰を下ろすとふてくされた顔でまさとに言った。

「そりゃ、確かに見落としていたけどね……」

「一年でしょ?」

「う……」

 長崎の眼鏡の奥の瞳が厳しくまさとをにらみつけた。

 まさとは近くのパソコンデスクからOAチェアを引き寄せると座った。

「ジルのモニターとかしてたんでしょ?」

「そ、そりゃ……」

 ジルはまさとに習って椅子を持ってくると、まさとの隣に陣取った。

「ジルの見てるの、どうもぼやけるから補正プログラム入れてたのよ」

「……」

 長崎はキーボードを操作すると画面を出してまさとに見せた。

 ぼやけている画像が、長崎の操作一つで鮮明な画像になった。

「これ、入れっぱなしにしてたから、気付かなかったのよ」

 まさとはジルが見ていたらしい画面を見ながら唸った。

「データとか、たくさん収集してるみたいですね」

「そりゃ、実用目指してね」

「でも、身体は人間の遺伝子操作……」

「もう作っちゃったんだから、いいじゃないモウ!」

「モウって……」

 まさとがあきれていると、長崎はジルを手招きで呼び寄せて、

「大分くんがいた頃、機械仕掛けのロボット作ってたわよね……」

「ええ、だから最初はそれかと思いました」

「でも、油圧やモーターなんかじゃ、まだ無理だったのよ」

「だからって……」

 長崎はジルを膝にのせると、頭を撫でてやりながら、

「人間の身体は、細胞が集まって出来ているのは大分くんも知ってる?」

「え、ええ……聞いた事あります」

「蛙の身体に電気を流すと足が動くの、やった事ある?」

 まさとは顔を青くして首を横に振った。

「映画でもあるでしょ、フランケンシュタインとか、知らない?」

 まさとが嫌そうな顔で首を振るのを見て、長崎はため息をつくと、

「ともかく、人間の身体はたくさんの細胞から出来ていて、それぞれが電気信号で連動して動いているわけ」

「は、はぁ……」

 まさとの歯切れの悪い返事に長崎は図鑑を出した。

 人間の身体、筋肉を描いた図を指差しながら長崎は、

「筋肉細胞に代る仕事を出来るだけのモーターや機械がまだ出来てないのよ」

 まさとはその図を見た事があったからへっちゃらだったが、ジルの方は目を回して動かなくなってしまった。

「お、おい、ジルっ!」

「あ、ああ……まさとさん?」

「大丈夫か!」

「え、ええ……どうしたんです?」

 気を失い、その瞬間の記憶をなくしたらしいジル。

 まさとと長崎は目を見合わせた。

「ともかく、そんな事でジルの身体は人間の身体になったわけ」

「……」

「ついでに体内から生成される電気で人工知能の稼動もなんとかなったわけ」

 長崎は自分の席の脇に置かれた冷蔵庫からパックのジュースを出すとジルに渡した。

 さっきまで顔色が悪かったジルがすぐに笑顔になった。

「何の話だったんだっけ?」

「遺伝子操作」

「そうそう、遺伝子操作、だからやったの」

 まさとはもう突っ込まなかった。

「でも、本当にジルを学校に出したりしていいんです?」

「……」

 まさとと長崎がジルを見つめた。

 そんな二人の視線に気付かないでパックジュースを飲み続けるジル。

「本当に、人間らしいけど、頭の中は機械なんです」

「大分くんは、私の作ったジルが信じられない?」

 長崎の言葉にまさとは目を細め、にらみ返した。

「それも、ちょっとあります」

「……」

「でも、遺伝子操作で作った身体ですよ……そんな事がもしもバレたら」

「バレるわけないわよ」

 まさとの押し殺したような声に対して長崎は即答だった。

「これだけの出来なんだから、わかんないわよ!」

 まさとは言い返したかったが、長崎の様子を見て拳を震わせるだけだった。

「ちゃーんと一年間勉強させたんだから!」

 長崎はジルの頭を撫でながら言った。

 まさとはそんなしぐさを見て、

「世話面倒になったんだろ?」

「!!」

 ボソっと言った言葉が、長崎の身体を硬直させていた。

 まさとと長崎の視線が交差し、火花を散らした。

 にらみつける長崎。

 まさとは鼻で笑って目を逸らしてしまった。

 そんなしぐさを見て長崎は唇を歪めると席を立った。

「ジル、行くわよ!」

「はーい!」

 長崎はジルの手を取った。

 まさとが席を立った時、部屋の入り口に別の白衣の人影を見て息を呑んだ。

 ジルはまさとが立ち止ったままなのに振り向いた。

 そしてやって来ると、ジルはまさとの腕を引いた。

「まさとさーん」

「あ、ああ……」

「早く行きましょうよ~」

「……」

 まさとが動かないのに、長崎は首を傾げた。

 が、部屋の入り口に立っている白衣の人影に長崎も表情をこわばらせた。

「ジル、早く来なさい!」

「えー、でもまさとさんは?」

 長崎はまさとにウィンクすると、

「大分くん、ちょっと食堂に行ってくれない?」

 長崎の言葉にまさとの肩が一瞬震えた。

「今日、ちょっと忙しいからおばちゃんに伝えておいて」

 まさとは長崎が気を利かせてくれてるのに気付くと、ゆっくりと頷いた。

 長崎がジルの手を引いて部屋を出ていく。

 まさとはそれからしばらくして、部屋から顔を出して廊下を確かめた。

 さっきまで立っていた白衣姿の人影はそこにはもうなかった。


 長崎に手を引かれてジルは地下二階に向かった。

 ジルが入った部屋は木目調の壁の、細長い部屋だった。

「ジル、ちょっと座って待ってて」

 長崎が笑みを浮かべて言うのに、ジルは一瞬引かれていた手に力を込めた。

「先生~」

「何?」

「その、その……」

 ジルは目に涙を溜めて、長崎を見上げた。

「先生、ぼく、スクラップとかじゃ、ないですよね!」

「はぁ?」

「先生、まさとさんの所から帰って来るような事になったらスクラップにしちゃうぞって言ってたから」

 長崎は噴き出しそうになるのを必死に堪えながら、今にも涙があふれそうなジルの瞳を見て言った。

「今日は眼鏡を作るだけよ」

「眼鏡?」

 首を傾げるジルに、長崎は自分の掛けている眼鏡を指差して、

「これをしたら、よく見えるようになるから」

「本当ですか!」

「私と……大分くんともおそろいよ」

 ジルがぱっと笑みを浮かべた。

「ちょっと準備してくるから、ここで座って待ってて」

「はーい!」

 ジルが嬉しそうに返事をすると、長崎の方が表情を歪めてジルに顔を寄せた。

「ジル、ここはどうしたの?」

 言いながら長崎がジルの額のばんそうこうを剥がした。

 半分乾いた傷口を見て長崎はジルの肩を揺すった。

「ジル、これは?」

 長崎が言うのに、ジルは寄り目になって額を見るようなしぐさをしながら、額の髪をかき分けると、

「これはまさとさんがドアを開けたときにぶつけたんです」

「もう、大分くんったら……」

 長崎は言うと、入って来たのとは別に二つある出入口に姿を消してしまった。

 残されたジルは長崎の消えた入り口の正面に腰を下ろすと、入り口と部屋の目隠しになっている白いカーテンをじっと見つめた。

「あなたは何?」

「!!」

 ジルはいきなり声を掛けられたのにびっくりして一瞬身体をこわばらせた。

「どうしたの?」

 ジルが声の方に目をやると、部屋の長椅子には先客が一人座っていた。

 その先客は座ったままの姿勢でジルの方にやって来ると、

「私は晶子、長船晶子」

「え!女の子!」

 途端に晶子の手が伸びてくるとジルの襟首をつかまえた。

「男の子と思ったの!」

 ジルの目の前に晶子の顔がアップで迫ってきた。

「ぼ、ぼくは目が悪くて、近くじゃないとわかりません!」

「っても、声で女の子ってわかんないかな~」

 晶子はジルの目の前まで顔を寄せ、髪を見せたりした。

 ジルのぼやけた視界の中で、その瞬間だけは晶子の顔がはっきり見え、おさげ髪をしているのが頭にインプットされた。

「す、すみません……」

「名前は?」

「ぼくの名前はジル」

「ふーん、ジルはアメリカ人、イギリス人、外人さん?」

 晶子の言葉にジルはパッと笑顔になると、

「ぼくはロボットさんですよ~」

 言ってから、ジルはまさとの所に行く時の約束を思い出して口を塞いだ。

(そうです、ロボットなのは言っちゃダメなんです!)

「ロボット……」

 晶子はキスでもしそうなくらいに顔を寄せて来ると、ジルの顔をじっと眺め、それから頬を撫でたり手を触ったりし始めた。

「ふへー、ロボットって割に人間そっくりだね」

「あ、あの……長船さん……」

 途端にジルの手を触っていた晶子の手に力がこもった。

「い、痛い……」

「私の事は『あっちゃん』でいいよ~」

「あああ晶子さん」

「『あっちゃん』だってば!」

 晶子の手にさらに力がこもるのに、目をつむって言った。

「あっちゃん!あっちゃん!あっちゃん!あっちゃんっ!」

「よく出来ました……でも、ジルはよく出来てるね~」

 ジルの身体を触っていた晶子は唸った。

「あ……あっちゃん、その事なんですが、内緒なんですよ~」

 ジルが困った顔をすると、晶子は一瞬ポカンとし、すぐに笑い出した。

「わかってるよ~」

「だ、誰にも言わないでください!」

「はいはい……やっぱりジルは、長崎先生が作ったの?」

 長崎の名前を聞いて、ジルは晶子の手をしっかと掴んだ。

「あっちゃんは長崎先生知ってるんですか?」

「うん、もちろんだよ~」

「そうなんですか!」

 すると、長崎が消えたのとは別の入り口から看護婦が顔を出し、晶子を呼んだ。

「行かないと……じゃあね、ジル」

 晶子は立ち上がると手を振りながら一歩を踏み出した。

 が、すぐに足を止めるとジルに顔を寄せて、

「ジル……うっかりロボットなの言っちゃダメだよ」

「はい、わかりました!」

 晶子がカーテンの向こうに姿を消したのに、ジルはさっきまで握られていた自分の手をじっと見つめた。

 そして、一瞬だけどはっきり見えた晶子の顔が頭の中で何度も繰り返されていた。

「あっちゃん……」

 カーテンの向こうから長崎が呼ぶ声に、ジルは返事をすると立ち上がった。


 まさとは大学の学食でぼんやりと周囲を見回していた。

 大学を辞め、研究所を辞めて一年がたっていた。

 学食のテーブルや丸椅子はあの頃と変わりなく、壁のメニューも券売機も、相変わらずちょっと黄ばんだクリーム色をしていた。

「まさとさーん」

「……」

 ジルが嬉しそうにやって来るのに、まさとは黙って手を振った。

 まさとが微笑んでいるのに、ジルは向かいの席に座った。

「終わりました~」

「眼鏡……なのか?」

 ジルの顔には大きな銀縁眼鏡がかけてあった。

「似合いませんか?」

「い、いや、いいけど……」

 まさとは学食の中を改めて見回すと、近くには誰もいないのを確かめて、

「ほら、ジル、ロボットだから……」

 顔を近付け、小声で言うまさとにジルは目を丸くすると、

「あ、コンタクトは痛かったからやめました~」

「じゃなくて……」

 まさとはてっきりプログラムか何かで調整すると思っていたから、眼鏡をしたりコンタクトをする方が変な気がしていた。

「それと、長崎先生からたくさん服とかもらいましたよ~」

 ジルは手にしていたバックをテーブルに載せると、ファスナーを開いて見せた。

「服なかったから、ちょうどよかった」

「でも、ちょっと重いです~」

「ふふ……ケーキとか食べるか?」

「パフェがいいです~」

 ジルが嬉しそうに言うのに、まさとは席を立つと券売機に向かった。

 歩きながら携帯を手に取ると、液晶に長崎の字を見て耳にやった。

「先生……」

『どう、なかなかかわいく仕上がってるでしょう~』

「かわいく……ねぇ」

『何よ、そりゃ最初からかわいかったとは思うけど』

「何で眼鏡なんです?」

『は?』

「眼鏡……コンタクトも試したって言ってたけど」

 まさとは券売機にお金を入れ、コーヒーとパフェのボタンを押した。

 一瞬バナナかイチゴがチョコか迷ったが、とりあえずチョコパフェにした。

「ほら、さっきプログラムで画像修正したでしょ」

『ああ、プログラムで補正するってわけ?』

「……」

『ジルはスペックにあんまり余裕ないから、あれこれ入れたくないのよ』

「そ、そうなんですか」

『鞄の中に転校届けとかいろいろ入ってるから、じゃあね』

 長崎は言うと、さっさと電話を切ってしまった。

 まさとは携帯の画面を見ながら唇を歪めると、学食のカウンターに行ってチケットを渡した。

 混む時間でもなかったのですぐに出てきたコーヒーとチョコパフェ。

 トレイを持って席に戻ると、ジルがニコニコ顔で迎えてくれた。

「お待たせ」

「わーい、チョコパフェ好きです~」

「そうか」

「でもイチゴもバナナも決められません~」

 ジルは早速食べにかかるのに、まさとはテーブルの上の鞄に手を伸ばした。

 たくさんの服の間に、茶封筒があるのを見つけて、まさとは中を確かめた。

 書類は全部コピーか何かのようで、役場に提出されたものらしかった。

「いつ、こんな事やったんだ?」

 まさとはぼやきながら書類の受け付け日を見ると、六月七日になっていた。

 そんな日付にまさとは腕時計の日付を確かめると、昨日の事だった。

 まさとが舌打ちすると、ジルが食べるのを止めて首を傾げた。

「まさとさん、どうかしましたか?」

「あ、ああ……いや、何でも」

 まさとは言って、さらに書類をよく見てみた。

 ジルは大分の弟という設定になっていた。

 まさとはゆっくりと視線をジルに向け、パフェと格闘しているブロンド眼鏡の少年を見て考えた。

(俺の遺伝子っていうけど……全然似てねー!)

 まさとがじっと見つめていると、それに気付いてジルも視線を向けてきた。

 ジルの青い、大きな瞳を見ていて、まさとはそれをどこかで見たと思った。

「……」

「どうかしましたか~?」

 まさとはジルに顔を近付け、青い瞳をじっと見つめた。

 ジルが嬉しそうな顔をしてまさとを見つめ返しても、まさとの真剣な表情は変らなかった。

「まさとさん?」

「あ、いや、何でもない……」

 まさとはちょっと浮かせていた腰を下ろすと、コーヒーを一口飲みながら、

(青い目の知り合いなんていないよな……)

 まさとが離れてしまったのに、ジルは再び柄の長いスプーンを忙しく動かしていた。

 その真剣な目を見ていて、まさとの記憶に思い当たる人物が浮かび上がった。

(さえだ……)

 まさとは思いながら、手にしていた戸籍に目を戻した。

 そこには妹・さえの名前も並んでいた。


 夕方、家に戻ると、まさとは食事を並べながら、

「ジル……明日から学校に行くぞ!」

「え……」

「どうした?」

 ジルは表情をこわばらせると、身体をもじもじさせて上目使いで言った。

「その……どうしても学校、行かないといけませんか?」

「は?」

「どうしても、学校、行かないといけません?」

 食事を並べていたまさとの手が止った。

 ジルは肩をすくめると、怒られると思って小さくなった。

「ジル……学校嫌なのか?」

「はい……」

「何で?」

 ジルはまさとが優しそうな声で言うのに、ゆっくりと顔を上げた。

「ぼくは学校がどんな所か知ってるんです」

「……」

「学校は、いじめがあるんですよ!」

 ジルは研究所でビデオを見ながらの日々を思い返し、拳を固めた。

「靴をごみ箱に捨てられたり、トイレで水をかけられたりするんです」

「ジル……どんなビデオ見たんだ?」

 まさとの言葉にジルは口をパクパクさせるだけで、何もこたえる事が出来なかった。

 そんなジルのしぐさに、まさとは渋い表情でごはん茶碗をテーブルに置くと、

「まぁ、ちょっとは気持ち、わかるけど……」

「ですよね、ぼく、いじめられないかな……」

 まさとはそんなジルの言葉に、ジルの青い目やブロンドを見て苦笑いした。

「ぼく、良い子にしてますから、ここにいちゃいけませんか?」

 ジルは言うと、手を合わせていただきますを済ませた。

 ごはん茶碗を持ってじっと見つめるジル。

 まさともごはん茶碗を手に取ると、

「でも、俺も仕事あるし……」

「ぼくは研究所でテレビ見て、おとなしくしてたんですよ!」

「うーん……」

 ジルはまさとをじっと見つめた。

 そんなジルの脳裏では、研究所で見せられたビデオ「学校」のイメージがどんどん膨らんでいた。

 髪を引っ張られたり、体育館裏に呼びだされて叩かれたり……そんなシーンを思い出すだけで、ジルの額に油汗が浮かんだ。

 アニメだったけれども……ジルには充分すぎる情報だった。

 作品の中では主人公が戦って、不良グループに勝つのだけれど……

(ぼくはそんな勇気、ありません!)

 心の中で叫ぶと、ともかく手にしていたごはんをどんどん口に運んだ。

「でも、ジル……学校には友達だっているわけだから……」

「友達ですか?」

「そう、一緒に遊んだりする友達」

 まさとは言いながら、

「研究所にはいなかったからわかんないかな?」

「いや、ビデオで見たから知ってますよ」

 ジルの脳裏で、アニメに出ていた髪の長い女の子が思い出されていた。

「その、何だ、学校はいじめもあるかもしれないけど……」

「はい……」

「友達と一緒に遊んだり、勉強したり……きっとジルの為になるって」

「はぁ……」

 ジルの頭では、再び「いじめの図」が膨らんでいた。

「一緒に勉強したり、遊んだりってのは、まさとさんがいるじゃないですか!」

「……」

「まさとさんが勉強を教えてくれたり、遊んでくれたらいいのに……」

 まさとはジルの言葉に肩を落すと、

「俺、仕事もあるし……」

「おとなしくしてますから~」

 甘えた声を上げるジルを見て、まさとはちょっと困っていた。

「でも、友達が出来ると、きっと楽しいと思うぞ」

「えー」

「俺も学校に行ってた訳だし、きっと行った方がいいって」

「でもー」

 ジルは言いながら目に涙を溜めた。

 一瞬まさとと目があったが、まさとはすぐに目を逸らすと、

「一日、一日でいいから、な」

「うーん……」

 まさとはジルを学校に行かせたくもあり、行かせたくもなかった。

 ジルの様子を見ていると、学校に行かせる事でどれだけ変化するか、まさとはとても興味があった。

 反面、長崎に何度も言ったように、ジルの頭が電子頭脳である事がばれないかが、とても不安だった。

 目の前で泣きだしそうなジルを見てまさとは、

「そんなに嫌か……」

「はい……」

「じゃ、家にいていいよ」

「本当ですか!」

「俺も仕事あるから、相手してやれない時もあるけど……」

「……」

「一人でテレビ見て、ゲームやってていいよ……ロボットだし」

「一人で?」

「ロボットだから、大丈夫だろ?」

 まさとが困った顔で言うと、ジルは頬を膨らませて言い返した。

「ぼく、ロボットだけどロボットじゃないもん!」

「……」

「最新で最先端だから、学校なんてへっちゃらです!」

「そ、そう?」

 ジルは表情をこわばらせながら、無理に笑顔を作ると、

「ぼくのすごいところ、見ててください」

 まさとはそんなジルを見て、かなり不安だった。

「ぼぼぼぼく頑張ります~」

 完璧に震えてるジル。

 まさとは不安だったけれども、そんなジルのしぐさを見て、何とかなると思うようになっていった。

「そうだな、ジルなら、きっとたくさん友達できるよ」



aiz(r3b/r) for web(aiz001s.txt)

DCOx1(2017)

(C)2002,2017 KAS/SHK


 日春北小学校、四年二組に「転校生」として転がり込むジル。

「ジールー!」

 教室でジルを呼ぶのは、研究所で会った晶子だった。

 晶子に脅されたりもしたけれど……

 操ちゃんがいるからいいか?


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ