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「ちょっと農場まで行ってきてくれないかい?」

 本日の清掃の半分を終えたところで秋はサンナから農場の見張り役に伝言を頼まれた。

サンナによると先ほどニコルから電報が入り、昨日隣町の産業集合地が襲撃を受けたのでこちらも厳重な警備を敷き、農場の外にも見張りを置けということらしい。

 個人が所有している工場や農場が襲撃を受けることはこの世界では珍しいことではないようだった。金になるものを製造しているのだから当然そこには賊がやってくるというのが常識だとサンナは語った。また、個人的な怨恨で傭兵を使い相手の資産基地を破壊するということもあるらしい。

 秋は途中だった空き部屋の清掃を一旦やめて農場へ足を向ける。

 ここに来て、約二週間。

 秋はすっかり家政婦としての生活に慣れてしまっていた。

 朝早くに起きて中庭の手入れをしてから朝食を取り、邸内の清掃を開始。昼食までに一階と二階の部屋の清掃を片付け、午後には三階と四階の清掃を行う。毎日これの繰り返しだ。使用している部屋はともかく、使っていない空き部屋などの清掃は果たして必要なのだろうか、という疑問を抱くけれど、言葉にはできないので秋は黙って仕事をしているのだった。

 水晶花とかいうニコルの商売花の畑を通って見張りが待機している小屋へと進む。

 今日も緑色に埋めつくされた畑の中でボロボロの服を着た薄汚い労働者たちが仕事をしていた。相変わらずの目と動作だった。ただ機械のように動いているだけだった。もしかしたら普通の子供のような一面が見られるかもしれないなどと場違いな期待をしている秋だったが、それはどうやら無理のようだった。

 と、そこで。

「きゃはははっ」

 子どもの笑い声が聞こえた。

しかしながら、その声の主はアクティブに動いている一人の小奇麗な金髪の子どもだ。周りの子供たちと比べると、雰囲気からして違っていた。彼は活発そうな顔立ちでサラサラの髪の毛を揺らし、純白の高価なスーツを着ていた。

 しかしながら、純白のスーツは、今は畑を動き回ったせいでその白色が土色に汚れていた。

 そうして、彼は。

 楽しげな笑みを浮かべて、嫌味な笑顔を張りつけて、馬鹿っぽい高笑いをして。

 その子供は労働者たちに暴力を振るっていた。

 仕事中の労働者の髪を引っ張って強引に地面を引きずり回したり、しゃがんで作業をしているところに後ろから頭を蹴り飛ばしたり、目つぶしをしてみたり、土を食べさせてみたり。

 まるで玩具の人形に悪戯をするようにその子供は労働者たちで遊んでいた。大して変わらない年齢の子供の遊び相手と遊びというのには無理があるが、その子供にとってみれば労働者たちへの行為は遊びなのだろう。

「きゃっきゃっきゃはははっ」

 その子供はニコル・ダンの息子。名前はスティーブンという。

 農場の労働者たちに嫌がらせ紛いのことをして遊んでいるという話はサンナから聞いていたが、実際にそれを見るのは今日が初めてだった。

 秋が小屋に向かっている今現在もスティーブンは労働者の女の子の長い髪を引っ張って彼女を地面に引きずっていた。興奮しているような笑顔をスティーブンは浮かべている。笑い顔の目元が親子でそっくりだった。

 対して、引きずられている女の子は無表情。何も感じていないような、あの眼。

 きっと慣れているのかもしれない。慣れてしまったのかもしれない。

 いや、あんなことをされても何も思わないだけか……?

 秋は初めて農場に来たときのように気分が悪くなってきた。今すぐにあの餓鬼を殴りつけてやりたかったがそんなことをすれば自分がどうなるかを想像してしまい、右拳を握りしめることしかできなかった。

 悔しかったわけではない。おそらく、自分が情けなかったのだ。

 それに。

 下手に秋に助けられても労働者の女の子にとっては迷惑なだけかもしれない。この場所での嫌がらせは止まってもこの家からスティーブンがいなくなるわけではないのだから。きっと次の日には同じことをされるに違いない。あるいは、秋に助けられたことでさらに状況が悪化してしまう可能性もある。

 だから、ここは素通りするのが賢明である。

 秋がそう自分に言い聞かせていると、その内見張り小屋のドアの前に到着した。




 見張り役への伝言を終えた秋は再び邸内の清掃を行っていた。

 水で濡らしたモップで床一面を拭き、次に乾いた雑巾で床を拭く。一部屋につきこの作業を三回行えというのがニコルからの注文だった。どうやらニコルは相当の潔癖症らしい。

 休む暇もなく秋は次から次へと部屋を移動し、モップと雑巾で清掃を続ける。四階まで来ると最初の頃では腰やら筋肉やらが痛くなってくる頃合いだったが、最近ではそのようなことはなくなった。

「ふぅー」

 秋がため息をついて清掃が完了した空き部屋を出ようとした時だった。

「ねぇねぇ、召使。ちょっとこの部屋にいろよ」

 機嫌の良さそうな顔をしてスティーブンが空き部屋に入ってきた。農場から帰ってきたばかりなのか、靴や白いスーツが泥だらけだった。

「何でしょう?」

 秋はその泥だらけの格好ではせっかく掃除した部屋が汚れると思ったが、その言葉は飲み込んで、涼しげな表情でスティーブンに問いかけた。

「いいからそこに立ってろ」

「はぁ……」

 要領を得ないと困惑する秋をよそにスティーブンはニヤニヤと笑いながら秋の正面まで近づいてくる。

「どうされました?」

 再び秋はスティーブンに問いかける。

「まずはその泥を落としてきた方がよろしいかと」

「気にするな」

 スティーブンはニヤニヤと秋に視線を合わせたままだ。

「これくらいの泥で風邪をひいたりはしないぞ」

 ――そういう問題じゃねぇよ。つーか、泥で風邪なんかひくか? 流石ボンボン。

 述懐できない言葉を心に吐き出す秋。

 ――こっちがどれだけの時間をかけて掃除をしてきたと思ってんだ。

 悟られないように秋はスティーブンを睨んだ。本来ならば目が合ってしまってもおかしくない動作だったが、スティーブンの目と秋の目がかち合うことはなかった。

 なぜなら。

 スティーブンの視線が大胆に露出した秋の胸や太腿に集中されていたからだ。

 ニヤニヤ、と。

 スティーブンが秋を舐めまわすような視線で見つめている。

「……」

 スティーブンの目の意味を知って秋は固まった。

 スティーブンは秋のことを女として見ているようだった。まぁ、秋が本当は男だということを知っているのは秋本人と秋を女性に変えたエマ・シルバーシックだけなのだから、秋をただの美しい娘だと認識するのはこの場合、間違いではないのかもしれない。

 しかし、周囲の認識の過ちが正解か不正解かなどは秋にとって何の関係もない。スティーブンにもニコルにも外の見張り達にも女性と認識されていることは秋にとって、雇われ家政婦という立場自体で一大事だ。

「なぁ」

 スティーブンが口を開く。秋の予想に反することのない欲望の一端を口にする。

「そのメイド服を脱げよ」

「は?」

 予想に反していないとは言っても、言われた言葉に自然と疑問符がついてしまった。

「だから、それを脱いでオマエの体を僕に見せてくれよ」

 ニヤニヤ、とスティーブンが笑う。自分と秋の関係性を理解しているようだ。この広大な邸宅の主の息子とそこに雇われている十七才。その地位関係を理解したうえで、それを利用してスティーブンは秋に迫ってきているのだった。

「……困ります」

 秋は小さい声で答える。

「そのようなことは旦那様から仰せつかっていないので」

 できるだけスティーブンの機嫌を損ねないように、秋は答えた。この年頃の子供はわがままだ。特に金持ちの子供は。だから、なるべく相手を刺激しないような受け答えが重要。これはサンナに教わったことであり、また今日までの間に学んできたことだった。

「何言ってんの? 誰に言ってんのかわかってるの?」

 ブス、と不機嫌そうにスティーブンが言う。

「僕はお父様の息子だよ。僕の言うことが聞けないのかよ?」

「いえ、そういう訳ではないですが……」

「じゃあ、さっさとしろよ」

 スティーブンがしびれを切らして秋の目の前までやってくる。

 どうやら当たり障りなく受け流す作戦は失敗に終わったようだ。

「これを脱ぐだけだろう!」

 秋の胸元にスティーブンの手が伸びる。荒い息と興奮した表情でスティーブンが秋のメイド服をはぎ取ろうとするが、

 ――っつ。

「⁉」

 伸ばされた手は秋のメイド服に触れることなく空中に薙ぎ払われた。

 その手は秋が清掃に使っていたモップによって弾き返されていた。

「オマエ……」

 信じられないことが起きたといった顔でスティーブンが秋を見る。秋も自分が無意識にとった行動に一瞬、思考が停止した。

「僕の手をモップで叩いたな! 召使の分際で生意気な!」

 スティーブンが再び秋に向かって手を伸ばしてくる。

 メイド服を奪うためか、あるいは主の息子に手をあげた罰を与えるためか。

 いずれにしたところで秋には理不尽極まりないことである。

 だから、もう一度、秋はスティーブンの手をモップで払いのけた。今度は力を込めて、強く。

「お、オマエっ」

 スティーブンが秋を睨む。飼い主が飼い犬に噛まれたような調子だ。

「召使だろうが! 僕の言うとおりにしろ! 奴隷のようにされるがままにしていろ!」

 顔を赤くしてスティーブンが怒鳴った。

「僕たちがいなければオマエらは生きていけないクセに! そのクセに僕に刃向うのか⁉」

 スティーブンの言葉に秋は外の労働者たちのことを思い出した。

 スティーブンにやりたい放題されている彼らを。地面を引きずり回されても、頭を蹴り飛ばされても、土を食わされても大人しくしていた彼らを。

「オマエだって奴隷だろうがっ!」

 秋に伸びる手。

 労働者たちに暴虐を繰り返す手。

 ――クソ野郎。

 秋はモップでスティーブンの手を払い、その勢いのままスティーブンの頭に思いっ切り、モップを振り下ろした。

 モップは寸分も狂うことなく、金持ち息子の頭を叩いた。

「うっ⁉」

 衝撃でスティーブンがよろけたところに秋は容赦なく、彼の体へ横からモップを炸裂された。

 ドン、という鈍い音が響いてスティーブンが部屋の壁にぶつかった。

 しばらく呆然として、

 ――やちゃった。

 秋は苦笑いを漏らす。

 ここの主、ニコルの息子であるところのスティーブンに手をあげてしまった。

 外の労働者の仇をとった、というのでは些か言い訳が過ぎる。これでは自分の暴力を他者のせいにしてしまっている。そもそも彼らがスティーブンを憎悪しているという確証もない。

 秋がモップを振るったのは結局、自分のためだ。

確かに労働者のこともあったが、今の行動は自分の身を守るため以外の何物でもない。

 秋は壁の傍で蹲っているスティーブンを見た。背中がふるふると震えている。

「ひっく、ひっく」

 上ずった声を上げている。

 そして。

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああっ」

 と、大声で泣き出した。

「お父様あああああああ。奴隷があっ、奴隷が僕をモップで殴るよおおおおおおおおおっ」

 涙の絶叫を迸らせてスティーブンは大広間へと走って行った。

 スティーブンの敗走を見届けた秋は窓の外に視線を遣る。

 ニコルが帰ってくる前に今あったことをどうにかしなければならない。

 今からスティーブンのもとにかけよって必死に謝罪するか、メイド服を脱ぐかしか解決策はなさそうだが、そんな方法に頼る気は毫もない。裸体を晒すことに抵抗がなければこんなことにはなっていないだろう。

 ――逃げるしかないか……。

 たった一つの解決案を導き出した秋がため息を八割ほど吐き出したとき、秋の全身に冷や汗が吹き出した。

 窓の外にスティーブンがニコルに泣きついているという光景が展開されていた。

 ――⁉

 一昨日から明後日まで外出しているはずのニコルが険しい表情をしてスティーブンの話を聞いているようだった。

 そして、秋のいる四階を見上げる。

 怒りの視線が秋にピンポイントで向けられていた。




 秋のいる部屋に入ってくるやいなや、ニコルは秋の顔面を殴りつけ、床に倒れた秋の上に馬乗りになって何発も秋を殴りつけた。

 すでに額と唇から血が流れていた。

「家政婦が私の息子に手をあげるとは何事だ!」

 怒りと唾をまき散らしながら、ニコルは絶叫する。

「モップで殴るだけではなく、その上農場でスティーブンを引きずり回しただと⁉」

 話が違う。

 それはスティーブンが労働者にやっていたことだ。

「それはちがっ――」

「口答えするなっ」

 秋の口はニコルの拳によって塞がれた。

 ニコルの拳が秋の頬に突き刺さり、秋の口の中に鉄の味が一層広がった。

 ニコルは秋に馬乗りになっていた体勢を解くと、秋の長い茶髪を手でつかみ、秋の焦点を自分に合わせる。

「闇市で売られていたところを買い取ってもらった奴隷がするようなことか?」

 秋はギロリ、とニコルを睨みつける。

「なんだ、その目は?」

 もう後戻りはできない。

 弁解も和解も許しも手遅れ。

 よしんばそれらが可能であったとしても、実行するつもりも気力もない。

 だから、牙をむく。

 刺々しく。

 毒々しく。

「買い取ってもらった? よく言いますね」

「なんだと?」

「私は買い取られたわけじゃあありません。エマとかいう魔女に勝手に売りとばされただけです」

 強い口調で秋はニコルに言葉を撃つ。

「それは私もサンナさんも労働者の皆も同じです。ただ、売られただけ。あなたへの忠誠などありません。ましてや感謝なんてものは微塵も湧いてきません」

 ニコルが奥歯を噛む音がした。

「あなたが私たちを不条理に利用しているように、私たちもあなたを利用しているだけです」

 秋の言葉を聞き終えることなく、ニコルは乱暴に秋の髪の毛から手を放した。

「――くれぐれもあなたが私たちを生かしているとは思わないでください」

 何発も殴られた秋は自分の力で体を支えるのが困難になり、そのまま床に倒れた。

「サンナあああああ」

 ニコルが怒鳴り声でサンナを呼んだ。一分もしないうちにサンナが秋とニコルのいる部屋へやって来た。

「何でございましょう、旦那様」

「このゴミを仕置き部屋に閉じ込めておけ。手足を縄で縛るのを忘れるなよ。この前のようにその小娘も逃がしたら、どうなるか想像しておくんだな」

 言って、ニコルは部屋を出て行った。

「…………はい」

 サンナは腰を低く折って、ニコルにお辞儀をした。そして、すぐさま秋のもとに駆け寄ってくる。

「アキ、アンタ一体何を?」

 血だらけの秋の顔を見て、サンナの表情が強張った。

「スティーブンをしばいただけです」

「……そうかい」

 サンナは憐みを浮かべて、秋の手と足に縄を巻き始めた。

「……ごめんよ」

「いいですよ。それがあなたの仕事なのでしょう?」

 サンナは瞳を濡らして頷いた。

 彼女には秋と同じ決心はできないようだった。


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