8
「君、歳はいくつだ?」
青髪幼女は身を乗り出して、秋に訊いてきた。
「じゅ、十七ですけど……」
彼女のあまりの勢いに若干、引き気味になる秋。
「何、私と同い年だと⁉」
青髪幼女は秋の年齢を知ると、秋のスタイルと自身の身体を交互に見比べて驚愕の表情を浮かべ、叫び声をあげた。秋も秋で青髪幼女の年齢を知って、彼女ほどではないがそのことに驚いた。てっきり、十歳前後だと思っていた。
「やはり食生活が重要なのか? いや、睡眠とか運動も大切なのか? ていうか、君の母上もそんな私のような人間を視覚だけで制圧できるようなグラマラスボディをしているのか⁉」
視覚だけで制圧されるのはあんただけだ、と秋は述懐せずに心の中でそうツっこんだ。
席を離れ、秋の目の前にまで近づいてきた青髪幼女は熱く、言葉を放つ。
「よし、では毎日の食事メニューを教えてくれ」
懐からペンと紙を取り出した青髪少女から熱いまなざしを向けられる秋は、苦笑いで自分の本当の姿を口にしようとするが、青髪幼女の勢いがそれを許さない。
「あの――」
「いや、食事は置いておくとして、まずは細かい生活リズムを教えてほしい。何時に起きて、何時に寝るとかそういう感じで一日のスケジュールの詳細を頼む」
「その――」
「あー、あとどこに家があるのかも重要だな。食料品店はどこを利用している? ちなみに私は警吏局内の食堂を使っているのだが、どうも男性向けの料理ばかりでいけないような気がするのだ」
「いやですね、私は――」
秋の申し訳なさそうな声音に青髪幼女はその表情を落胆と驚きに変える。
「まさか、私に教えてくれないと言うのか⁉」
人の話を聞かない人間のようだった。
「良いではないか。減るものではあるまいし。私を見て可哀想だとは思わないのか⁉」
「可愛らしくて良いんじゃないかなあ」
秋の口から思わず本音が漏れた。
青髪幼女は確かに子ども体型のようだが、整った顔立ちをしているし、綺麗なくりん、とした青い瞳も可愛いと秋は思う。いや、秋にロリコンな気があるというわけではなく。
「そうやって私を馬鹿にするか!」
言って、青髪幼女は秋のワンピースを掴んでくる。
彼女が本当に怒っているのか、いないのかは秋には判然としないが、駄々を捏ねる子どもみたいだ、と思った。
――ていうか、年齢を知らなかったら、もう小学五年生だよな。
秋はため息をついて、半分泣きかけている青髪幼女を見つめる。こうしている今も彼女は秋のグラマラスボディの秘密を聞き出そうとしていた。
しかしながら、秋には今のこの身体について語れることは何一つない。どのような生活リズムも、どのような食生活もこの体の構成要因ではないから。ただエマの魔法によって男から女に変えられてしまったということがこの体の真相である。
「実は――」
いつまでも青髪幼女にことの真相を隠しているのも悪いので(勿体ぶっている感が尋常ではなくなってきたので)、秋は自分の正体を思い切って伝えることにした。
そうすることで、青髪幼女に落ち着いてもらうというのが第一の目的であったが、同時にエマを追っているという彼女にこのことを教えておけば、元の体に戻るための糸口に繋がるかもしれないと考えたからだ。
「?」
青髪幼女は涙目で秋を見上げてきた。不覚にも秋の胸がドキっとした。
――いやいや、俺はロリコンではないぞ。でも、待てよ。同い年ならロリコンも何もないんじゃ……。
心の中で思ったことは置いておいて。
秋は口を開く。
「実は――私、男なんだよね」
少し、自虐的な笑みを浮かべて秋は言った。
「え?」
その言葉に青髪幼女は特大の疑問符を浮かべ、
「ああ、なるほど」
シャルルは納得の声を上げた。
「男から女性の体に変えられたんだ」
秋の告白を受けてしばらくの間、青髪幼女は固まっていたが、突然、はっと表情を変えた。
頭の中で何かが閃いたようだった。
秋は当然、エマのことに話題が転換されると思ったが、
「その手があったかああああああああああああっ!」
青髪幼女は天井に向かってガッツポーズをする。
「なるほど。で、どこの医者に施術してもらったんだ?」
青髪幼女は一転、今度は元気いっぱいになって秋のワンピースをわさわさ、と揺らしてくる。
「男の君がそんなグラマラスになれるんだ。私ならもっとグラマラスになれるに違いない」
この人は本当に魔女を追っている捜査官なんだろうか、と秋は思う。
さっきからグラマラスしか追いかけていないのだけれど。
「……これはエマにやられたんだよ?」
圧力を増し続ける青髪幼女の勢いに秋はたじたじ、といった返事をするのが精いっぱいだった。
しかし、エマという名前を聞いて、青髪幼女はピタリ、と動きを止めた。
「エマ」
小さくその名前を呟く。
「エマ・シルバーシック」
視線を秋に向けて青髪幼女は決心をするような調子で言った。
「よし、ではこれからグラマラスになるためにエマ・シルバーシックに会いに行こう」
そして、真剣な青髪幼女の額にペンが勢いよく投げつけられたのだった。
「って、そうじゃないでしょうっ!」
投擲者はシャルルだった。
「はうっ」
額にペンをクリーンヒットされた青髪幼女はうめき声をあげて、その場に倒れた。
「すいません、華原さん」
一仕事終えたシャルルが秋に謝った。
「フルートさんは一度、熱が入ると自分を見失ってしまうんです」
秋は床の上で星を見ているであろう青髪幼女、フルートを眺めながら、
「いや、思いっ切り自分を追い求めていたけど。グラマラスな自分への近道を捜索していたけど」
シャルルは苦笑いを浮かべる。
「ナイスバディを目指しているようなんですよね、フルートさん。まぁ、こんな彼女ですが、魔導師としては一流なんですよ」
「こんな彼女とは失敬な」
シャルルに抗議するようにヨロヨロ、と青髪幼女が立ち上がった。
「申し訳ない。私としたことが取り乱してしまった」
そして、秋の正面を向き、
「私はフルート・ブルーラック。魔女、エマ・シルバーシックによる王都襲撃予告事件の捜査官だ。よろしく」
フルートは凛々しい雰囲気で自己紹介をしてみせた。
秋はその切り替えに戸惑いを覚えたが、どちらが本当のフルートかと考えてみると、前半の姿がフルートのありのままなのだろうと思った。
「私は華原秋。よろしく」
差しのべられた手を握った。
「よし。では本題に入ろう」
フルートが席について、本題へと話題を転換する。
しかし。
「エマに会ってグラマラスボディを手に入れる作戦だが――」
話題は切り替わるはずだったが、無理だった。フルートは相当自分の体にコンプレックスを抱いているようだ。
「だから、しつこいですっ!」
代わりにシャルルのペン投擲によって、フルートの意識が再び転換した。
フルートが真面目モードに切り替わるまで多少の時間を要したが、秋の警吏局への捜査協力は無事に再開された。
「なるほど」
秋のエマとの遭遇から闇市での売買までの説明を聞き終えて、フルートはそんな風にため息をついた。
「今までは確証の低い情報でしかエマの足取りを追うことができなかったから、君の情報は助けになる」
フルートは紙に何かを書き込みながら、赤くなった額を指でこすっている。
「直接、エマに接触しているのは君だけか」
うーん、と眉を吊り上げながら、フルートは何かを考えているようだった。
その間、秋はシャルルに気になったことを訊く。
「そういえば、私が男だってカミングアウトしたとき、シャルルはなるほどって言ってたけど?」
「ああ、それはですね」
シャルルは訊かれるのを待っていましたとばかりに笑顔で語る。得意の教科で黒板での回答を指名された優等生のような表情だった。まぁ、これは秋の優等生への偏見かもしれないが。
「華原さんに魔法治療を行った際におかしな魔力対流を見つけましてね。それで華原さんの身体に何らかの魔法が掛けられていると考えたんです。でも、それが性別変換魔法だとは思わなかったので、少し驚きましたけれど」
「えーと、その性別を変える魔法っていうのは誰でもできるものなの?」
できれば秋としては誰にでも可能な類の魔法であってほしかった。それならば、魔導師であるシャルルやフルートにもこの体を元に戻せるかもしれない。
しかし、シャルルは、秋に対して申し訳なさそうな顔をする。
「いや、誰にでもできるってわけじゃないんです。特に体の構成を無理やりに変換してしまうタイプの魔法はその施行者が原因と結果を握っていますので、残念ながら、私たちでは華原さんの身体を元に戻してあげることはできません」
秋は少し、がっかりした心持ちになった。
「すみません。でも、強引に元に戻そうとすると何が起きるかわからないんです。下手をしたら両性になってしまうかも。試しにやってみます?」
「どういう流れで、試しにやってみるってなるんだ⁉」
秋は反射的にシャルルから身を引く。
「やってみない。やってみない。一人で子孫を繁栄させる能力はいらないです」
秋は力の限り首を左右に振って、必死にノーをアピール。
「それならまだ今のままがいいです、はい」
秋の反応を見てシャルルが楽しそうに笑う。
「冗談ですよー」
秋はため息を吐いた。まぁ、半分冗談だとは分かっていたのだが。
冗談を言うのも良いけれど、怖いことは言わないでほしい。
「ところで、シャルルは今は秋の担当なのか?」
秋とシャルルのやり取りに一段落ついたところで、フルートが話の中に戻ってきた。
「ええ。華原さんの魔力が安定するまで、つまり、元の体に戻れるまで私は華原さんの担当です。魔力関係は色々と予測不可能なところが多いので通常の医務官としての仕事はありませんけれど」
「魔力?」
秋は眉を歪めた。
自分の中にそんなものがあるのか?
秋の疑問符にシャルルは答える。
「そんなに心配なさらなくても大丈夫ですよ。原因が不明なら結構怖いことですが、華原さんの場合はエマの魔法が原因ということがわかっていますので、多分問題はないです。まぁ、あるとすれば戻れないってことぐらいでしょうか」
さらっと怖いことを言うシャルル。
秋としては今の女性の姿が嫌だというわけではないけれど、十七年間を過ごしてきた体に戻りたいという気持ちの方が強い。
「よし、君への質問はこれで終わりだ」
フルートが立ち上がって、背伸びをした。
秋は質問タイムが終わり、ようやく落ち着いた時間を過ごせると思ったが、フルートはさも当然といった感じで秋にこう言った。
「では、秋とシャルル。出かける準備をしてくれ」
シャルルも秋と同じく、質問が終わって秋と病室に戻るつもりだったのだろう。
秋とシャルルは二人そろってフルートの言葉に意表を突かれ、間抜けな声を上げてしまった。
「「へ?」」
「へ? じゃない。これからエマの潜伏先と考えられる場所の一つに向かう」
「?」
秋とシャルルは互いの顔を見合わせた。
「何で私と華原さんがフルートさんと一緒に? 私は戦闘専門ではないですし、華原さんは病み上がりの一般人ですよ?」
秋はシャルルの言葉に同意し、頷く。
「大丈夫。危険な目にはあわせない」
自信たっぷりと平らな胸に拳をあてるフルート。
「それに人手が足りなくて。二人の力を借りないといけない」
「いや、それって完全に私たちを危ないところに連れていこうとしてるじゃないですか!」
「あれ?」
真顔で首を傾げるフルート。
「あれ? じゃないですよ。何で人手が足りないんですか? 確か、最重要事案に指定されているはずだったと思うんですけど」
フルートは困ったように頭を掻きながら、
「人員は王室をはじめ、王都の警備に大半が当てられているからな。私のようにエマを追う役割を任されている魔導師は少ないんだ。どうやら上はエマに王都への侵入を許してもエマの目的を阻止して、被害が大きくならなければそれでいいと考えているらしいし、最悪、王室だけでも無事なら構わないといったところだろう」
攻撃よりも守備が重視されているらしかった。
それに、とフルートは一つ間を置いてから、
「秋にはエマの本人確認をとってもらわないといけない。向こうから王都へやって来てくれるのならば確保も簡単だが、こちらから確保をする場合は目標を誤ってはいけないからな」
フルートが秋を見る。
さっきまでの子どものような雰囲気のない、凛と相手を見つめる魔導師の目だった。
「でも、フルートさん。私が一緒に行くのはまぁ、一応、問題ないとしても、華原さんを連れていくのはやっぱり危険でしょう。誤認を避けるためというのは分かりますけれど、華原さんの安全が第一ですよ」
秋としてはもうエマには会いたくなかった。
それだけの恐怖があの魔女には張りつけられていた。
「うん」
シャルルの反対意見に、しかし、フルートは素直に首を縦に動かした。
「それは分かっている。しかし、誤認を避ける以上の意味合いで秋には一緒に来てもらった方が良い。これは私よりも秋への影響が大きい」
「――それは一体?」
秋は唾を飲んだ。
それは一体どういうことなんだ?
何故、魔法も使えない素人を一緒に連れて行こうとするのだ?
「性別変換魔法は対象者と術者の魔力を混合させて行うものだ。そして、術後に対象者の魔力、つまりは元の肉体の情報を含んでいる魔力結晶ができるんだ。それを対象者に触れさせることで元の体に戻すことができるといつか読んだ本に書いてあった。その魔力結晶に触れられるのは対象者と術者のみ。もし、違う人間が触れれば、対象者の肉体情報は霧散して、本人は元の身体を取り戻すことは叶わなくなる」
「それでしたら、エマを確保した後に華原さんに取りに行ってもらえば良いのでは?」
フルートはそこでさらに困った顔をした。
「確かにその通りなんだが、エマを確保する際には彼女の魔力凍結を命じられている。というよりも凍結しないと確保する側が危険なんだ。もし、エマの魔力が凍結されてしまったら、その時点で秋の情報を持つ魔力結晶は消えてしまう可能性が高い。いや、100パーセントだろう」
秋の背中に冷や汗が流れた。
その話だと、今何処かでエマが捕まってしまった場合、そこで秋は元には戻れなくなるということだ。
「だから、秋は一緒の方が良いと思う。まぁ、君に元に戻る気がないというのなら私は構わないのだけれど」
秋は黙ってフルートの話を聞いていた。
勿論、秋に元に戻るつもりはあるが、エマと対峙するというのがどうしても引っ掛かる。
つまり、怖いのだ。
「……そうですか」
シャルルはフルートの説明を受け、何かを考えた後、秋に向かって言う。
「フルートさんは危険な目にはあわせないと言っていますが、正直、安全とは言えません。いえ、はっきり言います。危険です。それでも、華原さんが行くのなら、私が全力でサポートします」
秋は。
シャルルとフルートを交互に見た後、自分の意志を口にする。
行くか、行かないか。
戻りたいのか、あるいは、このままでも構わないのか。
自分の意志。
随分と久しぶりだな、と秋は思った。
今まで無気力、無感動だったが故に自分の意志なんてものは長いこと主張してこなかったから。
「二人と一緒に連れて行ってほしい。私は元の体に戻りたい」
一人ならば、きっと無理だろう。
でも、シャルルとフルートが一緒なら何とかなる気がする。
それならば、自分の体を諦める理由はどこにもない。
「わかった」
秋の意思を聞いてフルートが微笑んだ。
「ならば急げ。時間がない。もし、これから行く先がカラだったらすぐに別の場所に向かわないといけないからな」
慌ただしく、三人が出発に向けて準備を開始する。
その中で秋は思う。
これも久しい心持ちだな、と。
何かのために誰かと力を合わせるのも随分と久しぶりなことだった。
 




