15
「痛い――」
重い体を秋はベッドの上に起こした。
警吏局病棟の一室。
エマとの戦いを終えた秋はそこで十三時間ぶりに目を覚ましていた。この病室で三十分ほどシャルルとフルートと雑談を交わしている。
「あれ、おかしいですね。治療のほうはきちんと施したはずなのですけれど」
パイプ椅子に座っていたシャルルが不思議そうな顔をする。
「どの辺が痛みますか、華原さん」
「いや、多分、筋肉痛だと思う。剣持って戦うなんてこと初めてだったから、使ってこなかった筋肉が疲れたんじゃないかな」
秋は苦笑いを浮かべた。
そんな秋を見て、フルートが呆れたような風に、
「男のくせに軟弱だな。お前の世界は一体どうなっているんだ?」
「どうなってるって……」
そう言われても返事に困る秋だった。何をどうやって説明したらいいのだろうか。
「ちょっと華原さんの世界にも興味がありますね」
「まぁ、こことはだいぶ違う場所のようだが――ところで、秋」
フルートが改まった感じで秋を見た。
「エマ撃退の手柄で騎士王様がお前をパーティーに招きたいと言っているんだが、どうする?」
「き、騎士王?」
突然出てきた何だか凄そうな単語に秋は背筋を伸ばした。
「魔女撃退に関して礼をしたいそうだ」
「それって、出ないと拙かったりするの?」
秋としては体も元に戻ったので、次は元の世界に戻る方法を早く知りたいところだった。
「いや、お前が出たくないのなら構わない。そこら辺はシャルルが上手に誤魔化してくれる」
「え、私ですか?」
がばっと、シャルルがフルートを向いた。
「ちょっと、いくらなんでも私一人じゃあ」
「親父さんに頼んで、どうにかしてもらってくれ」
「とは言ってもですね……」
煮え切らないシャルルはかりかり、と額を掻いた。しばらくして、
「まぁ、そうですね。華原さんのためです。何とかしましょう」
「俺のため?」
秋はパーティーに出ないことがシャルルとフルートの二人に迷惑をかけてしまうのではないか、と思い始めたが、それを察したフルートは、
「お前にこれから騎士としてこの世界でやっていく気があるのなら、是非パーティーに出ることを進めるが、そうしてしまったら、もう元の世界には帰れないだろう。まぁ、私たちのことは気にするな。問題になるようなことはないさ」
うまくごまかすからな、と得意げに笑った。
「祭り上げられてしまうかもしれないということです。いわゆる救世主ってやつですね」
「はぁ」
よく事情が分からない秋はただ呆然と首を傾げた。
そして、それから二人に訊いてみる。
「二人の話だと、何だか俺が元の世界に帰れる手段があるように聞こえるんだけれど」
秋の言葉を受けて、フルートが力強く頷いた。
「ああ。ここの地下に特殊な魔力の溜まっている場所があるんだ。そこがお前の世界へと繋がっている」
「そうなのか」
意外と簡単に帰り道が見つかって驚く秋。
が。
「――かもしれない」
「おい」
思わず秋は身振りを交えて、フルートにツッコんでしまった。それを見てシャルルがくすり、と笑う。
「安心してください、華原さん。その場所は王室の管理下に置かれている場所なので、危険ではありません。もし、噂がデマなら、何も起こりませんよ。まぁ、立ち入りが禁止されてはいますが」
「だ、大丈夫なのか?」
そこで捕まったりしたら、元も子もない。
「大丈夫です。見張りとかはいないんで」
ニコリ、とシャルルが人差し指を立てた。
「ただ建造物が古くなってしまっているので危ないというだけです」
「へ、へぇ」
秋は何だか不安になってきた。まぁ、リスクなしで帰れるとは思っていないけれど。
「で」
仕切り直すようにフルートが腕組みをしながら、もう一度秋に訊く。
「お前に騎士になるつもりがあるならパーティー会場に案内するし、元の世界に戻るつもりならそこへ道案内する。自分のことだ。秋の好きにしていい」
フルートの問いかけに秋は逡巡することなく、すぐに返答する。
もう解答は決まっている。
「俺は元の世界に帰りたい。最後にもう一度、二人の力を貸してほしい」
秋の力強いまなざしにフルートは頷いた。
「よし、じゃあ行くぞ」
しかし、フルートは病室を出ようとして、思い出したように言った。
「あ、そういえば」
秋のベッドの傍の棚へフルートが向かう。
「この服はお前のか?」
そこから取り出されたのは秋の学生服だった。
「ああ、うん」
秋は手に取って確認した。間違いなく秋の制服だった。
「でも、どうして?」
「エマの隠れ家から回収されたものです。とは言っても、エマが華原さんに渡すように言ったのですけれど」
そういえば。
エマの名前を聞いて、秋はあることを思い出した。
「エマはどうなったんだ?」
半分、秋のせいで警吏局に囚われたようなものだ。それで彼女が死刑にでもなったりしたら、それはそれで気分が良くないように思われた。なにせ、エマは魔女であったのだから。
秋の問いかけにフルートが答える。
「安心していい。秋が魔法を阻止したおかげでエマ・シルバーシックが死刑になるようなことはないさ。まぁ、牢獄からは出られないだろうけど」
「そうか」
秋は受け取った制服に着替えはじめる。
「ちょ、秋!」
フルートが怒鳴った。
「?」
「首を傾げるな。女性の前で堂々と裸になろうとするんじゃないっ!」
「あ」
秋は頭を掻きながら、
「ごめん」
顔を真っ赤にするフルートに謝った。
今にも崩れそうな石造りの地下通路を秋とシャルル、フルートの三人は進んで行く。通路は人一人が通れる程度のサイズだ。これに崩壊でもされたら、たまったものではない。
「本当に大丈夫なのか?」
最後尾の秋は不安げな声を上げる。
「今にでも崩れ落ちそうなんだけど。ぱらぱら砂が落ちてくるんだけど」
「いやあ、危なそうですねー」
前を歩くシャルルは楽しそうに笑顔を浮かべていた。
「でも、何だかわくわくしますっ!」
「おい、シャルル。頼むから壁を触ったりしないでくれよ」
「え、何ですか、華原さん」
首を傾げながら振り向いたシャルルはすでに石で出来た心もとない壁を手ですりすり、と触っていた。
「何ですかじゃない! 触んな! マジで崩れるから!」
「大丈夫ですよー。華原さんって意外と心配性ですよね?」
「いやいや、正常な危機感だからね、これは。ほら、見てみろ。砂が――」
そのとき、がごん、と天井から石が落ちてきた。
「うおああああっ。だから、言っただろ。天井が! 天井が!」
軽くパニックになる秋と。
「おお、スリルがありますね!」
目をキラキラさせるシャルル。
そんな二人の様子にフルートがため息をつき、
「おい、大声で騒ぐな。ちょっとした声の振動で崩れるかもしれないぞ」
と、冷静にそう言った。
「「え」」
秋は勿論のこと、流石のシャルルもフルートの注意に固まった。
「もう少しで着くから、生き埋めになりたくなかったら、静かにしていてくれ」
「「……はい」」
秋とシャルルは素直に大人しくなった。
そして。
フルートの注意で探検隊が落ち着いてから、約十分。
目的の場所に秋、シャルル、フルートの三人は到着した。
狭かった通路の先には大きな空間が広がっていた。
通路から階段が伸びていて、その階段を下りると池のような場所に到達するようだ。
「ここから先へは私たちは行けない」
階段の手前でフルートが秋に言う。
「迷い人を元の世界に導くとされている泉だ。ここでお別れだな」
「何か、さびしいですね」
秋もシャルルと同じことを思っていた。
一緒だった時間は短いが、別れるのがさびしかった。
「結局――」
フルートが自虐的な笑顔で言う。
「結局、私たちは秋に何もしてやれなかったな。エマに振り回され過ぎた。……申し訳ない」
「いや」
秋はフルートの言葉を否定する。
シャルルもフルートも秋に対して何もできなかった、なんてことはない。
「シャルルとフルートがいなかったら、俺、死んでたよ」
土人形との戦い。
エマに切り裂かれたときの傷を癒してくれたシャルルの魔法。
エマに首を落とされかけたときの魔力凍結の魔法陣。
本当に秋は思う。
シャルルとフルートの助けがなかったら、今ここで息をしていないだろう。
それに。
「きっと二人がいなかったら、俺、ここまで来れなかったと思う」
仕事以上の感情で自分に接してくれるシャルルとフルートがいなかったら、途中で心が折れてしまっていたかもしれない。
「だから、ありがとう。シャルル。フルート」
秋は二人へ笑顔を向けた。
「本当にありがとう」
「はい。華原さんに出会えてよかったです」
シャルルは満面の笑顔で秋に微笑んだ。
「そ、そうか。こちらこそ、ありがとう」
フルートは少し、頬を赤らめて、秋から目を逸らしながらそう言った。
最後に秋はシャルルとフルートと握手をした。
柔らかく、力と感謝をこめて。
「じゃあ、さようなら」
そして、秋は階段へ一歩を下ろした。
元の世界に戻るための階段へ。
「ああ」
「さようなら」
シャルルとフルートは秋が泉へ降りていく様子をじっと見守る。
「?」
秋が階段を降りはじめて、泉からホタルのような淡い光が空間に漂い始めた。
キラキラ、と。
まるで秋の存在に反応するように、秋の体に集まってくる。
光の軌道に合わせて、水面が緩やかに波打つ。
それを眺めながら、秋は足を進める。
一歩。
また一歩。
そうして、ゆっくりと、一歩。
確かな足取りで秋は泉まで階段を降り切った。
水面に足を乗せると、靴の裏から淡い光が溢れだし、秋の体を水面の上に安定させる。
秋はシャルルとフルートを振り返った。
「ありがとう」
最後にもう一度、二人にお礼を言った。距離が離れているので聞こえなかったかもしれないけれど。
そして、その瞬間。
淡い光が秋の全身を包み込んだ。
ふわり、と体が軽くなって、心地よい温かさを感じる。
「華原さん――っ」
「秋――っ」
光の中で秋を呼ぶ声がした。
見れば。
シャルルとフルートが大きく両手を振っていた。
「シャルル、フルート、ありがとう――っ」
秋もシャルルとフルートへ大きく手を振った。今度は二人に届くように大きな声で名前と感謝を叫んだ。
次の瞬間。
淡い光に秋は飲み込まれた。
「行っちゃいましたね」
シャルルは秋が光に飲まれて消えた後の泉を眺めながら、切なげに言葉を漏らした。
既に淡い光は消失し、水面には一筋の波も揺れていない。
「どうやら、この場所は本物だったようだな」
「はい。やっぱり、さびしいですね」
ふん、とフルートがシャルルを鼻で笑った。
「私はさびしくなんかない。秋が元の世界に戻れたんだ。それでよし。さっさと仕事に戻るぞ」
フルートは足早に通路に向けて歩き出す。
「ちょっと、フルートさん」
シャルルがフルートの肩を掴んで、引き留めた。
「何だ?」
「こっち向いてもらえません?」
「何故?」
「いいから」
強引にシャルルがフルートを自分の正面に振り向かせた。
「や、やめろ」
シャルルと向かい合ったフルートは目を赤くして、そこに零れそうなほどの涙をためていた。
ぐすり、と鼻をすする。
「何、強がってんですか」
「放っておけ。余計なお世話だ」
はぁ、とシャルルは呆れたようにため息をついた。
「言いたいことがあったなら、ちゃんと華原さんに伝えればよかったのに」
「うるさい」
フルートの頬に涙が伝った。そして、その頬を膨らませる。
「言ったところで、どうせ秋は元の世界に戻るのだから意味はないだろう」
「まぁ、それもそうですか」
もう一度、シャルルはため息をついた。それからフルートを掴んでそのまま背中におぶった。
「シャルル⁉」
「クールに振る舞うのも良いですけれど、たまには心を休ませないといけませんよ? 医務官としてのアドバイスです」
シャルルはそのまま通路を進み始める。並んで通るには無理があるが、フルートをおぶった状態なら何とか通り抜けられた。
「泣きたいときは泣いていいんです」
「シャルル」
「さびしいですけれど、ネガティブな涙ではないんですから」
「……余計なお世話だ」
フルートはシャルルの背中に顔を埋めた。




