石川先生の話。
私は二年生の頃に転校したが、石川先生とはそこで知り合った遊牧騎馬民族並の心を持った破天荒な教師である。まさに前代未聞の教師であり、竹刀を校内で持ち歩き、悪しき生徒を見掛ければすかさず頭を小突く。学校に必要ないものは持ってきてはいけないという不可侵条約をことごとく承諾する。毎日のように同じ服を着ているという教師ならぬ清潔感の欠如。憚りながら私には石川先生が悪魔に見えた。
特に転校初日の昼休みが壮絶であった。いたるところでポケットゲーム、カードゲーム、ボードゲームが繰り広げられ、私は都市学校の現状を目の辺りにしたような気分になった。しかし、話を聞くところによると、この現状は石川先生なる担任による手引きであるらしく、他のクラスでは行われていないらしい。転校生の初日というのはとにかく歓迎されるもので、男女の隔たりなく色んな所から遊びの誘いが掛かる。私は男子集団にとっ捕まえられてカードゲームをした。学校では落書きか折り紙をしていた女々しい私の純潔なハートが見る見るうちに汚れていくように思えた。その日の晩に母から「学校どうだった? 担任どんな人?」と訊かれたが私はむやみに答えなかった。
そして、二ヶ月ほど経って私も学校生活に慣れてきた時のことであった。図書の時間というものがあって、貴重な一時間をことごとくどぶに捨てて本を読むわけでもなく喋って無益な時間を過ごす授業であったが、皆ゆとり教育もままならぬ好き勝手なことをしていたので、私も便乗して走り回っていた。友達と鬼ごっこをして本棚を何度も逃げ回り、大声を上げて笑っていた。
すると、遅れてきた石川先生が図書室に入ってきて、鬼ごっこをしている私達を見るなり怒鳴りをあげた。そして、目の前に私達を呼び出し、説教のときは拳で小突くため、もはや使用用途が掴めなかった竹刀をついに振り上げて私達の頭を思いっきり叩いた。私は未だに石川先生の怒りを買ったことがなかったので、少し驚いた。
「お前たちがやって良い事と悪い事を区別できるように――自分の意思で行動できるように自由にしてるのに、これじゃあ、何の意味もないぞ! 図書室では静かにしないと駄目なんだ! どんな自由な環境に置かれてもルールだけはやぶっちゃいけないんだよ!」
今まで適当に職員生活を送っていると思っていたから先生のその言葉を聞いて目が潤んだ。本当は教室におもちゃは持ってきたらいけないけど、いつか自分達自身がそれに気付いて自己的に持ってくるのをやめるのを石川先生は望んでいた。いつも持ち歩いている竹刀は生徒からプレゼントされたもので嬉しかったから持ち歩いている。貧乏でいつも服が一緒の生徒がいたから、考慮して自分も服を着替えなくなった。それが石川先生の本意であるとのちに知った。
見失っていた本当の自分が戻ってくるようだった。
そして、時は八年後に飛ぶ。
高校一年生の冬。私は『まさ吉』と大手電気家具店へ暇つぶしに来ていた。CDコーナーやGAMEコーナーを見て回り、マッサージチェアでくつろぎ、3Dテレビで一驚し、携帯電話を見てそろそろ帰ろうとなった時である。すぐ横を見覚えのある顔が通った。
「石川先生じゃね?」
まさ吉は苦笑いでそう言った。
対する私は振り返ることができなかった。「多分……」と無表情でうなずく。八年の間会ってなかったので、何だか気まずかった。すると、まさ吉が思い出すように呟いた。
「確か石川先生って学校辞めさせられたらしいよ。女子生徒に手を出したって」
「えぇ!」
「まあ、適当な先生やったけんな。気まぐれでそういうことしてもおかしくないわ」
私は黙り込んだ。しかし、石川先生がそんなことをしたというのは信じない。いや、きっとしていないであろう。それか何かの間違いだ。彼は学校で唯一無二の先生であった。私はあれから沢山の素晴らしい教師に出会ったが生徒のために不必要な物の持ち込み許可をして、生徒のために竹刀を持ち歩き他の教師から敬遠され、生徒のために服を着替えなかった先生は未だ見ていない。
「多分、間違えじゃないかな」
私はすかした顔でそう言い返した。
気持ちが楽になった気がして私は振り返った。
すると、彼が商品棚の一角を曲がるのが見えた。
その手に、竹刀が持たれているような気がした。
共感求ム。