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 エマ・シルバーシック。

 混乱と混沌で。

 狂いに狂って、狂気になった魔女。

 普段は妖艶で金属のように冷たい雰囲気を漂わせる魔女。

 狂気のエマも、妖艶なエマも、それぞれ彼女の持つ性質ではあるけれど、本当の彼女は純水で、無垢で、明るい笑顔が似合う一人の女性だ。

 昔は良く笑っていた。

 楽しく、嬉しく、明るく笑っていた。

 そこには冷たさも、艶やかさも感じられなかった。

 本当に子どものように純粋無垢の天真爛漫だったのだ。

 しかしながら、人というものは簡単に変わってしまう。

 長い時間の中では勿論のこと、たった一つの出来事で人は変わってしまう。

 それはある良く晴れた昼下がりのことだった。

 一人の少女が魔女になるきっかけは、その日だった。

 小さな町の小さな一軒家。

 幼かったエマが家に帰ったとき、それはもう既に起っていた。

 そこにいたのは。

 小さな家に入りきらないほどの魔導師たち。

 怖い顔をした大人たち。

 そして、血を流した一人の少年。

 倒れた彼は息をしていなかった。

 エマは彼に駆け寄ろうとしたが、大人の魔導師によって遮られてしまった。強い力で取り押さえられ、外に放り出されてしまったのだ。

 それからのことは良く覚えていない。

 きっと、脳味噌が記憶を抹消しようとしているのだろう。人は嫌な事を忘れる生き物だ。

 多分、泣いていた。大声で叫んでいた。

 ただ、はっきりと覚えていることがある。

 それは。

 少年が殺されたということ。

 魔女として、殺されたということ。

 そこには意味も意義も正義もなかったということ。

 悲しみに襲われた。

 苦しみに犯された。

 そうして、悲痛と苦痛は時をかけて、憎しみへと変化した。

 いつか必ず、彼の仇を取ると決めた。

 奴らが恐れた魔女となって、奴らを裁くと決めた。

 それには己の命を代償としても構わない。大勢の人間を消すのだ。そのくらいの覚悟は持っていた。

 そして、あの日から、十五年が経過してようやく、復讐の日が訪れた。

 漆黒の闇で全てを壊す日がやって来た。

 なのに。

 それなのに。

 エマの復讐は一人の少年によって、叶わないものとなった。

 青い閃光に掻き消されてしまった。

 彼とよく似た風貌の少年。

 魔法を碌に使えぬくせに、たった一本のフランベルジェでエマを相手取る少年。

 まぁ、エマも魔法阻害の影響で碌に魔法を使えないのだから、対等であると言えば、対等なのかもしれないが。

 しかし、それでも解せない。

 どうして、こうも対等に渡り合えるのだ?

 どうして、こうも力強いのだ?

 何故、エマの過去を聞いても、この少年はエマの復讐を許さない?

 分からない。

 ただ、目の前にいる少年を許すわけにはいかない。

 復讐を妨げたことを許すわけにはいかない。

 華原秋。

 彼の首を落とさぬことには、エマ・シルバーシックの怒りは静まらない。




 白い鎌の刃を躱した秋はその手のフランベルジェをエマの左肩目掛けて振り下ろす。

「甘いわよ」

 しかし、秋のフランベルジェに対し、エマは鎌の柄で以て斬撃を受け流した。そして、防御のために回転させた鎌の勢いをそのまま利用して、力学的エネルギーを攻撃へと転換させる。鎌の刃で秋のフランベルジェへ打撃を加え、僅かに揺らいだ秋のバランスを見逃さず、不安定な足元へ足払いを仕掛ける。

「うおっ」

 足を払われた秋が地面に仰向けになって倒れる。

「はははははっ」

 狂気の笑い声をあげるエマは倒れた秋目掛けて鎌の柄の尖った先端を杭のように打ち付ける。

「くっそ」

 秋の上に宙を飛ぶエマが見えた。狂いの笑みを浮かべ、秋の身を貫かんと柄を振りかざす。

 が。

 すんでのところで秋は身を翻した。エマの攻撃を回避し、一旦、距離を取る。

 鎌が突き刺された地面がその衝撃で深くえぐられていた。

「往生際が悪いわね、カハラクン」

 エマが秋を振り返った。ギロリ、と不安定な瞳の気味が悪い。

「それはあんたです」

 頬の土を手でふき取りながら秋はエマと向かい合う。

 もう体は震えていない。

 生きると誓ったから、魔女の前でも震えはしない。

「それはどういう意味かしら?」

「言わなくても、わかるはずです」

「言われないと分からないわ。あなたのような人間の思考と私の思考を同じものだと思わないで頂戴」

 くるくる、とエマが鎌を回転させる。興味深そうに秋を眺めながら、ペロリ、と唇を舐めた。

「復讐だなんて、そんなくだらないことをしているじゃあないですか」

「それは往生際が悪いというのかしら?」

「まぁ、正確ではないかもしれませんけれど、復讐なんて、誰のためになりますか?」

「誰のため、ですって?」

 エマが鎌の回転を止め、秋を見据える。

「そんなものは決まっているでしょう。あの人のためよ。理由もなしに命を奪われた、あの人のためよ!」

 言って、エマが再び鎌を振りかざす。

「それは本当にその人のためになっているんです――か⁉」

 フランベルジェで鎌を受け止める。ずしり、と重たい一撃だった。秋の言葉でエマの力がさらに増してしまったのかもしれない。

「なっているわ。殺された人間がその相手を憎まないはずないでしょう」

「でも、関係のない人まで巻き込むことをその人が望みますか?」

「復讐のためならば、何人が犠牲になろうと関係ないわ」

「あんたが死ぬこともその人は望むっていうんですか?」

「望まれていなくとも、私は奴らを許せない」

 戦局はエマの斬撃を秋が防ぐという攻防が続いている。これは妥当な優劣だろう。いくらエマが魔法を阻害されているからといって、ここまでの人生の中で命のやり取りをしてきた場数は秋とエマでは圧倒的に違うのだから。

「それじゃあ、その人のための復讐にはならないじゃないですか⁉」

 重い一撃に秋の手首が力負けした。大きく体のバランスを崩されてしまう。

「そうね。華原くんの言うとおり、これはあの人のためではないのかもしれないわね」

 エマは自分に対して、広く背中を向ける体勢になった秋へ回転蹴りを見舞う。

「ぐあっ」

「なら、これは私のための復讐とでも言えばいいのかしら?」

 左顔面にまともな蹴りを食らった秋は地面を転がされるが、受け身を取りながらその体勢を立て直し、勢いが弱まるときを見計らって、立ち上がった。

「しつこいわよ」

 エマの鎌が秋の顔面をかする。頬に薄く、秋の血が滲んだ。

「私のための復讐で何が悪いの?」

 柄を複雑に操り、エマは鎌の刃と柄の先端で秋の首筋を狙う。

 一撃、二撃、三撃――――。

「復讐は憎むべき相手に行うものでしょう?」

 四撃、五撃、六撃――――。

「ならあの人を奪われた私の悲しみと苦しみを奴らにぶつけることの何が悪いっていうの?」

 七撃、八撃、九撃――――。

「他人を巻き込むな? あの人が望んでいるのか? 悟ったようなことを言うな。正義を気取るな」

 エマの鎌は絶え間なく秋を襲う。

 確実に、着実に、秋の生命を削り取っていく。

「奪われた者の気持ちは奪われた者にしかわからない」

 秋の頬に幾千もの切れ痕ができ、そこから血が流れる。

「殺された者の気持ちは殺された者にしかわからない」

 ネグリジェがいつの間にかボロボロになって、その下の肌からも血が滲み出ていた。

「私の気持ちは私にしか分からないでしょうが!」

 そして、とうとうエマの白色の鎌が秋を捕らえた。

 巨大な刃は秋の右肩から、腰までを切り裂いた。

 強引に血肉を引き裂く。

「……」

 声は出なかった。

 秋はただ斬撃の勢いに従って、その体を壊された。

 容器を壊された赤い液体が滲むことなく、一気に外界へと噴出した。

「へぇ」

 血をまき散らして倒れた秋を見下ろして、エマが唇を歪める。

「感覚補助だけでなく、プロテクトもされているのね」

 致命傷を負ったはずの秋は自分の体が思ったよりも異常を示さないことに疑問を抱く。あるいは本当に危険なときはこんなものなんだろうか、と思った。

しかし、傷口に目を遣ると、赤く引き裂かれた秋の体が白くまばゆい光を放っていた。

 その光を嫌そうに見ながらエマが言う。

「その治療魔法を施してくれた魔導師さんに感謝することね。それがなかったら、あなた死んでいたわよ?」

 光は慌ただしい動きで秋の肉体を再生していく。傷口が回復し、血管内の血液も再生される。秋はシャルルが医務官であるということを思い出した。

「まぁ、いずれにしたところで――」

 エマが身をかがめた。

「この首を切り落とせば、あなたは死ぬのだけれどね」

 秋の髪の毛を掴み、鎌を喉元に突きつける。

 そうして、狂気の笑みでエマが秋を見つめた。

 ――ああ。

 秋は夜空を仰ぐ。

 ――ちくしょう。

 今度こそ本当に終わりだ。

 あの夜の逃避行のようにはいかなかった。

 自力では乗り越えられなかった。

 生きられなかった。

 頑張ったのに。

 必死なのに。

 弱い者は死ぬ。

 人間社会の中で生きていると忘れがちになってしまうけれど、生物とは本来そういうものだ。弱肉強食。社会も社会で弱肉強食なのだけれど、高校生の秋はその辺のことはまだ良く知らなかった。

「では――」

 エマの鎌が秋の首を落とさんと、その刃を煌めかせる直前だった。

 本当の本当にギリギリのタイミングだった。

 唐突に。

 赤い光が秋とエマを取り囲む。

「⁉」

「こ、これは⁉」

 秋とエマが突然の赤光に驚いて足元を見ると、そこには半径二メートルほどの赤い陣が現れていた。

 六芒星がいくつも配置された魔法陣。

 秋は、はっと思い出す。

 右手の指にはめた魔法石の存在を。

 くるくる、と魔法陣の中の無数の六芒星が回転し始めたとき、二人の少女の声がした。

「華原さんっ!」

 シャルル・ホワイトエッジと。

「秋っ!」

 フルート・ブルーラック。

 二人の魔導師はその手に握った指輪を秋に認識させる。

「魔力凍結だ。指輪を陣の上に落とせ!」




 赤色に輝く魔法陣にエマは焦りの表情を浮かべた。

「小娘どもがっ」

 秋のもとへ駆け寄ってくるシャルルとフルートへエマは白の巨大な鎌を投擲した。しかし、放たれた鎌はフルートのレイピアとソードブレイカーによってあらぬ方向へと軌道を逸らされてしまった。

「調子に乗らせないわよ」

 エマは手のひらから無数のナイフを出現させる。

 魔法陣の中から移動しないことを見ると、エマは移動しないのではなくて、移動できないのだと秋は理解した。

「残念だけれど、魔力が回復してきたからね」

 現れたナイフは宙に停止していた状態から、エマが腕を横に動かす動作に反応して、勢いよくシャルルとフルートに向けて放たれた。

「残念なのは貴様だ、エマ・シルバーシック」

 対して、フルートはレイピアを青く発光させる。

「全開の魔力状態でなければ、恐れるに足らん」

 レイピアから放たれた青い閃光が無数のナイフを一気に打ち消した。

「ちっ」

 エマは舌打ちして、再度ナイフを出現させる。

「無駄だ」

 しかし、エマのナイフは同じようにフルートによって無力化された。

 その間に秋は指から赤い魔法石のはめられた指輪を抜いた。フルートの指示通りに魔法陣の中へ落とす。

 シャルルとフルートも秋と同じ指輪を魔法陣目掛けて、魔法で操る。

「ふざけないで頂戴!」

 エマはそれを阻止しようと白いナイフで応戦するが、フルートの青い閃光にまたしてもナイフは消滅させられる。

「この力は奴らへの復讐のためのもの。それを私から奪うなんて、許さないわっ」

 叫ぶエマにフルートが冷静に言う。

「私はお前のように自らの目的のために他人を食い物にする人間を許さない。警吏局の魔導師としては言ってはならないのだろうが、復讐を望むのならば、正々堂々、その憎き相手のところへ乗り込んで来い」

 そして。

 エマの抵抗も空しく、三つの指輪が魔法陣の中に落ちた。

 その瞬間、雷光のように魔法陣から激しい魔力が秋とエマを包み込んだ。

「え」

 自らも陣の中に入ってしまっていた秋は焦燥でフルートを見た。

「大丈夫だ。この陣は魔女特有の魔力にしか反応しないから、秋への影響はない」

 ほっと安堵した秋だが、突然、その首がエマの両手でつかまれた。

 消え入りそうな小さな声でエマが言葉を絞り出そうとしている。

「……カハラクン、カハラクン。私、間違っていたのかな?」

 彼女の頬に涙が流れた。

 一滴、二滴、三滴――。

「何が間違いだったのかな? 復讐の何が悪いのかな?」

 一段と強い赤色の雷光が魔法陣を包んでいく。

「あなたを巻き込まなければ、失敗しなかったのかな?」

 もう。

 エマ・シルバーシックは狂気も冷たさも艶やかさも失くしていた。

 ただ、そこに疑問と涙を浮かべるだけだった。

 その悲痛な表情が秋の胸を痛めた。

 体を利用され、命を使用され、生命を奪われかけた相手だというのに。

 何故か、今のエマを見ているのが辛い。

 安い同情ではなかった。

 何故か、悲痛なエマを見ていると、胸が辛くなってくる。

「私はどうすればよかったのかな? これからどうすればいいのかな?」

 もうどうしようもない、とは言えなかった。

「魔法も使えなくなるというのに」

 雷光が弾けた。

 エマの体を赤の光が焼き尽くす焔のように覆い始めた。

 秋は悲痛な顔で問いかけてくるエマに言う。

「正直、俺にはあんたがどうすれば良かったのかとか、これからどうすれば良いのかはわかりません」

 秋の首にかけられたエマの両手には力は込められていない。

「あんたの苦しみと悲しみも分かりません。だから、さっきの正義ぶったり、悟ったような物言いは俺の間違いでした。すみません」

「謝らないで頂戴」

「あんたの復讐は許されるものでも正しいものでもないけれど、きっと間違いでもないのかもしれません」

「曖昧なことを言うのね」

 エマが目を細めた。少し、初めて遭遇したときのような雰囲気が醸し出された。

「でも、自分の命を捨てようなんてことだけ考えないでください」

「――どうして?」

「きっと後悔するから」

 秋はエマの目を見つめた。

 赤い雷光の激しさが増す。

「皮肉な話ですが、これはあなたに出会って俺が知ったことです」

 闇市で売られ、ニコルの下で働かせられ、襲撃の中から逃げ出した。その中で秋は生きることを感じた。きっかけはエマだったのだ。

「きっと後悔するんです。自ら死んでしまったら」

 エマも秋の目を見つめ返してきた。

「そして、復讐も同じ。やってしまったら、きっと後悔します。あの人はこんなものを望まなかったんじゃなかったのかって。やる前はそう信じていたのに、終わった後に疑問に感じるかもしれません」

 赤い雷光がバチバチ、と音を立てる。

 エマの顔に苦痛が奔った。おそらく、魔力の凍結がピークにさしかかったのだろう。

「また知ったような物言いになってしまいましたけれど、俺はそう思うんです」

 そう言い終えた秋にエマはただ一言、

「そう」

 と、だけ言った。

 ふ、と。

 最後に妖しく笑って。

 秋の言葉を否定も肯定もせずに、エマはただ唇を歪めたのだった。

 そして、魔力凍結の赤い雷光がエマを完全に飲み込み、秋とシャルル、フルートを吹き飛ばした。

 赤色が煌めき、轟音が轟いた。

 しばらくして、全てが停止した。

 騒がしかった夜が落ち着きを取り戻す。


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