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幼馴染みと暮らしたかっただけなのに、なぜ俺の人生は終わるんだ  作者: 九葉(くずは)


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第2話「歓迎」

リーゼの笑い声が、石の廊下に響いた。


高くて、軽くて、どこか懐かしい音。子供の頃と変わらない。公爵邸の重い空気が、その声ひとつで揺れるようだった。


「クラウス、すごい! こんなに広いお屋敷に住んでるの?」


玄関の広間で、リーゼはくるりと一回転した。淡い桃色のドレスの裾がふわりと広がる。旅の疲れなど感じさせない。男爵家の令嬢にしてはやや大げさな振る舞いだが、それがリーゼだ。場を明るくする才能がある。


「ああ。広いだけで、中身はたいしたことない」


「もう、そういうこと言うの。――あ、あそこの噴水、素敵!」


リーゼが中庭のほうを指差した。石造りの噴水から、透明な水が絶えず流れ落ちている。朝の光を受けて、水面がきらきらと光る。


「あれはフィーネが――」


言いかけて、やめた。噴水の水がどこから来ているのかなど、リーゼに説明する必要はない。


「素敵ね。毎日あれを眺められるなんて」


「ああ」


背後で、使用人たちが整列しているのが気配でわかった。エルンストが低い声で「リーゼロッテ様をお迎えいたします」と告げると、侍女たちが一斉に頭を下げる。


その動きが、いつもより硬い。


気のせいだろう。


◇◇◇


リーゼを部屋に案内した後、俺は厨房のほうから声がするのを聞いた。


「ねえ、今日の夕食なんだけど、もう少し華やかにできないかしら? お客様が来たんだから、いつもの質素なものじゃなくて」


リーゼの声だ。もう厨房に顔を出したらしい。行動が早い。


「恐れ入りますが、献立は奥様より指示をいただいております」


料理長の声が、丁寧だが壁のように硬かった。


「奥様? ああ、フィーネさんのこと? 大丈夫よ、クラウスが許可してくれるわ。ね、もう少し彩りのある――」


「恐れ入りますが」


料理長が同じ言葉を繰り返した。リーゼが黙った。


俺は廊下で立ち止まったまま、結局声をかけずに通り過ぎた。リーゼはただ気を利かせようとしただけだ。慣れれば、うまくいく。


――慣れれば大丈夫だ。


そう思ったが、胸の奥に小石が落ちたような感触が残った。なんだろう。気にするほどのことではない。


午後、リーゼが屋敷の中を歩き回っているのを見かけた。客間、応接間、図書室。どの部屋を覗いても感嘆の声を上げている。


「この部屋の絨毯、素敵ね。模様が細かくて」


「フィーネが選んだものだ」


また妻の名前が出た。この屋敷のあらゆるものに、妻の選択の痕跡がある。壁にかけた織物も、廊下に置かれた花瓶の位置も、窓辺のカーテンの丈も。五年かけて、フィーネがひとつずつ整えたものだ。


俺はそのどれにも口を出さなかった。口を出す必要を感じなかった。


リーゼは応接間のソファに座って、侍女にお茶を頼んだ。侍女がちらりとこちらを見た。俺が頷くと、「かしこまりました」と下がっていく。


「ねぇ、私もここで暮らすようになったら、この部屋を使ってもいい?」


リーゼが両足をソファに引き上げて、子供のように膝を抱えた。男爵家ではソファに足を上げたりしなかったろう。いや、リーゼの実家は堅苦しいところだったから、むしろその反動か。


「好きにしていい」


「本当? じゃあ、カーテンの色を変えてもいい? もう少し明るい色がいいの」


「ああ」


答えながら、ふとフィーネがこの部屋のカーテンを選んだ時のことを考えた。


考えようとして、何も浮かばなかった。そもそも、その場に俺はいなかったのだ。


◇◇◇


夕食は、三人で取った。


いや、正確には三人で同じ食卓についた、と言うべきか。


リーゼが話し、俺が相槌を打ち、フィーネは黙って食事を口に運んでいた。


「ねえクラウス、明日はお庭を案内してくれる? 薔薇園があるって聞いたの」


「薔薇はないが、銀木犀なら中庭に」


「銀木犀! いい匂いがするんでしょう? 楽しみ」


リーゼが俺の腕に手を添えた。温かい手のひら。


その向かい側で、フィーネが蜂蜜水のグラスを置いた。音はほとんどしなかった。視線はテーブルの上の一点に据えられている。


「フィーネさんもご一緒にいかが?」


リーゼがフィーネに声をかけた。悪気はない。むしろ気を遣っているつもりだろう。


「お気持ちだけ。明日は水路の点検がございますので」


フィーネの声は平坦で、温度がなかった。怒っているようにも、悲しんでいるようにも聞こえない。ただ、事実を述べているだけ。


「お仕事熱心なのね」


リーゼがそう言って微笑んだ。フィーネは何も返さなかった。


食後、フィーネは「失礼いたします」と一言残して席を立った。その背中を見送りながら、リーゼが小さく息を吐いた。


「難しい方ね」


「ああいう人なんだ。気にしなくていい」


俺はそう答えた。間違ったことは言っていないはずだ。フィーネはああいう人で、リーゼはこういう人で、俺はリーゼを選んだ。それだけのことだ。


――それだけの、ことなのに。


フィーネのグラスには、蜂蜜水が半分残っていた。彼女はいつも、食事を残さないのに。


気づかなかったことにした。


◇◇◇


夜。


自室に戻る前に、何気なく窓の外を見た。


中庭を挟んだ向こう側に、フィーネの部屋がある。灯りがついている。いつものことだ。


ただ、今夜はその灯りが、いつもより暗く見えた。


――いや、そんなはずはない。同じ蝋燭を使っているのだから。


リーゼの部屋のほうを見ると、そちらも灯りがついていた。カーテン越しに影が動いている。荷解きをしているのだろう。


二つの灯り。


片方が消えるまで、俺は窓の前に立っていた。フィーネの灯りが先に消えた。深夜過ぎ。リーゼの灯りは、まだついていた。


部屋に戻って、寝台に横になる。天井の石組みの隙間に蜘蛛の巣がひとつ。フィーネなら気づいて掃除を手配するのだろうが、俺は今まで気にしたこともなかった。


明日から、この屋敷は変わる。


リーゼがいれば、この重たい空気が軽くなる。石壁が少しだけ温かくなる。そうなるはずだ。そうならなければ、おかしい。


目を閉じると、使用人たちの硬い表情が浮かんだ。


あれは何だったのだろう。


考えかけて、やめた。明日になれば慣れるだろう。リーゼの明るさに、みんな慣れる。


そう信じて、俺は目を閉じた。眠りは、思ったより早く訪れた。


廊下の向こうで、フィーネの巡回の足音は、いつもと同じ時刻に響いていた。俺はもう、聞いていなかった。

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