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王様の耳はロバの耳

 アレックスから手荒い洗礼を受けた訓練生の名はエルマン・ビュレール。

 あれから彼はどこをどう通って帰ったかは覚えておらず、気が付いたら宿舎の自分の部屋の前に立っていた。

「やっと帰ってきたか。どこまで買いに行ってたんだ?」

 自販機までそう遠くない距離を一向に戻ってこないので、班一同心配していたとのことだ。

「ごめん」と謝って五本のジュースをテーブルに置く。

「おい、これ汚れているぞ」

「こっちは缶が潰れてる。一体何があったんだよ?」

 血の気が引いて青ざめているエルマンに、ただ事ではないと男子四人が駆け寄ったが何を尋ねてもうわの空だ。

「幽霊でも見たのか? この辺り出るらしいからな」

 幽霊を見たならさぞよかっただろう。そうしたら心置きなく話題にできると、その類が苦手な彼でも思わずにはいられない衝撃だった。

「幽霊よりも凄かった……」

 ぼそりと呟いたエルマンに皆慄く。

「ホントか!? モンスターか? 悪霊か? ここは恐ろしい所だな」

 勝手に話を膨らませる同期をよそに、一足先にベッドへ潜り込んだ。だが、目を閉じて蘇るのは星の明かりでほのかに照らされたアレックスとカーリンのキスシーンである。

 冷徹教官にカノジョがいて、想像もつかないベタ甘な光景を誰が信じようか。

 独りで抱えるには荷が重すぎる秘密を誰かと共用したかったが、その前に公言したら今度こそ命がないかも知れない。

 捨て台詞と共に投げてきた鋭い眼差しは思い出すだけでも身の毛がよだつ。

 一層のこと、壺の中に顔を突っ込んで秘密を叫んだらどうかと本気で考えた。

 

 ― まるで『王様の耳はロバの耳』だな。あの物語の最後は確か……。


 いづれにせよハッピーエンドではない結末が待っている気がする。

 布団を頭から被ってガタガタと震えているエルマンに、よほど怖い目に遭ったのだと男子が同情の視線を送った。



 翌日、一睡もできず目を真っ赤にしたエルマンが洗面所へ向かっていると、金髪の女性がこちらへ歩いてきた。

 近づくにつれて彼の鼓動は早打ちする。昨夜、アレックスとキスを交わしていたあの美女だったのだ。

 自分と歳が変わらない美しい彼女につい見惚れていると、にっこり笑って「お早う」と挨拶してくれる。

「お、お早うございます」

「訓練、頑張ってね」

「ありがとうございます」

 モスグリーンの制服がグリーンの瞳に合っていた。通り過ぎようとした時、気が動転したのか思わず呼び止めてしまう。

「あの、あなたはミュラー教官のお知合いですか?」

 突然の質問に驚いた様子だが怒りはしなかった。

「わたしはカーリン=リヒター・ド・ランジェニエール伍長。ミュラー教官の元教え子だよ」


 ― エエッ!! 教え子をカノジョにしてるのかあ!? それって反則だろ!?


 驚愕のあまり口をあんぐり開けているエルマンに、カーリンは苦笑する。

「実は出来のいい訓練生じゃなかったから大きな声じゃ言えないけど」

「そんなことはない。お前は自慢できる卒業生だ」

「!!」

 いつの間にやってきたのか、制服姿のアレックスが後ろに立っていたのでエルマンの心臓が跳ね上がった。

 アレックスとカーリン、二人が軍服を着ると迫力が増す。

「少佐も軍服ですか」

「カルマン大尉を見送ったら、その足で会議に行く」

「忙しいんですね」

 部下と上官の何気ない会話にエルマンは見えない手で耳を塞いだ。それどころか、教官とは目も合わせずそわそわしてかなり挙動不審である。

「俺、これで失礼します」

 慌てて立ち去る訓練生にカーリンは怪訝な表情で見送った。

「どうしたんだろう? なにかに怯えていたけど」

「どうやら嫌われたようだな」

「少佐ったらまた仏頂面で怒ったんでしょう?」

「それに近いことはした」

「睨まれると結構怖いから気を付けて下さいよ」

 しかめっ面で説教するカーリンに、これではどちらが教官だが分からないとアレックスが苦笑する。

「お前も怖かったのか?」

「そりゃあもう!! あっ、でも今は慣れました。慣れってすごいですよね、ミュラー教官」

 悪戯っぽく笑ったので、「カーリンのくせに」と撫でようとした金髪をぐしゃぐしゃにかき回した。

「あーっ、ひどい!! せっかく寝癖が直ったのに!!」

「上官を馬鹿にするからだ」

「してません」

「はい。そこまで!! 俺の可愛い部下をいじめないでくれる? ミュラー教官」

 ビアンカを伴ってニヤニヤしながらランディがこちらへやってくる。

「傍から見たらただのバカップルだぜ。仮にもここは青少年が集う健全な学校だぞ」

 普段、アレックスに注意されている文句をランディがしたり顔で返した。

「いいじゃないの。アレックスにもようやく夢中になれるものができたんだから、ね」

 同期カップルを前にして、旗色が悪くなったアレックスは仏頂面で踵を返す。

「あら、機嫌損ねたかしら。ごめんね、カーリン」

 ビアンカが謝ったが、声色は面白がっていた。彼には悪いが、先ほどの報酬には丁度よかったかも知れないと心の中でほくそ笑んだ。


 小走りで洗面所に来たエルマンは、これまでの記憶を抹消するかのごとく顔を洗い続けた。

 今朝の教官はいつもと変わらず冷徹そうだったので、昨夜の光景は幻だったのかと思ってしまう。事情を知らない者だったら上官と部下の他愛ない会話だが、彼の妄想は暴走していた。


 ― あんな可愛い子をカノジョにするなんて犯罪だ!! 教官だったら教え子に手を付けていいのかよ!! だけど……


 鮮やかな身のこなし、乱れた栗色の前髪。アレックスは男が見てもゾクッとするほど大人の色気がある。


 ― まあ、ミュラー教官なら俺も惚れるかもな……。って、しっかりしろ、エルマン・ビュレール!!


 色々な意味で刺激が強過ぎた場面に、青年の苦悩は続く。


 


 昼前には学校を出たランディとカーリンだが、車で三時間の道のりをまた帰っていく寂しさが一気にこみ上げてきた。

 助手席の車窓から流れる景色をぼんやり眺めていると、思い出すのは恋人のことばかり。

 軍服に身を包んだアレックスはやはり格好いい。ランディも素敵が、惚れたひいき目で前者が勝っていた。

 ランディ達は結婚すればずっと一緒にいられるが、カーリン達は会ったかと思ったらもう互いの場所へと戻らなければならない。


 触れ合う唇と唇


 学校内で交わしたキスはこれで何回目だろうか。


 部隊へ戻ると、頬を膨らましたチェリーが出迎えた。

「なんでカーリンが学校へ行くのよ!?」

「任務なんだから仕方ないだろう?」

「カーリンのくせに生意気」と、チェリーもまた金髪をグシャグシャにする。最初は抵抗していたカーリンだが、ふっと同じことをしたアレックスを思い出してされるがままだ。

 さすがにやり過ぎたかとチェリーが手を止めた。

「ごめん。あとでちゃんとセットしてあげるから」

「ううん、チェリーに怒っているんじゃなくてちょっと思い出したんだ」

「教官のこと?」

「うん。いつまで少佐と一緒にいられるのかなあってさ」

 将来のことなんて分からないが、ただ今はこの幸せな時間がいつまでも続くことだけを願いたい。


「少佐、今部隊に着きました」

 報告は学校にしておいたのでアレックスにも伝わっているが、個人的に電話を掛けてみた。

『お疲れ様。今夜はゆっくり休め』

 つい数時間前に会ったばかりなのに、どこか懐かしい気がする。

「今度会う時はびっくりするほど進化しているのでご期待下さい」

『それは楽しみだな』

 電話の向こう側で笑っている彼に、カーリンもつられて微笑んだ。



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