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秋とシャルル、フルートの三人は、エマが潜むと考えられる西洋風の城まで来ていた。
ここは秋が男から女になって初めて目覚めた場所であり、また、エマに闇市に連れて行かれた際に目にした建物だ。
フルートを先頭に、その後ろをシャルルと秋がついていく。
エマに強引に連れ出されたときには気に留める暇などなかったが、随分と広大な敷地だった。表の門から城の入り口まで相当の距離があった。既に五分は歩いている。
フルートは腰にレイピアとソードブレイカーを携え肩からはフランベルジェを下げており、シャルルは肩から瀟洒な両手剣をぶら下げていた。服装は警吏局の制服で、軍服みたいなデザインをしている。
二人の格好と自分の格好を見比べる秋。
どう見ても秋だけ何かが違った。
白のワンピースにサンナから受け継いだ青い宝石のペンダント。
何かが違うと言うよりも、明らかに一人だけ格好がおかしい。
そんなことを秋が言うと、
「秋だけこれからパーティーにでも行きそうな格好だな」
と、フルートがのんきな事を言ってきた。シャルルもシャルルで、
「そうですねー。華原さんなら王室のパーティーに招かれても不思議じゃあないですね。それにしても、きれいなペンダントですね」
これからエマと対峙すると言うのにのんきなものだった。
秋は焦りを覚えて、二人に言う。
「いや、違うから。何でシャルルとフルートは準備万全なのに私だけこんな軽装なの?」
秋が戦わないとはいっても不安になるのだ。
ここに着いてからエマに魔法で完璧なまでに動きを封じられたことが脳内で蘇り、心臓の鼓動が尋常ではないほど加速している。エマの魔法を考えると、剣の一つや二つを持っていたところで意味がないような気がしてならない。
それを察してくれたシャルルが言う。
「安心してください、華原さん。魔女の干渉魔法系は私が施した魔法治療の効力でほぼ無効にできます。まぁ、相手の魔法から身を守ってくれる盾みたいなものだと思ってください」
「そうすれば、えーっと、エマにわけわからないまま宙吊りにされたりしなくて済むわけ?」
「はい。大丈夫です」
シャルルが笑顔で頷く。その表情を見て秋は少しだけ安心した。
「魔力を身体に纏わせておけば基本的には、たとえ魔女であっても相手を人形のように操作することはできません」
「ならいいんだけど」
シャルルがそう言うのなら、秋はそれを信じるしかない。
それでも不安を隠せない秋にフルートが、
「まぁ、確かにその格好では不安にもなるだろう。これを持っておくといい」
肩に下げていたフランベルジェを秋に渡してきた。
「え」
思わず秋は固まってしまう。命のやり取りをする鉄塊がきらり、と輝いた。
「装備が不安だと言ったのはお前だろう」
「う、うん」
銀色のフランベルジェを秋は恐る恐る受け取った。初めて手に取る剣は思ったよりもずしり、と重たいものだった。
「護身用だからな。間違ってもエマには切りかかるなよ。彼女への恨みは心の中で浄化させておけ。それと魔女への恐怖で乱心だけはしないでくれよ」
「うん」
フルートの荘厳な雰囲気に秋の背中が伸びる。
いつの間にかフルートとシャルルの目つきが、秋の格好を楽観視していたのんきな色から、これから魔女と対峙するための魔導師の色へ変わっていた。
それを見て秋はさらに背筋を真っ直ぐに伸ばす。
シャルルとフルートの魔導師モードに秋がついていけないのは無理もない話だが、どこか地に足がついていない部分があったのかもしれない、と秋は心も引き締める。
「さて、もう一度作戦を確認するぞ」
城の正面までやって来たところで、三人は円陣を組んだ。
「目的はエマの確保と秋の魔力結晶の獲得。第一に秋の魔力結晶を獲得し、それが終了後エマの確保へ移行する。エマの相手は私が行うので、シャルルと秋は安全な距離を保って待機。そして、秋の魔力結晶を獲得し、秋がそれに触れたら、早急にエマの魔力凍結を行う。凍結のための魔法石はすぐに取り出せるところに入れておいてくれ」
秋は右手にはめていた指輪を見た。
指輪には小さな赤い石がはめられている。これがフルートのいう魔法石で、エマの魔力を凍結させるために必要不可欠なアイテムであるらしい。使用方法はエマの隙を突いて、フルートが魔法陣を発生させ、その魔法陣上にシャルルとフルート、秋の魔法石がのれば、あとは自動的に魔力の凍結が完了する仕組み、ということだが正直、秋には良く分からなかった。とりあえず、魔法陣が出てきたら魔法石をその上にのせるということをすればいいようである。
「では、行くぞ」
フルートがレイピアとソードブレイカーを両手に取る。シャルルも長剣を両手に納めた。
二人を真似するように秋はぎこちなくフランベルジェを胸の前に備える。
そうして、フルートが城の大きな扉に手を掛けようとしたときだった。
まるで、そうすることを待っていたかのようなタイミングで。
ギギギ、と重厚な扉が鈍く軋みながら開く音が響き出した。
「⁉」
手が触れてもいないのに扉が開き出したことに反射的にフルートが反応する。シャルルと秋をソードブレイカーで後退させるように制しながら、レイピアを扉の奥へ向け、臨戦態勢を取る。
そして。
開きかけの扉の向こう側から、妖しげな笑い声が聞こえてきた。
「ふふふふふっ」
秋はびくっと背中を震わせる。嫌な汗が滲むのを感じた。
この妖しい空気の振動は、紛れもなく。
エマ・シルバーシックの声だ。
彼女の声を耳にしていた時間は多くないとはいえ、あの妖艶で冷たい声音は秋の脳味噌に強く記憶されていた。
「あらあら。麗しき美少女が三人揃ってどうしたのかしら? そんな物騒なものを持って私を訪ねてくるのは今日でもう三十人目ぐらいであってよ」
扉が完全に開いた。
ずうん、と地鳴りのように音が震え、煙が舞った。
しかし、扉の向こうにエマの姿はなかった。
ただ先の見えない回廊が続いているだけだった。
「どこから……」
シャルルが困惑の表情で辺りを見回す。秋も同じように注意を払うが、それと思しき姿は確認できなかった。
それでも、声は聞こえてくる。
空気に馴染まない金属質な響きを伴って。
「お話なら奥の部屋で聞くわ。お茶も用意しているから目の前の通路を真っ直ぐ進んでいらっしゃい」
シャルルと秋はフルートの指示をじっと待った。場数のあるフルートの取る行動が一番、正確だろうから。まぁ、撤退なんてことはないと思うが。
「……」
険しい表情でフルートは口を開く。
「行こう。向こうに話し合う気などないと思うが、こちらも見逃がすつもりなんてないからな」
フルートが警戒するように通路に一歩を踏み出した。それに続いて、秋も恐々と足を前に踏み出す。
シャンデリアや絵画を始め、豪勢な装飾を施された回廊を秋、シャルル、フルートは何の問題もなく通り抜けた。
途中で何か仕掛けてくるかもしれないと警戒していたが、その注意は徒労に終わった。
しかし、本命はここからである。
「いらっしゃい」
大広間に到着した三人をエマが満足げな表情で迎えた。
大きめのテーブルに四つのティーカップを並べ、豪奢な椅子に黒いドレス姿の肢体を深くゆったりと預けている。
「さぁさぁ、危なげないものは仕舞ってお茶にしましょう。異国から手に入れた高級品よ」
言って、エマはティーカップを一口啜る。
「いい香りだわ」
魔女、エマ・シルバーシックはその身柄を抑えに来た秋たちをまともに相手にしていないようだった。
「……フルートさん」
エマから目を離さずにシャルルがフルートに問いかける。
「仕掛けないんですか? 隙だらけですけど」
「……いや」
唸るようにフルートは小声で応じる。
「下手に動かない方が良い。魔女は魔導師とは違うからな」
警吏局の二人のやり取りに気がついているのかどうかは知らないが、エマが秋に視線を向けてきた。
「あらあら」
感慨深そうな眼差しで秋をとらえ、ティーカップを置いて、ゆっくりと立ち上がった。
「華原秋くんじゃないの。無事に警吏局まで行けて何よりだわ」
ごくり、と唾を飲んだ秋はフランベルジェの切っ先をエマに向けて、敵意を示す。
「ニコル・ダンさんには悪いけれど、あんな場所で働くのは嫌だったでしょう?」
「当り前でしょう」
「そうよね。ふふ。ニコルさんは元気かしら?」
「残念ながら、あそこは燃えてなくなったそうです」
じりじり、と距離を詰めてくるエマ。
「そう。せっかくの一億ベルがパーね。同情はしないけれど」
ふふふ、と妖しい笑みがこぼれる。
秋たちとエマとの距離が約十メートルまで近づいたところで、フルートがエマの眼前にまで一気に迫った。
レイピアをエマの喉元に突きつける。
「それ以上は近寄らないでもらえるかな」
「押しかけてきたお客さんにしては行儀が悪いわね」
フルートとエマの視線が交錯した。
「私に何の用かしら? まぁ、ここには私しかいないわけだから他に要件があるとは思えないけれど」
「華原秋の情報を取り込んだ魔力結晶を返してもらう。その後は王都襲撃予告の罪状で警吏局までご同行願う」
「あら、性別を変えることは犯罪だったかしら?」
何食わぬ顔で嘯いてみせるエマ。
「当たり前だ。それに人を金銭で売買することも禁止されている」
「そうだったかしら」
申し訳程度の動作でエマは首を傾げた。
「襲撃予告を行ったのはエマ・シルバーシック、貴様で違いないな?」
エマはニヤリ、と唇を歪ませた。
「勿論、それはこの私がしたもので間違いないわ。それで私を捕まえに来たというのなら仕方ない。乱暴ごとは好きではないのだけれど」
言って、パチン、とエマが指を鳴らした。
その音に合わせて秋、シャルル、フルートの三人は剣の構えを深くとる。
「良い危機感をしているわね、あなたたち」
次の瞬間、大広間の壁と床、天井がぐにゃり、と歪んだ。
そして、赤黒く変色したと思ったら、壁、床、天井から赤黒色の液体が勢いよく噴出してきた。
「「「⁉」」」
そこらじゅうに撒き散らされた液体はぶすぶす、と音を立てながら、気味の悪い動きで人の形を形成していく。
出来上がった人型の塊はゆらゆら、と不気味に揺れながら、秋とシャルルをあっという間に取り囲んでしまった。
「秋! シャルル!」
フルートが舌打ちをして二人の方を振り返ったが、その姿は人型の群れで確認できなかった。人形が赤黒く蠢いている光景しか視覚できない。
「お友達の心配も結構だけれど、そんなことをしていたらあなたの命が危ないわよ」
よそ見を魔女が見逃すわけもなく、エマの手から出現した白色の鎌がフルートの顔面を目掛け空を薙ぐ。
「くそっ」
フルートは慌てて体勢を正面に戻し、二本の剣で応戦。先手を握ったエマはその勢いで以て、フルートに鎌の斬撃を叩きこんでくる。
左手のソードブレイカーで攻撃をいなし、右手のレイピアでカウンターを狙うフルート。しかし、エマの鎌の質量を利用した重厚な連続攻撃によってフルートは防御体勢を強いられる。
「やるじゃない。九歳児には見えないわね」
「無礼な。これでも十七だ」
「あらまぁ、可哀想に。元男性の華原秋くんよりも残念なプロポーションじゃない」
ソードブレイカーで鎌の軌跡が歪み、一瞬だけ鎌が中空に停止した。
その一瞬をフルートは逃さない。
「残念どころの騒ぎではないっ! 私の中の女性としての矜持が揺らぎかけたほどだ」
鎌の刃の部分に右足を掛け、刃を蹴り上げて、エマの目線の高さまで跳躍する。
攻撃のために引かれたレイピアの狙いはエマの左肩に定まった。
「だから、秋の魔力結晶を取り戻したら、是非、貴様に私のスタイルをグラマラスにしてもらおうと思って来た次第だ。立派な客人だろう?」
言葉と同時にフルートはレイピアを突き刺す。
が。
エマ・シルバーシックは一筋縄でいくような相手ではない。
「私は手荒な真似をする人間を客人とは呼ばないのよ」
エマは魔法を行使して、自身の体に通常の動作の何倍もの力学的エネルギーを供与する。
「それ以前に」
エマの目が細められる。
「残念だけれど、魔法を使ったところであなたは一生お子様体型でしょうね。遺伝なのかしら?」
フルートのレイピアを体を回転させることで回避したエマは、鎌を床にあて、そこに重心を預けたまま、両足に遠心力を纏ってフルートの身を薙ぎ払った。
見事にカウンターキックを見舞われたフルートは盛大に床を滑った。
衝撃で切れた口の中に血を味覚した。
「ちっ」
血液が混ざった唾を吐きながらフルートは立ち上がる。ダメージは決して低いものではなかったが、この程度で倒れることはない。
服の埃を払うフルートを冷たい目で眺めるエマは、至極退屈そうな調子で言う。
「私を捕まえるために頑張るのはいいけれど、それまであの子たちがもつかしらね?」
エマの視線が流れた先は無数の赤黒い人型とその中にいるはずの秋とシャルル。
「私の土人形は加減というものを知らなくてね。一度、標的に設定したらそれが粉々になるまで活動を停止しないのよ」
ふふふ、と妖しくエマが笑う。
フルートは土人形の群れから目を離し、エマを睨みつける。
さっさとエマの動きを封じて、秋とシャルルの加勢に回らなければならない。
そうして、フルートがエマに向かって一歩を駆け出したとき、シャルルの悲痛な叫び声が大広間に響き渡った。
「華原さんっ―――――!」