第2話 A面-2
◇キャラクター紹介
荏田和樹/三田和希の身体をメインに動かしている。交通事故で死亡したが、どういうわけか三田和希の身体に憑依した。「A面」は彼の視点で進行する。
三田和希/身体の本来の持ち主。パワハラが原因で心の中に引きこもっている。
カズキ/和樹と和希の共同作業であること、あるいは2人両方を示す。
結果、ライブは大成功。ただし、上が言っていた「多少」では到底収まり切れないレベルの予算の大幅超過が問題視された。
一番は、中西が持ってきたある装置の費用。
「なんですか、これは?」
「これな、大規模施設用の立体映像投影装置だ」
「もしかして、これをライブで?」
「そうだ! メーカーの担当者から面白そうな機械があるって話を聞いてな。試させてもらったら、これがなかなか面白そうなんだ」
「……まさか、今からライブの演出の変更を?」
「大丈夫、大丈夫。今ある演出に付け加えるだけ。もし、こいつがトラブったら、こいつ抜きの従来通りの演出でやるつもりだ」
「本当の本当に大丈夫なんですか?」
「おう! 任せておけ! ……で、だな。こいつの金がちーっとばかしかかるんだわ」
本番直前のタイミングで話を持ち込んできた彼に、和樹は天を仰ぐしかなかった。
――これが先輩たちが言っていた「中西社長の暴走特急」か。
心の中の和希も、どうしようとうろたえるばかり。
でも、中西は気にするそぶりを欠片も見せることなく、メーカーから送られてきた見積書を手渡してきた。そこには、初対面の時に話題になったドローンカメラとは全く桁が違う金額。
頭を抱えた後、流石にその場で即答は出来ず、上司に掛け合った。結果、丸呑みした。
他にも、同時配信を視聴していたファンの数がライブ開始とともに増加したことによる配信サーバーの緊急追加、ライブ終了時刻の大幅遅延による会場施設への補償などなど。
ライブイベント終了後、和樹は始末書と進退伺を上に出した。
ライブ前の事情と、参加したファンのアンケートで熱い高評価を受けたことが評価されて、お咎めはなし。もちろん、裏では、上司から「もっと自重しろ」「今度やったらかばい切れないぞ」と太い釘を刺された。
引き続き、和樹はライブイベント担当プロデューサーを務めることになった。次の担い手が見当たらなかったから、でもあるのだが。
「わはは! 敗戦処理で登板したら、その裏で同点になって、そのまま続投か。良かった良かった」
それでも、イベント会社の中西の下に挨拶に訪れたら、野球になぞらえた言葉とともに歓迎を受けた。
「流石に今回はヤバかったですよ。上司からは本当に太っとい釘を刺されました」
和樹も顔には笑顔を浮かべながら、ジト目を送る。
――このおっさん、|立体映像投影装置のようなこと《予算超過》を次回も絶対やるな。
と思いながら。
で、毎回、予算を抑えたい和樹と、好き勝手したい中西の間で、熾烈なバトルが繰り広げられることになる。
銭闘の合間に、和樹は準備工程のスリム化省力化などで無駄を省いて、少しでもコスト削減を行う。もちろん、その浮かんだ予算も中西に狙われる。
ライブを運営するスタッフたちからの信頼は得た。4thライブでトラブルが起こった際の対応でギュッと心をつかんだ。その時、本来監督するべき中西は別の仕事に行って留守にしていて、別のリーダーが収拾に動かなければならなかったのだが、頭が真っ白になってしまった彼は全く動くことができなかった。見かねた和樹が代わって冷静に動いて、短時間で見事にトラブルを収めてみせた。
――和希と2人でみっちりトラブル対応シミュレーションをやっていてよかった。
空き時間に、2人のカズキは脳内で、様々なシチュエーションを想定したシミュレーションを行っていた。
ただし、顛末を聞いた中西が、
「おう、あんたなら現場を任せられるな」
そう言って、和樹に現場を押し付け、フラッと姿を消して、コッソリ暗躍する頻度を増やすことになる。なので、和樹は現場リーダーを育てた上で、中西の暗躍を現行犯で抑えられるように、探し回る。そのイタチごっこを繰り返すことになった。
中西が逃げ切るか、和樹が取り押さえるか、毎回スタッフたちの賭けの対象になっているのは、また別の話。
2年が過ぎた。色々なトラブルはあっても、毎回無事にライブを成功裡に終わらせることができた。
ライブに参加したファンはもちろん、カズキの会社からも、ライブに協力してもらう外の会社からも、上々の評判を得ていた。
その中で、和樹が一番この仕事をしていてよかったと思ったこと。ステージに上る声優たちと触れ合うことができたこと。「カズキチ」などと親しみを込めて名前を呼ばれる。こっそりともらったサイン色紙は、本物は日焼けしないように厳重に保管し、コピーを額縁に入れて部屋で飾っている。
だから、今回も万全の準備を整えた。否、普段よりもさらに力を入れて準備を行った。
何せ、今回のライブは、「ココロスター」の5周年イベントの大トリを飾るのだから。
そうして、本番前日のリハーサルに臨んだのだが、
――これ大丈夫か?
和樹の視線は、2人の新人声優の様子を捉えていた。
今回のライブ、「ココロスター」5周年を記念したライブツアーのファイナルに参加する声優は12人。
当初、6人のキャラクターでスタートしたゲーム「ココロスター」は、現在は10人にまで増えていた。そして、5周年記念の目玉の1つとして、つい先日、2人のキャラクターが加わった。
今回のライブは、その追加キャラクターの中の人のお披露目も兼ねている。
ところが、
――あ、また音程外した。
歌う曲の音程を外したり、ダンスのステップの左右を間違えたりするのは、まだ序の口。歌詞を間違える。ダンスの振りを間違えて隣の人と衝突する。つまずいて転ぶ。先ほどは、緊張のあまり、声が裏返ってしまった。
ミスするたびに、周りの先輩たちが、「大丈夫」「気にしなくていいよ」などと声をかけるのだが、見事に裏目っている。フォローが入るたびに、謝罪を繰り返す新人2人の身体が固くなっていっていた。裏方は裏方で、こうやって進行が一時止まるたびに、その後の調整に追われる。
――真面目過ぎる。
ライブ前に顔合わせしたときに、和樹が受けた生真面目な性格が逆に墓穴を掘ってしまっている、と感じていた。
美船悠希と天堂咲良。艶やかな黒髪と明るい茶髪、物静かと活発、などと、まるで月と太陽のようにパッと見の印象は真逆だが、共通していたのは生真面目さだった。打ち合わせの時は、2人とも、紙のメモ帳にペンでみっちり書き込んでいたり、と。ちなみに、彼女たちが演じているキャラクターも、明るく快活な妹的な少女キャラとミステリアスな大人の女性キャラと、また別の意味で真逆だったりする。
――見ていられない、と思ってしまうのも分かるな。
彼女たちのマネージャーが、和樹の下に、先程、別の現場に行くための挨拶に来たのだが、その顔には「見ていられない」とはっきりと書いてあった。
「その次の現場、あんたは絶対に行かないといけないのか」
マネージャーが視線をそらしたから、
「逃げんなよ。彼女たちはあんなに頑張っているのに。ここで見捨てると、一生後悔するぞ」
逆に舞台袖で待機するように命令した。酸素スプレー、水分補給用のドリンク、タオルなどを持たせて。
で、今度は、
「仲が良すぎるのも考え物だな」
中西が和樹の近くに寄ってきて、ボソリとこぼした。
「ココロスター」に参加する声優たちは非常に仲が良くチームワークに優れていることで知られている。追加メンバーが入っても、心広く受け入れる。別のコンテンツでは、表向きは仲良くしていても、裏では複数の派閥が出来てギスギスしている、共演NGがいくつもあってイベント出演を依頼する声優の組み合わせに一苦労、そんな噂話が和樹の耳に届いたこともあるが、「ココロスター」には全くない。
が、今回はその仲の良さが逆効果になり始めている。悠希と咲良が失敗するたびに生まれるリズムの悪さが、全体に波及し始め、雰囲気も悪くなる。
経験豊富な中西に和樹は聞いてみた。
「新人さんのダメ具合って、毎回こんなものですか?」
「いや、今回は飛び切り悪いな。歌が下手、ダンスが下手、とか欠点がわかりやすければ、本人も周りも受け入れやすいが、なまじ能力があるから受け入れられない、そんなパターンだ」
実際、2人が所属する事務所も「大型新人」と謳って猛プッシュしているし、その謳い文句に相応しいポテンシャルの高さを示していた。昨日までは。
「加えて、性格が真面目だから、空回りして、悪循環から抜け出せない」
「だな……」
中西が溜息を吐いた。
「お前が過保護にしすぎたんじゃないのか?」
「俺にしてみれば、そんな過保護にしたつもりはないんですけど。結果を見れば、そうだったですかね」
2人が新人ということで、和樹はライブ前に通常とは別のフォローを行っていた。それを中西は「過保護」と言っている。
とは言え、前回の追加メンバーが加わった際も、新人が初ライブゆえのトラブルがあり、ライブが始まる前も始まってからも、グダグダゴタゴタしていた。それを見て知っているゆえに、好し悪しを判断できない。そんな考えが表情に浮かんでいる中西の心のうちを透かし見る。
「性格もあるんだろうな。過ぎたことを言ってもしょうがないんだが」
和樹も溜息を吐きたくなったが、抑えた。その代わりに、
「対処法は?」
「発破かけてどうにかできるレベルはもう越えてるしな。下手な声掛けをしたら、潰しちまいそうだ。こうなると、あとは、本人次第だな」
――つまり、俺たちから見たら、運次第、ということか。
――彼女たちが自力で乗り越えてくるか。逆に、潰れるか。
そして、本番直前。
悠希と咲良の新人2人組の様子は、最悪だった。顔色は白を通り過ぎて、青い。プレッシャーによって今にも過呼吸を起こしてしまいそうに見えた。周りにいる先輩声優たちも、彼女たちのマネージャーも、運営スタッフも、腫れ物に触れずに遠巻きに見るしか出来ない、そんな状態。
中西とともに会場に入った和樹は、それを目にして、
――最悪。
心の中で頭を抱えた。
すると、横から指で突かれた。何かと思って、顔を向けると、中西が和樹にジェスチャーをしてきた。「お前、何とかしろ」と。
――なんで俺が?
その思いが表に出て、彼の片眉が動く。すると、中西が別の方向を見ろと和樹にまたジェスチャーを送ってくるから、そちらに視線を向けると、ライブに参加する声優たちの中でもリーダー格の黒江美羽と加藤江莉がいた。その彼女たちも「何とかして」とジェスチャーを送ってくる。
もっとも、中の和希は反対してくる。下手のことを言って、彼女たちが潰れたらどうするんだ、と。
――だったら、ほったらかして、彼女たちがステージ上で潰れさせるのか?
――それとも、彼女たちを切り捨てるか?
――そうしたら二度とライブのステージに上がれなくなるぞ。
そう返したら、和希は沈黙した。
悠希と咲良の前に立った。
2人のうかがうような目が卑屈に見えた。
――そんな意気地のない心なんか要らない。
「なあ、あんたら、今こう考えているのか? 自分たちがライブをダメにする、って」
言い放った。わざと尊大に。
――顔を上げろ。前を向け。
「歌詞を間違える、振り付けを間違える、横とぶつかる、ステージで転ぶ」
昨日彼女たちがやってしまった失敗をわざと挙げる。2人の顔色がますます悪くなる。最悪を更新していく。
だけど、和樹はそれを目にしてもたじろがない。最悪の可能性は見ないふりをする。彼女たちが持っている可能性を信じて。
――あれだけ練習を頑張っていたんだ。
そして、気にする価値もない、と言わんばかりに、言い放つ。
「そんなんでライブが失敗する? 見くびるなよ、新人!」
「「……」」
「聞こえないのか? だったら、もう1回言ってやる。見くびんな。その程度でライブが失敗する? そんなことあるわけないだろ」
何を言われているのか理解できない、そんな顔になって2人が和樹を見てくる。
「横を見てみろ。お前たちの横にいるのは、熾烈な声優業界でサバイバルしてきた偉大な先輩たちだぞ。お前たち、新人が失敗したって、造作もなくフォローするぞ。大体、こいつらだって、歌詞や振り付け間違えるのは日常茶飯事なんだから」
「えー、カズキチ。それ、私たちのこと、褒めてんの? 馬鹿にしてんの?」
「失敗しても、テヘペロ1つでスルーする図太さを褒めてんすよ」
美羽が茶々を入れてきたから、和樹も言い返すと、笑いが起こる。いつも失敗したときの美羽のことをあてこすっているからだ。
「それに周りを見てみろ。周りにいるスタッフは、こんな修羅場をいくつもかいくぐってきた百戦錬磨の猛者たちだぞ。トラブったって、顔色ひとつ変えずに何とかするぞ」
「何とかするのは大変なんだぞ」
「それがあんたの仕事だろ」
「仕事増やすなよ」
「その台詞そっくりそのまま返してやる。また勝手に、変な物の見積もり取っただろ。本気で買うつもりなら、さっさと、必要な書類を出せ」
今度は中西が茶々を入れてくるから、言い返す。最後には「バレたか」とこぼす中西に、また笑いが起こる。
そして、改めて、和樹は2人の顔を見て、今度は優しく声をかける。
「だから、もうそんなに頑張らなくていいんだ」
――もう十分頑張った。
「肩の力を抜いていい。失敗したって大丈夫。みんながフォローする。だから、2人も周りのことを信用してくれ。そして、ファンの人たちの前で、笑って歌って踊ってこい。大丈夫、大丈夫」
彼女たちの眼に涙が浮かぶ。
――え? 涙? 泣く?
涙が頬を伝わって落ちる。
――和希! ここから先どうしたらいい?
返事は返ってこない。中の和希もパニックになっている。
2人から抱き着かれて、声を上げて泣かれ始めると、いよいよもってどうしたらいいか分からなくなった。
仕方なく、片腕ずつを2人それぞれの身体に回して、肩を優しくポンポンと叩く。
そんな彼らをよそに、中西が「ほら、解散ー。仕事に戻れー。準備を始めろー」と静かに声をかけて、周りにいた人を散らし始める。
それに合わせて、三々五々散り始めるのだが、
――こっち見んな!
和樹は心の中で叫ぶ。みんなが生温かい視線で自分たちの様子を見ていくからだ。叫びを心の中で止めるのは、涙で震える身体を2人分抱えているから。
美羽なんかは写真を撮っていく。それを見た江莉をはじめ数人が、同じ行動をとる。和樹がキッと睨みつけても、「怖くないよ~」と言わんばかりに笑顔で手を振ってくる始末。
そうして、和樹にとって永遠ともいえる時間、確認すれば5分も経っていない、が過ぎて、ようやく悠希と咲良の2人が落ち着いた。
和樹のスーツが2人の涙で溶けたメイクでドロドロになっているのに気付いた2人が謝ろうとするのを、和樹は抑え、
「気にするな。メイクを直してこい。もう開演までそんなに余裕がないぞ」
と言って、唯一傍で控えていたメイク担当のスタッフに引き渡した。
開演。12人全員で歌うオープニングの1曲目は流石に2人の動きは硬く、ミスもあった。それでも、周りのフォローもあって、2人は何とかやり遂げる。この1曲目で緊張がほぐれたのか、悠希と咲良2人だけで歌う2曲目は、練習時を遥かに上回る出来栄え。一気に会場の熱気が高まる。
その様子を和樹は舞台袖から少し離れた場所に置かれていたモニターで見ていた。
2人がステージから舞台袖に戻ってきたから、その方向に顔を向けると、悠希と咲良も和樹の方を見ていた。だから、和樹は「よくやった」の意味を込めて、2人にサムズアップを送る。2人の顔に花が咲くような笑顔が浮かんだ。
仕事に戻る。しばらくすると、声をかけられた。
「お前に、あんな才能があるとは思わなかったな。よ、色男」
中西の言葉には120%のからかいが乗っている。当然、和樹は素っ気なく返す。付き合っていられない、と
「本来なら、あんたがやる仕事じゃないのか」
「笑わせんな。俺があんなことをやったらセクハラで訴えられる。まともに行ったとしても、こんなむさくるしいおっさんじゃあ、何も届かん」
言葉に悪ふざけが乗ったままの中西に向かって、ぶっきらぼうに言葉を投げる。
「ま、俺がやって、問題を起こしても、ベターな終い方だしな」
「……は? 何を言ってんだ?」
中西の顔が疑わしいものになった。
「そうだろ。新人が自滅してライブが失敗するより、プロデューサーによって潰されたがためにライブが失敗した、そうした方が彼女たちの今後のためにもいいだろ。まだ、救いようがある」
そうなる覚悟はしていた。
「はあ? そんなわけな……。ああ! くそっ! そうやってライブの失敗の責任をお前が全部取る。確かに、そう取られても仕方ないことをしたが、そんなつもりはなかった。すまん」
「いいさ。あんたがそこまであの時気が回っていなかったことは分かっている。とりあえず、貸し1つだ」
「……くそっ、分かった」
中西に貸しを作れた勝利の高揚感を少しだけ心に抱きながら、和樹はモニターに視線を戻した。そこには、悠希と咲良を始めとする12人の声優たちがステージ上で歌い踊り、会場に来たユーザーとともに輝いている姿が映し出されていた。
「いいライブになりそうだな」
「ああ、そうだな」
……
で、無事成功したライブの後の打ち上げ3次会で、和樹は再びピンチを迎えていた。