大人になったプレゼント
「ミュラー教官、お話したいことがあります」
庶務をこなすアレックスが顔を上げると、険しい表情のセドリックがいた。何かこう思い詰めた雰囲気なのでただ事ではないと作業の手を止める。
「場所を変えた方がよさそうだな」
「できれば学校関係者がいないところで」
聞けば一ヶ月前に十八歳の誕生日を迎えたとのことだ。成人の祝いも兼ねてビアンカ行きつけのバーへ誘うと、セドリックは恐縮しつつ二つ返事で受けるのだった。
郊外にあるバーは、アンティークなランプが店内を照らして落ち着く感じがビアンカのセンスの良さが窺える。
人生初めての酒場に、セドリックはきょろきょろと辺りを見渡していた。カウンターに二人並んで座ると、バーテンダーがすっと彼等の前に立つ。
「ご注文は?」
「まずはワインで祝おう。マーティン伍……」と言い掛けて、こういう場で階級で呼ぶのが憚られたのか「セドリックと呼んでいいか?」と尋ねられた。
憧れの上官からファーストネームで呼んでもらえるのに良いも悪いもない。アレックスは親しい間柄しかそうしないと知っていたから、自分もその仲間入りを果たしたのかと胸が高鳴った。
そういえば、二人っきりで学校の外に出るのはこれが初めてだ。
カーリンが原因で険悪な時期もあったが、やはり男として軍人として尊敬できる人物には変わりない。
慣れた調子で注文するアレックスの横顔を見つめていたら、こちらに振り向きふわっと表情が崩れた。
「心配するな、俺のおごりだ」
― うわっ!! ミュラー教官が笑うと男でもその気になるじゃないか!!
教官としては滅多に見せない笑みに、セドリックの心臓は踊り続ける。
― これじゃあ、免疫のないカーリンはひとたまりもないな。
至近距離でやられた日には、あの純情娘もさぞ戸惑っているに違いないと同情した。
やがて、バーテンダーが二つのグラスにワインを注ぐと、赤い液体が内側を滑らかに流れて揺れていく。
「成人、おめでとう。これからは気兼ねなく飲めるな」
「ありがとうございます」
実は、直接誕生日を祝ってもらうのはアレックスが最初だった。
セドリックは、マーティングループの社長である父親と母親、姉二人の末っ子として生まれた。
待望の息子に、父親は後継ぎの期待と教育を注ぎセドリックもそれに応えている。
成長するにつれてそんな生活が窮屈に思い始めた時だ。ニュースで映った一人の軍人に目が釘付けになる。
それが、ある紛争で若干二十二歳で指揮を執り英雄となったアレックスだった。
長身にモスグリーンの軍服がよく似合っていて、白い手袋をつけた指がぴんと伸びて美しい敬礼が印象的だった。
当時十二歳のセドリックの心を揺さぶるには充分すぎる出会いである。
― 俺もあの人のようになりたい。
成長するにつれて憧憬の念はますます募り、軍人になる決心をするが父親はそれを許さなかった。親の反対を振り切って軍人の道を選ぶと家出同然で飛び出したのである。
セドリックほどの実力があれば士官学校へも行けたのだが、事務の手続きミスで軍人学校に入学したのはここだけの話だ。
未だに父親との深い溝は埋まらず連絡も取っていない。母親とは生存確認の意味も含めて時折電話で話していたので、誕生日プレゼントに花束を届けてくれた。
家族とも疎遠になったセドリックにとってアレックスは兄のような存在で、相談するとその度に忙しい手を止めて話を聞いてくれる。そして、真剣に答えを探してくれる姿勢が心に響いた。
だから、彼がカーリンを愛していると告白した時は裏切られた気がして、思わず殴ったのは今でも恐縮する。
「少し酒が強かったか?」
セドリックがワインを一気に飲み干して黙ってしまったので、アレックスが心配そうに見ていた。
「あ、いえ。ミュラー教官に祝ってもらって感動したんです」
「大袈裟だな」と、アレックスが小さく笑って空になったグラスにワインを注ぎ入れる。
「ずっと憧れていました。今でもその気持ちはありますが、いつか追い越したいと思ってます」
「大した男じゃないから、すぐ追い越す」
「カーリンは、大した男じゃないのに惚れたんですか? 俺から奪っておいてよく言いますよ」
悪酔いしたのかやけに絡んでくるので、アレックスもしかめっ面でワインを煽った。
気まずい空気を察して、はっとしたセドリックは罰悪そうに「すみません」と謝った。
「こんなこと言うつもりはなかったんですが、あまりにもご自分を過小評価なさるものだから」
「彼女を返せと言っても応じないぞ」
「そんなことしたらカーリンに一生恨まれます。それに俺、付き合っている女がいます」
外見も中身も非の打ち所がないセドリックなら、恋人の一人や二人いても不思議ではない。むしろ、カーリンとの失恋がトラウマになってはいないかと心配していただけに喜ばしいことだ。それにしても、プライベートな報告をわざわざしてくるとは律儀な男だ、とアレックスは苦笑する。
― 融通の利かないところまで憧れなくてもいいんだがな。
「相手はチェリー・ブライアントです」
元教え子で自分を慕っていたチェリーの名前が飛び出したのでアレックスは目を丸くした。彼女もまたカーリンのために身を引いて、今では恋の指南役として相談に乗っている。
誰かに頼ってほしいセドリックと誰かに甘えたいチェリー。
一瞬聞いただけでは意外そうに思えたが、よくよく考えてみればセドリックとチェリーはいいコンビだ。
「少しは驚いてください。これを言うためにどれだけ悩んだことか」
「これでも充分、驚いているんだが」
「自棄とか同情とかそういうのじゃないですよ。ちゃんと真剣な気持ちで俺達は……」
「分かっているよ」
いきり立つセドリックをあやすようにワインを勧める。
「恋愛なんてどうなるか分からない。俺がいい例だ」
「カーリンをいつ頃から好きになったんですか?」
自分でも恐れ多いと内心首を竦めたが、せっかくの機会だ。酒の勢いを借りて質問して答えを待った。アレックスも答える義務はないのだが同じ女性を愛した者の、大人として男として伝えるのが礼儀だと口を開く。
「今思えば、出会った頃から惹かれていたんだと思う」
教官として初めて四人の訓練生の前に立った時、カーリンの美しさに心を奪われた。訓練を始めると、気品ある容姿とは裏腹に男言葉で活発な彼女に天は二物を与えないものだと痛感する。
そして、一緒の時間を過ごしていくと強く純粋なカーリンから目が離せなくなった。
「だから、お前と付き合っていると知って嫉妬した」
セドリックは驚愕で言葉が出なかった。いつも大人の余裕とばかりに無表情の裏側で嫉妬に胸を焦がしていたとは。
「俺が教官じゃなかったら、と何度も思ったよ。辞めることもできず、彼女の想いに応える勇気もなく結局はお前達を傷つけてしまった」
知らなかった。
苦しくてつらい気持ちは自分だけだと当時は思い込んでいたが、実際はカーリンもアレックスも充分傷ついていた。
特にアレックスはそれを表面に出すことなくカーリンを守り続けていた。
「やっぱりミュラー教官はすごいです」
「十年も長く生きているんだ。当然だろう」
悔しいほどの澄まし顔も心許した証拠かもしれない。
「チェリーを泣かしたら承知しないからな」
「それはこっちの台詞ですよ」
二人は再びグラスを合わせた。
アレックスが語ってくれた本音は、誕生日プレゼントだとセドリックは大切に胸に仕舞うのだった。