タイトル
男の父は大手都市銀行を退職後、再就職することもなく、自宅二階の大きな洋間を占拠し、「画家になる」と油絵を描き始めた。
その一年後、母が出て行った。父の亭主関白に嫌気がさしたとのことだった。
そんな父の世話のため、母がいなくなって始まった男夫婦の同居も四年になろうとしていた。父が『金曜日に花を買って』を実践していたからか、ずっと描き続けているのは生花だけだった。
「生花の美しさ。造花にはない、みずみずしさ、生気がよく描けているだろう。背景を、あえて汚れた感じにすることにより、生花を際立たせる。『掃溜めに鶴』ということだよ。俺は花の画家として、歴史に名を残すことになるだろう」父はいつも男夫婦に自慢している。
「そんなに、自信があるなら、どこかのコンクールで入選してみてよ。描き始めて、もう随分経つよ、そろそろ出品してみたら?」男はキチンと並べられた多くのキャンバスを見ながら、言った。
「よく言ってくれた。俺は、五年間は描き溜めてから、世に出ようと思っていた。一つの作品で有名になっても、後が続かないとみっともないからな。今月で描き始めて、丁度、五年になるし、お前が言うとおり機は熟した。これだけ在庫があれば、まあいいだろう。俺もメジャーの仲間入り。そして妻も帰ってくるだろう」
父は意気込んで『生気』というタイトルを付け、絵画コンクールに出品した。
「こんな地方の小さなコンクール。入選は当たり前だ。特選か最優秀賞のどちらかだろう」父は自信を持っていた。
結果は落選だった。
「まあ最初だから、どれでもいいと思い、自信作を出さなかったからな。今回は油断したよ。百獣の王、ライオンはどんな獲物を捕る時でも全力を尽くすと言うからな、次回は全力で立ち向かう。審査員もびっくりするぞ」父は相変わらず自信満々であった。
翌年のコンクール、「俺の自信作を出してやろうじゃないか。大きさも最大の五十号で勝負だ」と父は出品した。
結果は二年連続の落選であった。
「今年は、俺の代表作で勝負する。これは手元に置き続けようとしているもので、公開する気はなかったのだが、背に腹はかえられぬ。背水の陣だ。まさに三度目の正直になるぞ」父は意地になっていた。
結果は三年連続の落選であった。
「どうして、俺の生花の美しさが分らないのか。審査員がおかしい。自分の教え子をひいきしている。審査を公開にしろ。ずっと同じ審査員もおかしい」父は審査の方法に異議を唱えた。
父の意見が認められたのか、次の年からは審査員が毎年変わるようになり、審査も公開となった。
「これで、最低でも入選は決まったようなものだ。審査員が、ちゃんと審査さえしてくれれば、タイトル通り生気を感じるはずだ、問題はない」父は胸を張って出品した。
結果は四年連続の落選であった。
「やはり、この地方のコンクールの主旨と俺の作品の気風が合わないのだろう。全国規模のコンクールでないと、審査員が俺のレベルに達していないということだ」
父は強気で全国規模のコンクールへの出品を始めた。
タイトル『生気』の落選は終わることなく、果てしなく続いた。
そんな状況でも絵を描き続けた父、「俺の絵は死んでから評価されるから、大切に保管しておけよ。俺は生まれるのが早すぎた。ゴッホと同じだ」という遺言を残し、最初の出品から十五年目に逝った。
遺品分けも無事に終わり、引き取り手のない大量の絵画だけが残った。
「狭い家だし、絵を全部捨てましょうよ」妻が洋間一杯に並べられた千点余りの油絵を見て、言った。
「遺言のこともあるし、すぐには処分できないよ。せめて、一周忌までは置いておこうよ」男は同意を求めた。
「仕方ないわね。しかし、おとうさん、こんな花ばかりよく描いたわね。花びらの色も鮮やかでないし、ちっともきれいじゃない。美しさのピークが過ぎて、捨てられたって感じかな」妻が笑いながら言った。
「そんなことを言うな」男は妻の言葉に共感するものの、父を哀れに思う余り、つい怒鳴ってしまった。
「あなた、これをきれいだと思うの? この花、生気ある? 枯れてない? 完全に終わっているわよ。私は哀愁さえ感じるわ」壁に掛けてある絵を見ながら、妻は静かに言った。
「確かにそうだな」男は寂しく笑った。
男は父の絵を、十五年前、最初に落選したコンクールに再び出品した。
二ヵ月後、審査結果が送られてきた。男は父の仏壇に報告をした。
「おとうさんの絵がとうとう入選しました。タテ長の絵をヨコにして出しました。タイトルは『宴の終わり』と付けました。審査員評を読みますよ。『役目を終えた花が無造作にゴミ捨て場に捨てられている。かつての美しさはなく、色はあせ、生死の境にいるような様がよく描かれている。自分にも若くて、みずみずしい時期はあったのに、今はこうなってしまったという作者自身の心境なのか、寂寥感がよく表現されている』どうですか? やはりおとうさんの絵は評価されましたよ」男は入選の通知書を仏前に供えた。
翌朝、父の位牌がこけていた。
「看板に偽りなし」であれば人は微笑み,「看板に偽りあり」であれば人は激怒します。自信がない人は看板をできる限り下げておきましょう。下げ過ぎて「看板に偽りあり」と言われても,そういう時は,人は怒らず,「謙虚だね」と微笑んでくれます。




