第14話 C面-5
「「アメジストー!」」
幼い兄妹が声を上げた。近くには優しく見守りながら動画を撮っている両親もいる。
その様子を少し離れた所から、美羽は壁を背にしながら見ていた。
兄妹の呼びかけに応えるように、彼女は現れる。
「呼んだ?」
アメジスト・ラヴィニア。「ココロスター」で江莉が演じているキャラクター。
その彼女が、等身大の大きさで、兄妹の近くにあったスクリーンに現れた。
「呼んだ! 呼んだ! うわっ! アメジストが本当に来てくれたよ、お兄ちゃん!」
驚きと喜びで大興奮の妹の横で、兄は目を丸くして驚いて、言葉も出ない様子だった。
後ろで子供たちを見守っていた両親も、このイベント会場にいる他の人たちも驚きを隠せないでいる。
――その気持ち、よく分かる。
アメジストのその深紫の瞳は明らかに声を掛けた兄妹の姿を捉えている。彼女の動きに合わせて流れるように動く彼女の薄紫の髪が一本一本まで表現されている。
スクリーン越しであっても、身長172cmの設定どおりの大きさで映し出されたその姿はリアリティを確実に伝えてくる。スクリーンに映し出すだけでいいなら2Dで十分なのに、3Dモデルを使っている。しかも、ゲームでこれまでに実装されているのよりもはるかにクオリティーが高い。
――ここだけの特別、ではないんだよね。
近い将来、ゲームにもこれと同等のモデルが実装されるらしい。このイベントで使われているのはそのテストも兼ねている。村中から聞いた話。
――本当、凄いものになったね。
手を伸ばせば触れ合える、と錯覚してしまいそう。否、実際に錯覚して手を伸ばしたら触れなかった、と嘆く声がSNSの海に大量に書き込まれている。
書き込んだ中には、江莉を始め演者の仲間たちもいる。イベントが始まる前に配信番組がここで行われた。番組に参加したのは12人全員。全員、大興奮だった。少なくとも、配信を映しているカメラの前では。
「何をしようか?」
「お歌! お歌を一緒に歌う!」
アメジストからの誘いの言葉に、妹が間髪入れずに答えた。先を越されてしまった兄は悔しそうな表情を一瞬浮かべたのち、仕方がないという顔になった。そんな彼にアメジストが優しく声を掛けた。
「君は何がしたい?」
「え? えと、あの、その……僕も一緒に歌を歌いたい」
驚きで言い淀みながらも、自分の希望を伝える兄を、アメジストは笑みを浮かべながら優しく見つめていた。
「いいわ。なら、歌いましょう」
音楽が流れ始める。アメジストと兄妹3人の歌声が周りに響く。
アメジストのことを誰かが離れた所で操作しているわけではない。無数に設置されたカメラで人々の行動と表情を撮り、無数に設置されたマイクで人々の声を拾い、専用のAIがリアルタイムで解析して、キャラクターの行動を決定し、スクリーンに投影させている。
この会場では、似たような光景が、美羽が見つめている兄妹を含めて11か所で起きている。キャラクターが目の前で歌を歌ってみせたり、ダンスを踊ってみせたり、相手の片言の日本語に合わせながら会話を楽しんだり。誰もがみんな笑顔だ。
その様子をどうしても冷めた目で見つめてしまう自分がいることを、美羽は認めざるを得なかった。心の奥底に刻み込まれた不安がそうさせる。
――ガーネットたちが私から離れていく。
アメジストの声は離れた所から声優の江莉がリアルタイムで演じて話しているのではない。このイベント用に録ったボイスもあるが、大半は過去に収録したボイスデータからAIが選択して、指向性のあるスピーカーを通してまるでその場でキャラクターが話しているかの様に再生している。
AIを使ってリアルタイムに音声を生成して再生する、という方法もある。「ココロスター」ではない別のコンテンツでその方法を用いた例はある。でも、
「使わないわよ。だって、その方法ではガーネットたちに魂が入らないもの」
村中がそうはっきりと言っていた。
「確かに、生成AIを使っている部分もあるわ。例えば、グラフィック周りなんかは、でも、それだってデザイナーが描いた大量のグラフィックがあって、それらをつなぎ合わせるための差分を補完させているだけだし、最後はやっぱり人の手が入っている。補助としては使えるけれど、メインでは使えない。やっぱり、AIだけでは足りない。魂が入らないの」
とまで言われたが、それでも美羽の不安は治まらない。
――そう遠くない将来、自分たちはお払い箱になるのではないだろうか。
過去に収録されたボイスデータはそのまま再生されているわけではない。デジタル処理されて、リアルタイムで修正が施されている。その場のシチュエーションに合わせて、音量を大きくしたり小さくしたり、語尾を上げたり、下げたり、イントネーションの位置を変えたり。
出来は悪くない。収録の現場ならリテイクを求められるが、それなりのレベルまで届いている。
――今回は一文単位で使われているけれど、単語レベルまで分解してつぎはぎしても問題がないかもしれない。
なにより、この会場にいる人たちは喜んでいる。
――それが……辛い。
何時間もかけて、時には何回も何十回もリテイクを繰り返して、魂を込めたものではない。
――寄せ集めのつぎはぎだ。
それなのに、「ココロスター」のファンたちは喜んでいる。
――それが辛い。
自分の努力を否定されているような気さえする。
ファンたちが喜ぶ様子を見ると、普段なら美羽の心の中にエネルギーがわいてくる。心が太陽の様に真っ赤に燃えあがる。
でも、今は心にエネルギーはない。燃えることなく、逆に、黒く染まってい……。
「あら? また会ったわね」
後ろから声が掛けられた。聞き慣れた声。
でも、後ろは壁。
声をかけてきたのは誰? 12か所目だ。
美羽がゆっくりと後ろを振り返ってみれば、深紅の瞳と燃えるような真っ赤な髪が真っ先に目に飛び込んできた。
彼女だ。美羽と同じ身長の設定ゆえに、彼女の瞳とすぐ目の前で見つめ合う。
ガーネット・ヴァレンティーナ。黒江美羽が「ココロスター」で演じているキャラクター。
壁に投影されていた彼女が唇を動かす。近くにある指向性スピーカーから音が響く。
「なに、湿気た顔してんの」
美羽は覚えている。「ココロスター」4周年記念のイベントでの台詞だ。
「ほらほら、折角私が目の前にいるんだからスマイルスマイル」
これはリリース時に収録した台詞。
「うーん? 変なこと、考えていそうね」
1周年を迎える前に追加されたボイスだが、直前に修正が入って録りなおした。
「なにを考えていたのか話してみなさい」
3年目のバレンタインイベントでの台詞。
そういったことが分かっていても、ガーネットの言葉に促されてしまう。継ぎ接ぎされた魂が籠っていないはずの言葉に、思わず本音を吐露してしまう。
「……あなたが、……あなたたちが私から離れていきそうに思えた」
「馬鹿な考えね」
一刀両断される。これもリリース時に収録した台詞。なかなかOKがでなくて、何度もリテイクさせられた。
でも、頭をガツンを殴られた気がした。
「あなたは私になることは出来るけど、私はあなたになることは出来ない。そうでしょ?」
4年目の年越しイベントでの台詞。
それでも、美羽の心に奥底に溜まっていたものが流されていく。
――そうだ。ガーネットを演じるのは私だ。
――誰かに奪われるつもりはない。それが過去の自分であっても。
ガーネットの表情が挑発的なものに変わる。
「それとも指をくわえて奪われるのを見ているつもり?」
3か月前に追加されたセリフ。江莉が演じるアメジスト・ラヴィニアに向かって、このセリフをガーネットが言い放つとアメジストが奮起するシーンだ。
同じように、美羽の心に火が点く。
――むざむざ奪われてたまるか。
束の間の沈黙の後、アメジストが再び口を開く。
「また、会える日を楽しみにしているわ」
自分の様子をAIが会場に設置されたカメラを通してどのように判断したのか、は美羽には分からなかった。
でも、彼女が去るのを何もせず見ているだけという選択肢は浮かばなかった。
「待ちなさい! せっかくなんだから、記念の写真ぐらい撮らせなさい!」
背中を見せかけたガーネットが動きを止め、美羽を見つめると肩をすくめてみせた。お好きにどうぞ、と。
ひどく人間臭く見えたが、かまわなかった。
今、やりたいことをやるだけ。
――江莉たちに自慢しよ。
*
「……フン」
たまたま目にした雑誌記事を読み終えた美羽は、思わず、鼻を鳴らしてしまった。
「ゲーム業界を超えた金字塔「ココロスター」:シンクスフィアの異例の株主総会と驚異的な成長」
月刊ビジネスメディア 特集「デジタルビジネス最前線」20**年7月号
○異例づくしの株主総会。相反する株主提案の行方は?
先日開催されたシンクスフィアの定時株主総会は同社の躍進を象徴するかのような異例の展開となった。昨年度、同社は売上高2兆2,000億円(前年比118%)、営業利益3,800億円(同109%)と、5年連続で過去最高を更新。世界的歌手キャスリン・リー・キャンベルとのコラボレーションによる前年度の記録的な業績を受け、専門家の多くが予想した反動減を覆す結果となった。
しかし、今回の株主総会で最も注目を集めたのは相反する2つの株主提案だった。1つ目の提案は同業他社と比べて多額な設備投資と人件費の圧縮による企業価値の向上を求めるもので、これはここ数年、毎年海外ファンドが出している提案である。提案の裏には圧縮分の配当金への振り分けが求められている。もう1つは今年初めて出された複数の個人株主からの共同提案で、「配当減額による従業員の給料アップと『ココロスター』への追加投資」を求めるという1つ目の提案とは真逆の内容だった。けれど、共同提案者の中にヨナタン・ホワイト氏の名前が連なっていることが判明した際、証券業界に驚きの声が上がった。ホワイト氏が業界では辣腕ファンドマネージャーとして知られる存在だからである。「私的な投資である」と断りながらも、本誌の取材に応じたホワイト氏は「この提案こそがシンクスフィアの企業価値を最大化する道筋」と語った。印象的だったのは「実は、私も家族も熱心な『ココロスター』のファンなんです」と満面の笑みを浮かべての告白だった。
議決権行使助言会社の間でも判断が分かれた2つの提案だが、結果は明確だった。海外ファンド案が否決される一方で、ホワイト氏らによる追加投資案は株主の圧倒的支持を得て可決された。
○300倍の株価上昇を支える「ファン株主」の存在
シンクスフィアの株価は5年前と比較して実に300倍という驚異的な上昇を遂げている。この上昇を支えているのが、国内外の熱心な「ココロスター」ファンによる個人投資だ。全世界で2億人を超えるアクティブユーザーを抱える同作の人気は単なるゲームの枠を超えた。声優陣によるライブイベントは国内外のファンが殺到するプラチナチケットと化している。キャラクターとリアルに触れ合うことが出来ると話題の体験イベント「Hello, World!」は予約チケットが販売されると同時に売り切れるほどだ。
ゲーム内イベントの舞台となった場所への「聖地巡礼」も後を絶たない。ただし、注目すべきは、地方自治体からの誘致の申し出に対して、同社が一切応じていない点だ。人気コンテンツに成長してからも「外部の声に惑わされない」「確固としたぶれない」運営姿勢はファンからの強い支持を集める要因の1つとなっている。
「ココロスター」がもたらす経済効果は一説によると10兆円規模に達するとされる。日本の国内観光需要とインバウンド需要の実に半分が「ココロスター」関連と言われており、リリースからわずか8年でここまでの影響力を持つまで成長したIPコンテンツは世界的に見ても例がない。
○新たな展開:常設ミュージアムの建設へ
ホワイト氏の株主提案可決を受け、シンクスフィアは配当金額の減額とともに、従業員の来年度分の追加のベースアップと「ココロスター」の常設ミュージアム建設計画を発表した。場所と開設時期は未確定ながら、計画では期間限定である体験イベントの常設化と「新しいゲーム体験」を掲げている。
この発表を受け、同社株はストップ高を記録。唯一無二のIP「ココロスター」の成長物語は、まだ序章に過ぎないのかもしれない。