モーニングコール その2
重要な会議の準備で始まった一日がようやく終わり、カーリンは入浴を済ますとすぐにベッドへ倒れこんだ。
体力はあっても、事務処理能力が追い付かずなかなか捗らない。涼しげな顔で坦々とこなしていたアレックスの有能さを今更ながら尊敬する。
そんなことを考えながらぼんやりと部屋の壁を眺めていると、無性に彼に会いたくなった。
― 少佐がいれば疲れも吹っ飛ぶのに。
初めての男女交際という甘い余韻に浸る暇もなく、二人は中距離恋愛へ突入した。
会えないならせめて声を聞いてアレックスを傍で感じていたいと切ない恋心は止まらず、携帯電話に手を伸ばしてみたが躊躇する。
何度か掛けたがなかなか繋がらず、出たとしても慌ただしく終わることが多いからだ。
勤務外なら遠慮するなとの言葉に甘えて、既にアレックスの名前で埋まっている履歴を開いて電話を掛けると、案外早いコールで出てくれた。
「こんばんは。今、大丈夫ですか?」
『ああ。会議、どうだった?』
「お陰様で助かりました。少佐も入学式で忙しかったでしょう?」
『式典はいるだけで疲れるな』
いつも毅然として軍人の鑑みたいなアレックスでも、そのような場は苦手なのかと意外な一面を垣間見た気がした。
何気ない会話の中で、新たな発見が飛び出す。
『落ち着いたら会おう』
「本当ですか!? 頑張って仕事に励みます」
『いつも励んでいないのか?』
思わぬ突っ込みにカーリンは慌てて訂正する。
「いつにも増してです!! ちゃんとやってますよ」
自分ではそのつもりだと口ごもると、アレックスが電話口でかすかに笑ったのでわざと困らせたのかと憮然とした。
新たな発見の一つ、それは彼氏が時々意地悪なところ。
― ミュラー教官って案外Sの気があるんじゃない? ―
いつだったか、ミュラー班きっての才女ソフィアがそんなことを話していたのを思い出した。
今のところ嫌ではないが、大人の余裕を見せつけられているようで気後れする。
『そうだな。カーリンはいつも一生懸命だ』
短い沈黙にアレックスの方も察したのか言葉を繋いだ。すかさずフォローするところもずるい。
「少佐」
『ん?』
「お休みなさい」
『……お休み』
教官室で仕事をしていたアレックスは、怪訝な顔で電話を机に置いた。
カーリンから電話が掛かってきて、会う約束をしたら勝手に話を畳まれてしまったのである。
― 何か気に障ること言ったか……?
原因は自身にあるとは知らず首を傾げた。前半は明らかに嬉しそうだったのに、後半は沈んでいた。実はやらかして悟られないようにわざと明るく振る舞ったのか。
それなら、見抜く自信はある。なんといっても三カ月余り彼女の教官をしていたのだから。
十歳も年下のカーリンに、仕事も忘れて気を揉むアレックスだった。
入学式から一週間が経ち、学校の雰囲気にも慣れた新入生が訓練生の顔と変わってきていた。
班の編成も決まり本格的に訓練への移行するのだが、今回はアレックスの担当する班はない。
入学式の終盤で、各班の担当教官が発表されたがその中に彼の名はなく、新入生と保護者の口からどよめきが起きた。
彼目当ての受験者を過去最高で獲得した教育部だったが、今度は編成に頭を悩ます羽目となったのだ。
公正を期するためにも、アレックスはフレッド・マーカー中佐の補佐として班の担当から外れるという苦肉の策に打って出た。
幸いにも保護者や関係者から大きな騒ぎとならず、事なきを得たのである。
「ミュラー教官」
廊下を歩くアレックスを呼び止めたのはこの度卒業したセドリック・マーティン伍長18歳で、軽い癖がある金髪に青い瞳、甘いマスクは新入生の女子に人気がある。
実は、彼こそがカーリンに告白して失恋した同期の男子なのだ。
学科と実技は常にトップ、卒業試験で優勝した実績を評価されて教育部の配属が決定した。
カーリンを巡って争った男二人が、希望していたとはいえ直属の上官と部下の関係となってしまうとは皮肉としかいいようがない。
「この資料なんですけど」
セドリックから資料を受け取るとその場で目を通した。
「私の案件だから預かろう」
「よろしくお願いします」
長身で目を引く容姿の二人が立ち話しているので、通り過ぎる訓練生の視線が釘付けになる。
「俺達、注目されていますよ」
こそっと囁くセドリックにアレックスが首を廻らすと、訓練生達は慌てて散らばっていった。
「教官トップ4のうち、二人がここにいるんだから無理はないか」
「なんだそれは」
「ちなみにメンバーは俺とミュラー教官、バルバート教官だそうです」
「あと一人は?」
「なんでも、あの中尉だそうですよ。ほら、噂をすればなんとやら」
セドリックの目線を追うと、そこには漆黒の長い髪を靡かせてこちらへやってくる女性がいた。
彼等の前で立ち止まり一礼して再び歩き出して通り過ぎていく。
「カワサキ・シノブ中尉24歳。敬愛する軍人はアレックス・ミュラー少佐」
「ブライアント伍長の情報か」
「まあ、そんなところです」
教え子だったチェリーのアンテナは限りなく広い。ジャーナリストの父親譲りか、情報網は侮れないとアレックスは舌を巻いた。
「相変わらずだな。彼女は元気か?」
「なんで俺に訊くんですか。カーリンの方が詳しいでしょうに」
アレックスとしては話の流れで訊いたつもりなのだが、やけに突っかかるセドリックに眉を顰める。カーリンといいセドリックといい、いきなり不機嫌になる今の若者が理解できない。
この時セドリックは上官に腹が立てたのではなく、あることを見抜かれたのかと一瞬焦って口調を荒げてしまったのだ。
「いや、その元気です。大声出してすみません」
深々と頭を下げて非礼を詫びると、アレックスは軽く片手を挙げて教官室へと戻っていく。
アレックスの姿が見えなくなると、セドリックは大きく息を吐いて「参ったな」とぼそりと呟いた。カーリンとアレックスの仲は応援したいと今では本気で思っている。もちろん、彼女に未練はない。
何故なら、自分も中距離恋愛中だからだ。
その相手とは――――――
このところカーリンが機嫌が悪い。元々、感情が表に出やすいので見てられない。そこでチェリーが原因を探ろうと、部屋でテーブルを挟んで二人向き合い取り調べが始まった。
「教官とけんかした?」
「してない」
「忙しいから当分会えないって言われたとか?」
「落ち着いたら会うって約束してくれた」
「へえ、いつ?」
チェリーが瞳を輝かせて身を乗り出した。
「知らないよ」
「教官だけ来るの?」
「他に誰が来るんだよ?」
「例えば、バルバート教官とか」
「さあ」
「さあって、あんたねえ」
いい加減にしろと言わんばかりに、カーリンは勢いよく立ち上がり部屋を出ていった。一人ぽつんと残されたチェリーは、ため息をついて携帯電話と取り出した。
「あ、セドリック。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
『チェリーか。どうした?』
掛けた相手は教官見習いのセドリックだ。
「教官の様子、どう?」
しばらく間が空いたので「セドリック?」と問いかけると
『お前、そればっかだな。仮にも俺は彼氏だぜ? 一言あってもいいんじゃないのか?』
「やだ、妬いてるの?」
『妬いてねえよ!! 用がないなら切るぞ』
ブツリと切られてチェリーは肩を竦めた。
彼の言う通り、恋人らしい言葉をすればよかったと反省しきりだ。




