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雨が好きなカノジョ、嫌いな彼女 その2

 アレックスがいないのに勝手に電話に出るのは憚れたが、カーリンという人物が知りたい興味が勝って行動に移した。

『こんばんは、少佐』

 第三者が電話口にいると予想だにしない安心しきった声が妙に癇に障る。

「失礼ですが、お名前を伺ってよろしいでしょうか?」

 いるはずもない第三者しかも女性が出たのだから面食らったのだろうか。

 間違えて掛けたのか、はたまた落として誰かが拾ってくれたのか。今、彼女の頭の中はあらゆる可能性がグルグルとまわっているに違いない。

『リヒター・ド・ランジェニエール伍長です。ミュラー少佐の携帯電話と思ったんですが』

 やっと怪訝そうな声色で答えた。

「ミュラー少佐はただ今席を外しています。急用でしょうか?」

 事務的な対応に、また戸惑っているのか彼女の言葉がたどたどしい。

『あ、いえ。また掛けます。失礼します』

 通話が終わると、シノブは履歴を消去する操作を始めた。ここまでする気はなかったが、履歴を残せば今のやり取りが知られてしまう。

 勝手な真似をしてアレックスに軽蔑されるのが怖かった。

 毎晩、カーリンとの通話と着信が刻まれている履歴に、罪悪感に苛まれるが手は止まらない。

 そっと携帯電話を机の上に置くと、こちらへ向かう足音が聞こえてきた。

「あら? まだ帰ってなかったの?」

 ビアンカとアレックスと入れ違いに、シノブが一礼して教官室を出ていった。

「仕事熱心ね。まるで誰かさんみたい」

 ビアンカの皮肉に無反応なアレックスが、怪訝な表情で自身のデスクを見つめている。

「どうしたの?」

 机の上にある携帯電話の位置に違和感を覚えたが、まさかシノブが触ったと知らない彼はそのまま胸のポケットに仕舞った。

「いや、何でもない。帰るぞ」

 アレックスが照明を消して、二人は教官室を後にする。


 シノブはいつの間にか走り出していた。心臓が激しく脈打っているのはそのせいだけではない。

 衝動に駆られてしてしまった行為をひどく後悔したが、今更どうしようもない。カーリンがしゃべれば、ばれてしまうのは時間の問題だ。


 ― 大丈夫。わたしは名乗ってないから分かりはしないわ。


 必死に自身を納得させたが、もう一人の自分がそれでも留まるべきだったと否定する。

 何故、カーリンに腹が立ったのか。それはシノブもアレックスをずっと想っていたから? 窓を叩きつける雨が煽っていたから? 

 だから、情緒不安定になる雨の日は嫌いだ。




 カーリンは部屋で呆然としていた。

 いつものようにアレックスに電話を掛けたら女性が出たのだ。最初はビアンカかと思っていたが、声が違うので心臓が早打ちする。

 カーリンでも触れられない彼のプライバシーを、第三者はいとも簡単に許されたというのか。

 不安が疑心に変わろうとした時、アレックスからの着信に恐る恐る携帯電話を手に取った。

『こんばんは、カーリン』

 彼女の常套句をアレックスが先取りする。

「こんばんは。そちらは雨がひどいみたいですね」

『警報が発令されたよ。お陰でゆっくりできる』

 会話をしていくなかで、カーリンからの電話を切り出す雰囲気はなかったので思い切って尋ねた。

「さっき、電話したら女の人が出て」

『いつ?』

 アレックスの声が強張ったのを感じたカーリンは慌てて否定する。

「間違い電話しちゃって大変でした。そそっかしいですよね、ははは」

 電話口の女性は伝言していなかった。ただの言い忘れかそれとも故意なのか、嫉妬、疑心……最も嫌っていた醜い感情が湧き上がって止まらない。

『カーリン、時間あるか?』

「あ、はい」

『もう少し話したい』

 そう甘えられてカーリンの表情が崩れると笑顔になった。アレックスは教官の頃からわずかな心の変化も見逃さず支えてくれる。

 部屋の窓を滑っていく雫を見ていると、彼に告白された夜が蘇った。そして、人生初めてのキスも。

 だから、優しさが心を癒す雨の日は好きだ。


 

 

 あれから数日経ったが、シノブは自分でも驚くほどアレックスの前で普通に振る舞えた。カーリンが言わなかったのか、彼も電話のことは口にしない。

「今日はカルマン大尉がお見えになりますね」

 ボートに書かれた日程表をセドリックが確認した。

「バルバート教官、嬉しいでしょう?」

「わたしは公私混同はしないけど、彼がしてきたら遠慮なく注意して」

 手厳しい台詞のビアンカだが、いつもより化粧は念入りにしているのは隠せない。

「そういえば土産を持ってくるそうだ」

 事前に連絡をもらったアレックスが思い出して告げると、ビアンカは眉を顰めた。

「わたしには何も言ってなかったわよ。やっぱり、わたしよりアレックスを愛しているのね」

「……朝からきつい冗談はやめろ」

 セドリックが目を丸くしていたので、アレックスは鋭い視線で否定する。

「活きがいいものと言っていたな」

「生ものでしょうか?」

「あそこの部隊、海産物が有名だったかしら?」

 一同は首を傾げたが、公務で来校したランディのお供が姿を現して謎は解明された。モスグリーンの軍服を着こなしたカーリンが恥ずかしげに敬礼する。

「お久しぶりです」

「カーリンじゃないか!! 久しぶりだな!!」

「セドリック!! すっかり教官っぽいな」

「それを言うならお前もすっかり軍人らしいぜ」

 二人の間にはいろいろあったがそこは同じ釜の飯を食べた者同士、柵はなく心から再会を嬉しく思った。

「懐かしいだろ? リヒター・ド・ランジェニエール元訓練生」

「ああ。と言ってもまだ半年も経っていないけど」

 そこへビアンカとシノブを引き連れてやってきたアレックスが大きく目を見開く。

「カーリ……、リヒター・ド・ランジェニエール伍長」

 あまりの驚きに皆の前でファーストネームを呼ぶところで、照れを隠して敬礼するカーリンを凝視する。一人前の軍人として会うのは初めてだった。

「活きのいい土産って彼女のことか」

「どうせならここの卒業生に案内役を頼んだ方が楽でいいだろ?」

 アレックスとランディの背後で、射るような目でカーリンを見る女性がいた。見つめる視線にカーリンが振り向くと、艶やかな黒髪にシャープな顔立ちのシノブである。

「彼女はカワサキ・シノブ中尉、リヒター・ド・ランジェニエール伍長は初めてだったわね」

 ビアンカがシノブを紹介すると、普段は鈍感なカーリンが電話の女性と直感して顔が強張る。

「初めて、カワサキです」

 声を聞いて確信した。アレックスの傍に並ぶシノブに、カーリンは冷静を保つのに必死だ。


 ― 彼女がミュラー教官の……。


 セミロングの金髪にグリーンの瞳、端麗な顔は気品があった。くびれた腰と胸の膨らみは、既製の軍服でもはっきりと解るプロポーションの良さ。

 同性でも見惚れてしまう美しさに嫉妬すら覚える。

「さてと、そろそろ仕事するか」

 ランディがカーリンを促して歩き始めたので、一同は見送ったが振り向いた彼女にアレックスが軽く頷いた。

「相変わらず軽い男ね」

「仮にも婚約者なのに、結構言いますね」

 ランディをこき下ろすビアンカに、セドリックは肩を竦める。

「あら、最高の褒め言葉よ」

「どこがですか」

「私達も課業に戻るぞ」

 アレックスが話を打ち切ると、二人は子どもみたいに間延びした返事をしてそれぞれの場所へと散っていった。

 後に残ったアレックスとシノブも訓練へと向かう。

「久々に教え子に会えて嬉しいですね」

 シノブの言葉に、彼はかすかに笑みを浮かべると再び引き締まった顔へと変わった。

  

 


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