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落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「応挙の幽霊」

作者: 霧夜シオン
掲載日:2025/08/08


落語声劇「応挙(おうきょ)の幽霊」


台本化:霧夜(きりや)シオン@吟囁亭喃咄(ぎんじょうていなんとつ)


所要時間:約20分


必要演者数:3名

      (0:0:3)

      (3:0:0)

      (2:1:0)【性別準拠人数比率】

      (1:2:0)

      (0:3:0)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品

 に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。

 それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。



●登場人物


道具屋:古道具屋(ふるどうぐや)の親父。得意先の若旦那(わかだんな)に頼まれて、幽霊の描(か)かれた絵

    を集めていたが、ある時いい絵を格安(かくやす)で仕入れることに成功する

    。


若旦那:古道具屋のご贔屓(ひいき)。

    とにかく幽霊の描(か)かれた絵が好きで、書画(しょが)をコレクションしてい

    る。


女幽霊:円山応挙(まるやまおうきょ)作の掛(か)け軸(じく)に描かれた幽霊。

    生臭(なまぐさ)のウナギは食うし、酒は呑(の)むしで、他の噺(はなし)からしたら、

    「精進(しょうじん)忘れたかァーッ!?」とか言われそう。(さんま芝居参照)

    陰気な内容ながら都都逸(どどいつ)まで唄(うた)える。さすがもと芸妓(げいぎ)。


お咲(さき):道具屋さんのご近所さん。

   奥さんを失くした道具屋さんを気に掛けてあれこれ世話を焼いてく

   れる。


●配役例


道具屋:

若旦那:

女幽霊・お咲:



※枕は誰かが適宜(てきぎ)兼(か)ねてください。



枕:暑い時分には怪異(かいい)と申しまして、幽霊ものの方が幅(はば)を利(き)かしているよ

  うでございます。幽霊があるものか無いものかというのは、これまた

  争論(そうろん)の的になったりもするわけですが、科学の進歩というものは目覚(めざ)

  ましいもので、もう数十年も経ったら、霊界電話なんてものができて

  幽霊からどんどん電話がかかってくるような時代になるかもしれない

  。だから殺人事件とかの検挙率(けんきょりつ)が100%になっちゃうかもしれない

  。まあそうなると今度は警察の鑑識(かんしき)さん達の仕事に暇(ひま)が増えるなんて

  事にもなりかねないわけで、バランスというものはなかなか難(むずか)しいも

  のですな。

  幽霊の関わってくるものと言うのは色々ございます。

  先ほど申しました電話、あるいは映像、写真などなどございますが、

  中でも書画骨董(しょがこっとう)、絵や骨董品(こっとうひん)にも幽霊と言うのは、江戸の昔から切っ

  ても切れない存在でございまして。


道具屋:はあぁ、しょうがねえなァ。

    三度も訪(たず)ねて行ったってのに、三度とも旦那(だんな)がお留守(るす)なんだものな。

    まったく、どこ行っちまったんだかねえ。

    なにしろ今年は、死んだうちの女房(にょうぼう)の法事で銭(ぜに)が入用(いりよう)なんだ。

    この絵を買ってくれなくちゃ困るってもんだ。

    はぁぁ、早く旦那(だんな)帰ってこないかねえ…。


若旦那:おぅい、親父(おやじ)さん。


道具屋:おや、いらっしゃいやし!

    いやあ、今日はお留守(るす)に三度うかがいまして。


若旦那:うん、そうだってね。

    今も用足(ようた)しの途中なんだが、さっき家へちょいと寄ったんだ。

    もう一軒(いっけん)行かなきゃならないんだが、そしたら親父(おやじ)さんが訪(たず)ねて

    来たって言うからね、何か面白(おもしろ)いものでも手に入ったのかなと

    思って、こうして来たんだ。


道具屋:そうでしたか!

    いやね、実は以前から若旦那(わかだんな)から探してくれって言われてた、

    幽霊を描(か)いた掛(か)け軸(じく)が一本、先日入りましてね。


若旦那:えっ幽霊の掛(か)け軸(じく)!?

    手に入ったのかい?どれだい?


道具屋:これなんですがね…、いかがです?


若旦那:へえぇ、これかい?

    ふん、ふんふん…。

    いや、こりゃまたいいねえ!

    掛(か)け軸(じく)から出てきそうじゃあないか!


道具屋:どうです、いいでしょう?

    いやあたしもね、こういう商売を長年しておりますから色んな絵

    を見ました。

    だけどみんな気味(きみ)が悪いのばっかりでね。

    けどどうです、この恨(うら)めし気(げ)な中に何とも言えない色気(いろけ)があって

    、血も何にもなくて凄(すご)みのある幽霊だ。

    足もスーッと宙に浮いてるように見えますでしょう?


若旦那:んん~、いいねえこの絵は。

    優しい幽霊ってと言い方がおかしいかもしれないが、絵柄(えがら)は変わ

    ってるよ。

    こりゃいったい、誰が描(か)いたものだろうね?


道具屋:あたしの見立てでは、円山応挙(まるやまおうきょ)あたりじゃないかと思うんですけ

    どね。


若旦那:え?円山応挙(まるやまおうきょ)?

    ははは、冗談言っちゃいけませんよ親父(おやじ)さん。

    応挙(おうきょ)の絵が今どきそこら辺に転がってるわけがない

    じゃないか。きっと贋作(がんさく)だよ。

    いや、本物ならたいしたもんだけどね。 

    しかしまあいい幽霊だよ。

    これ、安くないだろ。


道具屋:いや、そうでもないんですよ。


若旦那:そうかい?

    いま家(うち)にあるのはね、主(おも)だったとこだと、柳(やなぎ)の下に出てるの、

    屏風(びょうぶ)の上から顔を出してるの、行燈(あんどん)の側に座ってるのと蚊帳(かや)の外

    に立ってるのと他にも色々あるんだけど、気に入ってるのはいま

    挙(あ)げたのしかないんだ。

    その絵は人に買われると悔(くや)しいなあ。

    それで、いくらなんだい?


道具屋:いや、実はね、この絵をぜひ売ってくれって方が五人も来ており

    まして。先約があるんでって押さえておいたんですよ。


若旦那:ああそうだろうね。こりゃあ誰だって欲しがるよこの絵は。

    それで親父さん、勿体(もったい)つけないではっきり言っておくれ。

    いくらなんだい?


道具屋:へへへ、いかがでございましょう。

    普段ご贔屓(ひいき)にしていただいてますから、ほんとは三十両(さんじゅうりょう)のところ

    を十両(じゅうりょう)というのでは…。


若旦那:十両(じゅうりょう)!

    うぅむ、大分(だいぶ)まけてもらっているが、それでもなかなか…。

    絵もいいが値(ね)もいいよ。

    と言って、人に買われちゃったらこれは未練(みれん)が残るね。

    あたしが幽霊になりかねないよ。

    うーん……。


    よし、これ売っておくれ!


道具屋:えっ、お買い上げになって下さるんで!

    いやぁははは、こらどうも、毎度ありがとうございます!


若旦那:それでね、これからもう一軒、用を足しに回らないといけないん

    だ。

    この絵を持って歩くわけにはいかない。

    それと家(うち)に帰ればお金はあるけど、今は持ち合わせがこれしかな

    いんだ。

    だから、手付けとして一両(いちりょう)置いていこう。

    明日、家(うち)へその絵を持ってきてくれるかい。

    そしたら残りの九両(きゅうりょう)を払うから。


道具屋:そおですか!承知しました!

    そしたら明日の朝早くに絵をお持ちしてうかがいますんで!


若旦那:じゃ、よろしく頼んだよ。


道具屋:へい、毎度、ありがとうございました!


    【二拍】


    はぁぁいやぁありがてぇ、売れたよ。ありがてえなぁ。

    久しぶりに儲(もう)かったよ。

    これだからこの商売はやめられねえなぁ。

    またいい幽霊の絵が手に入ったら、旦那(だんな)に買ってもらおうかね。

    あぁありがてぇ、これでかみさんの法事が安心してできるっても

    んだよ。

    しかし道具屋て商売は、何が売れるか分からんもんだなぁ。

    今までずいぶん損もしたよ。

    そうそう、こないだ買ったあれ、「源頼朝(みなもとのよりとも)が小野小町(おののこまち)に出した手

    紙」、あれァ具合(ぐあい)悪かったな…。

    生きてた時代が違うの、言われるまで気付かなかったからなぁ。

    あとあれあれ、あれもだ。「大石内蔵助(おおいしくらのすけ)が打ってた太鼓(たいこ)」。

    角の店でおんなじやつ置いてたの見た時はきまり悪かったねえ…

    。

    ま、気を取り直して、今夜は前祝いに一杯、やりますかね!

    おっ、ちょうどいいとこに酒屋さんが。

    おうい三河屋(みかわや)さん!ちょいと一本、都合(つごう)付けてくれ!

    灘(なだ)の生一本(きいっぽん)、頼むよ!お代は明日払うから!


お咲:あら道具屋さん、こんな遅くまで商(あきな)いしてるのかい?


道具屋:ああお咲(さき)さん、いや、実はさっきまで商(あきな)いがあってね。

    これから祝い酒なんだけど、お咲(さき)さんも一杯付き合わないかい?


お咲:まあ、ずいぶん景気のいい話だね。お誘いに乗りたいとこだけど、

   これから用があるから、ごめんなさいね。


道具屋:そうかぁ、そりゃしょうがないな。

    あ、そうだ、お咲(さき)さん使って悪いんだけど、角のウナギ屋にウナギ

    を頼んで行ってもらっていいかい?

    銭(ぜに)はこれで、お釣りが出たらお咲(さき)さん何か買って食べるといいよ。


お咲:あら、いいのかい?

   じゃあついでだから言っておくよ。


道具屋:いやあ、すまんねえ。

    頼みましたよ。


    【二拍】


    へへへ、やっと酒が届きましたよ。灘(なだ)の生一本(きいっぽん)。たまらねえやね。

    さて、酒が来(く)りゃああとは肴(さかな)だ。

    まだかねえ…もう一刻半くらい経つけど…、

    お?この声はウナギ屋じゃないか。

    ずいぶん遅かったねえ。もう亥(い)の刻(こく)過ぎだよ。

    よしよし、これで酒に肴が揃ったってこったな。

    暑気払(しょきばら)いにはウナギが効(き)くってもんよ。

    独(ひと)り者ってのはこういう時いいやね。

    好きな時に好きな物を飲んで食って、寝たい時に寝りゃあいい。

    どれどれまずは一杯…んっ、んっ、んっ……。


    ぷはーっ、うめえ!

    同じ酒でも祝いで呑(の)む酒は、たまんねえなあ!

    倅(せがれ)もあと三年すりゃあ奉公から帰って来るし、それも楽しみの

    一つだな。

    ん、んっ、んっ……

    ぱはぁーっ、あぁうまいっ、うまいねえ…!


    どれどれウナギも、すん、すん…いいねえ!

    ウナギてのは食うより匂(にお)いって言うが本当だね。

    しみったれた奴が、ウナギのかば焼きの匂(にお)いを嗅(か)ぎながら飯(めし)を

    食ったってのも、間違いじゃねえや。

    ま、こちとらしっかり、いただきますけどね。

    んむ、んむ…


    んまい!やっぱりあすこの店のウナギはうまいねぇ…!


    っと待てよ、こうしてうめえ酒が呑(の)めるのも、この幽霊の掛(か)け軸(じく)

    が売れたおかげだな。

    どれ、ちょいとちいせえ床(とこ)の間だけど、ここに掛けまして、と…

    、へへへ、これで幽霊と差し向かいで一杯ってやつだ。寂しくな

    いねぇ。

    そうだ、幽霊さまさまってことで、一杯ご馳走(ちそう)しようじゃねえか

    。

    ささ、幽霊さん、おかげさんで儲(もう)かりました。

    どうぞ一杯、召し上がってくんねえ。

    そうそう、やっぱり肴(さかな)もなくちゃいけねえよな。

    生臭(なまぐさ)で悪いけど、ウナギをね…さ、適当につまんでやってくんね

    え。

    待てよ、ここまでやったんならいっその事、お線香もあげて、

    拝んでやるのがいいだろ。

    どれ…、幽霊さん、おかげさんで儲(もう)かりました。

    ありがとうございました。

    幽霊さんの霊に回向(えこう)いたします。

    ※【知ってるお経があるなら代わりにそれを言ってもいいです】

    南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)…。


    はあぁ、これで気が楽になったね。

    しかしよくよく見るといい幽霊だねこりゃ。

    んっ、んっ…ん?

    あれ?なんだこりゃ、酒の味が変わったぞ…?

    いつもの酒なんだけどな…?

    ふっ、ふえっ、ぶえっくし!!

    !?なんだ、背筋(せすじ)がぞくぞくってしたぞ。頭から水をかけられた

    みてえだ。

    あ、あれ?灯(あか)りが急に暗くなりやがったぞ…。


女幽霊:…こんばんわ…。


道具屋:?はい!どなたかいらっしゃるんですか!?


女幽霊:こんばんわ…。


道具屋:おかしいな、表から裏までちゃんと戸締(とじま)りしたんだけどな…。

    どなたかいるんですか!?

    たしかにこんばんわって聞こえたんだけどな。

    「お声はすれど姿は見えず、ほんにお前は屁(へ)のような」、っての

    があったな。

    どこかにどなたか、いらっしゃるんですか!?


女幽霊:…あなたの目の前におります…。


道具屋:え?

    !!?わっおっ、脅(おど)かしちゃいけませんや!ああ驚いた…!

    えっどっどどっ、どっから入って来たんで?


女幽霊:さっきからずっと、目の前におりましたよ…。


道具屋:え、目の前?

    …はてな?見た事があるような無いような…?

    ど、どなたです?


女幽霊:…あたくしは、幽霊でございます…。


道具屋:ぇぇええ幽霊!!?

    ちょちょっと待ってくださいよ!

    あたしは幽霊に祟(たた)られるような恨みを買った覚えはございません

    よ!?


女幽霊:お恨(うら)みがあって出たわけではございません…。

    お礼を申し上げに出て参りました…。


道具屋:お、お礼?

    心当たりがないよ?

    あたしは幽霊さんからお礼を言われる覚えがないんだけどね?

    そ、それにあんた、どっから出てきたんです?


女幽霊:床(とこ)の間(ま)へ掛けて下さいました、掛(か)け軸(じく)の中から出て参りました…。


道具屋:掛(か)け軸(じく)…?あッ、本当だ!

    掛(か)け軸(じく)がまっさらだ!

    こりゃ驚いた、絵に描(か)いた幽霊が掛(か)け軸(じく)から抜け出すなんて、

    不思議な事があればあるもんだね…!


女幽霊:わたくしはかつて、芸妓(げいぎ)として京都の祇園(ぎおん)におりました。

    ふとした事から病(やまい)にかかり、長いあいだ患(わずら)っていたのです。

    そのわたくしを、円山応挙(まるやまおうきょ)先生が幽霊に見立てて描(か)きましたのが

    、この掛(か)け軸(じく)でございます…。


道具屋:えッ!?円山応挙(まるやまおうきょ)!?

    ッしまった…やっぱり本物だったんだ…贋作(がんさく)じゃなかったんだね

    …!

    惜(お)しい事しちゃったなァ、やっぱり三十両(さんじゅうりょう)にしときゃ良かった。


女幽霊:そんなに欲張(よくば)るものではございません…。

    それでなくとも、たいそう儲(もう)けなすったではございませんか…。


道具屋:ありゃ、聞いてなすったんですか!?

    あぁこりゃあ面目(めんぼく)ねえ。

    いやあ、確かに幽霊さんのおっしゃる通りだ。

    欲をかいちゃキリがねえや。

    しかしなんだねぇ、やっぱり応挙(おうきょ)って人は名人なんだねえ…!

    絵が生きてるってやつだね!

    かの名工、左甚五郎(ひだりじんごろう)の彫(ほ)った龍が、夜な夜な不忍池(しのばずのいけ)に水を飲みに

    来たって話を聞いたが…はあぁなるほど、名人の作品てのは魂が

    込められてるんだ、生きてるんだねえ…!

    お線香あげて拝(おが)んだらお礼に出てくるんだから、

    いやぁ、霊魂不滅(れいこんふめつ)だねぇ、そうですか…!

    いやしかしね、なんだかあたしは気味(きみ)が悪いですよ。


女幽霊:…決して、気味(きみ)が悪いの怖いのと忌(い)むことはございません…。

    わたくしの言う事をひととおりお聞きくださいませ…。


    わたくしも今まで、さまざまな方に買われてあちこちへと行きま

    した。

    買って下さいましたその時は床(とこ)の間へ掛けて下さいます。

    しかし奥様やお子(こ)たちが、怖いの気味(きみ)が悪いのと難癖(なんくせ)をつけるも

    のですから、すぐに箱へしまわれて、暗黒地獄(あんこくじごく)の蔵(くら)の中。

    紙魚(しみ)に喰(く)われ、水の一杯も手向(たむ)けて下さる方とてございませぬ。

    それにひきかえ、あなた様はお酒よお肴(さかな)よとお供(そな)えくださいまし

    た。

    その上、お線香まであげて拝(おが)んでいただいたそのご回向(えこう)が嬉(うれ)しく

    て嬉(うれ)しくて、もっと早くお礼に来ようとは思いました。

    しかし刻限(こくげん)がなかなか来ませんで、やっと丑三(うしみ)つ時(どき)になりました

    ので、こうして出て参りました。

    まことにありがとうございます…。


道具屋:そうでしたかいそうでしたかい…!

    いや、昔からよく言いますね、

    幽霊の出る刻限(こくげん)は草木(くさき)も眠る丑三(うしみ)つ時(どき)、屋(や)の棟(むね)も三寸(さんずん)下がるって

    。

    幽霊さん、たいそう義理堅(ぎりがた)いんですね…!

    そうでしたかそうでしたか!


女幽霊:さ…お酌(しゃく)なぞいたしましょう…。

    どうぞ、可愛(かわい)がってくださりませ。


道具屋:えっ、お酌(しゃく)して下さるんですかい?

    いやあこりゃすいませんねぇ!

    じゃ、いただきます。

    ん、んっ、んっ…


    へえぇ、また酒の味が変わったよ。

    美味(うま)くなっちゃったね。


女幽霊:本当に、お酒というものはおいしゅうござりますこと…。


道具屋:おいしゅうござります…って事は幽霊さん、お酒が呑(の)めるのかい

    ?


女幽霊:丑三(うしみ)つ時(どき)の来るのを待ちながら、掛(か)け軸(じく)の中でいただいておりま

    した…。


道具屋:えっ、掛(か)け軸(じく)の中でって…あらっ、本当に無くなっちゃってる!

    中でやってたんですか!へへ、そうでしたか!


女幽霊:わたくしにも、どうぞおひとつ下さいませ…。


道具屋:えぇどうぞ!お付き合いいたしますよ!

    さ、ぐっとやってくださいな!


    …けど、親指と人差し指でしか持たないって、変な茶碗(ちゃわん)の持ちよ

    うだね。

    それじゃ吞(の)みにくいんじゃないかい?


女幽霊:規則でございますから…手は上に向けられないんです…垂(た)らした

    ままで…。


道具屋:ああそうでしたか!なるほどね!

    「うらめしや~」の恰好(かっこう)を崩しちゃならないと!

    いやあ、幽霊の世界もいろいろ大変ですなァ!

    おぉっとお酌(しゃく)ですか、いや、すいませんねえ!

    ん、んっ、んっ……


    はあぁ、いや、しかし名人てのは大したもんだ。

    霊魂不滅だよ、ほんと…。


女幽霊:お礼に、都都逸(どどいつ)でも唄(うた)いましょうか…?


道具屋:都都逸(どどいつ)を!?

    お前さんがかい?

    これァ面白(おもしろ)いね!幽霊が都都逸(どどいつ)を唄(うた)うってなあ初耳だね!

    じゃ、お願いしますよ!


女幽霊:…あなたの優しい心に惹(ひ)かれ、迷(まよ)うて出たのは恥ずかしい…。


道具屋:はぁぁなるほどね!

    幽霊さんだけに「迷って出た」、と!

    それじゃね、もっとこう、色っぽいのはありますかい?


女幽霊:それならこちらを…。

    …三途(さんず)の川でも棹(さお)さしゃ届く、なぜに届かぬ我が想い…。


道具屋:あぁぁもういい、もういいですよ!

    陰気になっちゃいますから!


女幽霊:【酔ってきている】

    左様(さよう)でございますか…ひっく。

    では…わたくしにも、もっとお酌(しゃく)をしてくださいな…。


道具屋:幽霊さん、大丈夫かい?

    だいぶ酔っているようだけど…。


女幽霊:だいじょうぶでございますよ…。

    酒でも呑(の)んでうきうきしゃんせ…気から病(やまい)が出るわいな、ひっく

    。

    あまりくよくよなさいますと、寿命が縮(ちぢ)まりますよ…。


道具屋:嫌だよ脅(おど)かしちゃ!

    まま、あとは自分でやりますから、酌(しゃく)はもういいですよ。

    しかしまぁ驚いたね、幽霊さんも酔っぱらっちゃうんだね。

    ん、んっ、んっ…


    ぷはぁーっ。

    ふう…?あれ?幽霊さんがいないぞ?

    どっかいっちゃったよ?

    幽霊さん!どちらにいらっしゃいます!?

    厠(かわや)かな…?

    でも幽霊が厠(かわや)に行くかね…?でも呑(の)んだり食ったりしたしな…。

    幽霊さんや?お幽さん?

    どこいっ…あらっ!なんだこりゃ!?

    掛(か)け軸(じく)の中でむこう向いて、肘枕(ひじまくら)して寝ちゃってるよ!

    あぁこりゃ、完全に酔っぱらっちゃったんだな。しょうがねえな

    。

    おい幽霊さん、起きて下さいよ。


女幽霊:【酔いつぶれてる】

    …いやです…ひっく。


道具屋:嫌ですって、そりゃいけませんよ。

    もうすぐ夜が明けるんだ。

    そしたらね、若旦那(わかだんな)のとこへ持ってって、お金を頂戴(ちょうだい)してくるん

    ですから、起きて下さいよ。


女幽霊:【酔いつぶれてる】

    …どうぞ、ご勘弁(かんべん)を…。


道具屋:えっ、どうしても嫌?

    えらい事になっちゃったな…これじゃ売り物にならないや。

    じゃ幽霊さんや、お前さん、一体いつまで寝てるんだい?


女幽霊:【酔いつぶれてる】

    …明日の丑三(うしみ)つ時(どき)まで寝かせてください…。


道具屋:うぅぅん、こりゃ困った…。

    でも、若旦那(わかだんな)のとこに行かないわけにはいかないし…。


    【二拍】


若旦那:定吉(さだきち)、古道具屋の親父さんはまだ見えないかい?


    なに、まだ?

    おかしいね、もう朝は過ぎてしまったよ…。

    いったいどうしたんだ。

    こっちはやきもきしてるってのに…。


    ん?どうした、定吉(さだきち)…え?古道具屋さんが来た?

    おおそうかそうか、早くここへ通しなさい!


道具屋:ど…どうも、若旦那(わかだんな)。


若旦那:ああ親父さん、朝のうちに来ると言ってたのに来ないもんだから

    何かあったのかと心配しましたよ!



道具屋:へへ、その、ちょいといろいろありまして。


若旦那:まぁまぁ、そんな事はどうでもいいんだ。

    さ、掛(か)け軸(じく)を出しておくれ。

    こちらも…残りの九両(きゅうりょう)、ここに用意してあるから。


道具屋:それが、その…実は掛(か)け軸(じく)は持ってきておりません。


若旦那:えっ!?それはどうしてだい?


道具屋:その、いろいろとありましたもんで…。


若旦那:どうして持ってきてくれなかったんだい。

    店に置いておいたってしょうがないだろう。


道具屋:ええ、もう少し寝かせておきとうございます。




終劇




参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


三遊亭圓歌(二代目)

三遊亭圓弥(四代目)

蝶花楼馬楽(六代目)

笑福亭生喬



※用語解説


・円山応挙(まるやまおうきょ)

享保18年5月1日(1733年6月12日)~寛政7年7月17日

(1795年8月31日))、江戸時代中期~後期の絵師。

近現代の京都画壇にまでその系統が続く「円山派」の祖であり、

写生を重視した画風が特色である。

諸説あるが「足のない幽霊」を描き始めた画家とも言われている。


・十両(じゅうりょう)

一両がいまの価値で約八万円。

従いまして、大体八十万円なーりー。


・灘(なだ)の生一本(きいっぽん)

兵庫県神戸市~西宮市にまたがる沿岸地域において、

日本酒製造が盛んな五つのエリアを灘五郷と呼んでおり、

「灘の生一本」は灘五郷において単一の製造場のみで醸造し

た純米酒を指すそうです。


・回向(えこう)

仏教用語で、自分が積んだ功徳(善行による良い結果)を、他の人や故人

のために振り向ける行為を指す。具体的には読経や供養、布施などによっ

て得られた功徳を、故人の冥福を祈るためや他の人の幸せを願うために

回し向けることを意味する。


・「お声はすれど姿は見えず、ほんにお前は屁(へ)のような」

居るんだか居ないんだかわからない存在感の薄いことの比喩で、

もともとは江戸初期からの「山家鳥中歌 和泉の項」に、

「声はすれども姿は見えぬ、君は深山(みやま)のきりぎりす」というのが

あって、それが落語に取り入れられた際に弄られたようである。


・左甚五郎(ひだりじんごろう)

京都にて左官を朝廷から頂戴した当代一の大工・彫刻師。

1600年の20~30年前後に活躍した人物。

日光東照宮の眠り猫を彫るなど多くの逸話があるが、

歌舞伎や講談など、それらの逸話が独り歩きし、複数の人物像

が重なって左甚五郎という人物が生まれたのではないかという

説もある。

この噺の他にも「三井の大黒」「ねずみ」、「竹の水仙」、

名前だけなら「叩き蟹」、「四つ目屋」にも登場する。


・草木(くさき)も眠る丑三(うしみ)つ時(どき)、屋(や)の棟(むね)も三寸(さんずん)下がる

丑三つとは今で言う午前2時~2時半のあたり。

草木でも眠る時間なので家屋も眠り、三寸(9cm)ほど沈み込んでいる

ようだと形容したもの。


・都都逸(どどいつ)

江戸時代に生まれた日本の定型詩の一種で、七七七五の音数律で構成され

るのが特徴。主に男女の情愛や世相などをテーマに、口語で自由に詠まれ

る。


・厠(かわや)

トイレ。


・一刻半(いっときはん)

一刻は今で言う二時間。

なので一刻と一刻の半分である半刻を合わせて三時間を指す。


・亥(い)の刻(こく)

午後十時から午前零時までの時間を指す。




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