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 豪奢な部屋で秋は目を覚ました。

 広い部屋の天蓋のついたベッドとふわふわの布団。真紅の絨毯に金色と宝石のシャンデリア。

 どこぞの王室かと思って部屋を探索しようとベッドを降りかけたとき、秋は気がついた。

 自分が裸であることに。

 そして、この体が男のものではないことを視覚した。

 美しい曲線美を描く肉体と透けるように白く張りのある肌、柔らかな二つの胸、そして長い茶色の髪の毛。

 華原秋は。

 女性になっていた。

 ――――――え?

「えええええええええええええええ⁉」

 秋は驚きのあまり声を絶叫させた。発せられるその声も女性のそれだ。

「ちょっと……何これ」

 部屋にあった大きな鏡の前に飛んで行って自分の姿を確認する。何度見返しても女の子だった。鏡を見ている自分が照れてしまうくらいの美少女になっていた。体のあちこちを触って確認するも秋が女の子になっていることに違いはなかった。頬に首、肩、胸、腰、太腿。ぺたぺた、と触るその感覚が今までの自分の体のものではないことを再認識する。特に柔らかい胸が新感覚だった。なかなかの大きさだった。まさか自分の体で初体感しようとは夢にも思っていなかった。

 しかしながら、その内自分の体を触るのが恥ずかしくなって止めた。

「もうわけわかんない」

 秋はベッドに顔を埋め、ため息を漏らした。

 完全にわけがわからなくなってしまった。目覚めたら知らない街にいたことから始まり、変な男に拘束されていたところから逃げて、逃げ切ったと思えば魔女と名乗る女に遭遇して気絶させられて。

 再び目を開いたら男から女になっているなんて。

 パニックを通り越して放心するしかなかった。目を閉じるのが怖くなった。次に眠りから覚めたときには死んでいるかもしれない。

 ――もしかしたら。

 これはあの魔女と名乗ったエマの仕業なのだろうか。気を失う前のエマの「目覚める時までには、奇麗なお人形にしておいてあげるわ」という言葉が不図、頭に再生された。今更思い出しても何にもならないが、ことの原因を少しでも理解しておくことで秋は安心したかった。未知のものは何よりも怖い。生物とはわからない事象に何よりも恐怖を感じるものだ。

 シーツに身を包んで秋が肌寒さに耐えていると、扉の開く音がした。それと同時に女の妖しげな笑い声が聞こえてくる。

「ふふふ、おはよう。目覚めはいかが?」

 やって来たのはエマだった。ベッドの傍まで来ると天蓋のカーテンを開いて秋の様子を窺うように顔を覗きこんでくる。

「アンタの仕業ですか、この体?」

 探るように、批判するように秋はエマに訊いた。

「そうよ」

 即答だった。何か不満でもあるのか、とエマの声音が言外に問いかけ返してくる。

「何のために?」

 秋はシーツに包まったまま、エマの顔を見ずに言った。エマを見る勇気はなかった。こんなことができるということは彼女が本物の魔女だということだから。魔女なんて得体のしれないものが目の前にいるのは恐怖に値する。その存在が絵本の外に出てきてしまったのだ。それが怖くないはずがない。

「何のためにって、それは私のために決まっているでしょう」

 エマがベッドに乗ってくるのが振動でわかった。秋はさらに体を丸めた。

「さあ、きれいなお顔を見せてくれるかしら?」

 エマがそう言った瞬間、秋の包まっていたシーツが風にでも飛ばされたように剥がされた。そして、強制的に体を起こされてエマと向かい合うような姿勢になる。ニヤリ、と笑って、エマが秋の顎を右手で掴み彼女の顔のすぐ近くに引き寄せた。

「痛っ」

 秋の呻き声に耳を傾けることなくエマは品定めでもするように秋の顔と体をじっくりと観察していった。

「んふっ」

 妖しい笑みでエマが秋の胸を左手で掴み、金属質的な冷たさで弄んだ。

「うぅっ」

 思わず、秋の口から声が漏れた。

「あらあら、もう完全に女の子じゃない。ふふふ、こんなのはどうかしら?」

「あうっ」

 秋は必死に声を出さないように努めたが、エマの卑猥な指の動きに合わせて吐息が漏れてしまう。そうしてエマに冷たい指で弄られる度に秋は切れ切れの息を吐き続けた。

 しばらくしてからエマが満足げに頷く。

「うん、上出来ね。これは高く売れるわ」

 乱暴にエマが秋の顎を解放した。何処が上出来だったのか、秋にはわからない。

「さぁ、服を着なさい。早速出発するわよ」

 エマが右の五本の指をくいくい、と動かした。すると、その動きに合わせるように秋に着せるための洋服が宙に浮いて飛んできた。洋服といってもメイド服だが。英国風の清楚な印象のメイド服は一直線に秋のもとに到達する。

「うわっ」

 秋のもとまで飛んできた服は止まることなく体に纏わりつくようにして秋に着用されていく。秋は抵抗するように体を動かすが、

「騒がない」

 エマによって身動きを封じられてしまった。魔法でも使っているのだろう、秋を制御することは朝飯前のようだ。

 そして、一分もしないうちに秋はメイド服姿になった。

「ついてきなさい」

 エマが秋に背を向けて歩き出す。しかし、秋はエマの言葉に従わずにその背に問いを投げた。

「どこに行くんですか?」

 エマが立ち止まって振り返る。彼女は面倒くさそうに秋に焦点を合わせていた。

「街の市場よ」

「何をしに?」

「あなたを売りに」

 ゴクリ、と秋は唾をのんだ。予想通りの答えだった。きれいな人形と身売り。エマはそんなことを言っていた。この言葉から自分が誰かに売られるのではないかと予測するのは難しくない。むしろ、直感でそう思った。

「あなたに拒否権はないわよ」

 ため息をついてからエマがその手を軽く振る。魔女の力で秋は見えない何かによって宙に縛り上げられ、エマのもとまで引き寄せられた。秋にはどうすることもできない。

「すでに出品しているの。オークションでね、富豪が揃うこの日に合わせたのよ」

 エマが妖しく笑う。対して、秋は敵意の表情をエマに向ける。

「安心しなさい。別に売春婦をやらせるような相手に売るわけじゃないわ」

 エマが歩き出す。秋がいた部屋を出て、こちらも作りが豪奢な回廊を抜ける。

「まぁ、買い手に似たようなことを奉仕させられるかどうかは知らないけれど」

 やがて建物の外に出た。扉を振り返ると西洋の城を彷彿とさせる石造りの建物が視界に飛び込んできた。これはエマの家なのだろうか。

 用意されていた馬車にエマが乗り、次いで秋が押し込まれる。

「行くわよ」

 馬車が動き出した。行き先は市場らしい。人の売買が行われる市場。

 抵抗するすべのない秋はただ馬車の中で寝転がっていることしかできなかった。



 そこには異常な光景が展開されていた。

 気味の悪い静寂と不快感を煽るざわめき。

 ライブハウスのようなサイズの地下スペースに集まっているのは貴族のような男女とボロボロの布きれに身を包み首輪を繋がれた少年少女。

 そんな雰囲気と情景。異常だ、と秋は思った。もう少し適切な表現があるのかもしれないが、秋の語彙と感性では異常という言葉がこの場を表すのに正しく思われた。

 ステージの上に未成年が並べられると市場が始まる。

 十人ほどの少年と少女が首輪をシルクハットを被った男に引かれて整列した。抵抗する者はいない。そのような意思を感じさせないほど彼らの目は死んでいた。彼らは何も見ていないのかもしれない。秋はそう思った。周りの状況はおろか自分たちが置かれている立場でさえ無興味で無関心のようだ。秋の内面よりも彼らの内側は虚無的らしかった。

 シルクハットの男が口を開く。

「えっー、一人300ベルからお売りいたします。まぁ、ご覧になってわかるようにこれらは人形も同然で御座います。無益な抵抗はいたしませんし、無為な主張もいたしません。実験やら肉体労働やらご自由にお使いください」

 営業スマイルでシルクハットの男が言い終えると、貴族のような男女が手と声をあげる。

「二人で600ベル」

「一人、300ベル」

「五人で1600ベル」

「2400ベルで七人」

「五人、2000ベル!」

 そこら辺から声が飛び交う。

「七人で2800ベル!」

「七人で3000ベル!」

「ええい、十人で4000ベルだっ!」

 最前列の中年男性が声を荒げて言った。十人で4000ベル。ベルというのは通貨の単位だろう。しかし、秋にはそれが安いのか高いのか良く分からなかった。

「ありがとうございます。十人全員まとめて4000ベルで売らせていただきます」

 満面の笑みでシルクハットの男が言った。人間の売買が完了した瞬間だった。

「では、こちらにいらしてください。ご手続きをいたします」

 少年少女がシルクハットの男に首輪を引かれてステージを後にする。その後に購入者の中年も続いて行った。

「それではお次は私が商品のPRをさせていただきます」

 人身売買が終わったその直後、次の売買が始まった。登場してきたのは三十代ぐらいの女性だ。彼女は筋肉で膨れた厳つい体格の大男を三人引き連れてきた。

「これらは門番やボディガードとしてご使用いただけます。これらの心は私の魔法によって完全に消滅させてあるので裏切りや反発のご心配はありません。一体3000ベルからお売りいたします」

 女がそう言うと先程のようにいくらで買うのかという声が飛び交い始めた。

 やがて門番だかボディガードだかの売買が三体で20万ベルの値段で終了すると、またすぐに別の売買が始まった。それの繰り返しだった。その内、売買を見ていた秋は気分が悪くなってきた。気持ちが悪い。吐き気がする。

「あら、どうしたのかしら」

 そんな秋の様子を察したのか、今まで隣で黙っていたエマが秋に問いかけてきた。

「気分が……」

「情けないわね。これからあの場に立つというのにそんなことで商品価値を下げられては困るわ」

 言って、エマが秋の背中を二、三度軽くさする。そして、空いている方の手で秋の首輪を若干緩めた。今更だが、秋の首にも輪が掛けられていた。馬車の中でつけられたものだ。この首輪にはオークションナンバーが刻まれており、秋の首輪の番号は三十二番。今現在ステージの上で終了した売買は三十一番だ。

「さあ、出番よ。できるだけ高値で売れるように頑張って頂戴」

 秋の背をさするエマの手が離れる。すると、嘘のようにさっきまでの吐き気が治まっていた。

 エマに首輪を引かれ、秋は売買のステージに上がってしまった。買い手となりうる男女の視線が一斉に自分に向けられるのがわかった。

 エマが秋のPRを始める。

「こちらは十七才の娘です。用途としては肉体労働や家事全般、子守などですが、使いたいように使っていただいて結構です。感情操作の方は施しておりませんが、それでも良いという方は値段の方を申し出て下さい」

 秋が唾を飲んだ。同時にオークションが始まった。

「10万ベル」

「50万ベル」

「100万ベルでどうだっ!」

 なす術もない。エマを止めることも買い手を止めることもできなければ、エマから逃げることも市場から逃げることもできない。秋は完全に無力だった。

「300万ベル!」

「310万ベル!」

「400万ベル!」

「450万ベル!」

「600万ベル!」

 秋の思考回路は停止した。隣で妖しく笑っているエマと次々に手をあげて秋を買い取ろうとする人間のせいで。自分に掛けられている値段が前に行われていた売買の比ではないことなどに気がつくことができないほどに秋は思考という活動を失っていた。

「1000万ベル!」

 会場が大きくざわめきだした。秋の値段がとうとう大台に乗ったらしい。あたりからは過去最高の値段だ、というような話声が聞こえてくる。しかし、まだオークションは終わる気配を見せない。

「1200万ベル!」

 男女が声を荒げる。

「1300万ベル!」

「1350万ベル!」

 そんな買い手の競う様を見てエマが小さく笑い声をもらした。

「ふふ、やっぱり容姿も重要ってことね。最初のような子達は汚らしいし、生気がなくっていけないわ。ふふふ」

 秋はエマを睨みつけたがエマは取り合わない。確実に跳ね上がっていく値を聞いて笑み広げていくだけだ。

「2400万ベル!」

「2450万ベル!」

 と。

「失礼」

 男女が激しく値段を競わせている中で一人の男性がエマと秋のいるステージに上がってきた。それに反応して競りの喧噪が止む。

「あら、どういたしました?」

 エマが別段怪しむ風もなく男性に問いかける。

「私はニコル・ダンと申します。そちらの御嬢さんを1億ベルで買わせていただきたいのですが」

 競りのために止んでいた喧噪が沈黙を経て動揺の喧噪に変化した。それを聞いてニコルは金満の笑みを浮かべ、他の買い手に向かって言う。

「さぁ、皆さんの中でこの私よりも多くのベルを出せる方はいますか?」

 いるわけありませんよね、とでもいうように両手を広げながらニコルは笑った。果たしてニコルの問いかけに対抗して1億ベル以上の値段を申し出るものはいなかった。その様子を見てエマがニコルに向かって妖しく笑う。

「ではニコル・ダンさん。貴方に1億ベルでお売りいたします」

 エマが秋の首輪を引く。秋はそれに抗うことなくステージ裏へと引かれていく。そして、エマと秋の後ろをニコルがついてくる。

 こうして、秋は1億ベルという良く分からない値段で見知らぬ人間に売られることになった。


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