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 秋の意識は戻った。

 自分がベットのようなところに寝かされていることがわかる。

 頬に感じる心地よい風と瞼を赤く染める光を感覚する。

 しかしながら、その瞼を開くことができない。

 秋の頭に目を開けることへの恐怖心が徘徊していた。

 無理もないことだろう。

 一度は見知らぬ不気味な街で目を覚まし、二度目の目覚めでは体を男性から女性に変換されていたのだ。この世界での目覚めというのはそういう最悪な印象がどうしても強くなってしまう。

 目を覚ますことがこんなに怖いと思ったことは生まれて一度もなかった。

 目を覚ますことがとても嫌なことは何度でもあったけれど。

 しかし、そんなことを言っていても仕方がないので、秋は息を小さく吸い、勇気を振り絞って目を開いた。少しずつ開くことはせずに一気に目を見開く。

 果たして、そこは真っ白な病室のような場所だった。

 四人が入れる病室のようで、秋が横たわっているベッドの他に三つのベッドがあった。二つは空いていて、もう一つはカーテンで中が仕切られている状態だった。

 秋は体を起こして周りを観察する。大きめの病室を一通り見まわしてからため息を吐く秋。

 最初のリアカーの上やエマの邸宅のような悪い印象は受けなかった。むしろ本当にただの病室らしく、安堵さえ覚えた。

 どうやら自分は生き残れたようだ。あのニコルの敷地での襲撃から無事に脱出することができたようだった。

 それでもここが今までの場所とは違って秋に安全と安心を約束してくれるとは限らない。一応、逃亡する際に擦りむいた膝や爆発の衝撃で負った打撲などの治療はしてくれているようだが、それはエマのように秋を市場で高値で売るための工作かもしれない。

「……」

 ベッドから降りようとして秋は不図、気がついた。

 またしても全裸だった。

 相変わらず自分の体だというのに直視するのが恥ずかしくなるほどのグラマラスな肉体だ。

 ――なんで服を着せておいてくれないかな。

 秋は呆れるように息を吐いて、ベッドの上に戻りシーツに包まる。

 脳裏には妖しげな笑い声を漏らして秋を観察するエマ・シルバーシックの姿が思い出された。次はメイド服を着せられて、市場に向かう情景。市場での異様な雰囲気と異常な光景。

 秋は再生される記憶に身を縮ませた。

 助かりはしたものの、まだ安心はできない。

 次に秋の目の前に現れる人物がエマのような人間ではないことを秋が切に願ったときだった。

 隣のベッドのカーテンが勢いよく開く音がし、秋の背中をびくり、と震わせる。

「あー、目が覚めましたか。ふああー」

 そして、間延びしたいかにも寝起きです、といった声が聞こえてきた。

「どうです、体の具合は? 魔法治療を施したので、随分と良くなっているはずなんですけれど」

 秋はすぐ隣を向く。ベッドの上の人物と目が合った。

「どうもー」

 そこには十代くらい年齢の白いショートカットの少女がいた。欠伸をした目に涙を浮かべて、笑顔で秋に手を振ってきた。

「どうも」

 秋は小さく会釈する。

「体は大丈夫です」

「そうですか。それはよかったです」

 白髪の少女は、よっこらせ、と歳不相応な声を上げてベッドの上に立ち上がると、腰を中心に上半身を回したり、肩を回転させたりして寝起きの運動を始めた。

 関節の音が秋の耳にまで届く。

 バキ、ボキ、ゴキ、バキ、と全身から骨の音を盛大に鳴り響かせてから、白髪少女は顔をパンパン、と両手で打った。

「よっし。お目覚め完了ですっ」

 言うと白髪少女はベッドから飛び降りで、近くのパイプ椅子を引っ張って来て秋の枕元に腰掛ける。

 そして。

「私はシャルル・ホワイトエッジといいます」

 笑顔での自己紹介。悪い人ではないようだった。そう思わせる純粋無垢な微笑みだ。

「華原秋っていいます」

 秋も白髪少女、シャルル・ホワイトエッジに自己紹介。ここでアキ・カハラと名乗る必要はないだろう。もうエマの商品でもニコルの奴隷家政婦でもないのだから。

「では華原秋さん」

 改めるようにシャルルが言ったので、秋は思わず身構えるようにしてしまった。

「ああ、楽な姿勢でいいですよ」

 苦笑いで正される。

「……すいません」

「では、華原さん」

 咳払いをしてシャルルが言う。

「お目覚め直後で非常に恐縮なんですけれど、昨日のダン水晶線農園の襲撃事件に関して、治安部の方から華原さんに色々とお聞きしたいことがあるようで。早速ですが、そちらに移動していただけますか?」

 秋は頷いて了承を示す。特に断る必要もなかった。意識を取り戻してからいきなり質問タイムというのもどうかと思ったが、あの一件がどうなったのか知りたいとも思ったからだ。

「では、着替えを用意しますね」

 シャルルが立ち上がって、近くの棚から下着とワンピースを取り出して秋に渡す。

「治療の関係で素っ裸になってもらいましたが、その後もそのままですいません」

 秋は初めて自分で身に着ける女性用の衣類に若干、戸惑いながらも無事着用を完了させた。

「では、行きましょう」

 シャルルが病室の出口に向かおうとしたところで、秋はそれを遮るように彼女に声をかけた。

「あの……」

 一つだけ、確認しておきたいことがあった。

「どうしました? もしかして、下着のサイズが合わなかったですか?」

 確かに胸がきついような気がしないでもないが、そうではない。

「いや……」

 確認しておきたいこと。

 それは。

「ここは安全な場所でしょうか?」

 ということ。

 仮にシャルルが悪い人間だとしたら、この問いかけの意味はなくなってしまうのだが。

 それでも。

 縄で手足を縛られてリアカーで運ばれたり、市場で人身売買されたり、食事も与えられずに労働させられたりする、そんな異様で異常なところではない、ということを秋は知っておきたかった。

 こちらの世界に来て、初めて安心したかったのだ。

 対して、シャルルは秋に笑顔を向ける。

 そんな心配はしなくてもいい、といような柔らかくて、明るい表情だ。

「大丈夫、ここは王都警吏局です。それに華原さんには警吏局医療部医務官、シャルル・ホワイトエッジがついています」

 シャルルは秋の傍まで歩み寄って来てくれる。

「まぁ、戦闘は専門ではないので武力は頼りないですけれど、お体のことは任せてください」

 シャルルの言葉に肩の力が抜けて、ほっと秋の心が落ち着いた。

 シャルルに自分のことを任せきりにして安全を要求するだけというつもりはないけれど、心強かった。

「ありがとうございます」

 頭を下げた秋にシャルルは謙遜するように顔の前で両手を振って、

「いえいえ、これが私の仕事ですから。それと丁寧語で話されなくてもいいですよ。私まだ十八なんで」

「いや、でも」

 シャルルに丁寧な言葉遣いで話されたら秋もそれに合わせないといけないような気がしてならない。そもそも秋よりも一つ年上だ。

「あ、私はこの喋り方が普通なんで気にしないでもらえると助かります」

 秋は逡巡してから言う。

「そうなんだ。じゃあ、よろしくシャルル」

「はい、よろしくです。じゃあ、行きましょう」

 シャルルは明るく笑った。笑顔が良く似合う女の子だと、秋は思った。

 そして、つられて秋も笑った。




 農場と工場の警備やニコルの人間関係などについて色々と聞かれた秋は淡々と知っていることを答えていった。いや、淡々というよりは曖昧な回答しか口にできなかった。

 それもそのはずである。

 ニコルに買い取られて二週間しかあの場所にいなかったのだ。見張りの男たちがどのように水晶花の農場と水晶線の工場の警備にあたっていたのかなんて詳しくは知らないし、またニコルがどのような人間関係を築いていたのかなどは知る由もなかった。

 ダン水晶線農園襲撃事件の捜査は難航しているようであった。

 秋がニコルから逃げたその一時間後には警吏局の魔導師が騒動の鎮圧のために到着したらしいが、その場で壊し屋との戦闘が始まり、事態は泥沼化してしまったらしい。

 確認できる生存者は秋と数名の労働者だけのようだった。

 その中で、受け答えのできる人間は秋だけなので今こうして質問をされているわけである。

 ニコルもスティーブンもサンナも安否は不明だった。まぁ、秋としてはニコルとスティーブンはどうでもいいのだが、サンナのことが心配だった。可能性は低いのかもしれないが、彼女の無事を祈った。

 警吏局魔導師の男性が秋に尋ねる。

「君はどのようにしてニコル・ダンに雇われんだい?」

「……」

 秋は口ごもってしまった。

 市場で買い取られたとは言いにくかった。何故かそのことを口にしてしまうと自分が普通の人間ではなくなってしまうような気がしたから。それだけのことで人間でなくなるなんてことはないだろうが、そんな気がした。

 秋が黙っていると、秋の斜め後ろで椅子に座って控えているシャルルが間に入ってきた。

「華原さん。これは別に取り調べというよりも捜査協力なので、無理に自分のことを話す必要はありませんよ」

「しかし、シャルルくん。違法に奴隷労働者を買い集めていたニコル・ダンのことをより詳しく知るためには華原さんに少しでも多くのことを話してもらわないと困るんだが。ニコルの動向を知ることで人身売買の闇市を抑えることに繋がるということは君も分かるだろう」

 この世界でも、当然なのだが人身売買は禁止されていた。

 しかしながら、治安維持が広くに効力をもたらすことができていないため、また、貧民層が多くの金銭を得るための近道なので、闇にまぎれる形で人身売買は横行しているようだった。中でも町中から人を誘拐してきて、それを売るというのが一番多いパターンで毎週のように逮捕者が出ているという話である。

 魔導師の男性から冷たい目が秋に向けられた。

「大方、君も闇で売りさばかれたのだろう? いや、自ら自分自身を売ったのか? その容姿じゃあ、さぞかし高く買い取ってもらったことだろう。それで後はニコルからの逃亡を狙っていたという訳か。よくある手口だよ。それにしても逃亡のきっかけは散々なものだったな」

 男性の言葉に秋の胸が痛んだ。

 何故、何も知らないお前にそんなことを言われないといけない?

「それを隠したいのはまぁ、百歩譲ってわからないでもないとするが、口を閉ざされちゃあ、こっちが困るんでね」

 男性が面倒くさそうな動作でたばこを取り出して、ライターで火をつけた。紫煙をくゆらせて、男性は細めで秋を見てくる。リアカーの男やエマほどではないが、この男も秋をいくらか下の存在に見ているようだ。そんな視線だった。

「この国の奴隷労働者たちを助けるという意味でも君の情報提供は我々に大きな一歩を与えてくれるんだが」

 秋が奥歯を噛んで、喉を振るわせようとしたとき。

 ガタン、と。

勢いよく秋の背後でシャルルが立ち上がる音がした。

「お言葉ですが、ヘイズル捜査官」

「何だ?」

「華原さんのことを推測で語るのはやめてください。聞いていてイライラします」

「言うじゃないか。新人医務官さん」

「たいしたことは言っていません」

 秋は後ろを振り向いた。そこには力強いまなざしでヘイズルに言葉を投げるシャルルがいた。

 言い終えてシャルルは不機嫌そうな調子で椅子に座りなおした。

 一方のヘイズルはシャルルが言ったことを右から左に聞き流していたようで紫煙を吐き出しては吸って、吐き出しては吸ってを繰り返している。

「で。君はどうするんだ? 私としては君のことを聞かせてほしいのだが」

 ヘイズルが嫌味な笑い顔を秋に向ける。

 秋は白いワンピースを手で握りしめてから、言う。

 息を吸って。

 はっきりと通る声で。

「私はあなたが言うように市場とか言われるところでニコルに売られました。それであのダン……水晶線農場とかいう場所に連れてこられて働かされていました」

 シャルルの言葉は有難かったが、それで自分のことを隠してしまうのは、ヘイズルから逃げたようで悔しかったので秋は自分のことを説明する。

「だから、私は自分のことをニコルに売るなんてことはしていません。そんな生き方をするつもりはありません」

 サンナのことを思い出す。

 アンタは私のようになっては駄目。

「エマって魔女に勝手に売られただけです」

 言い終えて、秋はワンピースから手を放した。

 ヘイズルは面白いものでも見るような目で秋を見ていたが、その表情がぴくり、と変わった。

 背後のシャルルにも焦りのような雰囲気を秋は感じた。

 シャルルとヘイズルは決して秋のあらましに反応したわけではない。

 秋の言葉の中のたった一行だけに反応していた。

 まるで、それがニコル襲撃事件や奴隷労働者よりも深刻であるとでもいうような感じだった。

「今、エマと言ったか?」

 ヘイズルが恐る恐る秋に訊いてくる。さっきまでの秋への態度は何処に行ったのやら。

「言いましたけど?」

 秋は呆けるように頷いた。

「エマがどうかしたんですか?」

「ああ。大分重要なことだ。エマ・シルバーシックで間違いないな」

 ヘイズルにもう一度頷く秋。

 秋の首肯を受けて今度はヘイズルが勢いよく立ち上がった。そして、シャルルに、

「シャルル医務官。今から華原秋への質問を例の事案の捜査官と交代する。ニコルと闇市の件について後日改めて訊くので、そのときはよろしく頼む」

 と、言って部屋を出ていった。

「?」

 秋は要領を得なかったので、シャルルに訊いた。

「エマがどうかしたの?」

 秋の問いかけにシャルルは深刻そうに頷いた。

「はい。実は数日前に魔女、エマ・シルバーシックから王都襲撃の予告がありまして」

「……は?」

「警吏局と王室、さらには周囲の街まで破壊するつもりらしいです」

 秋は唾を飲み込んだ。

 妖艶に笑うエマが思い出される。人身売買には手を出すようなどうしようもない人間でも彼女には襲撃なんていう破壊行為の印象はなかったのだが。むしろ、世界の裏側でひそかに生きているというのが秋の魔女へのイメージだ。

「どうしてエマはそんなことを?」

「理由は分かりません。潜伏先を特定するのも難しいそうです。私の友人がその担当なんですけれど――」

 シャルルがさらに続けて言おうとしたとき、部屋のドアが開かれて一人の女の子が入ってきた。艶の良い青い髪の毛を後ろで一本に縛っている彼女は少女というよりも幼女よりな容姿だった。

 その青髪少女は先までヘイズルが腰かけていた椅子に座ると、床に届かない足をブラブラさせながら秋を見つめてきた。

 秋に対して敵意が込められたような目だった。

 しかしながら、エマやヘイズルのような目でもなかった。

 彼女は開口一番こう言った。

「どう生きてきたらそんなグラマラスボディになれるんだ⁉」


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