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 秋はニコル・ダンについていく形で広大な畑を歩いていた。青空の下で緑の葉が草原のように風で揺れている。

「私は水晶花の農場と水晶線の工場の経営をしていてね。君のような人間を買う金なんて腐るほどあるのだよ」

 自慢するようにニコル・ダンは秋に語りかけてくる。

「あの場にいた者たちにとっては一億ベルの大金などそう簡単に人間に使うことなどできないだろうね。しかし、私は違うんだ。何といっても水晶線製造の第一人者の大富豪だからね」

 傲慢そうな笑みを顔面に引いてニコルは続ける。

「まぁ、アキ・カハラ、君のような美しい人間なら私は一億ベルなど惜しくもない。もし、あの場で私よりも高値を申し出るものがいたのなら、私はその十倍は出していたよ」

 アキ・カハラというのは秋の新しい名前だ。ニコルに買い取られる際にエマが秋のことをそう命名したのだった。

「ところで、この花は初めて見るものかね?」

 唐突に話題がニコルの自慢話から周囲に一面と茂っている植物へと変わった。

 秋は言われて近くの植物に目を遣る。その先には、小ぶりな葉っぱを何枚もつけ、たくさんの葉の中に一センチほどの透明な結晶を花のように蓄えている植物があった。当然、見たことも聞いたこともないものだ。

「はい」

 小さく一言だけ答える。

「だろうね。底辺のさらに下の人間がそうそう見られるものではない。いい機会だ、ここで拝んでおくといい。君は農場の奴隷には使わないから二度と見られないかもしれんぞ?」

 水晶花にどれだけの価値があるのか秋は知らないが、この花を大量に保有しているニコルは誇らしそうに言って、そこからまた自分の自慢話を再開した。

 富豪の中でもトップ5には入るだの、子供の頃から自分は優秀な人間だっただの、腕相撲では負けたことがないだの、色々とどうでもいいことを聞かされた。

 それでも秋は適当に小さな声で相槌を打ち続けた。酷い扱いを受けたくないのなら、主人のご機嫌は損ねないように。エマが別れ際に秋に忠告したことだった。自分を物同然のように売りとばした人間の言葉を律儀に守るのは何だか癪に障るような気がしたが、今は自分の身が第一である。

 ニコルの自慢話に相槌を打っていると、やがて二十人弱の人の塊が見えてきた。彼らの中には地べたに座って水晶花に手を伸ばしている者とその傍で仁王立ちになっている者がいた。

 地面に座って何か作業をしているのは皆、子どものようだった。ボロボロの布きれ一枚だけで体を覆い、足に黒い金属のような物で枷をされている。子どもたちの髪はボサボサで肌は薄汚れていた。

 一方、偉そうに仁王立ちをしているのは大人の男達だ。戦場の兵士のような革の服装をしていて、その手には鞭が握られている。

 秋が彼らを見ていると、ニコルが言う。

「あれは奴隷と見張りだ。奴隷は水晶花から水晶を採取しているのだ。見張りは当然、奴らが怠けないように見張っている。まぁ、見張りはここの警備も兼任しているがね」

 奴隷たちは黙々と作業をしていた。この作業だけが自分たちのやるべきことであるように。手を止めるものはいない。しかし、そこに熱意はなかった。少年も少女も死んだような目で黙々と作業をしているのだった。

 ニコルの存在に気がついた見張りの大人が大きな声であいさつをする。

「ニコルさん、こんにちは」

 腰を九十度以上曲げてのお辞儀だった。

「どうだね収穫の方は?」

 近くに駆け寄ってきた見張りにニコルが訊く。

「そろそろアーガー社の航空機や車の生産が本格的に始まる。その時までに動力部の水晶線の数を揃えておかないと話にならないぞ」

「その点については問題ありません」

 初老の男が答える。

「しかし、奴隷たちの様子が最近おかしくてですね」

「いつもと変わらないように見えるが?」

 怪訝な顔をするニコル。初老の男は恐縮そうに、

「いえ、体調を崩しているものが多いんですよ……」

「栄養失調か?」

「それと睡眠不足でしょうか。何せ一日二時間しか寝かせていないものですから」

 うーん、とニコルが唸る。

「まともな食量は奴隷よりも高価だからな。そろそろ買い替えるか。飯を与えるのは金の無駄遣いだ」

 金なら腐るほどある、と言っていたはずのニコルは険しい顔でそう言った。

「そうされた方が効率は上がると思われます」

「うむ、ならばそうしよう。昨日、市場に行ったというのにまた行かなければならんのか」

 面倒くさそうに頭を掻いたニコルに初老の男が、

「そちらは? 新しい奴隷ですか?」

 と、秋を指さして訊いた。

「いいや、新しい雑用係だ。この間小娘に逃げられたからな」

「そう言えばそんなことを仰っていましたね。しかし、まぁ、これだけ美しいと高額だったのでは?」

「ふふふ、まぁな。一億ベルだ」

「さすがはニコルさん! いやぁ、やっぱり大富豪になられる方は違いますねぇ。私では一生かかっても無理ですよ」

 初老があからさまにニコルを持ち上げるが、ニコルはそれを気持ちよさそうに聞いていた。最後にがははっ、と満足げに笑って見張りに励ましの言葉をかける。

「では新しい奴隷が来るまでそいつらを無理にでも働かせろよ。それと新型のライフルを買っておいたから好きなように使ってくれ。警備の方もよろしく頼むぞ」

「はい!」

 見張りは再び九十度超のお辞儀をした。

 秋は気持ちが悪くなっていた。昨日の市場で吐き気を催した時よりも気分が悪い。

 平気で子どもたちを奴隷として扱っている大人が気持ち悪い。少年少女をまるで動く人形とでも勘違いしている大人たちが気持ち悪い。

 そんな秋をよそにニコルがニヤニヤ、と笑いながら言う。

「次はアキの働き場所に行こうか」

「……はい」

 秋は胃酸を必死に腹の底で堪えながら頷いた。




 エマが秋に着せたメイド服は趣味が悪いというので、秋はニコルの用意した異様に露出の多いメイド服に着替えさせられていた。スカートの丈は太腿を全部外に晒すほど短いし、胸元は胸がほとんど見えてしまうのではないかというくらいの広さで、背中も肩甲骨が丸見えだ。

 秋はお前の方が趣味が悪い、とニコルを毒づいた。勿論、述懐することなどできないので心の中でだが。

「では、私はちょっと出てくるから、アキに仕事のことを説明しておいてくれ」

 ニコルは秋の新しいメイド姿を満足そうに見届けてから、扉の傍に控えていた老婆に言った。

「わかりました」

 老婆は今にも曲がりそうな腰を無理に低くしてニコルにお辞儀する。

「いってらっしゃいませ」

 去り際にもう一度秋の姿を嫌らしい目で眺めてからニコルは部屋を出て行った。

 ニコルが去って、ほっとしたのも束の間、老婆が秋に話しかけてくる。顔に幾千もの皺がある白髪の大きい鼻が特徴的な老婆。

「あんたも大変だね。こんなところに連れてこられるなんて」

 老婆はため息を吐いた。

「まぁ、外の労働者に比べれば楽な方だろうけれど、それでも邸内は邸内で大変だよ。旦那様のいる空間で働くわけだからね。少しでも機嫌を損ねるようなことがあれば殴る蹴るは当たり前だし、酷い時なんかは農場や工場の見張りの男達のエサにされちまうよ」

 うんざりとした調子で老婆は続ける。彼女の全てを憐れむような口調の中には秋に口を挟ませるような雰囲気はない。

「この前なんかは家政婦の娘が逃げ出したんだが、あの子の逃亡を止められなかった見張り役がどこぞの魔法研究者に人体実験のモルモットとして売りとばされたそうだ。殺されたようなモンだよ。私も私で旦那様からあの子の監視が甘かったという理由で散々な目にあわされた。七十のばあさんを平気で殴るんだから旦那様はどうかしているよ。最もここで働かされている人間なんざ、あの人にとって見ればそこら辺の羽虫のような存在に過ぎないのかもしれないけどね」

 老婆は部屋にある豪奢なテーブルの椅子に腰を掛ける。よっこらせ、と外見に良く合う言葉を口にしながら秋に手招きする。

「アンタも座りなさいな」

 老婆の言葉に従って秋も彼女の隣の椅子に座った。

「それで」

 老婆はまた語り出す。

「その逃げた子の後釜がアンタというわけだ。旦那様は家政婦に決まって美しい娘を連れてくる。アンタも前の娘もその前も大層な美人だ。いくらで買ってくるのかは知らないけれど、そんな金があるのなら外の労働者に少しくらい分けてやっても良いだろうにね。せめてまともな食事ぐらい食べさせてあげてほしいものだよ」

 ここで初めて老婆は秋の目を見て、ねぇ、と言った。

「そうは思わないかい?」

 老婆の問いかけに秋は若干、窺うように返事をする。

「思いますけれど、随分とニコル……いえ、旦那様が嫌いなようで」

「当り前さ。あんな人間を嫌わないヤツがこの世にいるモンか。必死に堪えて旦那様の前で良い子ぶっているんだ。ここで働いている人間皆、一人で生きていけるだけの力があればこんなところはとっくの昔に出ているだろうよ。それができないのは当然、あの人の力がないとやっていけないからだよ。まぁ、こんなところに売りとばされてきてしまった私たちが悪いんだろうけれどね」

 息を切らしながら老婆は熱く語った。秋は少し引き気味にはぁ、とだけ相槌を打った。

「そうさ、私なんか旦那様の祖父に買い取られてからずっとここにいるんだよ。もう五十年以上も前の話だ。あの時からずっと、ずっと、ずっと、ずぅーっとここで食事を作り、掃除をし、洗濯をして生きているんだよ。いや、そうやって生かされてきたんだよ。青春や恋はおろか、普通に笑って暮らすことなんかできやしなかった」

 ここで老婆が急にドン、とテーブルを右の拳で叩いた。その力が思った以上に強かったので秋は驚いた。

「哀れなモンだ。それだけの扱いを受けていても、逃げ出そうとも自ら命を絶とうともしなかった私は哀れなモンだ。こんな扱いに慣れてしまうなんて惨めにも程がる。あの子のように逃げ出せなかったのは失敗した時のリスクに見合うだけの勇気がなかったからだよ」

 いきなり老婆の口調が弱々しくなる。あれだけ熱く語っていた老婆の勢いが風船から空気が抜けていくように失われていく。

「だってそうだろう? 捕まったら羽虫以下の存在にされちまうんだよ。そう考えたら必死にここで耐えて生き延びていくしかなかったんだ。自分で命を絶てなかったのはもしかしたら白馬の王子様がやってきて私を助け出してくれるかもしれない、そうして幸せな世界へ連れて行ってくれるかもしれないなんて思っていたからだよ。未練があったんだ。楽しく、嬉しく幸せな日々を諦め切れなかったんだ。まぁ、そのくせ幸せになるための努力をしなかったモンだから、今もこうして惨めな家政婦をやっているんワケだけれどね」

 自嘲気味に笑って老婆は俯く。俯いている老婆に秋は、

「でも、命を捨てなくて正解だと思います」

 とだけ言った。

慰めなのか何なのか。良く分からないが自然とそんな言葉が口から出ていた。

「はははっ」

 老婆はそれを受けて一転して快活に笑う。

「アキとかいったね。確かに命は捨てなくて正解かもしれないが、私の場合人生が正解じゃあなかった。そうなってしまうと、あの時生きていくことを決めたのが本当に正解だったのか、なんて思ってしまうんだよ」

「はぁ……」

 困ったような顔をする秋。

「まぁ、アンタにゃ関係ない話だ。年寄りの愚痴に付き合ってくれてありがとう。ここ最近一人だったからね。久しぶりに話相手が出来て嬉しかったんだ。一人で捲し立ててしまってごめんよ」

 老婆は優しく笑った。

「私はサンナ。よろしくね」

「ぼ……わたしは華原……いえ、アキ・カハラです。よろしくお願いします」

 危うく自分のことを僕と言いそうになって慌てた様子を見せた秋だったが、それをサンナが気にする様子はなく、秋の手を握ってきた。

「これから同じ場所で働くことになるけれど、ずっとここにいるなんて思ったら駄目だよ。私みたいになったら駄目だ。アンタの前の子みたいに無理をしてまで逃げ出せとは言わないけれど、もうここでいいやなんて考えたら絶対に駄目だ」

 秋の手を握るサンナの手に強い力が加わった。サンナの目を見ると、真剣な眼差しを秋に向けている。

「わかったかい?」

 サンナの眼差しに対して秋もそれに応える視線を返す。

「はい。こんな場所に留まるつもりは初めからありません」

 力強く、はっきりと秋は言葉を口にした。

 市場でのニコルを見て、農場でのニコルと見張り役を見て、農場での労働者もとい奴隷を見て、サンナの話を聞いて、何か具体的な脱出案があるわけではないけれど、秋はそう思っていた。この場所にいるのは一日でもごめんだった。ましてサンナのように年老いるまでこのような場所にいるのは死んでも嫌だと感じた。

「うん。それでいい。その力強い目でいなくっちゃいけない。外の労働者のような死んだ目になっちゃあいけないよ。自分自身に無興味、無感動になっちゃあいけないよ」

 まぁ、彼らには彼らがああなってしまったどうしようもない、抜け出せないような理由があるからそこを勘違いするのは間違いだけれど、とサンナは付け足した。

 そこで不図、秋は思った。

 今、サンナは秋の目を力強いと言った。

 今、サンナは無興味、無感動になってはいけないと言った。

 秋は疑問に思う。

 華原秋という人間は倦怠感と脱力感の集まった虚無的な存在ではなかったか?

 華原秋という人間は無気力、無感動な存在ではなかったか?

「どうかしたかい?」

 サンナが心配そうな目を向けてくる。

「いえ、何でもありません」

 秋は何気なく否定するが、その心には小さな渦が巻き始めていた。

 何かが違う。

 体が変わったせいだろうか?

 世界が変わったせいだろうか?

「そうかい。それじゃ、仕事の説明をするよ。とは言ってもアンタの仕事はこの馬鹿広い邸宅の掃除だけなんだがね。ともて一人じゃ終わらない量だから私も手伝うから心配しなくて良い。食事や洗濯は私がやるから、それについてはアンタが手伝う必要はない。五十年もの仕事だ。私が一人でやる方が早く終わる。その間にここを抜け出す方法でも考えておくといい」

「わかりました」

 秋は頷く。

 しかし、頭はサンナの話よりも自分の内面に向けられていた。

 華原秋の中で何かが変化し始めているのかもしれなかった。


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