再会
カーリンが食堂からいなくなると、ベリンハルトは大きなため息をついた。
「カーリンには、まだ結婚はいかがなものかと。先方も、フィリデオに任せているから先急ぐなと釘を刺されていることですし」
母親に頭が上がらない彼が恐る恐る意見したが、鋭い視線にまた口を噤む。
「カーリンがお嫁に行くと寂しいものよね。だから、少佐さんがいらしたときも逃げ出したんでしょう?」
妻の指摘が図星だったベリンハルトは、ぐうの音も出ない。
「とにかく、いつ申し出があってもいいように準備だけはしておきなさい」
「わかりました、お義母様」
やけに素直なヘレーナが気味悪かった。
「あなた、何を企んでいるの?」
「まあ!! 企んでいるなんて心外ですわ」
大袈裟に驚いてみせるあたりがどうも怪しい。
休暇から戻ってきたカーリンは、今日もまた部隊で忙しく飛び回る。そして、ランディに頼まれて他の部署へ書類を取りにいった帰りだった。
胸のポケットに入れた携帯電話のバイブ機能が着信を知らせる。確認するとセバスチャンからのメールで、アレックスの母メアリーの命日に贈った花が無事届いたとのことだ。とても喜んでいたとも添えてあり、やはり送ってよかったとカーリンは安堵する。
セバスチャンの言う通り、本当は直接渡すのが一番いいのだがそうできないのがもどかしい。
もし渡せたとしても、どんな顔をして会えばいいのか分からないのも確かだ。あの瞳に見つめられて、平静を保っていられるだろうか。
― あの日みたいに固まってしまうかも。
電話を切ったカーリンは、あの頃に思いを馳せた。
《私アレックス・ミュラーはリヒター・ド・ランジェニエール嬢とお付き合いしています。事後報告となりましたことをお許し下さい》
口上じみた挨拶を、傍らでドキドキしながら聞いていたのが昨日のように思い出す。
軍人学校を卒業して間もなく、アレックスがカーリンの家族に挨拶がしたいと申し出ると、彼女は苦虫を噛み潰した顔をした。母親はともかく家柄や地位を重んじる祖母は、庶民の彼に対して好意的ではないからである。会いに行けば、またアレックスに嫌な思いをさせるだけだ。
「そんなの、いいですよ」
「そうはいかん。けじめは大事だ」
― ミュラー少佐って、時々堅いんだよなあ。
またそこがいいのだと、にやけてしまうのが恋のなせる業か。
当日、ヘレーナは大歓迎だが、フリーデルは相変わらず冷ややかな眼差しを向けた。夫に先立たれてから、リヒター・ド・ランジェニエール家を守ってきた強い意志の表れなのかグリーンの瞳は鋭い。
「お父様は?」
「会議という名の逃亡ってところかしら?」
しれっと言う嫁に、フリーデルはわざとらしく咳払いした。
「この間まで暇だと言っていたのに、娘が彼氏を連れてくると聞いた途端予定を入れるんですもの。これを逃亡と言わなくてなんて言うの?」
「ねえ、少佐さん」と振るヘレーナに、アレックスが返事に困っていたのがおかしかった。
しばらくベリンハルトの帰宅を待っていたアレックスだったが、そろそろ帰ろうと玄関のドアを開けたら彼と鉢合わせする。
結局、父親に会えたのはこの数分間だけだった。
追憶に更けていると、不意に視界が大きく揺れた。階段を下りる際に、足を踏み外したと気付いた時は既に遅くバランスを崩す。
「うゎっ!!」
腕を掴まれて、引き寄せられたカーリンが納まったのは軍服の胸だった。
「怪我はないか?」
体を通して聞こえる低い声に、見上げると思いも寄らない人物がいる。
「ミュラー少佐……!?」
夢を見ていると錯覚するほど突然の再会だった。視線が交じり合い、二人はしばし見つめ合う。
「相変わらず、そそっかしいな」
「たまたまです」と反論するも愛しい感触に浸るカーリンを、彼から体を離した。
ほんの一週間前までこうやって、互いの存在を身近に感じることができたのに、今は許されない現状を思い知る。
「花、ありがとう」
「な、なんのことでしょう? わたしにはさっぱり」
とぼける彼女。
「届け先が『ミュラー』ではなく『ミラー』になっていたぞ」
すると、カーリンの顔がたちまち真っ赤に染まった。
「本当ですか!? 書き間違えたかな」
あっさり白状して手で口を塞ぐ彼女に、目を細めて微笑む。
「覚えていてくれたんだな」
観念したのか、カーリンが頷いた。
本当は花を送るかどうかかなり悩んだが、見知らぬふりはできず誰かに頼もうと思いついたまではよかった。
さて、問題は誰にするかだ。チェリー、セドリック、ランディ、ビアンカ……、フィリデオは論外だ。
周辺にいるのは皆、アレックスと大いに関係がある。困り果てたところに屋敷から連絡がきたのだ。黒塗りの高級車で迎えに来たセバスチャンを見て閃く。
― そうだ!! セバスチャンに頼もう!!
寡黙で忠実な彼なら依頼主を明かさない自信があったのに、見事に裏切ってアレックスにばらしたとは思いもよらなかった。
「少佐の大切な方だから」とぼそっと呟くカーリンを、抱き締めたい衝動を拳を硬く握って抑える。
「元気にしているか?」
「少佐は?」
逆に訊かれて返事を躊躇っていると、カーリンが先に答えた。
「少佐が元気なら、わたしも元気でいられます」
無理に作る笑顔に、アレックスの胸が切なさで痛む。
「お前が許してくれるなら、俺は……」
『私』から『俺』に一人称が変わり、彼が公私混同しているのが分かったカーリンは、秘かに次の言葉を期待した。
だが、それは名を呼ばれてあえなく消え去る。
「カーリン」
二人が振り向くと、フィリデオとセドリックがすぐ近くに立っていた。
「カーリン、カルマン大尉がお呼びだ」
「あ、うん」
セドリックに促されてアレックスの横をすり抜けたが、ふわっと香るシトラスに振り向く。
― さっき、なんて言おうとしたのかな。
言いかけた台詞の先も、抱き締められて少し痩せたと感じたのも気になった。
「二人の再会が偶然だと、信じていいんですよね?」
フィリデオは、苛立ちが隠せない口調で訊いた。カーリンがかつての恋人といる現場を目撃して、穏やかでいられるほどフィリデオも余裕がない。
「お互い軍人だ。こんな偶然はいくらでもある」
嫌疑の目を向けるフィリデオに冷ややかに返すアレックス、一触即発の空気にセドリックが割って入った。
「ミュラー教官、俺達もそろそろ行きましょう」
部下に促されて、フィリデオの元から去っていく。
正面を見据えて歩いていくアレックスを、セドリックは横目で窺う。硬く結んだ口、どこか寂しげな眼差し。
カーリンと別れてから精彩を欠ける上官に、セドリックがそっと言う。
「カーリン、元気そうでしたね」
「そうだな」と答えたが、アレックスの本心は違っていた。つまずく彼女を抱き寄せた瞬間、少し痩せたと感じた。
お前が許してくれるなら、俺はもう一度愛したい
それが先ほど言い掛けた言葉の続きだった。
フィリデオ達が来なければ、彼女の唇を強引に奪っていたかもしれない。
《もうあんなつらい思いは嫌だ》
別れ際に放ったカーリンの言葉が蘇り、思い留まらせた。彼がカーリンを再び愛するということは、またつらい思いをさせることを意味していた。
「マーティン伍長」
「はい」
隣を歩く部下に、静かに話し掛ける。
「私と同じ過ちをするな」
真意を考えあぐねるセドリックの前を行くアレックスは、軍人の顔へと変わっていった。




