神の子が生まれるまでのお話
子供が出来て九ヶ月と半ほど経った。
リフィアのお腹はだいぶ大きくなった。
レオにマレス、そして俺は出産がまじかに迫っている事に慌てながらも、胸の奥底から湧き上がる嬉しさが顔ににじみ出ていた。
俺達があたふたしている姿を見ながらゆったりと微笑み、お腹をさするリフィアはこの世界の母神サラトラスを思わせた。
サラトラスはドがつくほどの美人で若いお嫁さん方の憧れの的の神様だ。
つまりオレの嫁がちょーカワエエ!
リフィアは俺の見惚れている視線に気付くと太陽のようにニコッと笑い満面の笑顔を見せてくれた。
ウンウン可愛い可愛い♪
気がかりなのは、たまにリフィアが座り込んで動かないことがある事だ。本人は大丈夫と言うが、お腹が大きくなるにつれ動かない回数が増えていく。万が一を考えて医者を呼ぶと、どうやらお腹の中の羊水が漏れていて、このままでは破水してしまうという。
家族全員に緊張が走るが出産の予定を早めれば大丈夫だと訊いて安心した。
その日はそれで終わったが、次の日リフィアが外に出たいと言いだした。
俺は最初どうしようか迷ったが、レオやマレスは近くまでなら問題ない、気分転換に2人で出かけてこいと言われ納得した。
リフィアは行きたい場所があったらしく、そこは俺に告白した思い出深い緑の丘だった。
馬車を呼び乗り込む。
しばらく揺られながら、リフィアと他愛ない昔の話をした。
冒険者になって初めて仲間になったこと、
一緒に街で歩いたこと、
高級レストランに行き値段で青ざめたこと、
強いモンスターをパーティー皆で倒したこと、
そして、今から行く緑の丘から見た絶景が美しかったこと。
話し出すと終わりが見えない。
それほどまでにリフィアとの思い出を積み重ねてきた。
楽しいものや嬉しいものがあれば苦しいものや嫌なものもあった。
それはこれからも変わりないだろう。
それを全部ひっくるめて彼女を愛していこう。
彼女とずっと寄り添って生きていきたい。
そして一生を終える時は彼女の横で安らかに眠りたい。
俺の計画はこんな感じだ。
あと気が早いかもしれないが子供をもっと作りたい。
これから生まれてくる子供も一人っ子は嫌であろう。弟か妹が増えた方が嬉しいと思うのだ。俺は一人っ子だったから気持ちは同じなはず!
リフィアにその旨を伝えると、彼女も心から喜んでくれた。なら、新しい家は緑の丘に建てようという案を訊いた時は大賛成した。扉を開ければ広々とした緑一色。きっと美しいに違いない。夕焼けに染まった空を写し出すように、緑の丘もオレンジ色に変貌し、その光景に感嘆の息を吐くであろう。
俺とリフィアは未来への幸せな予想図を言葉で描き、夢を膨らませる。
狭い車内に温かい心地良い空気が流れ、微笑み緩みきった俺達。
だから気づいていなかった。
冒険者にとって大切な危機察知能力を失っていたことに。そしてこれから起こる惨劇に。
ーーそれは唐突だった。
順調に丘に続く山道を走っていた馬車が川に阻まれた道を繋ぐ石橋に差し掛かる。
その時、カッ!と目を覆う光に包まれた瞬間、鼓膜を破る勢いの爆音が響いた。
馬のリズミカルな足音が消え去り、ここまで送ってくれた御者の耳をつんざく断末魔が聞こえてくる。
次いで凄まじい熱量を持った爆風が馬車を大破させ、俺は吹き飛ばされた。
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ッ……何が起きた……?
ズキンと鈍器で頭を殴られたと錯覚しそうな痛みに耐えながら、俺は両手に力を込めて立ち上がる。
どうやら石橋の下の川に落ちたようだ。
俺は半分塞がった瞼で空を見上げる。
「ッ!?」
背筋が凍りついた。
その光景は地獄絵図だった。
石橋の上では馬車に向け強烈な炎の玉が鳴り止まず乱射されていた。陰から覗く車輌は炎の嵐に晒され見るも無残な物に変えられていく。
石橋の下を潜って川から何かが漂ってくる。
人の死体だった。
顔は黒く焼け焦げ、誰か判別出来ないくらいぐちゃぐちゃで見るだけで吐き気を催す凄惨なものだった。
その横で腹部に車輌の破片が突き刺さり、ここまで送ってくれた馬が息絶えていた。瞳孔が開き、その瞳で真っ直ぐこちらを見ている気がして怖気が全身を駆け巡る。
思わず目を逸らした。
異世界だからこそ起こりうる酷く惨たらしい惨劇に命の軽さを上書きされた機械のように再認識された。
恐い恐い恐い!
嫌だ嫌ダイヤだ!
死にたくナイ死シニタクナイ!
心の底から駄々をこねた子供みたいに泣き叫びたい。大の大人がみっともないと言われようが構わずに小さく蹲りたい。
その時、脳内に絶望が黒く広がっていく最中、ポチャンと近くで音がした。これ以上、俺を傷つけないでくれと切実に願いながら音がした方に視線を向けると、
「腕?」
そこには肘までしかない腕が浮かんでいた。
それがもし、名前も知らない赤の他人のものだったらどれほど良かったことか。
ここにある死体は両腕がある。
そして体格は成人男性の標準くらいだから御者だと推測する。
すると残りの答えは一つしかなかった。
切断された腕の先の指には、高級そうな青いサファイアが埋め込まれた金色の小さな指輪があった。
それは結婚式の日に、生涯を共に過ごすと決めた相手に俺が贈った大切なものだ。
「ああ……」
俺は魂が抜けた亡霊さながらの表情を浮かべながら、重い視線を意を決して上に上げた。
「あああ……っ」
石橋の陰から覗くのはいっそう魔法の攻撃が加えられボロボロにされた馬車ともう一つ。
頭部から夥しい血を流しぐったりと頭だけを石橋から突き出したリフィアの姿が眼に映った。
「ああああああっっ!!!」
ーー瞬間、身を焦がすような憤怒が全身を覆い尽くした。
思考回路が急激に熱を帯び、感情を表すかのように黒い魔力が身体から流れ出した。
今まで動かなかった脚はどこにそんな力があるのかと思うぐらい速く駆け、石橋の方へ向かっていった。
「ッ!」
石橋の入り口で俺を迎えたのは、大勢の人の塊だった。
数は100人ぐらい。ボロ切れみたいな服装に軽量の装備、汚れたバンダナを頭に巻いている者がちらほらといる。腰に剣の腹が曲がったサーベルを下げ、いかにも盗賊といった風貌だった。
何故、盗賊がこんな所に?
この地域は東の端っこに位置して、大陸中央部にある都市からしたら田舎もいいところだ。昨今の盗賊は都市に向かう商業馬車や観光目的の貴族を襲って金品を奪うならず者達だ。大金目当てであれば、こんな片田舎の一般馬車を襲ってもなんの利益も得られないだろう。
この時の俺は、冷静に考えれば簡単なことに気付くはずの問題を判断せず、ただ目の前でトチ狂って下卑た笑みを浮かべ魔法を乱発する敵を塵芥も残さず破壊することしか考えられなかった。
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1時間後。
石橋の上は盗賊の焼け焦げた死体の山で濫立していた。
焦げ臭い異臭が漂う中、盗賊達の死体を蹴り上げリフィアの元に駆け寄る。
彼女とぎこちなく視線が絡まった。
その眼は暗闇の中で一筋の光が射したことに喜ぶような、それでいて惨めな自分の姿を見られることに顔を歪めているようにも見えた。
俺はどんな顔をしていただろうか?
リフィアの身体は残酷なまでに傷を負わされていた。
肩から切れた腕を始め、頭から流れる赤い血。下で見た死体と同じように右脇腹には車輌の破片が突き刺さり抜けないままでいた。大量に溢れ出る血液がリフィアを中心にでかい水たまりを作っていた。
火傷も負っていたリフィアの手を取り、残りの魔力を込めて回復魔法を掛けようとする。
「こ、ここ…で……産み、ます…」
リフィアが突然、俺の手を握り返しそう言った。
元々は医療の道を進もうとしたリフィアは、出産についてのノウハウは理解してるのは知っていた。だが彼女には出産する力は無いに等しい。
だから自ら腹を切り子供を取り出すから、その時に回復魔法を掛けてくれと言う。
俺はもう子供は諦めて彼女の治療に専念したかった。子供を見捨てるのは心が張り裂けるほど痛いが、彼女を死なせるよりは断然マシだと思った。
しかし、リフィアは頑として譲らなかった。
子供を守れない親など親にも値しないと。
強い意志を感じた俺はすぐに回復魔法を掛け続けた。