10
ゆらゆら、と赤黒い土人形が揺れる。
人の形をしたそれは顔に当たる部位に様々な表情を映し出していた。
泣き顔。笑い顔。怒り顔。
寂しそうな顔。悲しそうな顔。恨めしそうな顔。
そして、能面。無表情。
「……」
秋は自分の顎ががくがく、と震えているのを感覚する。それに足も痙攣のように震えてしまい、立っているのが精一杯だった。
無数の土人形に囲まれて秋は恐怖で我を失いそうだった。
不気味とか。
恐怖とか。
自分でもどのような感情を感じているのか分からないくらい、頭が真っ白だった。
だから、赤黒い塊が一斉に秋に飛びかかって来ても、秋は手にしたフランベルジェを振るうこともできない。土人形の攻撃を躱すことすらできない。
「華原さんっ――――!」
シャルルの叫ぶ声が聞こえた。
秋は助けを求めようとしてシャルルの方を向いたが、すぐに数体の土人形に押し倒されてしまい、視界を奪われる。
赤黒い土人形は秋の腕と脚を掴み、喉を絞め、髪を引っ張る。
「――っ!」
筋肉を潰される。
骨格を曲げられる。
空気を奪われる。
痛い。痛い。痛い。痛い。
苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。
「――クソ野郎っ!」
秋はかすり声で叫んだ。
そして、フランベルジェを手当たり次第強引に振り回す。
もう不気味だとか、怖いなどとは言っていられなかった。土人形に襲われて、痛みを感じたことで恐怖心よりも生き残ることへの本能が秋の脳内でその濃度を高めた。
恐怖で身動きができなかった体が一転して、無我夢中に斬撃を四方に撒き散らす。
フランベルジェに切り裂かれた土人形は意外にもあっさりと崩れるようにして壊れていった。
身に纏わりついた土人形を一掃したところでシャルルが秋の隣まですり足で近づいてきた。
「怪我はありませんか、華原さん」
「うん。問題ないみたい」
そう秋は言ったが、実は土人形に触れられた手足がじんじん、と痺れるような感覚になっていた。それでも、動作に特に問題はないようなので、シャルルを心配させないために秋は敢えてこのことは口にしなかった。
「すみません、華原さん。思いっ切り危険な目に遭わせてしまっています」
「いや、自分の体を取り戻すためだから、これくらいの苦労は惜しまないよ」
苦労。
これも秋が長い間放棄してきたものだ。
「繰り返しになりますが、私は戦闘はあまり得意ではありません。それでも運動能力の補助や治療はできますので何かあったら言ってください」
「わかった」
秋は痺れのことを言おうかなと思ったが、いつの間にかその感覚はさっぱりとなくなっていた。
秋とシャルルを取り囲んでいる土人形が重心を低くする。
「来ますよ」
言って、シャルルから白い光が瞬いた。その光は秋とシャルルを包むと、数秒して霞むようにして消えた。
「感覚補助の魔法です」
秋とシャルルは背中合わせになって、土人形の迎撃態勢を整える。
「多少の違和感があると思いますが、すぐに慣れると思います」
秋はフランベルジェを構え直した。護身用としてフルートから預かったフランベルジェだが、まさかこんな状況になって本当に刃を振るうことになろうとは。
秋は白光を受けて、瞬きをする。若干の違和感を覚えたが、気になるほどではなかった。
「大丈夫。慣れたみたい」
自身に飛びかかってくる土人形の動きが先ほどよりもいくらか遅くなって見えた。そして、その加速された感覚に体の動きも伴う。
おそらく、シャルルの魔法で動体視力と脳味噌からの電気信号の伝達が強化されているのだろう。
「早いですね。華原さん、魔導師向いているかもですよ」
「あんまり油断しちゃうようなことは言わないで」
秋は苦笑いを浮かべる。褒められると弱いタイプなのだった。
次の瞬間、一斉に土人形が二人を目掛けて飛びかかってきた。
正面に迫ってきた土人形をフランベルジェで切り裂く秋。
続いて左側から飛びかかってきた土人形三体を体を回転させながら破壊すると、そのままシャルルと立ち位置を交換するようにして、正面に現れた土人形二体を粉砕する。
打ち合わせなしのコンビネーションとしては上出来以上に出来過ぎた立ち回りだった。
「やりますね、華原さん」
シャルルが長剣を大振りに振るい、土人形の一団を粉砕すると、身を翻して秋と再び位置を入れ替え、背中を合わせて土人形の群れと相対する。
土人形が動くと同時に秋とシャルルも刃を光らせる。
秋は自身の死角から迫ってきた土人形の処理をシャルルに任せ、逆にシャルルの死角の土人形を粉砕。
「その立ち回りは天性の才能かもしれませんよ」
「だから、油断するって」
次々に飛びかかってくる土人形を秋のフランベルジェが引き裂き、シャルルの長剣が粉々にする。
時には二人の位置をトリッキーに入れ替え、時には単純にポジションチェンジして土人形を効率よく撃破していく。秋の死角をシャルルが補い、シャルルの死角を秋がカバーする、ということも同時に成し遂げていく。
しかしながら、数が多すぎる。
いくら土人形を破壊しても、その群れの向こう側が見えない。故にフルートとエマの戦いがどうなっているのかがわからない。エマの動きを封じれば土人形が消えてなくなるのかどうかは分からないが、いずれにしても秋とシャルルがそのコンビネーションで土人形を迎撃できなくなるのは時間の問題だ。
土人形を撃破していくごとに二人のコンビネーションは完成度を増していくが、同時に二人の額に汗が光り、息を荒くしてゆく。
「どんだけいるんだっ」
秋がフランベルジェで数体の土人形をまとめて薙ぎ払う。
「限がないですねっ」
シャルルも長剣で周囲の土人形を一掃する。
が。
消えてなくなったスペースをすぐさま新しい土人形が埋めてくる。
ゆらゆら、と。
微笑むように、泣きつくように、怒鳴りつけるように、あるいは能面のままで秋とシャルルの視界を赤黒く染め上げてくる。
荒くなった呼吸を落ち着かせる暇もない。
フランベルジェを握る秋の手がいつの間にか汗でぐっしょりだ。
「私たちではこの人形を迎撃するのが手一杯ですね」
「うん。でも、私はそんなに体力ないからやばいかも」
長年の運動不足が秋の体に悲鳴をあげさせる。ここまでよく頑張ってきたがそろそろ手足が言うことを聞かなくなってきてもおかしくはない。
「フルートさんが何とかしてくれるまで頑張りましょう」
シャルルが秋を力づけるように言う。シャルルも呼吸が乱れているが、まだ体力に余裕はあるようだ。
「了解」
秋はもう一度、フランベルジェを握る手に力を加える。
まだまだ赤黒い視界の外は見えてこない。
フルートは秋とシャルルが驚異的なコンビネーションで以て赤黒の土人形を次々と撃破していく様子を見て、ホッと胸をなでおろした。
彼女たちからはフルートの状況を確認する余裕はないようだが、フルートは二人の勇姿を見る余裕があった。
ほんの一瞬。
本当に一刹那だったが、それがフルートの頭から二人への心配をいくらか取り払ってくれた。これで心おきなくとは言えないが、それ相応の心持でエマを相手取れる。まぁ、いずれにしても早く二人の加勢に回らなければならないのは変わらないのだが。特に秋の体力が長く持つとは考えられない。
フルートが秋とシャルルの様子を確認できたのは、彼女が天井近くまで飛び上がっていたからだ。
これはエマの攻撃を回避すると同時に、次の攻撃を仕掛けるための動作でもある。
重力の作用で床に落下するフルートはレイピアの切っ先の照準をエマに合わせる。そして、魔力を両腕から経由し、両の手を接触面にしてありったけの魔力をレイピアに注ぎ込む。
淡い青色がレイピアから発光される。
「あらまぁ。これはいけないわね」
エマが初めてフルートに対して警戒の表情を向けた。鎌を構える行為を中断し、現在の立ち位置から即座に移動する。
「動いても、無駄だ」
レイピアの切っ先はエマから外れない。
そして、青の光の奔流が勢いよくレイピアから放出され、エマを飲み込んだ。
ゴウッと大広間が激しく振動する。室内の調度品が衝撃で吹き飛び、天井のシャンデリアは全て床に落下して、キラキラと空しく砕け散った。
それで終わりではない。
煙に浮かび上がったエマのシルエットに向かって、フルートは魔法で加速し、レイピアを突き刺す。
「残念、直撃はしなかったわよ」
エマが白い鎌でフルートのレイピアを受け止めた。
直撃はしなかったというが、煙の中から現れたエマの姿は切れ切れのボロボロだった。ドレスが引きちぎれ、髪の毛もボサボサに飛び散り、肌も茶色く汚れている。
「ふん。その様なら直撃に値する」
フルートは大きな鎌の刃を両足で弾き、そのまま後方へ身を翻す。宙で一回転し、華麗に着地してみせる。
「あら、随分と自己評価が甘いようね」
身なりをボロボロにされても、相変わらずエマは余裕そうに妖しく、ふふふ、と笑った。
そうして、鎌をくるくる、と回転させてから、フルートに向かって突進を繰り出してくる。
対するフルートはレイピアの切っ先から、先ほどの光の奔流ほどの威力には及ばないものの、青い閃光を放った。威力がない代わりにその数は三十発ほどに増加している。
フルートが放った閃光は直線的に突っ走ってきたエマに今度こそ綺麗な形で直撃した。
「――――っ!」
全弾命中し、エマが勢いよく後方へ吹き飛ばされた。
「……」
その様子を見て、フルートは眉を顰めた。
――何かおかしい。
フルートの中に疑問が生じる。
何故、魔女のくせに物理攻撃しか行ってこない?
何故、フルートのように魔法攻撃をしてこない?
「おい、エマ・シルバーシック」
煙の中からヨロヨロと立ち上がるエマにフルートが言葉を放とうとして、フルートはその言葉を飲み込んだ。
ぎくり、と驚いたからだ。
「何かしら?」
妖しげな笑みを浮かべて返事をするエマの顔面の半分が消失していたのだ。卵形の綺麗な形をした頭部をざっくりと斜め上から切り落とされたように。
「……そ、それは?」
「それは? 酷いわね。あなたがやったことでしょう」
ニヤニヤ、と顔を半分失くしてもエマはなお妖しげに微笑み続ける。
その断面から血液は流れていなかった。その頭蓋骨の中に納められているはずの生体物質も確認できない。ただ、腐った卵を包丁で半分にしたような見た目が気色悪かった。
「ふふふふふ。どう? 少々グロテスクになってしまったかしら?」
フルートは奥歯を噛んだ。
「貴様、まさか……」
「まさか――何でしょう、お嬢ちゃん?」
小馬鹿にするようにエマが笑う。一方のフルートは取り合わないで、自身の推測を口にする。
「貴様自身も土人形か?」
今も続いている赤黒い土人形との秋とシャルルの戦闘。
それを眺めるエマのドレスと白い肌がボロボロ、と崩れ出した。
赤黒く変色し始めたエマはそこに残された片目をフルートに戻す。
「まぁ、こんな姿になって誤魔化しは効かないと思うから、正直に言うけれど、あなたの言うとおりこの私は土人形よ」
フルートの顔に悔しさが滲んだ。
どうしてもっと早い段階で気がつくことができなかったのか。
土人形のエマの崩壊はさらに悪化していく。
「何処かは教えてあげられないけれど、遠い場所からあなたたち警吏局の頑張りを観察させてもらっているわ。つまり、今現在あなたたち三人を含むすべての警吏局の魔導師はダミーの私と交戦中というわけね。ご苦労様」
穴だらけになった両腕で土人形のエマが拍手をする。が、叩いた両手がボロボロ、と壊れるだけで音はしなかった。
「褒めてあげるわ。ダミーの私をやっつけたのは見た目九歳児ちゃんが一番。それに私を偽物と見抜いたのもあなたが一番乗りよ。優秀ね。ふふふ」
原型をとどめていないエマの顔がそれでも妖しい笑みを形成しようと歪に蠢いた。
「これから私は私の目的を実行させてもらうから――――……」
「おいっ」
エマが何かを続けようとしたとき、エマを形作っていた土人形は完全に崩壊した。ドレスも女性としてのシルエットも失い、さらさらの赤黒い砂だけが床に残った。
「やられた」
フルートはレイピアを悔しさのあまり床に思い切り突き刺した。
しばらくしてから、はっと気がついたように秋とシャルルの方を振り向く。
果たして。
フルートの視線の先の秋とシャルルを取り囲んでいた赤黒い土人形の群れは偽物のエマと同様に砂と化して床に散らばっていた。
そして、疲労困憊といった表情を浮かべる秋がシャルルの肩を借りて立ち上がる様子が見えた。
「まぁ、一先ずは、安心か」
フルートは安堵の溜め息を漏らした。
エマを捕らえることも秋の体を元に戻すこともできなかったが、魔女との戦いを秋が無事に乗り越えたことが一番重要だった。




