第12話 C面-4
周りの迷惑にならないように、美羽は小声で言葉を交わす。特に、今いるシンクスフィアの社員食堂の中で、カズキたちがドキュメンタリー映画の撮影を行っているから。
「ありがとうございます! 一生の宝物にします!」
「うん。こちらこそ、ありがとう。これからも『ココロスター』とガーネットの応援をよろしくね」
「もちろんです!!」
相手の目を見つめる。琥珀色の瞳が綺麗だと思いつつ、でも、相手が圧を感じない程度に加減しながら。
彼女はアメリカのシアトル出身。日本語が上手い。「ココロスター」の勉強したらしい。ライブイベントの配信を見たことがきっかけで入社して、最初はリモートで働いていたが、美羽たちと直接会える可能性を信じて日本に来た、と語っていた。このタイプは最近そんなに珍しくない。
最後に、手を自分の両手で包み込むようにしてしっかりと握手を交わして、別れる。
そして、去っていく相手の背中を見つめ、彼女が振り返ることがあれば、笑顔で手を振る。そうすると、向こうは驚きと感動を保って、今日これからの仕事に向かい合うことが出来る。
ようやく、彼女の姿が見えなくなった。
ちょっとだけ気を緩ませる。まだ周りの人の目があるから、完全に気を抜くことは出来ない。
「はい。お疲れ様」
同じテーブルに座っていた友人の村中がそう言いながら、テーブルの上にミニカラーコーンを置いた。それには「ファンサービス終了」と書かれている。
カラーコーンが目印になって、ファンサービスを求める人はもう来ない。「ココロスター」の声優がファンサービスをするのはシンクスフィアの社員食堂を利用する時だけ。それも1回につき1人のみ、と社員の間で申し合わせが出来ている、らしい。新入社員は入社した時に、先輩からしっかりと言い聞かされる、とか。村中から聞いた。
「愛されてるねー」
と言われながら。そして、今も言われる。
複雑な気持ち。
無闇矢鱈に大勢の人間に迫られるよりははるかにマシだ。でも、数年前と比べると世界がすっかり変わった感じがする。「ココロスター」が会社のお荷物扱いされていた時は、しばしば、ゲームの運営製作とは関わりがないシンクスフィアの社員から冷たい視線を送られた。
それが今では、会社をあげて大歓迎されている。
思うところが全くないと言ったら嘘になるが、表に出すことはない。「声優」は人気商売でもあるのだから。
けれど、それを長い付き合いになる村中に見透かされたのか、
「本当、クルックルの手のひら返しよね」
とも言われた。彼女も言いながら目に冷たいものをたたえているのは、辛かった時期に同僚から冷たい仕打ちを受けていたのを思い出しているからなのかもしれない。でも、冷たいものをたたえていたのは少しの間だけで、すぐに満面な笑みに変わった。
「今では、「ココロスター」は会社のお荷物どころか、会社の顔になったからねー。ヒト・モノ・カネ、もう使い放題よ」
「おーほっほっほっほ!」を高笑いしそうだ。「ココロスター」に関わりたくて、国内だけでなく海外からも、優秀な人がシンクスフィアの門を次々に叩いてくる。「ココロスター」が生み出すお金もザックザック。そのお金は「ココロスター」に関わる人とモノに注ぎ込まれる。
けれど、「使い放題」だからといって、楽が出来るわけではないらしい。
昨日より今日、今日よりも明日。常に新しい良いものを送り出し続けないとユーザーからあっという間に愛想をつかされる。特に、「ココロスター」のファンは目が肥えてしまったから、
「もうプレッシャーが半端じゃないのよ」
村中のかつての言葉。
思い出しながら、美羽は口を開く。
「でも、Cプランはやりすぎじゃない?」
村中の顔から笑みが消え、横を向いて、
「……私は知らないわよ。産休中だった私には」
嘘であることを知っている。今月復帰した彼女は産休中でもシンクスフィアに顔を出していたのだから。
GOサインを出したのは、確かに彼女ではないが、彼女が一言「NO」と言えば動き出さなかった。それどころか、
「Cプランにカズキチを加えるなんてねえ。何が起きるか、想像がつくでしょ」
彼を加えるように、Cプランの責任者を仕向けたのは彼女だ。
「美羽! 聞いてくれる~? 彼が何をしでかしたのか。本当に、どうしてこんなことになったのよ~」
だから、テーブル越しにすがりつくように手を伸ばしてきたのは、すげなく振り払う。
「聞かないわよ」
部外者の美羽の耳にも色々エピソードが入ってくるほどだから、村中の愚痴を聞かされ始めたら、いつまでかかるか、予想も出来ない。
――自業自得。
「大体、中西社長に鍛えられまくった彼を戻したら、何が起きるか、ちょっと考えれば想像がつくでしょ」
彼は、もう、中西社長の「おもちゃ」からは卒業している。傍から見れば「暴走特急」を御することが出来る優秀なプロデューサーなのだが、実際は、一緒に悪だくみする「悪戯小僧ども」だ。
特に、5th以降のライブが行われる度に、
――よくもまあ、こんな演出を考えるものね。
毎回、感嘆を通り越して呆れてしまう。演出のラフデザインはあらかじめ提示されているのだが、立体映像を多用するために、実際に目にしないと分からないところも多い。だから、ライブ前のリハーサルで投影されると、毎回、驚きで目を見開いてしまう。横では江莉が毎回口をあんぐりと開けてしまう。
「最近入ったエンジニアたちから、一度三田君と一緒に仕事がやりたい、って声が上がっていたの。彼が以前開発にいたからね」
村中のいじけたような言葉に、最近、ライブイベントの演出のいくつかがゲームに逆輸入されていたことを思い出す。
――開発現場からの声を抑えきれなくなった、というわけね。
「おかげで、こっちまで振り回されて、大変よ」
「ごめん!」
村中が両手を合わせて謝ってくる。
元々の予定になかったために急遽スケジュールを押さえられた際には、「何が起こった?!」と思ったほど。
ギチギチに詰め込まれた仕事量には「ココロスター」リリース直後の暗黒期のことを思い出したが、収録現場にはあの時のような荒んだ嫌な空気はなかった。デスマーチ真っ最中なのに嬉々としていた開発スタッフの様子に引いたりもしたが。
――まあ、だけど、世界のスーパースターと一緒に仕事が出来るなら、誰だって喜んでスケジュールを差し出すか。
江莉のオタク丸出しの狂喜乱舞も思い出す。
「で、7thの準備、美羽の方は順調?」
頭を下げていた村中が合わせた両手の向こうから覗き込むようにして聞いてきた。
思わず顔をしかめたくなるのを堪える。
「……ボチボチね」
目下の課題は、キャスリン・リー・キャンベルから提供された楽曲の完成度をどこまで上げていくか、上げられるか。
その限界に挑戦している。
――悠希と咲良が「これはキャスリンさんからの挑戦状です」って言っていたけど、ピッタリの表現よね。
彼女たちも成長した。初めて会った時と比べると、声の演技はもちろん、歌もダンスも一皮も二皮も剥けた。自分の横に立つ「仲間だ」と堂々と言える。
「『ボチボチね』……ふーん」
「なによ?」
「美羽。あんた、今、獲物を目の前に捉えた肉食獣のような顔をしているわよ」
「……なによ、それ」
呆れてしまう。
「昔からそういうところあるよね。高いハードルを目の前に用意されると俄然燃えるタイプ」
「悪い?」
「全然悪くない。尊敬する」
村中の真っすぐな言葉と目に照れを覚えて、思わず視線をそらしてしまった。
視界の隅に残る彼女の顔に笑みが浮かんだから、少しだけイライラする。スルー出来ずにイライラしてしまうのは、美羽の心の奥底にたまったものがあるから。
心の奥底にたまったもの。それは不安。
今でこそ「ココロスター」は好調。絶好調と言っても良い。だけど、5年前は、いつ「失格」の烙印を押されて、サービス終了が宣告されてもおかしくなかった。その時の不安は今も美羽の心の奥底に刻み込まれている。
その不安が美羽に時々夢を見させる。「ココロスター」が突然スキャンダルに襲われて、あっという間にサービス終了に追い込まれる悪夢を。
――悪夢が正夢になるのは、今日かもしれない、明日かもしれない。
美羽にたまった不安を重く感じさせる。
抱えている仕事は「ココロスター」以外はゼロ、そのことも彼女の不安をさらに重くさせる。
同じように「ココロスター」以外の仕事をしていない仲間も増えた。「ココロスター」関係の仕事だけでスケジュールを埋めることが出来て、その出演料だけで余裕で生活が出来るからなのだが、「ココロスター」以外の仕事を続ける仲間もいる。モチベーション維持とかリスクヘッジとか色々理由はあるのだろう。
悠希と咲良も近いうちに「ココロスター」一本に絞ると聞いている。「ココロスター」以外の仕事でも高い評価を得て、引き留める声も聞こえている。
「だって、私たちは『ココロスター』の声優ですから」
笑顔で言っていた彼女たちの顔には不安の欠片も見られなかった。
――若さかな。それともカズキチへの愛ゆえに、かな。
こんなどうでもいいことを考えて、不安をまぎらわす。
だから、今も不安から目をそらす。そらそうとする。
「ところでさ、今度の大規模イベント、どうするつもりなの?」
「どうするつもりって?」
「カズキチが本来の予定からかけ離れたものにしたそうじゃない」
「私の愚痴を聞いてくれる?」
「あんたの愚痴は聞かない」
「そんなあ」
村中の情けない顔を見ても、塩対応を続ける。
「だってさ、だってさ、ちょっと背伸びしたらメチャクチャ好いものになりそうな、プレゼンしてくれたんだよ。それならこっちはGOサイン出すしか無いじゃない」
「そうしたら、結局、最初の計画とは全くかけ離れたものになったそうね」
「あれは、もう無理。私たちには止められない。前から現場は三田君のライブの演出に興味津々だったのが、今度のDLCで一緒に仕事したので、完全に心を掴まれてしまって、彼が言うことをホイホイ聞いちゃう状態なのよ」
もう笑うしかない、という感じで乾いた笑みを顔に浮かべた。
その笑みが美羽の心の奥底の不安を刺激する。
「大きなお世話だと思うけど、本当に大丈夫? 彼の手綱、ちゃんと握れてる?」
「……驚いた。美羽がそんなことを言うなんて」
「私も言いたくはなかったけど、彼、下手すると中西社長より厄介よ。あんたたちが下手を打つと、『ココロスター』を潰してしまうかもしれない」
――「暴走特急」からさらに輪をかけたものが現実になったら……。
「安心して、としか言えないわね。彼と私たちを。『ココロスター』を潰すなんてことは絶対にしないし、させない」
顔に浮かんでいた驚きを引っ込めて、真面目な表情と声音が返ってくる。
「じゃあ、何を企んでいるの?」
「企んでいる?」
「演者の私たちに内緒のプランが10周年に向けてこっそり進めているそうじゃない」
かつてと比べると内部情報が伝わってこない。
――これが普通で、昔が異常だった。それは分かるんだけど。
分からないことが美羽の不安をかきたててしまう。
「10周年で三田君が絡んでいるとなると、あれかな」
村中が記憶を探るために考えるような表情を浮かべた後、一転、
「でも、教えてあげない。部外秘でーす」
悪戯っ子の顔になりやがった。
「これだけは教えてあげる。誰もがアッと驚く凄いものよ」
美羽の中の不安は大きくなるばかり。
――この顔をするヤツラはみんな嫌いだ!
*
「バロン・トガワの言いたい放題」vol.1
月刊ビジネスメディア 連載コラム
初めまして。数多の挫折と失敗を繰り返して様々な業界を渡り歩いてきた私、バロン・トガワが業界の裏事情などを自由奔放に書いていくコラム欄になります。
記念すべき初回は、今、巷で流行りのゲーム「ココロスター」についてです。最近は右を見ても左を見ても「ココロスター」を見ないということがありません。リリース当時を知る身としては、この作品がここまで大ヒットするとは全く予想できませんでした。実を言いますと、ゲームを製作運営するシンクスフィアは古巣でして、在籍中「ココロスター」に関わる機会も少しだけありました。とは言え、あの頃の「ココロスター」はトラブル三昧の会社のお荷物的な存在で、本気で潰そうとする動きが社内にあったほどです。私も、社員として、一ゲーマーとして、当時はバグだらけの古臭い内容でリリースしたのを恥ずかしく苦々しく見ていたのを思い出します。
ところが、このコラムで触れるにあたり、7年ぶりにプレイしたのですが、記憶にあったものとはかけ離れたものに変わっていました。古臭さはノスタルジーに昇華され、プレイも非常に快適。気がつくと徹夜していました。仕事で徹夜は今でもありますが、ゲームに熱中して徹夜など30年ぶりではないでしょうか。「ココロスター」にはまった人を「心星病患者」と言うようですが、絶妙な中毒性から言い得て妙の表現です。
かつては器用貧乏に見えたゲームの種類の多さは老若男女あらゆる人々を取り込む間口の広さになり、取り込んだ人々を飽きさせない豊富なやりこみ要素にもなっています。かと言って、ゲーマーにも目配りを欠かせないプレイしがいのあるコンテンツも備えています。この仕組みが本当によくできています。ゲームに興味がない方でも、ビジネス面から新規ユーザーの取り込みとハイユーザーの満足度向上へのヒントが得られるのではないでしょうか。実際、知人の起業家はこの仕組みから着想を得て、新規事業の立ち上げに成功しました。彼は「この仕組みを考えた人は天才だ」と言っていましたが、同感です。「ココロスター」をここまで磨き上げた関係者には素直に称賛を送ります。
さて、次回は「ココロスター」リリース初期に私が垣間見たシンクスフィア内部のゲーム継続派と終了派のやりとりから、事業継続可否の判断につながるヒントを探っていきたいと思います。ご期待ください。
(注意喚起:心星病患者はこのように機会があれば感染を拡大させようとします。周囲に重症者が増えると深刻な問題が生じる恐れがあるため、未発症者はくれぐれも注意してください。by心星病耐性持ちの編集部員)