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――1――


「だ、誰かーッッッー!! 」

 未明の街に女性の声が響いた。

「ねえ。今の聞いた?」

 ネネが振り返り、後ろを歩くバボを伺う。ネネのまん丸な黒い瞳が大きく開き、キラキラと輝いている。街灯のせいではなく、好奇心に満ち満ちているのだ。

「え? ああ、聞こえたけどさ……」

 気のない返事を返すバボは、手にしたコンビニで買ったばかりのつくねのおでん串をフーフーと冷ますのに夢中だ。


「誰かー!! 泥棒ー!! 泥棒ー!! 」

 金切り声が再び響く。秋葉原の裏手、山手線の高架と昭和通りに挟まれた一帯はこの時間さすがに人通りも少ない。


「行くわよ、バボ」

 ネネは走り出す。

「何やってんのよ、早く! 」

ネネは一旦止まって振り返り、走り出さないバボを急かす。

「えー?! 僕、まだ食べてないのに――」

 バボはおでんに吹きかける息を大きく速くする。

「もう! のろま! 走りながら食べればいいでしょ! ほら、行くよ! 」

「ちぇ、わかったよー」とバボは走り出しながらおでん串を咥える。しかし、あちちちちーッとおでんを吐き出し落としてしまい、ああーと情けない声を出す。

「急ぐわよ」と足を速めるネネ。バボも諦めて後を追う。


「せっかくのつくねが……」

 バボは残念そうにおでんを落とした位置を振り返る。

「熱いの苦手なのにあんな物買うからよ。諦めなさい」と、ネネは突き放した様に言った。

「だって、好きなんだよ。あの出汁の染み具合、最高なのに……」


「泥棒ー! 泥棒ー!! 」

 三たび声が響く。


「あの角を曲がった所よ」

 ネネとバボが交差点を曲がると、数十メートル先でミニスカートの女性と痛ジャージにレーサーパンツの男が揉みあっているのが見えた。

 女性が突き飛ばされ、男は傍にあった派手なロードレーサーに跨り逃げ去ってゆく。


「大丈夫ですか? どうしました?」

 ネネは女性を抱き起こした。

「ひったくりよ! 私のハイヒールをアイツが――」と女性は訴えた。

 見ると女の人の左足は裸足だ。

逃げるひったくり犯の痛チャリは、一方通行十字路を右に曲がって見えなくなる。

「バボ! 追いかけて! 」

「オーケー! 」

 ネネの言葉と同時に、バボは犯人の消えた方角にダッシュする。

「心配しないで、おねえさん。私達にまかせて警察に電話して」

 ネネは女性にウインクして走り出した。犯人とバボを追って路地を曲がる。

 痛チャリ男は猛スピードで線路の高架下から駅の西側、電気街口の方に抜けて行く。痛いホイールに改造しているとはいえロードレーサーは速い。追いかける二人と犯人との差はどんどん開いてゆき、見えなくなる。


「二本足で走ってたんじゃ追いつけない。本気で追いかけましょ! 」

「え? でも、リクに叱られちゃうよ?」

 ネネの提案にバボは躊躇する。

「だって、このままじゃ逃げられちゃうじゃない! 誰にも見られなきゃ大丈夫よ。リクにもばれやしないよ」

「いや……、だけど……」

 渋るバボをよそにネネはしなやかに前足を地に付け、四肢の大きなストライドで走り出す。あっという間にスピードが増す。

 バボは恐々キョロキョロと辺りに誰もいない事を確認した後、「待ってよー」とネネと同じく四足で走り出した。

 自転車を追い、高架をくぐり、消防署の前を走り抜ける。街灯とネオンの狭間、アキバクロスフィールドのビルの壁、猛スピードで掛けるスラリとした尻尾の二つの影が映る。


「くそ! あの変態野郎どっち行った? 」

 街灯を反射して、バボのブロンド色の体に美しい縞模様がふうわりと浮かび上がっている。

「絶対逃がさないわよ! 」

 ネネの肢体は漆黒で高貴な輝きに満ち、その真ん丸な瞳はキラキラと吸い込まれそうな光を放つ。


 ネネはひらりひらりと駅前のビルとビルを繋ぐアキバブリッジと呼ばれる歩行者デッキの屋根に駆け上り、一帯を見下ろし犯人を捜す。そして、大通りを万世橋方面に向かうピンクの痛チャリを発見した。

「いた! 見つけたわよ! 万世橋方面に向かってる!」

ネネはブリッジを飛び降り、二匹は犯人を追いかける。


犯人は逃げ切ったと安心をしたのか、恍惚の表情を浮かべて奪ったハイヒールの匂いを嗅ぎながらペダルを漕いでいた。

「う~ん、たまらん。狩り立ては最高に芳しい!うひょうひょ!」

男は股間をサドルに何度も擦り付け、「おおお」と吐息を漏らし、ヒールの中に舌を入れ舐めまわす。


「待ちなさい! ど変態! 」

 万世橋の上で追いついたネネが犯人と併走しながら叫んだ。

 その声に気づき、「ん? 」とネネを見やる変態男。

「え?!! ええ――ッ!! な、なんだ!? 影がしゃべってる?! 」

 驚いてバランスを崩し、ふらふらとする自転車。「うわ!うわ!うわ――」と必死で体制を立て直そうとする犯人。倒れそうになる自転車だったが、前方から二つの腕がハンドルを掴み、自転車は倒れないで止まった。進行方向に回り込んだバボが支えたのだ。

「ふう――」とほっとしながら、「どうもすみません――」と顔を上げた男だったが、バボを見るなり「ひゃああッ――」と驚き、サドルから転げ落ちて地面に尻餅をついた。

「ねえねえ、変態さん。この自転車いいなあ。『魔女っ娘キララ』僕も好きなんだ。萌え萌えするよね」

 バボは自転車のディスクホイールに描かれた萌え絵を興味深そうに見た後、

「そのジャージもいいなあ。どこで売ってるの? 」と男に尋ねた。

 橋の上を通る車道を行き過ぎる車のヘッドライトがバボの横顔を明るく照らす。

「ぎゃあ! 鬼!! 」

 盗んだハイヒールを放り出して、高価そうな痛チャリをもその場に残して、あたふたと這う様に逃げ出す男。

「変態さん。鬼って僕のこと? 」

 バボは男に問うが、欄干まで逃げた男は恐怖におののいた顔で「あわわ――」と口をパクパクさせている。

「変身したバボの顔の縞模様。歌舞伎の隈取みたいじゃない? 見ようによっては怖いわよ」

 ネネがハイヒールを拾いながらバボにそう言った。

「でも鬼って――酷くない? 」

 と、バボはネネの方に振り返る。

「鬼のパンツって虎柄じゃん。あんたとお揃い」

 ネネは鼻先をツンと上げ、バボを少々小馬鹿にした様な言い方をしてクスクス笑う。

「似てるってパンツだけ?! ――って、僕、パンツじゃないし! 」

 バボは口を尖らせる。


「か、影が……。黒い悪魔?! 」

 今度はネネを見て指差し怯える男。

 通過する車のライトがストロボの様に背後からネネの黒光りする輪郭を映し出した。

「え?! バ、バイキンマン……?」男があんぐりと口を開けて、そう言い出した。

「はあ?! 誰がバイキンマンよ! 」

 ネネはその言葉に反応する。

「ちょっと! ど変態さん! うら若き乙女をつかまえて、バイキンマンですって! 」

 男に詰め寄る。

「うわぁ! 来るな! 助けて!! ごめんなさい!! 」

 男は怯えて立ち上がり、欄干の上に飛び乗ったかと思うと足を滑らせて「うあああ――!!」と悲鳴をあげながら神田川にザブンと落ちていった。


 バボとネネは橋の上から顔を出して川を覗く。橋に設置された行灯をかたどったような街灯のオレンジ色の光に照らされながら、男はハンケツ状態で水面を必死で平泳ぎしていた。痛ジャージで泳ぐ姿は、まるで南米かどこかに生息するカラフルな蛙にそっくりだ。

「あ―あ、落ちちゃった」

「ネネのこと、バイキンマンだって――鬼より酷いね」

 バボはクスクス思い出し笑いをした。

「ホント失礼ね! アイドルなのよ、私は! アイツの目はどうかしてるよ。 あの変な服もセンスないし――」

 と、ネネは頬を膨らませた。

「『キララ』のジャージ欲しいなぁ。どこで売ってんだろ? 」

 バボは、いわゆるアニヲタである。特に魔法少女系のグッズ集めに余念がない。

「あんなののどこがいいのよ。恥ずかしいだけじゃない」

 ネネにはバボの趣味が理解できない。

 

 いつからか聞こえていたパトカーの音が段々と近づいてきた。

「まずいよ、ネネ。パトカーが来ちゃう。早く帰らなきゃ」

「そうね。人に見つからないうちに帰りましょ」

 取り返したハイヒールを痛チャリの傍に置くと、二匹の影は弾むように電気街口の方に消えていった。

 



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