朋、遠方より来る その1
『カーリン、元気ですか?』
昼休み、携帯電話に掛かってきた相手にカーリンは顔が輝いた。シャトレーズ軍人学校で同じ班だったナガミネ・リコである。
出会った頃は自信なさげに声が小さかった彼女が、今ではいきいきとしたしゃべり方へと変わっていた。小柄で大人しい容姿に似合わず射撃が得意とあって特殊部隊に配属されている。
卒業してから何度か電話したが、慌ただしく手短に話して終わることが多かったので遠慮していたのだ。決して恋人との電話を優先して、親友をないがしろにしていたわけではない。
「やあ、リコ!! わたしは元気だよ」
『なかなか連絡取れなくてごめんなさい』
「仕方ないよ。任務とか訓練とかで忙しいんだろ?」
『ええ。大変だけど遣り甲斐がある所ですよ』
「そっか。頑張ってるんだな」
屈強な男子と交じって厳しい訓練もこなしているのに、黒い瞳を輝かせている姿が電話を通しても分かった。そんな彼女を見出したのは、当時教官だったアレックスなのだが。
『あの……』と、リコが言いにくそうに切り出した。
『ミュラー教官もお元気でいらっしゃいますか?』
「あ、うん」
教え子と教官の恋を身近に知っているだけに、カーリンとしては少し気恥ずかしい話題で相手に見えていないのに真っ赤な顔で頷く。
「ソフィアは相変わらず?」
『はい。水を得た魚といったところですね』
ソフィア・ギンフスキー、学校一の才女でリコと同じ部隊へと赴任していったミュラー班の一人だ。
― 水を得た魚? リコも難しいこと言うようになったなあ。
自分の勉強不足を反省しながらリコの言葉に耳を傾けていると、まるで卒業前に戻ったようである。
『今度の連休、わたし達空いているので会いませんか? もちろんチェリーも』
「ホント!? 会おうよ。チェリーにはわたしから言っておく」
思わぬ申し出にカーリンのテンションは最高潮に達した。
『よかった。じゃあ、ソフィアにも伝えておきますね』
話がまとまったところで、もうすぐ昼休みも終わりかける。
― 卒業して一ヶ月も経っていないのに、随分昔みたいに感じるなあ。
職場に戻ってもカーリンの笑顔は止まらず、ランディが含み笑いを浮かべてこちらを見ていた。
「何かいいことでもあった?」
「はい。今度、班のみんなで集まろうと約束したんです」
「へえ。あのミュラー班? 教官も同席するの?」
「へ?」
カーリンの顔から笑みが消えて目を白黒させる。
「ミュラー少佐……ですか?」
「まあ、せっかくの同期との楽しいひとときにあの仏頂面は重いかもな」
ランディの言葉にカーリンは悩んだ。今の自分達があるのはアレックスのお陰だが、恋人となった彼を連れてくるのはリコ達に気を遣わせるのでは、と一瞬考えたのだ。
チェリーに言えば絶対面白がるに違いないので黙っておく。
「今度、みんなで集まるんですってね!!」
「だから、なんで言う前に知ってるかなあ」
チェリーの満面な笑みと対照的にカーリンはげんなりした表情だった。カーリンが部屋に戻って来るや否や、第一声がこれである。
「ソフィアから電話が来たのよ。教官も呼ぶ?」
やっぱり、とカーリンはため息をついた。
「呼ばない。きっといじられるだろうし」
「人聞き悪いこと言わないで。わたしがいつ、いじった!?」
心外だとむくれるチェリーはともかく、今回はソフィアもいる。二人で、カーリン達の現状を根掘り葉掘り訊かれてるのは目に見えている。
「残念。面白くなりそうだったのに」
― ほらみろ、やっぱりいじる気満々じゃないか!!
アレックスの窮地を救ったと、珍しく賢明な選択をしたカーリンは自己満足に浸った。
教え子の企みが伝わったかどうかは不明だが、講義の準備をしていたアレックスは視線を感じて辺りを見渡した。
視線の元は向かいにデスクを構えているシノブだった。
「何か?」
「合同訓練なんですが、初めてなので過去のデータがあれば拝見できないかと」
アレックスがセドリックを呼んでその旨を伝えると、すぐに用意してくれた。
「詳細はマーティン伍長に訊くように」
「俺じゃ役不足ですよ」
突然役目を振られてセドリックは戸惑っている。
「この間まで当事者だったろう?」
「訓練生と教官とは違います」
「あと二年もすれば教官だ。予行だと思えばいい」
不安げなセドリックに背を向けてアレックスは講義のため立ち上がった。彼を目で追うシノブにセドリックはますます不安そうに息を吐く。
― カワサキ教官、まさかなあ……。
セドリックはシノブが赴任してきてからずっと気になっていることがあった。それはアレックスを見る彼女の目だ。
チェリーの情報では敬愛する上官らしいが、それだけではないとそれなりに恋愛経験ある男の勘が告げている。
あまり感情を表に出さないのはアレックスといい勝負だが、あの瞳の輝きは見覚えがあった。そう、訓練生だったカーリンが彼に恋をしている時のそれである。
だから、セドリックはピンときたのだ。
冷徹な上官はその教え子と熱愛中なのでシノブの片想いとなるはずなのだが、男と女の間はどうなるか分からない。
自分とチェリーが恋人同士のように。
― ミュラー教官に限ってそれはないか。でも、意外と押しきられるタイプだからなあ。
シノブは臨時にしてはよくやっている。女子の班を担当しているが教え子達にも高評価でいわゆる『当たり』の教官と言えよう。
『当たり』とは、訓練生の隠語で評判のいい教官を差す。ビアンカやアレックスがその一例で、当然『外れ』も存在している。
きめ細やかな配慮が訓練生に受けており、常に静かな笑みをたたえて見守っているタイプだ。ビアンカやセドリックのように喜怒哀楽がはっきりしていないので、意地悪な言い方をすれば何を考えているか分からないところもある。
そのシノブが唯一感情を露わにするのがアレックスを見つめる瞬間なのだから、カーリンに振られたセドリックとしては放ってはおけない。
一層のこと、アレックス本人に言ってみようか。きっと、一瞥されておしまいだろう。だからといって、カーリンに相談するなどとんでもない話だ。
― どうか、俺の思い過ごしでありますように。
誰に祈るわけでもないが、そう願わずにはいられなかった。だが、その杞憂が現実のものとなるとはこの時彼も知らない。
『今度、班のみんなと会うそうだな』
定時報告ならぬ夜のトークタイムで、アレックスが放った一言にカーリンは唖然とした。大方、チェリーが先回りしていたのかも知れない。
『俺のことは気にしないで行っておいで』
「でも……」
『正直言うと仕事が立て込んでいる。合同訓練の実施書を……』
アレックスが言い掛けてやめた。せっかくの語らいを仕事の話で費やしたくなかったからである。そして、二人はあの出来事を思い出した。
「合同訓練と言ったら、わたし倒れちゃったんですよね」
『いつも元気なお前が倒れたから驚いたよ』
体調を崩して卒倒したカーリンを、アレックスがお姫様抱っこで医務室に連れて行ったことがあった。フル装備の彼女を軽々と持ち上げたと話題持ちきりだったのである。
残念ながら、気絶したカーリンはまったく覚えていない。
「重かったでしょう?」
『無我夢中だったから覚えていない。なんなら、今度再現してみるか?』
恥ずかしげもなくさらりと言ってのける彼を、庇ったことを少しだけ後悔するカーリンだった。