対面、そして対決? その2
二人が教官室の前で立っていたが、幸か不幸か人影がなかった。辛うじて平常心を保っているカーリンと対照的にシノブは冷静で表情を崩さない。
実は、シノブも心臓の高鳴りと湧き起る不安でいっぱいだった。大人しい女子かと思っていたが、こうして正面切ってと訊いてくるとは予想外だ。
「他に用がなければ失礼するけど」
「なぜ勝手に電話に出たんですか? 少佐が許したんですか?」
とは言えず、カーリンは仕方なくランディの用件を伝えた。
「カルマン大尉から頼まれた機密文書のデータを受け取りに来ました」
「機密? 第一種、それとも第二種かしら?」
「えっと……」
カーリンは完全に言葉が詰まって、ありったけの知識を探しても答えが見つからない。伝えれば「はい」とデータを渡してもらえるとばかり思っていただけに思慮のなさを痛感した。
「第二種なら教育部長の許可がいるわ。今から申請しても二、三日はかかるから持ち帰るのは無理よ」
「そうなんですか!? どうしよう」
指をくわえて困り果てる彼女にシノブもため息をつく。
機密関係は大きく二つに分かれており、第一種は一部の上層部しか権限がない。第二種となると内容によっては外部の持ち出しは禁止されているので、下士官が簡単に持ち出せない。
これは軍人学校を卒業している者なら誰でも知り得る規則だが、学科に問題アリのカーリンの記憶にかすかに残っているだけだった。
ランディが伍長に頼んできたとしたら恐らく第二種だとシノブは見当がついたが、子どもの使いじゃあるまいし分からないならランディに尋ねるべきだと呆れた。
何故、こんな子にアレックスが惹かれるのか不思議でならない。
「リヒター伍長」
アレックスが呼ぶ声に二人が振り向いた。
「カルマン大尉から頼まれていたデータだ」
「第二種の方だったんですね」
佐官の彼がすぐ準備できたとしたら、第二種だとシノブは判断した。専門用語を並べて話し合う二人は、カーリンにとって遠い存在に思えてくる。
仕事ができる女性と話している方がアレックスは楽しいかも知れない。『私』と『俺』という風に一人称でも公私をきっちり分けてくる彼はカーリンの前で滅多に仕事の話はしない。
言ったところで無駄と思われているならそれまでだが、そんな気遣いが嬉しかったが今はそう感じなくなった。
― 部隊で頑張っているつもりだったけど、まだまだダメだなあ……。
心のどこかで恋の延長でアレックスに甘えていた自分を恥じた。
「リヒター伍長?」
彼女の心境に気付いたアレックスが顔を覗きこんで、潤んだグリーンの瞳にはっとする。
― マズい!! 気が付いた!?
カーリンもまた彼のわずかな動揺を感じると焦って笑顔を作った。
「勉強不足でした。部隊へ帰ったら早速調べます」
元気よく敬礼してデータを受け取ったカーリンは小走りで去っていく。
いつまでも目で追っているアレックスの横顔を、シノブが複雑な表情で見つめていた。
近い距離なので日帰りもできるが、例によってランディの強引なプランにより一泊どまりとなった。ランディとビアンカは郊外のホテルに泊まり、カーリンは宿舎の一室があてがわれた。
いつもなら真っ先にアレックスの元へ駆けつけるのだが、ここは彼の職場でもある。妙な噂が立っては申し訳ないので自重した。
といっても、ついこの間まで苦楽を過ごしてきた場所だ。懐かしくてあそこへと行ってみる。
宿舎からさほど遠くない所にそれはあった。
木の傍に置かれたベンチに座り、夜空を見上げると満天の星が輝いている。
「うわー、全然変わってないなあ」
今の訓練生達はこの場所にまだ気付いていないのか人の気配がなかった。
セミロングの金髪を風が揺らすと、大きくため息をついて目を閉じる。
― 少佐、進歩のないわたしにがっかりしたかも。
電話で『いつも頑張っている』と励ましてくれたアレックスに応えてやりたかったし、安心させてあげたかった。
部隊で半年近くいたが、実力は訓練生のままだと自分に失望する。
― カワサキ教官は美人で大人で頭がよくて、ああいう人を才色兼備って言うんだな。
アレックスと二人並ぶとお似合いのカップルで、きっと訓練生達も噂するに違いない。そうなったら人数が多いうえに刺激がない生活に飽きた彼等が囃し立てて、そのうち……などと、どんどん悪い方向へ考えが流れてしまう。
だから、負の無限ループを彷徨うカーリンに近づく足音は聞こえなかった。いきなりライトを当てられて、眩しさに手を翳してその先の人物を凝視する。
「カーリン?」
「少佐?」
戦闘服姿のアレックスが懐中電灯片手に立っていた。
「やっぱりここか。探したぞ」
かなり歩き探したのか軽く息を弾ませている。
「ごめんなさい。携帯、部屋に置いてきたんです」
アレックスが隣に座ってジュースを差し出したので受け取った。
「昼間のことなら気にするな」
やはり気にしていたらしく、彼女の頭を撫でながら慰めている。
「カワサキ教官が呆れるのももっともです。学科で習いましたから」
「ここではそんなに教えていないし、士官学校を出たやつなら詳しく知ってて当然だ」
「そうでしょうけど、私も部隊で頑張っていると少しは自信があったんです」
「頑張ってるじゃないか」
「結局はカルマン大尉やミュラー少佐に助けてもらってばかり」
「それが上官の役目だ」
沈んだカーリンにこれ以上励ましても無理と悟ったアレックスは彼女の肩を抱いて実力行使に出た。
「お前を愛してる」
「な、なんですか急に!! しかもここは学校」
「課業外だ」とさらりと言ってのけると、もがく彼女を逃がすまいと肩を抱く腕に力をこめる。睨みつけるカーリンもまた可愛いと思ってしまうのは我ながら重症だろうか。
「だから俺が好きになったカーリンのままでいてくれ」
「……それっていつまでもバカでいろってことですか」
口を尖らせる彼女に、そうきたかとアレックスが珍しく失笑した。
「そうじゃなくて純粋なままでいろということだ」
先程まで元気に暴れていたカーリンだったが、また大人しくなって俯いている。
「わたしは純粋じゃありません。嫌な感情も持っています」
「例えば?」
「嫉妬とか憎んだりとか」
彼女の口からこぼれた単語が意外だった。いつも明るく元気で太陽のような印象があったのだが、実は心の闇を持ち合わせていたとは。
「俺だってあるさ」
「少佐が?」
カーリンも意外だと言わんばかりに聞き返す。
「お前がマーティン訓練生と付き合っていると知って嫉妬した。別れてしまえと願ったこともあったな」
「失望したか?」と尋ねるアレックスに彼女は首を左右に振った。それだけ愛されていると分かって、どうして失望などできようか。
「少し安心しました」
「もっと安心させてやろうか」
励ましの言葉? 抱擁? いづれも違った。カーリンの髪に手を差し入れて唇を重ねる。
ゴトガトッ!!
信じられない光景を目撃してジュースを落とした者がいた。ミーティング室でアレックスに瞬殺された訓練生である。
ジャンケンで負けて班全員のジュースを買ってきた帰り、声がするのでそっと近づいてみたら男女の姿に息を飲んだ。早速カップルでイチャついているのかと忍び足で近づく。
最初は人生相談だったが次第に雰囲気は甘くなり、挙げ句の果てにはキスまでし始めた。これには若い訓練生も興奮して更に近寄ろうとしたが、見覚えのある顔に固まる。
― ミュラー教官!!
驚愕のあまり、胸に持っていた数本のジュースをすべて地面に落とした。