怠惰広報委員の話。
私の通っていた小学校では高学年になると委員会へ勧誘される。クラスでも「立候補してくれる人いるかな?」と当時の担任である立川先生が目まぐるしく飛躍しながら勧誘していたのを覚えている。私は『無軌道台風』として完全体になりつつあったが、相変わらず学校では大人しく落ち着いていた。そんなチワワのように非力な私の心に浸け入って立川先生は私を広報委員へといざなった。
初めは首を振った私も、『ダイ君』や『しおっち』や『オーガ』などが委員に入ることを知り、やむを得ず広報委員の肩書きを請けた。広報委員の仕事は校門にある看板に月別で自主制作ポスターを張ることであり、隙あらば落書きを嗜んでいた私に才能を使い道を善導しようと立川先生なりに考えたのかもしれない。
しかし、思惑とは裏腹に私は当初から怠惰広報委員であった。
広報委員は男子七名、女子四名で構成されて正いて、門と裏門のポスターが必要になるため二グループに分かれることになった。単純に男子と女子でわかれたのだが、女子は毎回のごとく締め切りを守り、男子は数が多いにも関わらず締め切りに追われる漫画家のような日々を送っていた。なにゆえそうなったのか。
全員に責任があると言えばあるのだが、確実に私の怠惰オーラに他のメンバーが影響されたのは言うまでもない。
ここまでが経緯であり、共感求む話はここからである。
むやみにポスター作りに参加することを拒んできた私だが、なぜか別グループの女子にちょっかいを出していた。もしも、当時の自分がそこにいるのならば腹を抱えて四階の窓から放り捨ててしまいたい。しかし、無軌道台風であった私は何の躊躇もなく『怪物油魔物』とあだ名をつけたり、作品のアイディアを盗み見て見事に模写したり、教室で暴れたりした。
そして、広報委員の話は『ダイ君の恋』へと続き、私の女子へのちょっかいは『アンドレの逆襲』へと続く。
さてさて、皆様。私はこのことを多大に後悔している。なぜ自分から嫌われるような所業の数々に手を染めたのか。今でも理由は解明されていない。
他にも幼少の頃に女子にちょっかいを出して後悔した人はいないであろうか?
共感求ム。