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モーニングコール その1

  カーテンから漏れる眩しい朝陽に負けず、ベッドの中で熟睡する彼女の名前はカーリン=リヒター・ド・ランジェニエール。

  この春、シャトルーズ軍人学校を卒業して部隊に配属された。心機一転と張り切っていたがやはり朝は苦手で、鳴り響く電話の着信音を夢うつつで聞いていると

「電話、鳴ってるわよ!!」

 と、声を荒げる同居人はチェリー・ブライアント、訓練生の頃同じ班だった情報屋の少女である。

 まだ起きる時刻ではない彼女はいい迷惑とばかりにベッドから出ると、携帯電話をカーリンの枕元へと投げ込んだ。

 それを寝惚けたまま受け取り、耳元へ添える。

「……ふぁい?」

『おはよう』

  聞こえてくる低く澄んだ声に、カーリンの睡魔は完全に吹き飛んだ。

「教官……じゃなくてミュラー少佐、おはようございます」

『今日は早めに行くんだろう?』

 そうだった。

 大事な会議の準備があるから、教官だったアレックス・ミュラーにモーニングコールを頼んでいたのをすっかり忘れていたのである。

 そもそも、なぜ元教官に個人的なお願いができたかというと、話は数か月前に遡る。

 

 カーリン達の班に教官として赴任してきたのがアレックスで、二人の第一印象はお世辞にもいいものではなかった。だからこそ余計に意識して恋へと変わっていくのだが、恋愛経験皆無のカーリンが気付くのはかなり後になる。

 しかも同期の男子に告白されて一時はアレックスへの想いを忘れようとしたが、初恋はそう簡単に消せるものではなかった。

 次第に芽生える愛情に戸惑いつつ教官としての立場を優先するアレックスは、一度はカーリンを突き放したが想いを抑えきれず愛していると告白するのだった。

 紆余曲折の経緯を辿り、卒業とともに訓練生から恋人へと現在に至っている。


「今日、入学式なんですよね。少佐も忙しいのにごめんなさい」

『気にするな。頑張れよ』

 相変わらず言葉少なめだが、声色は優しい。朝から思い掛けないプレゼントに、幸せいっぱいで通話を終えた。

「教官、ほんとあんたには甘いわね」

「うわっっ!! びっくりした!!」

 背後から顔を出してきたチェリーに、驚きのあまり心臓が口から飛び出しそうになる。

「早く起こされたうえに、にやけ顔を拝まされるこっちの身にもなってよね」

 欠伸を連発しながらチェリーが詰ると、カーリンは肩を竦めた。

「悪かったよ。ごめん」

「男言葉も直ってないし」

「少佐はこのままでいいって」

 チェリーは「ごちそうさま」と盛大なため息をついて、またベッドにもぐりこんだ。


 ― ミュラー教官もカーリンが相手じゃ苦労するわね。


 実はチェリーも訓練生の頃アレックスが本気で好きだった。同じ教え子でありながらカーリンを選んだことを妬んだ時期もあったが、今は心の整理もついてカーリンとの友情は続いている。

「チェリー、寝癖がひどいんだけど」

「ああ、もう!!」

 チェリーはまたベッドから起きると、洗面所へと向かっていった。

 

 ― ついこの間まではろくに髪の手入れもしなかったくせに!!


 ぶつぶつと文句を言いながら、お湯で濡らしたタオルを頭の上に置いてやる。美しい金髪は入学の頃より少し伸びて端麗な顔に合っていた。

「恋をして、少しは女らしくなったんじゃない?」

「へへ、そう思う?」

「まあ、今までがひどすぎたんだけどね」

 顔だけ洗って訓練していたあの頃と違い、最近は色付きリップまでする成長ぶりである。

「そういえば、今日入学式よね?」

 仕上げにかかるチェリーが尋ねた。

「そうなんだ。懐かしいなあ」

「ミュラー教官、また女子に囲まれて過ごすんだ」

「……うん」

 グリーンの瞳が切なく揺れたので、チェリーははっとして言葉を飲み込んだ。

 アレックスが女子の班を受け持ち、そのうち恋が芽生えて……などと考えているのだろうか。瞳が潤んでいる。

 チェリーは軽い冗談のつもりだったが、すっかり気落ちしてしまった友人を前にして自己嫌悪した。正確な情報をモットーにしている自身の言葉は、真実に近いのだと改めて実感する。

 初めての恋で中距離恋愛、しかもイケメン教官とくれば不安も倍増するというもの。それは向こうも同じなのだが。

「バルバート教官が追い払ってくれるから心配ないって」

 罪滅ぼしとに励ますと、カーリンに笑顔が戻り「ありがとう」と礼を言って急いで部屋を出ていった。

 


「お、早いな」

 会議の準備をするカーリンに声を掛けてきたのは、アレックスの親友ランディ・カルマン大尉だ。オレンジ色の髪で気さくな性格で女性に人気があり、現在は同期のビアンカと婚約中である。

 カーリンが赴任してから直属の上官、良き相談相手になっていた。

「どう? 上手くいってる?」

「はい。もうすぐ終わります」

「会議じゃなくてアレックスさ。こんな可愛い教え子をものにするんだから、あいつもやるよな」

 彼の名前が出るや否やカーリンの顔が赤らむと、ランディは声を立てて笑ったがふっと渋い表情となる。

 先日ビアンカと会ったとき、二人の話題となり「若い子っていいよなあ」とうっかり口が滑って喧嘩になったのを思い出したのだ。

 御年二十七歳のビアンカには皮肉に聞こえたらしい。

「さてと、そろそろ始まるな。面倒だけどこれも仕事だから仕方ないか」

 ファイルを小脇に抱えて会議室へ入っていくランディに、カーリンはアレックスを重ねていた。


 モスグリーンの軍服に広い背中


 

 ― 少佐に逢いたいな……。


 卒業する前は一緒にいることが当然だったのに、いざ離れ離れになるとアレックスへの想いの深さを知る。


 どうして教官はわたしを好きになってくれたんですか?


 卒業式の日に、アレックスへ訊いたことがあった。「俺のどこが好きなんだ?」と逆に質問されて、答えは聞き損ねている。

 あの時は舞い上がって上手く言えなかったが、今なら即答できる。

 例えば、容姿では凛々しいところとか精悍な顔。内面だと、頼もしくて優しくて情熱的で……。


 と、ここでカーリンの記憶が人生初めてのキスを呼び起こした。

 あれは降りしきる雨の訓練場だった。居残りで自主練をしていた彼女の様子を見に来たアレックスと会話して、告白された男子の話となり突然抱き締められる。

 それから強引に唇を奪われて、冷徹な印象とは裏腹に意外と情熱的だとこの時初めて知った。

 恋人になって三週間、一緒に過ごした時間はトータルで三日もない。卒業と共に離れたのだがら仕方がないのだが、そこは恋する乙女で逢いたい時にそうできないのはつらい。

 彼のことだから「逢いたい」と言えば、片道三時間の距離を飛んできてくれるに違いない。だからこそ、カーリンは口からこぼれそうになるその台詞をぐっと堪えた。

 部隊へ赴任して、一軍人として与えられた任務を遂行する大変さを思い知ったからである。そして、階級の隔たりも。

 学校では教官と訓練生の二つしかくくりがないが、部隊は違う。さまざまな階級が存在していて、卒業したてのカーリン達は伍長と下から数えた方が早い。アレックスは少佐なので、ここでは隊長クラスだ。

 もちろん階級差をプライベートで持ち込むことはないが、軍人である以上無視はできない。

 好きになればなるほど、これまで見えなかった壁が現れ始めた。




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